聖杯の国の政変
ざまあものを書いてみたくて始めました。
ちゃんとできるかどうかわからない完全な見切り発車ですが、応援していただけたら幸いです。
「というわけで、第二王子派は敗北、首魁である第二王子はヨハン公爵家に養子に迎えられて王位継承権を失うことになった。ここまではいいかね?」
「はあ。それが私と何の関係が?」
私、これは公的な自分の呼び方なのでいまいちしっくり来ていない。
せめて独り言くらい本来の俺ことセイラン=マグダラス、という呼び方に戻しておこう。
直属の上司ではない人事局の局長に直接呼ばれ、局長室に入った時点でもうすぐ「私」という使い方をしなくなるなと予感していたのでなおさらだ。
「関係?無論ある、大いにあるとも。なぜなら、第二王子派には君が誠心誠意お仕えする第三王女がその名を連ねていらっしゃるのだからね」
「それはあくまで第二王子が勝手にそう仰られていただけです」
「言葉に気を付けたまえセイラン君。その程度の情報を私が把握していないと思ったのかね?もちろん王太子からその座を奪おうと画策した第二王子と違って、第三王女であらせられるエーテリア殿下が何の野心もお持ちでないことくらい知っているとも。しかし、だからと言って第二王子の権力を確かなものにする聖剣の国との縁談を了承されては困るのだよ」
「ですからそれも第二王子が――」
「だまらっしゃい!この場合第三王女のご意思はさほど重要ではない。宮廷内外にそのようなうわさが流れ、実際に聖剣の国がその気になっていた事実こそが重要なのだ!よって、第三王女にはカルネラにある聖杯教会でシスターになっていただくことが先ほど会議で決定した」
「待ってください。そのような重大事、一体誰の権限で決定されたのですか?」
「無論、外遊中の陛下から一時的に執政権を預かる第一王子、ベルエム殿下だ」
「しかし、事は王位継承権に関わる最重要事項です。これを決めるのは陛下が御帰還されてからでも遅くないのでは?」
「そうしたいのはやまやまなのだがな」
宮廷に住まう官僚として当然の反論を重ねていくが、まるで手ごたえを感じない。
それもこれも、一切淀みなく俺に応えていく人事局長の様子から、すでにすべてが終わっていると確信させるからだ。
「真に不幸なことに、陛下が現在滞在中の街で反乱騒ぎが起きたとの知らせが一昨日舞い込んでな、外交の調整などを逆算すると、陛下がお戻りになられるのは早くても三か月後ということらしいのだ。それを聞いたベルエム殿下は果断にも苦渋の決断をなされた、というわけだ」
「どうせその反乱もお前らが仕組んだんだろ」
と言ってやりたいところだったが、さすがにこの場ではそんなことは口が裂けても言えない。
何より、局長の後ろに立っている部下らしき荒んだ眼をした二人の男たちから、いつでも俺なんか殺せるんだぞと言わんばかりの殺気が漏れまくっていた。
これで文句を言える奴がいたら、それは勇者でも何でもなくただのバカだ。
「ここまで言えばいまいち察しの悪い君にもわかるだろう、第三王女付き秘書官のマグダラス君?第三王女が今の地位を失えば君の役目も消滅する。そして、財政難から今年の役人の一般募集を取りやめた手前、役目のない者をいつまでも雇っておく余裕など今の宮廷にはない。つまり君はクビだ、セイラン=マグダラス君」
やはりそう来たか。
ちなみに、今年の役人募集はあくまで平民を対象にした一般向けの枠がないだけで、貴族の子弟向けのいわゆるコネ枠は健在だ。
要は平民出身の俺なんかは第三王女という後ろ盾がなくなった時点でお払い箱、ということらしい。
「とはいえ、宮廷役人になってからの勤務態度は勤勉そのもの、そんな君を辞令だけ告げて追い出すような礼儀知らずではないよ、私は」
「それはつまり――」
「君の第三王女付き秘書官の役目は明日付で失われる。今日中に仕えてきた主に別れを告げると良い」
恩を着せたつもりなのだろうか、明らかに見下した目で俺のことを見てきた局長は、まるで召使いを追い払うように顎をしゃくって退室を促してきた。
一人分にしては少なすぎると散々同僚にからかわれた量の荷物をトランク一つに纏めて俺が向かったのは、十八で宮廷で働くことになってから三年間毎日欠かすことなく通い詰めた、王宮内にある別邸の一つだった。
「殿下、セイランです」
「――!?セイラン、本当にセイランなのね!?早く入って!」
軽くノックをしておとないを告げた直後、カナリアのような涼やかな声が俺の耳に流れてきた。
了解を得たので音を立てないように用心しながらドアを開いて入室すると、《金色の宝石》と謳われている美貌を持ったドレス姿の少女が定位置の椅子に腰かけていた。
「もうセイランったら、私がいくら殿下という呼び方をやめてといっても聞いてくれないのだから。もう名前を呼んでくれることはあきらめたから、せめて姫様と呼んで」
「私のような身分の者が、そのように呼んでいたと他の者に知れると縛り首になってしまいます」
「もう、セイランは大げさね」
ころころと笑うエーテリア殿下――姫様。
だが、世間知らずの姫様はともかく、他の国民、とりわけこの聖杯の国を仕切っている貴族たちはそうは受け取ってくれない。
不敬罪で縛り首、というのは冗談でも何でもないのだ。
「でもよかった。さっきいきなり人事局の局長とかいう方がいらして、明日から秘書官が代わりますなんて言い出してきたのよ。私、その話を聞いた時に目の前が真っ暗になったわ。冗談だと分かっていても、今の私にはセイランが絶対に必要だから本当に驚いたわ」
「残念ですが姫様、今日はお暇の挨拶に参ったのです。人事局長の言ったことは本当なのです」
その瞬間、陶器のように白い姫様の顔色が真っ青に染まった。
「そんな、そんなのってないわ!セイランが私の前からいなくなるなんて許した覚えはないわ!」
「残念ですが。聞いた話によると、王太子殿下が決められたことのようです。これを覆せるのは国王陛下ただ御一人ですが、帰ってこられるのは早くても三か月後とのこと。私にはどうすることもできません」
「そんな!?――そうよ、それなら私がベルエムお兄様に直接――」
「それだけではありません。殿下は姫様をカルネラの教会に幽閉するとも聞きました」
「え!?な、なんで、私に一言もなく――?」
「姫様が聖剣の国との縁談に乗り気だったからだと局長に教えられました」
「そ、そんな――だってあれはアグナルお兄様にどうしてもと懇願されて、仕方なくあちらの方とに三度お手紙をやり取りしただけで、私はそんな気なんて――」
「私は何度もお諫めしました。淑女が殿方に手紙を送るということは好意を持っている証になってしまうと。それをお聞き届けにならなかったのは姫様自身です」
そう、それまで一度としてここを訪れたことのなかった第二王子がある時期を境に足繁く通うようになり、姫様にあれこれ頼みごとをしていた時期があった。
当然不審に思った俺は、何度も姫様に迂闊に誘いに乗らないように忠告したのだが、箱入り娘の当の本人には危機感など全くなく、そのうちに俺の動きを察知した第二王子の側近から脅迫を受けて、やむなく大人しくせざるを得なくなったことがあった。
あの時の姫様の行動が俺の運命を決定づけたのだ。
「近いうちに姫様もこの王都を離れることになるでしょう。そうなれば、今までのような贅沢も自由もなくなってしまうと思います。では、姫様の幽閉が一日でも早く解けることとこの国の安寧を、これからは陰ながら願うことにします」
「違うの、別に毎日美味しいものを食べられなくなるとか、きれいなドレスを着られなくなることとかを心配しているんじゃないの!あなたを失うことが怖いのよ!」
その時姫様が見せたのは、今までどんな人間相手にも見たことのない、恐怖、悲嘆、無情、絶望などあらゆるネガティブな感情が詰まったような絶望の表情だった。
できることなら、姫様の御側に居てその不安を少しでも和らげてあげたい。
だが、それはもう叶わないから、心を鬼にして言う。
「そんな、私一人がいなくなる程度で大げさですよ」
「違うわ!私だけが知っている。この国を統べる国王陛下、今はこの国にいないお父様以外で私だけが知っているのよ!貴方を失うことで未来がどうなってしまうのかを!!」
絶叫する姫様の様子はもはや錯乱の域に達してしまっている。
これまでの俺だったら姫様の気のすむまでひたすら話を聞くこともできただろうし、何かできることがあれば俺の権限の許す範囲でその不安を取り除く行為をしてのけただろう。
だがもう駄目だ。すでに俺はこの国の役人ではない。繋がりは断たれてしまった。
「では殿下、失礼いたします」
「待ってセイラン!見捨てないで!」
ガチャン
防音性の高い重厚な部屋の扉を閉め、俺は長いようで短かった王都の生活に別れを告げた。
扉の向こうで起きているであろう慟哭は、すでに俺の前から過ぎ去ってしまったものだと言い聞かせながら。