総騎士団長の焦り 2
この聖杯の国というところは、普通の国とは決定的に違う、歪な形で発展を遂げている。
なにしろ、本来国土の中央に位置するはずの王都は北部に、その王都と地政学的には同等の力を有する東、西、南の三つの大公家の合計四つの勢力が聖杯の国を均等に四分割する形、まるでドーナツのように真ん中に穴が開く形で形成されていた。
ならば、肝心の中央部はどうなっているのか?
実は広大な森が手つかずのまま残っている中央部は、王家の直轄地として不可侵の領域となっているのだ。
結局のところ王都の勢力圏内と言えなくもないのだが、なぜか当代を含めた歴代王家は中央部の領土開発に一切首を縦に振ろうとはせず、王家発祥の地と様々な理由を付けて神聖化し、三大公家にすら手出しさせなかった。
曰く、かの地には神が降臨した。
曰く、かの地には神が聖遺物を残した。
曰く、かの地には神話の時代の怪物が今も生きている。
曰く、かの地を侵そうとすれば天罰が下り、聖杯の国は亡びる。
建国当初ならともかく、それから千年以上たった今の時代にそんな伝説じみた話を信じる者はいないだろう。
それでも、そんな伝説を信奉してきた王家が千年以上続いてきたという厳然たる事実が、中央部への不可侵の意識を深く深く国民に植え付けていた。
「思い出した!!」
思わずそう叫んでしまった私に対して、秘書のオスロ―はどこまでも冷静だった。
「閣下、この部屋は防諜対策を施してありますが、何事にも万全ということはあり得ません。どうか――」
「あ、ああ、すまない、もう大声は出さない」
「差し出がましいことを申しました」
「いや、構わない。それよりもだ、あの時、先代はこの聖杯の国で大きな変化が生じた時、必ず中央部出身の人物と連絡を取り、その安否を確かめろと言っていた」
「中央部、ですか?あの地帯は、確か建国以来の勅命で貴族どころか代官すら置かない、王家直轄地だったはずでは?それ以前に、あそこの住民は王家の許可がなければ公職に就くことができない、つまり事実上国との関わりを断たれた陸の孤島だったはずでは?
「いや、それがどうも先代の言葉を信じるならばだが、ただ一人だけ王家の許しを得て王宮に仕えている者がいるそうなのだ」
「っ!?――迂闊にも存じませんでした」
「――そうか、お前も知らなかったか」
いつも淡々と私に従っているこのオスロ―だが、どうやら彼の理想の秘書像というものは人知を超えた存在らしく、最低でも王都の情報は網羅していないと気がすまない質のようだ。
そんな情報通のオスローが、権力闘争にはまるで縁のない中央部から出仕している人物がいたという特異な情報を知らなかったというのは、かなりプライドを傷つけられたらしい。
そんなショックが強く噛み締められた口元に現れていた。
「確か、陛下付きの紋章官だったと記憶している。お前が知らないのも無理はない」
「――紋章官は、王宮の役人の中でも極めて限られた伝手が無ければ就けないものです。それこそ、陛下が直接命じたのかもしれません」
「とにかくだ、先代からの申し送りを思い出したからには、急ぎその紋章官と接触せねばならん。オスロー、陛下に同行しているのかも含めて、至急調べてくれ」
「かしこまりました」
先ほどのショックからもう立ち直ったのか、オスローはいつも通りの格式ばった仕草で一礼すると足早に執務室を出て行った。
――それにしても、なぜ先代は私にあのような妙な申し送りを残したのか……
私が総騎士団長就任時に舞い上がっていたせいで直接先代に尋ねることを失念し、後でご機嫌伺いに行ったときに聞けばいいかとついつい先送りしてきたのが、今となっては悔やまれる。
その先代も、五年前に大往生を遂げられてもうこの世にはいない。
おそらく家族にも話してはいないだろう。あの方はそういう人だった。
「いや待てよ、ひょっとしたら過去の記録に何か手がかりがあるかもしれん」
誰もいなくなった執務室でそう独り言ちた私は、扉一つ隔てた先にある歴代総騎士団長の記録が収められている保管庫に向かうことを決め、すっかり冷めてしまった紅茶を一気に呷った。
結論から言うと、僅かな調査時間の間にそれらしい記録はいくつか見つかった。
何人かの総騎士団長が、通常は接点を持つことなどあり得ない王家に近い人物と、親しい間柄だったとうかがわせる部外秘の記録があったのだ。
だが、手がかりを追えたのはそこまで。
どうやら彼らは一様に一人の同行者も許さなかったらしく、だれと、いつ、どこで、どういう話をしたのかなどの情報は一切記録されていなかった。
――まるでそういう不文律でもあるかのように。
何かうすら寒いものを感じながらも、これ以上の手掛かりを望めないことに少なからず意気消沈した。
とはいえ、久しぶりに王都に帰ってきたのだから総騎士団長としての仕事は山積している。
結局たまりにたまった書類を片付ける以外にできることはないと諦め、ひたすら仕事をしながらオスローの帰りを待つことにした。
そして数時間後、
「ただいま戻りました」
数枚の書類を携えた、いつもより微妙に複雑そうな表情を浮かべたオスローが帰ってきた。
「どうだった、と聞くまでもなく、その顔を見ると結果は芳しくなかったようだな」
「はい。といっても、調査自体はそれほど難航しませんでした。件の紋章官については一通り情報を得られましたので」
「ほう、それで?」
「どうやら一口に紋章官と言っても、正式に王宮の名簿に記されている紋章官は別に存在するようで、中央部から来たというその人物はいわば陛下が私的に雇った、公人とも私人とも言い難い微妙な立場にあったようです」
「それは――陛下に近い分だけ、逆に王宮の役人、軍人では近づきがたいな」
私自身もそのうちの一人であることを念頭にそう表現する。
「だが、先代の申し送りを思い出した以上、どれだけ段取りが面倒でも会わないわけにもいかん。どれだけ方々に貸しを作っても構わない、なんとかできないか、オスロー」
「そうしたいのはやまやまなのですが……」
「なんだ、珍しく歯切れが悪いじゃないか。――そうか、陛下の外遊に同行しているから会えないのだな」
「――いえ、そうではありません。今回の陛下の外遊の同行者リストにその紋章官の名は載っておりませんでした」
「ならば王都にいるはずではないか?」
「それも違います。――はっきり申し上げましょう。件の紋章官が今いるのは陛下の御側でも王都でも、ましてやこの世でもありません。二年前に他界しております」
「な、なんだと――?そ、それでは先代の申し送りに応えることは永久に……」
「落ち着いてください閣下。先代の申し送りは紋章官に会うことではありません。王宮にいる中央部出身の者と接触することです」
「そ、そうか!紋章官の後を継いだ、二年前に新たに中央部からやって来た者が、すでにこの王都にそれと知られずに存在しているというのだな!」
「仰る通りです。しかし、その後継者を捜し出すのに何の手がかりもない以上、役人かどうかに関わらず王宮に関わるすべての人間の出身地を調べ上げねばならず、かなりの時間がかかるかと」
「しかし現状、それ以上にうまい手があるわけでもあるまい。ならば一刻も早く手を付けるしかない。オスロー、他の業務は後回しで構わない、直ちに取り掛かってくれ」
「は、かしこまりました」
それから数日が経った。
その間の私はというと、何事もないかのように淡々と総騎士団長の業務に勤しんでいた。
やはりというか、ここ数日だけで王太子派の貴族の何人かが、お茶会や晩餐への参加を求める手紙を送ってきたが、すべて無視した。
本来ならば適当に誘いに乗って余計な軋轢が生じないようにいなすべきなのだろうが、オスロー一人に任せた例の件が気になって、とてもそんな気にはなれなかった。
今日もなしのつぶてだったな、とすっかり減った書類の山を眺めながら自分で淹れた紅茶を味わっていると、
コンコン
「閣下、よろしいでしょうか」
「オスロ―か!入れ!」
噂をすれば影、待ちに待った知らせを持ってきた我が腹心がドアの向こうから姿を現した。
――数日前よりさらに難しい顔を見せながら。
「結論から申します。件の人物が判明しました」
思わず絶句した私の心中を察したらしく、オスローはこちらの返事も待たずに勝手に喋り出した。
「やはり、中央部出身の紋章官には後継者と思われる人物がおりました。その人物は陛下の御側ではなく、別の王族の側近となっておりました」
「――で、その王族とは?その人物の役職とは?」
「……第三王女エーテリア殿下、その秘書官です」
その、先だっての争乱の巻き添えを食らって事実上の王都追放処分が決まった御名を聞いて、私は足元がガラガラと崩れ去るような錯覚に襲われた。