49-13.オコの力1
転生したら転生してないの俺だけだった
~レムリア大陸放浪記~
49-13.オコの力1
オコは折れない強い心を持っており、実戦においても一度に8本の矢を別方向に放ち命中させる射撃技術と、俺を護るために幼い頃からタンジンに鍛えられた格闘術は、ビッグセブンの中ではステル、パーサに並ぶ実力者だ。
だが彼女の真の力はその心にある。
こう書くと何か抽象的な感じがするが、聖狐天に次ぐ強大な神聖魔法を生み出すのは、単なる魔法学のテクニックではない。
彼女は戦闘が嫌いなので、弓を射る時も、近接で蹴りを入れる時も相手を殺傷しない様に気を付けている。
「でも狩猟は得意ですよね?」
と一度神界タイムスの記者の取材で聞かれていたが、これはジョウザの教えが根底に流れているからだ。
醍醐教の中には、生命を尊び出来るだけ生き物の命を奪わないために肉食を禁ずる教えの宗派もあるが、ジョウザ派は早い時期から古代魔具の一つである
「托鉢の大鉢」
を所持していたため、各地の信者から捧げられた供物をありがたく頂いて日々の糧としている。
この不思議な道具は、各地の神殿に設置された托鉢の祭壇から一方通行的に供物を受け取るもので、前世でRPGゲームなどで重要なアイテムとして知られる
「瞬間移動」
を限定的に実現するものだ。
レムリアにはこの手のワープ的魔法は存在しない。いやあるにはあるのだが、これも古代魔具である
「金羊毛(大御所達が筋肉兵を送り込んでくるのに使った)」
や、大東の科学者が研究していた瞬間移動装置の様に
「神々の領域」
またはそれに人間が挑戦する物としてのみ存在した(科学者達は神々の領域に挑戦し、罰を受けた)。
上級神の中にはその能力を持った者もあり、天帝神界の守護四神で北方守護の玄武は歳経た巨大な亀だが、移動の際は瞬間移動を使う。
また一般的に神々は自分の神界から自分の信仰圏の現世に顕現する時は、特に距離の概念なく降臨できる。
他神の神界に立ち入る時は、乗り物や使役獣に乗るのが普通で、シバヤン一族の移動の際は、ステルの父親である大獅子ランの曳く戦車で赴く事が多い。
反面レムリア世界の現世では瞬間移動系は魔法にも魔具にも存在しない。
ドラクエのルーラの様に、一度訪れた地点にワープ出来るなら、どんなに旅が楽になるだろう。
と思うが、人間界にはそんな物はない。
唯一の例外がこのジョウザの托鉢装置で、各地の神殿に供えられた食物は、瞬時にジョウザ神殿に届けられる。
ジョウザ教の信仰圏は主に大街道から大山脈に至る痩せた土地の住民で生活は楽ではなく、それでも自分達が得た食物で一番上等なものをジョウザに供物として捧げてくれる。
捧げ物は瞬時にジョウザに届けられるので、よくある宗教の様に、お供物を後で皆で食べる事はない。
ある意味強欲なシステムだと思うが、捧げ物が本当にボン様の元に届けられた。
という実感が得られる。
届いた供物は、よく分からない根菜のような物や、魚1匹。という事もあり、小麦を使ったパンなどはなかなか上等で有難いもので、厨房では歓声が上がったりした。
中には有力者の信者もいるので、そういう供物で俺たちのカロリーは支えられていた。
苦い根菜などは、成長すればそれなりに旨い物だが、幼い俺は我儘を言って残したりした。
だが侍従長のタンジンは、絶対に許してくれなかった。
「主上の残された根菜はどこそこ村の信者が自分の食べる分を削って捧げて下さったのですよ」
という事で、最高権威者であるボンの俺の食卓も決して贅沢な物ではなかった
(ボンも特定の修行中には肉・魚は断つのだが、オコが夜中にこっそり厨房から持って来てくれた)。
そんなわけで、ジョウザの教義では殺生を禁じたりはしていない。
「命を捧げてくれた生き物に感謝して頂く」
のが基本だ。
日本の食文化は明治までは、仏教の影響を受けた菜食中心の食生活だったが、中国では早い時期に廃れた
「獣の肉を食べない」
仏教文化が生き残り、それも魚・鳥はOKという歪な形で定着していた。
中国でも禅宗の僧は肉食をしないが、江戸初期に入ってきた黄檗宗(本山は宇治の万福寺)は、月に何度か僧侶一同集って大皿のご馳走をいただく修行があり、その時には食事当番の僧たちが、出家する前に味わった美味である鳥料理や鰻料理などを植物性の素材だけで再現する事に執念を燃やしたため、江戸期以降の日本料理の技術が飛躍的に高まった。
「いただきます」
という言葉にはそういう食材への感謝の気持ちがあるが、ヴィーガン的な外国人は
「ご飯に漬物、ワカメと豆腐の味噌汁。納豆の朝食でも日本人はなぜ生命を頂く事に感謝するのか?」
と思うらしい。
だが植物だって命を頂く事には変わりないのだ。
なのでジョウザ教徒のオコは自身が大聖母になった後も狩りの獲物の命を頂く事に感謝するが逡巡はない。
森の獲物や牧畜の羊肉を捧げてくれた信者の供物を拒む事はジョウザには無かったのだから。




