聖杯の国再び
それから再び一時間後、帰ってきた時とは雲泥の差のスピードで里の近くまで戻ってきた俺とアグニ。
そのすぐ手前で足を止めたのは、憶えのある気配が俺達と同等以上の速度で近づいてきたからだ。
「ただいまセイラン、とアグニも一緒か。とりあえず里を含めた近場への通達は済んだよ」
「さすがだな、疾風のゲイル。走ることにかけては里一番と言うだけのことはあるな。俺が外に行く前より倍は速くなったんじゃないか?」
「そんな子供のころと比べられちゃ困るよ。まあ、毎日訓練だけは欠かしてないけどね」
「それは頼もしいな。で、これから里に戻るところか?」
「うん、そうなんだけど、多分すぐに里長から別の任務を与えられそうな気がするんだよね。セイランの下に本格的に付くのはまだ先になりそうだよ」
「そうか。一応外に関することは全権を委任されてはいるけど、さすがに里長直々の命令となると俺は口出しできないしな」
「まあ、裏を返せばそれだけ重要な任務ってことなんだけどね。じゃあ、そんなわけで急ぐから先に行くよ。セイラン、また今度」
「ああ、今度は俺が、帰ってくるのを待ってるよ」
俺の言葉が終わるか終わらないかという時にはすでに、ゲイルの姿はなくなっていた。
さて、先を急ごうかとアグニの方を見ると、その野性的かつ整った顔に不機嫌そうな表情が見えた。
「あいつにあんな発破の掛け方をするとあとが面倒だぜ。ただでさえ聖杯の戦士としての使命感は人一倍強い奴だからな」
「忠誠心が強いってことだろ?大いに結構じゃないか」
「手綱の捌き方を間違えると暴走するって言ってんだよ」
「それこそ手綱を握る俺次第、ってことだろう。その上でゲイルやアグニ達がしくじったり道を誤るようなことがあれば、それは全て俺の責任ってことさ」
「……それが将、ってやつなのか」
「そういうことだ」
今日の獲物を調達してくるわ、と言ったアグニと別れ、俺は里へ戻った。
途中すれ違った里の大人から、まだウンディは帰ってきていないと聞いたので、そのまままっすぐ長の家へと向かうことにした。
……クロナは過去のクロエさん激怒事件の傾向からして、多分三日間は使い物にならないだろうから、すでに戦力から除外している。
アイツはアイツで替えの利かないスキルの持ち主なので早く復帰してほしいところだが、あのイタズラ好きな欠点だけは早急にどうにかしてほしいところだな。
そう考えている間に長の家の前に着き、さっきと同じように扉を叩く。
「長、セイランです。ただいま戻りました」
「入るがいい」
了解を得て家の中に入ると、先ほどと寸分たがわぬ位置と姿勢で、長が待っていた。
「報告します。俺を王都から追跡していた暗殺者二人を始末しました」
「そうか、やはり今、王都で我らのことを知る者が激減しているのは間違いないようだな。とにかく、ご苦労だった」
「はい。それで、ゲイルに新たに任務を与えたと本人から聞きましたが?」
「うむ、あれからいろいろ考えたが、念には念をと思ってな。ゲイルにはちと遠出してもらうことにした。お前には悪いが、この任務はゲイルが適任だ。しばらく借り受けるぞ」
「それは構いませんが、いったいどんな任務を?」
里長の爺様と俺の年の差は五十を超えている。
『外』との直接的なつながりが極めて薄いこの里において、年功序列という概念は絶対の掟と言ってもいい。
王都に出る前の俺がもしこんなことを言っていたら、即粛清されていただろう。
だが、今の俺には『外』からの脅威を排除する一点において、長をも超える権限を一族から与えられている。
そのための人員であるゲイルを無断で使われた以上、俺にはその内容を知っておく義務があった。
「うむ。遅きに失した感は否めぬが、ゲイルには根回しを頼んだ」
「根回し、ですか?」
オウム返しの聞き方になってしまうのは当たり前だ。俺にとっては初耳なのだから。
「お前が知らんのは無理もない。王都に派遣した外交官の立場を陰ながら守るために、一族が密かに作り上げてきたコネクションのネットワークのことだ。権力が過度に集中せぬように、あえて外交官には秘密にするという代々の長への申し送りだったのだ。この秘密を外交官に知らせるのは、何らかの事情で外交官が王都から戻ってきた時のみ、そういうことになっていた」
「それを俺に明かしたということは、つまり――」
「これからはそのコネクションをお前が使ってこの地を守れ、そういうことだ。ゲイルにはそのための根回しと情報収集に行ってもらっている。いずれお前にも各地を回ってもらうからそのつもりでな」
「――はい」
そういうことはもっと早く言ってほしかった――ほしかった!!
控えめに言っても根本的な戦略の見直しを迫られるじゃないか!!
――とはいえ、これ以上早いタイミングで知ることのできる情報ではなかったのは確かみたいだし、見直しと言ってもより穏便な方向へ軌道修正できるという意味だから、そう悪い話でもないか。
そうでも思っていないとやっていられない。
「というわけで、まずは詳細な情報を揃えるのが最善と判断し、ワシの一存で里の者を動かした。お前を追ってきた暗殺者のような受け身の場合はともかく、こちらから仕掛けるのはそれからでも遅くはあるまい。もちろん、お前が不要というなら即座に命令を撤回することもできるが」
「いえ、俺も長の立場なら同じ判断を下したと思います。このまま進めて構いません」
「そうか。ならばひとまず里に残っている者たちは待機でいいな?」
「はい、俺も体を慣らすために少し時間が必要ですし。今日のところは実家に帰ります」
「そうか。ワシはもう少し考えることがあるから、先に帰っていなさい」
そう長が言ったのをきっかけにして立ち上がる。
もちろん、爺様とも一緒に住んでいるので連れ立って帰っても良かったのだが、そこは切り替えというかけじめというか、長との間に流れる空気を変える必要を感じたので一人で扉に向かう。
「セイラン」
「なんでしょうか?」
背中にかけられた声に振り返ると、これまで一度も見たことがないほど厳しい顔をした聖杯の国の長の顔がそこにあった。
「この里の全員がお前の命令一つで喜んで死地に赴く。ワシも含めてそこに例外はない。それだけは忘れるな。そして――」
「誰よりも最後に倒れるのが俺の役目。――わかっています」
小さく頷く長に、俺も同じように返してドアを開けた。
ここは聖杯の国。
大地という器に注がれ、緑の装飾で彩られた神の水を守る国。
そう、この森、この土地そのものが聖杯と呼ぶにふさわしい神の力を秘めた場所。
はるか昔の戦乱の時代、周囲の大国は圧倒的少数で同等に渡り合った俺達を讃えた。
やがて彼らはこの地を聖杯に見立てた上、一国家として遇するようになった。
今、そうして紡いできた平穏が打ち破られようとしている。
あらゆるものから此処を守り抜く。
それが俺の、俺達の使命だ。
ここでひとまず一区切りとなります。
いかがでしたでしょうか?
少なくともざまあ要素はまだまだだと自覚しています。(俺たちの冒険はこ)
大まかなプロット自体はあるので、ここから先は皆様の反応次第で続きを投稿する予定が早まります、ということにしておきます。
では、ここまでお読みいただきありがとうございます。