16.
「ゲバブッ」
大地の腹部にカレンの蹴りが叩き込まれ、食べ物の名前を叫んでいるのかと思うような声を上げて痛みに苦しむ。
(話が違う! こんなの詐欺だ!)
呼吸困難で酸素を求める肺からの要求に応えられない苦しさをどうにか声を上げずに堪えながら不満を言う。
こんな事なら断るべきだったと。
「これから戦闘訓練を毎日やりましょう」
昨日、魔物と戦闘をした後にカレンから提案された鍛錬の誘い。
大地は最初断った。
非戦闘職が鍛錬をする必要は感じられないし当然の判断だったと思う。
しかしカレンに戦闘のセンスがある、護身術があれば一人で行動ができるようになる、慣れるだけでも随分と差が出る。
なんてカレンに言われてそれぐらいならと頷いた。
元々、大地も今のような常にカレンに守られながらの生活を続けていくつもりはなかった。
農地に出てくる魔物を追い払えるようになればカレンを自由に行動させられるようになる。
カレンの行動範囲が増えれば農地を更に森の奥地へと広げる事が可能になる。
だから一度は断りはしたが、遅かれ早かれ必要にはなっていた。
「ダイチ、早く立て! 敵は待ってはくれないぞ」
(呼吸困難になってるのが見て分からないのか!)
立ち上がる様に促すカレンに大地は応えることは出来ない。
なぜならこうなる覚悟などしていなかったのだから。
大地はカレンの退職劇の際にその訓練内容を小耳にはさんでいた。
カレンは戦闘職を選んだクラスメイトと上司たちが実戦を望んでいるのを反対してまで基礎鍛錬と武器への慣れを優先していた。
懇切丁寧な指導で戦いとは無縁なクラスメイトを誰一人脱落させる事なく終えたという。
つまりその人にあった適度な鍛錬をしてくれる指導官だと大地は思っていたのだ。
しかしいざ行ってみれば鬼教官による地獄の鍛錬が始まった。
行われているのは組手。
武器なし防具なしの素手対素手でのボコし合いである。
なぜ基礎鍛錬や武器の使用でないのかを聴いたら、「そういうのは強い人がやるのもだ」って言われた。
弱い俺はとにかく実践あるのみだそうだ。
「ブギャバッ!!」
ようやく立ち上がったのにすぐにカレンの蹴りが飛んできて大きく吹き飛ばされる。
蹴られたことを知覚できるという事はカレンは相当手加減をしてくれていると思うのだが、反応に対して身体が全く追いつかないので逆に凄く怖い。
鍛錬というよりリンチにあっている感覚の方が近い。
「おお、やって……やられてるな坊主」
店の方からガランドが顔を出す。
「助けて」
「無理だ。お前さんのための鍛錬だ。甘んじて受けろ」
「……そんな」
「声が出るという事はまだまふぁ余裕そうですね、ダイチ」
「はっ、ぎゃああああ!」
そのまま店の方に戻っていくガランドは別に意地悪で止めなかったのではない。
大地の職業が非戦闘職であることを知っている。非戦闘員を戦えるようにするには普通の方法では駄目な事もよ~く知っている。
だからカレンもあんな鍛錬を選んだのだろうと。
「ぐえええっ!!」
「注意力が散漫になっている。もっと動きに集中しろ」
もう何度目か分からない一発ノックダウンをした大地を見てカレンは檄を飛ばす。
大地には自力で戦える可能性を感じた。しかしこの姿を見ると大地はやはり非戦闘職だから無理なのではないかと思ってしまう。だが彼の取り巻く環境を考えれば例え目標に届かなくても糧にはなるとカレンは心を鬼にして立ち上がった大地に再び蹴りを放った。
「蹴りを見てから反応したんじゃ遅い!蹴る動作に入った瞬間には避ける準備をしろ!」
(どこの達人だ!)
どれだけ大地が倒されようとカレンは鍛錬を止める事はなくその後も鍛錬は続いていく。
自分を強くしてくれるためだとは分かっていても、カレンの考えまで大地は理解できずにいる。
だから二人の鍛錬はまだ嚙み合っていない。
それでももう既に大地の中で変化が起こっていた。
「まだだ。体力はまだ残っているぞ」
「この……鬼教官がっ!」
「いい根性だ」
これだけやられればただ立ち上がってもまたやられるだけだと立ち上がり方を敢えて無防備にした。
当然のように大地に近づきカレンの拳が振るわれる。
構えていない大地はそのまま殴られるかと思いきや、大地は避ける事もせずに足を振り上げた。
それもカレンに当たらないだろうという動き。
一見無意味に思える行動だったが、すぐに違うと気づかされる。
靴だ。
大地は倒れている最中、自分の靴を脱ぎやすくしてカレン目掛けて飛ばしたのだ。
靴なんて当たっても大したダメージにもならないが、何とか一泡食わせられないかという行動だった。
カレンもこれには流石に反応が遅れた。
ただ残念なことに経験豊富なカレンはこのような事態は慣れている。
靴を避けてそのまま無防備な大地を殴るだけの余裕がまだあった。
「ゲバブッ」
今までよりも飛距離を伸ばして飛ばされた大地は受け身も取れずに地面にダイブしてそのまま意識を失って今日の鍛錬は終了した。
「朝……じゃないか」
目を開けると宿屋の天井だった。
気絶した後にベッドまで運ばれたらしい。
外を見ると暗闇で部屋にはもうすぐ消えかかっている蝋燭の火が灯っている。
あれから数時間は眠っていたようだ。
この時間ではもう夕飯の用意は無理だろうな。
「怪我は……ないか。やっぱり相当手加減してもらっているんだな」
鍛錬は今思い出しても地獄の内容だが、自分の今必要な物だと分かっているのでやめる気はない。
朝から夕方まで農業、帰ってから鍛錬して寝る。
暫くの間はずっとこのサイクルになりそうだと思いながら大地は久しぶりに心地よい疲労感で眠りについた。