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合流

 もうずいぶん長く歩いた気がする。とはいえ、視界から得られる情報は先ほどからあまり変化はない。スケアの背中。二人を照らす魔力で作られた光。延々と続く岩肌。日光すら届かないダンジョン内だと、時間間隔すら狂ってくる。

 しかし、後退してしまえば先ほどまでいた小部屋に戻ることになり、必然前に進むしか選択肢はなかった。


 この道がどこに続くのかという不安もあるが、それ以上に先ほどのスケアとの対話が尾を引いていた。

 先導するスケアに対する懸念も数多く生じた対話だったが、以降対話が続くこともなく、ただ無言の時間が続くばかりだった。


 いつの間にか、進む道がなだらかな下り坂になっている。それもあり、本当に出口に向かっているのだろうかと思ってしまう。


 スケア達の境遇を知ってしまった以上、生かしては返さないと攻撃されないかびくびくしていた。会話の内容からそのようなことはないと言っていいのかもしれないが、それを額面通り受け取るのは生前の経験から忌避していた。

 確かにスケアがユリウス達を案じていることは事実なのだろう。彼女が無駄な行動を取り続けたことがその証明だった。しかし、それは今ユリウスはスケアにとって取るに足りない存在であり、また敵対関係になっていないからこそのものだ。これについても先ほどの問いかけから判明したことだ。

 スケアが何を目的として動いているのかは判明していない。だからこそ、何に気を付ければ敵対関係になる危険性を回避することが出来るのかはわからないままだ。

 この不明な点がスケアに対し警戒の念を強め、そして底知れない不気味な雰囲気が何よりも恐ろしかった。


 そんなユリウスの内心を知ってか知らずか、スケアは一度も振り返らず、声をかけてこなかった。


 不意に窮屈な空間が広がるのを感じた。と同時に、スケアが足を止めた。

 無意識にスケアを避けるようにしながら、彼女の隣に立つ。


 先ほどまでいた小部屋と同じ造りの空間を更に広くしたようなだだっ広い空間だった。小さい光量では空間内を照らし切ることができておらず、奥の方は闇に包まれていた。今まで通ってきた細い横穴から風が通り抜けていることから、どこかに通じる横穴があるのだろう。

 ふと、つんとした酸っぱい匂いが鼻腔を貫き、むっと顔をしかめる。しかし、光量が届く範囲にはこれといった異常も物体も見当たらなかった。


「妙な臭いですね」

「生物の糞尿と血肉の臭いだ」

「……だとすると、なにかがここに?」

「先ほどお主が気を失っている間に確認した際は魔物が人間を貪っていた。恐らく、その食い散らかした肉塊の臭いであろうよ」


 そう宣うスケアはとても落ち着いていた。その様子から今は危険が少ないのだろうと考えることにした。事実、ユリウスの索敵範囲にも危険があるようには感じられない。

 しかし、確実性はないため過信せず、最低限の警戒だけは続けた。


「ここに何かあるんですか?」


 この部屋にたどり着いてから、スケアはただ眼前の闇に視線を寄越すだけで動く気配がない。

 まさか、自分の気づいていないなにか危険があるのかとも考えた。だがそれにしては落ち着き払い過ぎている。その様には危険が迫っているようには感じられなかった。

 ユリウスは不審に思い、問いかけた。


「あぁ。ここでエルザ達と合流する手筈となっている。……噂をすれば影だな」


 言われ、その視線の先を追うと、薄闇の向こうから何かの気配が近づいてくるのがわかった。


「お~い、兄貴~っ!!」

「ユリウス様! お怪我はありませんかっ!?」


 闇の向こうから、聞き馴染みのあるふたつの声が響き渡る。

 目を凝らすと、そこに小さな灯りがゆらゆらと揺れ動くのがわかった。そのそばに三人の人影が浮かび上がっており、ふたつの小さな人影が大きく手を振っているのがわかった。


「ユース! ヘテナ!」


 見慣れた顔が突然いなくなるということが多かった生前を思うと、今回のように非常事態によって離れ離れになると無事に顔を合わせられることが本当に嬉しかった。

 ユーステス達も似たような経験から、離れ離れになることは心苦しかったことだろう。

 だからか、感極まった二人は全身から喜びを表しながら、駆け出した。


「いけないっ!」


 突如、エルザの慌てたような声が耳朶を打つ。


 ――なんだ?


 家事全般が出来ないといっただらしのない部分が多く見受けられるエルザだが、今のような状況になるとスケアに比肩するほどの心強い存在だ。

 そんな彼女が突然声を荒げたことに、言い知れない危機感を感じた。


 すぐに周囲に視線を巡らせる。生憎、お互いの光量はそれほど強くない為に浮かび上がる全貌は限定的だ。そんな中を必死に凝視する。自分の手の届く範囲では誰も死なせない。特に彼らは家族のような存在なのだ。死なせてなるものか。


 ふと、先ほどからスケアの視線が移動していないことに気づいた。それは横穴を抜けた時から変わらず、ただ一点を凝視し続けていたのだ。


 ――まさかっ!!


 そうして、気づいた。スケアが寄越す視線の先を追うと、ユーステスとヘテナの側面に、何か巨大な影が浮かび上がっていた。暗いから細かなことはわからないが、巨大な影は息を殺し、静かに二人へと近づいていく。その様は、獲物を見つけた肉食獣がとびかかる直前の息を潜ませている状況。

 影の間合いに入ってしまえば、忽ちその牙が二人を襲うことだろう。


 あんなに巨大な存在がいるのにどうして気づかなかったのだろう。スケアが動かなかったのは、合流地点に到達したのと同時に、潜んでいる魔物に対して意識を向けていたからか。

 それにしては落ち着き過ぎだとは思ったが、スケアの態度と行動や表情が釣り合っていないことはこれまでの生活からわかっていたことだ。また、それは先ほどの問答でも出ていたではないか。その事を忘れて最低限の警戒に努めていたことが潜む魔物の発見を遅らせてしまった原因だろう。


「危ない!!」


 危険を知らせるために大声で叫ぶ。自らの居場所を知らせる危険な行動だが、双方に光源があるため些細なことだと思い、ユーステス達に危機を知らせることを優先した。


「あ、兄貴?」

「ユリウス様……?」


 二人はユリウスの様子からただ事ではないと悟った。だが、まだ自分達が危機的状況にいることに気づけていない。


「くっ!」

「待たんか」


 堪らず飛び出そうとしたユリウスの腕をスケアが掴み止める。振り解こうとスケアに振り返り、ユリウスを掴むのと逆側の手に握られているものに気づいた。

 それは弓だった。特殊な装飾を施されているわけでもなく、彼女の身の丈程の長さを誇るだけの西洋弓。しかし、その弓が纏うように膨大な魔力を発しているのがわかった。もしここに母がいればその魔力に卒倒したことだろう。これまでに見たことも感じたこともない、途轍もないほどの魔力が圧縮され、ひとつどころに集束していた。

 まるで弓が魔力を纏っているのではなく、魔力が弓を形作っているかのようだ。


 ユリウスが落ち着いたとわかるや、スケアはすぐに手を離す。流れる動作で立射の構えを取った。

 弓の弦を軽く弾き、問題がないことを確かめると、矢を番えることもせず弓を引き絞った。

 すると、先ほどまで何もなかった筈の弓に矢を形作った淡い光が浮かび上がる。そこに込められている魔力の密度に、思わず肌が粟立った。


 細かい原理はわからないが、巨大な影に対する迎撃手段が出来たことがわかれば今は充分だった。


「二人ともすぐにこっちへ――」


 二人に視線を戻し、声をかけると、ユーステス達は揃って左側に視線を向けていることが分かった。

 それは奇しくも、巨大な影がいる方向と一緒だった。

 気付いたのだ。そこに何かがいることに。しかし、その全体像が見えていない分、彼らはそちらを注視するだけ。


 刹那、硬質な激突音が薄暗い空間に響き渡った。影が動いたのだ。射程圏内へと忍び寄った影は、獲物を喰らおうと牙を剝き、間一髪のところに邪魔が入った。「うわぁ!」というユーステスの悲鳴。そこに痛みをこらえるような様子はなく、突然の出来事に驚いて出たものだろう。

 一拍遅れてスケアの方から矢が射出される擦過音。すると、ぎぃぃぃぃいいいぃぃっ、と耳障りな音が轟いた。

 すぐに影の悲鳴なのだと直感した。


「ここにいろ」


 スケアはそれだけ言うと、音もなく闇に身を投げ、一瞬の間に両脇にユーステスとヘテナを抱えて戻ってきた。

 二人を優しく地面に置くと、すぐさま闇に向けて幾条もの矢を放つ。呼応するように声にならない絶叫が響き、光を反射する白の軌跡が奔った。すると、どどう、と重量を感じさせる重い音と地響きが起き、それまでが嘘のように静まり返った。


 ガシャガシャと重厚感のある音が近づいてくる。その音は規則的で、誰かの足音なのだとすぐにわかった。

 騒音の位置がそれほど離れていなかったため、足音の主はすぐに光の下にその姿を現す。


「ロード。ご助力に感謝を」


 そう言って、エルザは抜き身の剣を手にしたまま、空いた手を胸に当て、ぺこりと小さく頭を下げる。


「よくやってくれた。おかげで被害はない」

「もったいなきお言葉にございます。私がもっと目を光らせていればこのようなことはなかったのですが」

「いいや。お主に非はないとも。あれは気を急いた戯けの問題よ」

「恐縮にございます。では、少々」

「あぁ。折檻してやるとしよう」


 言って、二人の視線はユーステス達に向く。

 二人はビクッ、と身を竦ませると、しゅんとした顔で縮こまる。どうやらまずいことをしたという自覚はあるようだ。そんな二人の心境を体現するように、二人の耳としっぽが力なく垂れ下がっている。

 一歩、一歩と近づいてくるエルザは、怒っていますと言いたげに眉間に皺をつくっていた。全身から怒気を噴出させ、厳しい顔で二人を見据える


「さて、二人とも。どうして私が怒っているかわかりますか?」

「お、俺とねーちゃんが走り出したから」

「それだけではありません。二人はどうも危機意識が足りていませんね」


 そう言い、ガンッ、と音を立てて地面に剣を突き立てる。その音に二人は驚き、再び身動ぎさせた。


「いいですか! ここは地上ではないんです! ダンジョン内なんですよっ!! いつどこに危険が迫っているのかわからない場所なんです! それを周辺の確認をするでもなく……」


 珍しく、エルザが声を荒げる。ヒステリックな感じではないが、それだけでどれほど気が気でなかったか察せられた。


「ユリウス君が無事だったことに喜ぶ気持ちもわかります。ですが! それで貴方達が飛び出して行っていい理由にはなりません!!」

「よいか、二人とも。ダンジョンとは今のように魔物がそこかしこにいるだけでなく、トラップが仕掛けられていることも多い」


 続くようにスケアが危機感を煽る。

 とはいえ、ダンジョンに関する話はユリウスもあまり聞いたことがない。周囲にあまり冒険者がいないというのもそうだが、そもそもユリウス達は冒険者ギルドに近づくことが少なかった。

 基本的に書物というものが少ないのがこの世界の常識だ。その影響もあり、ダンジョンに関する書物はその多くが冒険者ギルドに収められている。人間の国に住んでいる以上、その冒険者ギルドは必然的に人間ばかり。

 そんな場所に、ユーステスやヘテナといった獣人を連れていくことは難しい。全員がそうではないが、女神教を信仰している人間が多い昨今、異種族を連れて行けば騒動に発展する危険性が高まってしまう。先日のスケアとヴェルグの一戦を見に行った際も、実のところかなり周囲を警戒しながらの冒険でもあったのだ。


 そんな問題もあり、英雄譚や武勇伝は耳にする機会があっても、ダンジョンにまつわる危険性といった現実的な問題は知る機会がなかったのだ。

 ユリウスも生前の経験から、対人間や地上でのゲリラ戦のような問題であればいくらでも説くことが出来るが、今回のような事態には完全に素人でしかなかった。


「仕掛けられているトラップが転移術だった場合は目も当てられん。故にダンジョン内では一定の警戒を続けている必要があるのだ。よいな?」

「はい……」

「お、おう……」


 憤るエルザとは打って変わり、二人にダンジョンの危険性を説くスケアは静かなものだった。

 声を荒げることもなく、厳しい表情を形作り、滔々と知識を説くのみ。


 そんなスケアの視線が、不意にユリウスに向いた。


「お主もだ、ユリウス。失うことを恐れるその気持ちも理解は出来るが、得物も持たぬ身で飛び出そうとするとは何事か。魔術もこの二週間で伸びてきているとはいえ、まだまだ未熟であろう。そんな貴様が向かったとて、屍が増えるのみ。猛省せよ」

「……はい」


 これについては反論の余地はない。改めて思い返しても、ユリウスの行動は浅慮というほかなかった。

 スケアの教えを受け、魔術も腕はジャニスティスに褒められる程度には上がっている。それ以前は、まともな魔術など使えなかったほどだった。

 しかし、それでも世の中にいる魔術師と比べると未熟であることに変わりはない。ジャニスティスの部下らしい魔術師も、スケアには涼しい顔であしらわれていたが、扱う魔術のひとつひとつはどれも高威力で、術者の技量がどれだけいいか察することは容易い。


 ユリウスが使える攻撃魔術など、ジャニスティスの目を潰した“インパクト”ぐらいしかない。自身の“インパクト”はスケアに手本として以前見せられたものよりも大きく劣り、その威力にも雲泥の差があった。

 あの影の全貌がわからないままではあったが、あれほどの巨体となると、ユリウスの魔術では痛痒(つうよう)を与えられたかどうか。


「とにかく、これからはこのようなことがないように! わかりましたか!?」

「は、はい!」

「ごめん、エルザねーちゃん!」

「申し訳ありませんでした!」


 エルザに雷を落とされて、三者三様の謝罪の言葉が返される。

 その言葉を聞き届け、ふう、と小さく息を吐くと、本当に無事でよかった、と声をこぼす。それに心配をかけた罪悪感が胸中で膨れ上がった。


「ロード、シュノンはどうなりましたか?」


 エルザは折檻を終えると、すぐさまこの場にいない少女の存在を切り出した。


 この時に、ようやくユリウスはシュノンの姿がないことに気が付いた。

 目覚めた時に無事は確認していると伝えられたことで、ユーステス達と一緒にいるのだとばかり思っていたが、実際はそうではなかったようだ。


「先刻、狼牙より保護したと念話があった。怯えてはいるようだが、特に怪我はしていないらしい」

「そうですか! 無事で何よりです」

「随分憂慮していたものな? まるで母親のようであった」

「そ、それについては、その……大変申し訳なく……!」

「くくく。よいよい。揶揄いのネタが増えただけのこと」

「ろ、ロード……!?」


 それまでの怒気を払拭させると、いつも通りの彼らの空気感が空間に広がる。

 明確に揶揄うためのネタが増えたと言及され、エルザは後生だと言わんばかりに悲壮な表情になった。それを見たスケアも、ふ、と表情を綻ばせる。


「では、地上から今に至る報告をせよ」

「はっ。では――」


 弛緩した空気が再び張り詰め、声を潜めて何事かを話し始めた。真剣な表情であるということで、これからの行動についての擦り合わせだろうとユリウスはあたりをつける。


 それにしても、エルザはよくあの底知れない人物に仕えられるなと思った。

 何を考えているのかわからず、また言葉と釣り合わない表情の変化を何よりもユリウスは不気味に感じた。以前から表情が会話の内容とそぐわない部分は時折見られたが、先ほどの一対一での対話でより危険な存在であると強く認識した。

 その時の様子が浮かび、ぶるりと身が震える。まるで自分の全てを見透かされているかのような嫌な感覚。腹をすかせた獣と対峙したような本能的な恐怖ともまた違う、あの筆舌に尽くしがたい感覚は生前を含めても初めてのものだった。


 そんな思いもあり、何もわからない未知の存在を前にして、心からの信頼を寄せているエルザに、これ以上ないほど尊敬の念を抱く。ユリウスも知らない彼女の一面があるのか、それとも昔彼女達の間で何かがあったのか。こればかりは当人達にしかわからない。


「あ、兄貴……」


 不意に声を掛けられ、思考を中断して声の主を振り返る。


「ユース。ヘテナ」


 二人は涙目でユリウスに近づいて来る。それまでの思考に完全に蓋をし、二人に手を伸ばした。


「二人とも、よく無事だったな……!」

「ユリウス様も、もう会えないかと……」

「あんな強そうなやつと一人で戦って生きてるなんて、やっぱり兄貴はすげえや!」


 最悪の未来を予感していたらしいヘテナは大粒の涙がこぼれ落ち、ユーステスも零れ落ちる涙を腕で拭いながら笑って見せた。そんな二人を優しく撫でる。無事に再会できたことを確かめるように。


「俺も正直危なかったよ。先生がもう少し来るのが遅れていたら、今頃はここにいなかった」


 実際、あと少しスケアが遅れていれば、頭蓋を砕かれ肉塊となり果てていたはずだ。

 生前の世界と今生の世界では、人間の戦闘技術に通じるところはあれど、肉体スペックという観点から大きな差異がある。その事を強く実感する出来事だった。

 それこそ、スケアとジャニスティスの戦闘がいい例だ。

 ジャニスティスが動くとユリウスの目では追えないことが多々あった。明らかに人智を超えた身体能力に、生前では到底考えられなかった破壊力。レベルという概念が存在するからこそのものだとは思うが、ユリウスの常識的な感覚とは明らかに違うそれらに身が竦む。


 それこそ、スケアは最たる例なのかもしれない。

 先の戦闘の際、スケアはレベルを問われ、知らないと答えた。長いこと正確な数値は目にしていないとも言った。

 これを額面通り捉えると、何かの要因があり、スケアのステータスプレートにはレベルやステータスが数値化されていないということになる。

 ステータスプレートの原理がわからない身としては可能性を推測するしかないが、考えられるとすれば、数値化できる基準を大きく上回ったからだろうか。


 事実、スケアの――スケアに限らず他のパーティメンバーもそうだが――身体能力は一般のそれよりも大きく上回る。まだ子供とは言え、種族柄力持ちなはずのユーステスがつんのめるほどの重さである狼牙の大太刀を片手で振り回す。

 仮に推測の通りあれば、スケアは誰にも負けないだけの身体能力を有していると考えられるだろう。


 だが、ジャニスティスとの戦闘では力業での勝負は避けていたように見える。それこそ、正面から拳を受け止めた時は顏に妙な紋様が浮かび上がった間だけで、そうでない場合は受け止めるのではなく払ったり、躱したりして攻撃を避けていた。

 これでは、推測は誤りであるとしか捉えられない。性格上力勝負をすることを嫌ったという考え方もできるが、真実は定かではない。


「スケア先生もやっぱりすごい方なのですね」

「凄い人だよ。あの魔族を相手に、一方的な戦いをしてみせたほどだからね」

「エルザねーちゃんもすげぇんだぜ、兄貴! 追いかけてきたやつらが一瞬でぶっ飛ばされたんだ!」


 それは凄いな、とユーステスの言葉に同調するように同じ言葉を口にする。

 だが、実際は凄いなどという言葉では足りない。エルザがしていることは凄いの一言で片づけられるような生易しいものではない。

 たった一人で複数人と対峙し、傷を負うこともなく薙ぎ払う。確かに凄まじいことだ。しかも、その背後には守らなくてはいけない子供達がいた。その上で、たった一人で圧倒してしまうなど、悪い冗談でしかない。

 少なくとも、生前のユリウスですら不可能だ。


 同じことはスケアにも当てはまる。ジャニスティスという猛将と対峙して一人で一方的に打ち崩し、しかも殺しても死なない男を一人で相手取り、途中から現れた魔術師が参戦してもその戦局は揺らがなかった。

 結果として、出し抜かれる形で痛み分けとなって終わったが、あのまま戦い続けてもスケアの勝利は変わらなかっただろう。その事実がただただ恐ろしかった。


「ですが、スケア先生が間に合うまで耐え切ったユリウス様もやっぱりすごいですよ!」

「そうだぜ兄貴!」

「はは。そう言ってもらえるのはうれしいけど、どうにもな……」

「――あの男からも認められていたろう。ならば、誇ってもよいと思うが」


 背後からの声に、反射的に振り返り、身構えた。その突然の挙動に、ユーステス達は何が起きたかがわかっておらず、ポカンとしていた。ユリウスの行動の一部始終を目にしたエルザも不思議そうにユリウスとスケアを見比べる。


「ほう、警戒は続けているか。感心感心」


 唯一その行動を取った理由を察しているスケアは、顎に手をやり、ニヒルな冷笑を口元に湛えながらそう言った。


 先ほどの一件から、ダンジョン内では警戒を怠ってしまえばいつ死ぬかわからない場所であることは子供達も強く理解したことだろう。その為、理由は異なれど周辺への警戒は続けておくに越したことはない。

 ユリウスの警戒はスケアに対する本能的な恐怖心が咄嗟に行動として起きたことに他ならないが、そこをぼかして警戒しているとだけ言及することで、皆の思考は自然と周辺の警戒をしていると捉えられるように誘導したのだ。まだ純粋な子供達はその言葉に一層羨望の眼差しを向けてくる。


 そんな彼らとは違い、エルザはその言葉で騙されるわけがない。

 彼女もこれまで多くの経験をしてきているはず。仕えている主が王族であるということは、様々な策謀も目にしてきたことだろう。そんなエルザが、主君の言葉があるとはいえ、ユリウスの突然の行動に疑問を抱かないはずがなかった。

 しかし、彼女はメリーナと同じくスケアのイエスマンだ。そんな彼女がスケアの言葉に騙されることはなくとも、この場で真っ向から疑問を投げかけられるとも思えなかった。


 どうやら、追及を避けるために気を使われたのだと察すると、ユリウスはしずしずと構えを解く。


 ユリウスの警戒が僅かにでも解かれたことを見ると、スケアは何事もなく声を張り上げた。


「二人もユリウスを見習い、周辺の警戒を続けよ。二度と先のようなことになってくれるなよ」

「は、はい!」

「わ、わかったぜ!」

「よい返事だ。これからいくらでもその感覚を養えられるからな」


 そう宣うスケアの後ろで、エルザが可哀想に、とでも言いたげにユリウス達を見ており、その事に嫌な予感が襲う。


「その、質問しても良いでしょうか」

「む? 許す。申してみよ」

「先ほどの、これからいくらでも養えられる、とはどのような意味でしょうか」

「……ふむ(hmm)?」


 質問の意図が通じなかったのか、スケアは訝しげな表情になる。

 それからエルザを見遣り、ユリウスがどうしてそんな質問をしたのかを理解したらしい。なるほど、と小さくこぼすと、


「察しの通りだろう。これから、お主らにはこのダンジョン脱出に伴い、実地訓練を行う」

「実地訓練ってなんだよ、スケアねーちゃん」

「要は、周辺の警戒と戦闘はお主らでやれ、ということだ」

「……え?」


 その返答にユーステスの動きが止まる。それはヘテナも同じで、慄然とした様子でスケアを凝視していた。


 子供達の様子が可笑しかったのか、スケアは艶やかに笑うと、実質の死刑宣告を口にした。


「実戦に勝る訓練無し。私の信条だよ」

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