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「臭いな……」

 アールは表情を歪め、鼻をつまんだ。

 破壊しつくされたハーシュの店の地下に、小さな工房があった。

 日々魔法の絡んだ奇怪な事件の起こるキトノスでは、保安隊も優秀である。物取りたちに襲われてしまう前に、この工房でしっかりと証拠を掴んでいたのだ。さもなければ、ハーシュを捕えることは叶わなかっただろう。

 工房に残る悪臭こそ、

「魔煙草の臭いです」

 ハーシュが犯罪に関与していたことを証明している。

「わたしは別に臭く感じないが、それは魔力の有無の問題か。魔族にしてみれば魔力残渣の塊など、さぞ臭かろう。まあ、確かに、さっき殺人現場にあったのと同じ雑駁な魔力残渣を感じる。それも大量だ。これがアールの言う通り魔煙草の痕跡だとしたら、現場の一〇〇倍は軽いぞ」

 人の気配がないので、モニカはここでも饒舌だ。人前でこそ声から身元が知れないように沈黙するが、本質はかなりのお喋りである。

「これで、保安隊の理屈はわかりましたね」

 鼻をつまみながらアールは短く答えた。

 ハーシュとジーメンスとのつながりとは、魔煙草の取引にほかならない。

 ジーメンスの普段通りの手口なら、ハーシュにもカネを貸して魔煙草を輸入させたのだろう。魔界と人間界は戦争中、すなわち断交中だから、取引は裏ルートに限られる。人間のジーメンスでは手が付けられないので、人間界の魔族を買収して密輸ルートを確保するのだ。

 そのハーシュとジーメンスとの関係に何らかの理由で亀裂が入ったのだろう。おそらく、ジーメンスが一方的に取引を中止したのだ。各所に金蔓を握り、危険な橋を渡らず、冷酷に実利を優先するジーメンスなら、当然に考えらえる。組織とのつながりもあるジーメンスは、だからこそ罪に問われず、また問われても檻を出てきた。

 そして、ハーシュはジーメンスを殺害するに至った。

 これが保安隊の筋書きだろう。

 それを理解したうえで、

「キトノスの保安隊は優秀だと聞くが、そうでもないのか?」

 モニカはバッサリと切り捨てた。

「優秀でも、事件が多すぎるのです。数多の事件を相手にすれば、ひとつやふたつ、しくじるものかと」

 魔法使いの男は主人を諭しながら、工房の外を指さした。

 それを見て人間の少女は「お、済まなかったな」と口先だけ謝るのだった。



 階段を上って店に戻ると、アールたちは不意に砂埃を吹きつけられる。

 大きな荷馬車が店先に停まったのだ。

「ええ! これは一体全体、どういうことだ?」

 若い馭者の男は、驚いた声を上げて馬車から飛び降りた。マントの砂埃を払いながら、氷の破片や真っ二つに折られたテーブルなどを見て目を丸くする。心底驚き、焦っているようだった。

 そして、店内に佇むアールとモニカに気がつく。

「何か知ってるな?」

 砂埃を浴びせておいてどういう了見だ、とモニカは怒鳴りつけてやろうとしたが、寸でのところで怒りを抑えこむ。いまは、口を利けない少女を装うのだった。思い出したようにアールの背後に回りこむ。

 代わりにアールが馭者の男に答えた。たまたま客として訪れていたときに起こったことだと前置きしてから、端的に説明する。

「ハーシュ殿は保安隊に連れ去られた。ある男を殺害した疑いをかけられている」

「そんな! 親方が殺しだなんて!」

 間髪入れず、馭者は叫んだ。その様子からするに、ハーシュは馭者にとって得意先だったのだとわかる。氷像は王都にも輸出されていたというから、信頼の置ける運び手がいたはずだ。

 それを察したうえで、アールはハーシュの嫌疑について補足した。

「現場では凍結魔法と変形魔法が用いられたと推定されている。氷が凶器になったそうだ。それでハーシュ殿が疑われたらしい」

 もちろん、それがモニカの異能による手掛かりとは明かさない。保安隊は、変形魔法が使われていたことにまだ気づいていない。

 それを聞いた馭者は、ますます顔色を悪くした。

「変形魔法? なら、親分は犯人ではねぇはず。どうして疑われているんだ?」

「氷像作家なら変形魔法も基本の技術だろう?」

「いや、変形魔法を使うのは見習いの下っ端くらいさ。本当に腕のいい魔法使いなら、凍結魔法だけで像を作り上げる。変形魔法で仕上げをしたら、職人の誇りが汚れると親分は言っていた」

 制作過程まで知っているとは。アールは素直に感心した。職人に信頼されて氷像を運ぶ者として、作品への愛情もひとしおのようだ。魔法使いのハーシュを尊敬する口ぶりからして、馭者も魔法使いだろう。

 モニカがアールの袖を引き、耳打ちする。

「嘘は言っていない。工房で変形魔法の残渣は感じなかった」

 アールは頷き、馭者に気づかれないようさりげなくモニカを背中に隠した。

 若者は少し考える素振りをしてから、はっとして顔を上げた。

「そうだ、親切に教えてくれてありがとな。実は俺、親分のところで修行していたことがあるんだ。それで親分のことは心配なんだが、明日も朝早くから仕事で、王都へ出発しなけりゃならねぇ」

 必死に気丈に振る舞っているようだった。

「でも、あんたたちの話を聞くに、じきに疑いも晴れるってことだろ? 何かあったらまた教えてくれねぇかな? このデカい荷馬車が目印だからよ、俺がキトノスにいるあいだはすぐに見つけられると思うんだ」

 ばんばんと荷台を叩いて馬車を示す。アールは馭者の頼みを快諾した。

 馭者はほっとしたのか、素早く支度をすると、馬を走らせて去っていった。

 車輪の音が遠くの喧騒にかき消されてから、モニカはアールの袖を引っ張る。それに気がついたアールがまた顔を寄せると、少女は耳打ちした。


「気がついたか? たぶん、あの荷馬車は魔煙草を積んだことがある」




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