とある商人の無謀 5
最後の辺りに残酷描写ありです。
下手な文章でどこまでの影響があるかわかりませんが、苦手な方は読み飛ばすことをお勧めします。
「……い、おい起きろ!」
「……う、ここは――」
「おい、どうなってんだ!?気が付いたら森の中だわ目の前には仲間の死体があるわ、わけが分からねえ!何があったんだ?」
「もりの、なか?」
「それを聞きたいのはこっちの方だ!俺達、あの村で死んだんじゃなかったのか!?」
飽きるほど聞いた仲間の馴染みの声で、ようやく頭に血が上り始めた傭兵の男。
とりあえず何を言われているのか理解するために、薄く開けた目でゆっくりと辺りを見渡した。
「ここは――森の中、しかももう朝か。そうだ、あれから毒矢で体の自由を奪われて、村長の話を聞いて――」
「村長?あれは盗賊が村を襲ったんじゃないのか?なんでそこで村長が出てくるんだよ?」
「ま、待て。俺もはっきり言って何がどうなってんだか理解しきれてねえんだ。整理しながら話すから、少し黙ってくれ」
そう言った男は、ただ一人意識を保っていた中で何を見聞きしたのか、その一部始終を仲間の二人に告げた。
「――じゃあなにか?俺達は、森に入ろうとするやつを問答無用で皆殺しにする村の中で、のんきに酒飲んで眠りこけていたってことなのか?しかもここが別の国だと?お前は何を言ってやがるんだ?」
「うるせえっ!俺だって混乱してるんだ!少しは自分で考えろ!」
「何だとこの野郎!」
「二人ともやめろ!まだ危機から抜け出たわけじゃねえのは周りを見りゃわかるだろ!ケンカするのはこの森を脱出してからにしてくれ!」
「……すまん、言いすぎた」
「いや、俺も悪かった。だが、少なくともあの村長がそう言っていたのは本当のことだ。信じてくれ」
「――正直、今でも疑いが消えたわけじゃねえが、お前が嘘を言う理由がねえのも確かだ。信じるぜ」
「よし、とにかくすべてはこの森を脱出してからの話だ。事の真偽なんて話はその後でいくらでも確かめりゃいい」
「だな」
「幸いここに武器もあることだし、俺達ならこいつさえありゃあ、どんなことでも切り抜けられるだろ」
「ああ、そうだな。自分の得物があれば――」
(――いや待て、なんでここに俺の武器があるんだ?)
傍らに置いてあった見覚えのある剣をその手に取って、その時初めて男は違和感に気づいた。
(おかしいだろ、あの村長の口ぶりからして、村の奴らが俺達を逃がす気がないのははっきりしている。なら、なんで俺たちの生存率を上げるような真似を?俺達がここから脱出したら真っ先に仕返しに行くかもしれないのに?)
ついいつもの癖で、頭に浮かんだ疑問を解消しようとする男。
だが、悪い意味で場所を選ばない男の唯一の悪癖を、いつもなら三人の仲間の誰かが素早く注意するのだが(今は二人に減ってしまったが)、そんな時間を与えてくれるほど傭兵たちが今いる森は甘くなかった。
ガサ ガサガサ
「な、なんだ?」
「そっちだ!そっちの茂みの方から何かが近づいてくる!」
ガササッ ズザッ
知らない森の中、しかも一人減って三人という慣れない状況の中で、それでも音のする方へとっさに半包囲のフォーメーションを取ったのは、さすが経験豊富な傭兵だと言えた。
そして、戦闘態勢を整えた三人の前に現れたのは、ある意味で予想通りの獣だった。
「い、イノシシ?」 「なんだ、驚かせやがって――い、いや、よく見たら毛の色がちょっと違うか?」
三人の前に現れたのはちょっと毛の色が薄いこと以外は標準的なサイズのイノシシ。
フゴフゴ鼻を鳴らしつつも落ち着いているように見える四つ足の獣の様子に、傭兵たちは思わず緊張を緩めた。
「おい油断するな!かすり傷一つが致命傷になりかねないこんな森の中じゃ、イノシシ程度でも十分な脅威だ!確実に、安全に仕留めるぞ!」
「お、おう」 「そ、そうだな。それに非常食としても逃がすわけにはいかねえしな」
だが、野性の獣にここまで接近された以上、無傷で済むはずがない。
そんな森で行動する上での最低限の常識を知識として知っていた男が仲間を注意し、左右にいた二人も自身の油断を反省した。
「まず俺が前に出て奴の注意を惹く。その隙にお前らががら空きの横っ腹に剣を突き刺せ!いいな!」
「まかせとけ!」 「森でのサバイバルとしちゃ幸先良いぜ!」
大の大人五人がかりでも仕留めるのに苦労しそうなサイズのイノシシ。
それでも手に馴染んだそれぞれの剣と、一人欠けたとはいえ長年磨いてきた連携があれば野生の獣だろうが後れを取ることはない、そんな自信が三人には満ち溢れていた。
「いくぞ!」
その掛け声とともに中央の男が前に踏み出しイノシシの鼻先に剣を突き付ける。
剣という武器は知らなくとも、尖った物を目の前に突き付けられて危機感を覚えない生き物はいない。
「ブギイイイイイイィ!!」
このイノシシもその例外ではなく、男の目論見通りに興奮状態に陥って突撃してきた。
「はっ!突っ込むしか能のない獣が人間様に勝てると思うなよ!」
挑発してそう仕向けた男だが、さすがに100㎏はありそうな獣にぶつかっていくような愚行は冒さない。
代わりに男が選んだのは、背後にあった大きな木に飛びついてスルスルと登るという選択肢だった。
その間も全速力で男に迫るイノシシだったが、その牙が迫る前に男の体ははるか上へと登ってしまっていた。
「今だ!やれ!」
安全な高さまで登った男が合図した瞬間、いつの間にかにイノシシの左右に移動していた二人の仲間が滑るように突進してその横っ腹に剣を突き立てた。
「よし!すぐにそいつから離れろ!俺達人間と違ってイノシシの体力なら致命傷を負ってもしばらく暴れ続けるぞ!」
仲間たちが見事イノシシを仕留めたと確信した男はすぐさま次の指示を下す。
あとは安全な距離を保ってイノシシの命が尽きるのを見届けるだけ。
まだ危険は残ってはいるがそれでも山場は越えたな、と油断しない程度に緊張を解く男。
――そのわずかな時間が命取りになるとは想像すらせずに。
バゴン!!
「ギャピッッ!!」
ズザアアアアアア
次に樹上の男が見たのは、イノシシの左側から剣を突き立てたはずの仲間の一人が、そのイノシシの牙を使った首振りの一撃で茂みの向こうへと吹き飛ばされる光景だった。
「――は?」
「ヒヤアアアアアアアアアアアアアアア!?」
(仕留めそこなった?いや、そんなはずはねえ。あの角度とスピードで剣が突き刺さらないはずがねえ。ただの悪あがきか?だが、それなら辺りに血が飛び散ってるはずだ)
冷静な分析なのか、それとも信じられない光景に無意識のうちに外からの情報を遮断するための手段なのか。
イノシシに襲われなかった方の仲間の絶叫にも一切反応せずに、男は埒が明かない推測を頭の中で並べ立てていた。
「ち、畜生!嘘だろ!?なんで刺した方の俺の剣が折れるんだよ!?」
その声に反応して辺りを見てみると、確かに自然のものではあり得ない鋼のきらめき、半ばで折れた剣の半分が地面に落ちているのが樹上の男にも見えた。
(あの動きからしてイノシシが傷を負っている感じじゃねえ。かといって、剣がイノシシの腹以外に突き立ったってわけでもねえ。なら、本当に鋼の剣よりあのイノシシの体の方が頑丈だった、ってことなのか?)
『真の聖杯の加護とはいかなるものか知るがいい』
(そんな、そんなバカげた話があるか!?聖杯なんて王家が作り出した架空の伝説だろうが!)
そう最後に言っていた村長の言葉を思い出し、男は身震いした。
だが、事態は男に考える時間を与えてはくれない。
左側の仲間を吹き飛ばしたイノシシは一度身震いした後、今度はもう一人の標的にその体を向けなおそうとしていた。
「ちょっと待ってろ!いま助けに行く!」
その男の声は物理的には確実に仲間に届いていたはずだ。
だが、視線を自分に襲い掛かろうとするイノシシに固定していた残った仲間の精神は、他に気を向ける余裕をすでに失っていた。
「う、うう、ううううううわあああああああああ!?」
「んな!?バカッ!逃げるな!」
そんな叫び声をあげて半ばで折れた剣をイノシシに投げつけた残っている方の仲間は、男の制止も聞かずにそのまま背を向けて逃げ出してしまった。
(まずい!あんな速度じゃすぐにイノシシに追いつかれてやられちまう!数の優位を保ってるうち何とか仕留めねえと、次にやられるのは俺だ!)
一瞬で仲間と自分の危機を察知して、登っていた木から飛び降りようとした男。
何とか受け身を取れるように着地位置と角度を調節して枝を足場にしようとした、その時だった。
グワシャッ ブオン ドシャッ
肉体が何か硬くて大きなものに衝突する音、空高く舞い上がり風を切って跳ぶ音、そして勢いを失った肉体だったモノが力なく地面に叩きつけられる音、その三つの音を発する出来事が男の目の前で連続して起こった。
「――は、はは」
もう、茂みのような低い位置を気にする必要はなかった。
森に生える枝という枝をなぎ倒しながら現れた二体目のそれは、確かに一体目と同じ形をしていたものの、そのサイズは隣に駆け寄った一体目の十倍はあろうかという巨大なイノシシだった。
「ブルルル、フシュゥ」
ただの吐息のはずなのに、生暖かい風が未だ樹上に留まっている男の元まで届く。
その感覚が、今見ている光景が幻でない何よりの証拠だと知って、男はいつの間にかに下半身から暖かい液体を垂れ流しにしていた。
(い、いや、落ち着け。あのデカいイノシシだってこの木の一番上まで登ればさすがに届かないはず。確信はないが俺が生き残るにはもうそれしか手がねえ。お、落ち着け。手足を動かせ。滑らないように確実に素早く登るんだ!)
あり得ない化け物を見ている割には我ながら冷静だ、そう男は思いながら男は木を上へ上へと登っていく。
確かにその動きは迅速そのもので、とても動揺しているとは思えないものだった。
だが、自分にとっての安全地帯が、敵にとって難攻不落であるという保証はどこにもない。
ボギン!!
その音がした瞬間、男は自分がどこで何をしてるのか完全に見失っていた。
無理もない。
彼の人生の中で人が登れるほどの高さの木ごと空中に吹き飛ばされるなんて、体験どころか想像すらしたことがないだろうから。
バキバキバキ ドスン!
「ゲハァ!?」
気づいた時には、僅かな時間の空中遊泳を終えた男の体は、途中にあった木の枝を何本も折りながら致命傷にならない程度の速度で地面に激突した。
「ゴフッ、ゲフッ」
(や、やべえ!?はやく、早く逃げないと!?)
受け身も取れずに全身がバラバラになったかと思うような衝撃を受けながら、それでも男は逃げようとしてうつぶせになりながら地面を這い始めた。
その姿がひたすら生きようとするものか、それとも単に巨大なイノシシから逃げたいだけなのか、どちらの本能が男を突き動かしたのかは分からない。
なぜなら、
――ォォォオオオゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
「ヘブフッ」
巨大なイノシシの突撃、その右前足に巻き込まれた男の体は、今度こそ完全に生き物としての機能を停止したからだ。
そして、その後ろからついてきていた毛色の薄いイノシシ、巨大イノシシの子供が男の体だったモノに取り付き、今日の獲物をむさぼり始めた。
イノシシはほぼ草食の雑食性だそうですが、環境が違うのでこの世界では結構肉食寄り、という理解でお願いします。