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連行されるハーシュの姿がまだ見えているというのに、有象無象がハーシュの店に雪崩れこんだ。
手当たり次第に氷像を盗む者、見境なく破壊する者、そしてそれを煽る者。略奪もまたこの街の日常であり、保安隊も咎めようとしない。咎めるだけ無駄なのだ。むしろ、店が無人になると漏らしてしまった主人の責任でもある。
嘆息し、アールとモニカはその場を離れようとする。
そこに今度は白い鳩がやってきて、アールの周囲を旋回して飛ぶ。立ち止まったアールは、再び大きく嘆息する。
「メルシン様。いまの事件のことですか?」
鳩は手近にあった樽に留まると、アールに返事して人の言葉を喋りだす。魔法で使役されている使い魔なのだ。
『アールくん、いつも済まないね。君の力を借りたい。現場に案内するから、ついて来てくれ』
アールがモニカに目配せすると、らんらんと輝く瞳を目にしてしまう。
この瞳には弱いのだ。
主人を危険に晒すわけにはいかないから、まさか置いていくことはできない。屋敷に返すのが筋だが、それでは現場への到着が遅れてしまう。鳩を使役するメルシンという男は、キトノス保安隊の長としてかつての自分より上位の騎士であり、まして自分はすでに騎士を辞している。そんなメルシンの頼みを無下にできるはずがない。
せめて鳩にもう少し話を聞ければいいのだが、とアールは内心でないものねだりをする。
使い魔には、伝言くらいのごく簡単な指示しかできないものなのだ。
鳩に案内された先は、ハーシュの店から幾筋か離れた先の裏路地だった。
蜘蛛が巣を張り、鼠が地べたをかけている。酒場が密集しているあたりだから、かなり不衛生なのだろう。あえてこのような汚い場所に足を踏み入れようとは思わない場所だ。それだけに、事が起こるのも頷ける。
使い魔がまた旋回して飛びはじめた。アールとモニカが足を止めると、右手の壁に大きな赤い花が咲いていることに気がつく。嫌でも目に付くし、つんとする鉄の匂いが充満している。
広がった血痕も気になるが、壁に空いた穴も気になるところ。槍か何かで、被害者もろとも貫いたのだろう。直径はアールの掌ほどもある。並大抵の腕力ではなさそうだ。それとも、魔力か。
また、現場は水浸しだ。
ここ数日雨は降っていないし、周囲には排水設備もない。壁に派手な血痕が残っているから、血を洗い流したわけでもない。誰かが水を撒いたというのも説得力を欠く。
遺体はすでに片づけられてしまったらしい。
凶器も見当たらない。
『現場は見ての通りだ。凶器は見つかっていない。殺されたのはエルマー・ジーメンス。キトノスの魔族にカネを貸し、魔界から薬物を密輸していた男だ。部下たちはすでに氷像店店主のハーシュを捕えているが、現場を見る限り違和感も残る。君たちの力で改めて調査してみてほしい。捜査の結果は、今晩また会って話そう。では、健闘を祈る』
一方的に伝言すると、使い魔は遠く空へ飛び去ってしまった。
アールは失笑する。いつものメルシンの調子だ。それに、「君たちの力」ときた。アールが保安隊に助言するとき、根拠として示すのは、まさしくモニカの「力」だ。
「モニカ、感じるか?」
さっそく、アールはモニカを頼ることにする。まだまだ十代半ばの風貌のモニカだが、殺人の現場に立っても冷静なままだ。周囲に人影はないから、人見知りの演技を続けているわけではない。平静を保てるのは、モニカの根っこの性格ゆえだ。
「うん。見えるし臭うし聞こえるし、肌に触れるし味もする。この場所で魔法が使われたのは間違いない」
周囲を警戒しながらも、モニカは饒舌に答えた。
どんな魔法かとアールに問われると、彼女は腕組みした。
「凍結魔法と変形魔法。昨晩使われたみたいだな。あとは、雑多な種類の混ざり合った魔力残渣を感じる。これは自然に溜まったものではないと思う」
その場所で用いられた魔法を感じ取る――魔力を持たざる人間の少女モニカが生まれ持った異能だ。
アールはモニカのこの能力を頼りに事件を解決してきた。メルシンが頼りにしているのは、どちらかといえばモニカのほうかもしれない。無論、モニカがひとりで出歩けるはずがないから、建前としてアールに声がかかるのだが。
「事件の核心から遠いほうを先に潰しておきましょう」
モニカに異能があるなら、アールには人間にはない魔力と人並外れた頭脳があった。
「雑多な魔力残渣は、おそらく『魔煙草』です」
「魔煙草?」
モニカが首を傾ぐ。アールは説明を続ける。
「魔界で流通する、魔族にとっての麻薬です。魔界にはクエッタソウという植物があり、自然の魔力残渣を吸収するはたらきを持っています。クエッタソウの花を絞り、濃縮した液体を利用して作る魔煙草は、魔力を持つ者には強い興奮作用と幻覚作用を持ち、快感ゆえに依存性の高い薬物です」
「ああ、魔族にとって魔力残渣は毒性があるのだったな。なるほど、毒に快楽を覚える者もいて当然だ。人間界の麻薬と変わらん」
初めて聞く異界の麻薬に、モニカは感心して頷いた。
異能のため常に魔力残渣を感じ取ってきたから、モニカには新鮮な驚きであった。
「お嬢様。凍結魔法と変形魔法について、具体的にはどのくらいの魔力で?」
ううん、とモニカは唇に指を添えて考える。
「ここに留まっている魔力残渣の量と、いま漂っている魔力素の量からするに、さほどの魔力とは思えない。一般に、氷結魔法のほうが変形魔法よりも上位の魔法だよな? 変形魔法のほうが強力だったように感じる」
「ということは、ハーシュを捕えたのは早急だったかもしれませんね」
現場のふたりは早くも状況を理解した。
保安隊がどのように考えてハーシュを連行するに至ったのか。
被害者ごと壁を貫く強力な腕力、あるいは魔力。水浸しの現場。見つからない凶器。
これを総合するに、ハーシュは犯人としてちょうどいい。彼は凍結魔法の有力な使い手である。その彼が魔法によって巨大な氷柱を作りだし、ジーメンスを貫いたとすれば――氷はいつか融けて現場から消え去り、代わりに水が残るだろう。
しかし、保安隊の考えがわかったということは、保安隊の矛盾にも自ずと気がつく。 メルシンがアールたちを呼びつけようと決めた「違和感」もだんだんと見えてくる。
「とりあえず」
アールが提案する。
「最後まで保安隊の推理をなぞってみましょう。ハーシュが犯人としてもジーメンスとのつながりがまだわかりません。まさか、ただの喧嘩でこんな派手な殺人になるとは思えないので」
モニカはこくりと首を振って同意を示した。




