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立ちふさがる壁

「クソ! 何なんだよ、あの化け物女!」


 薄暗い空洞の中、息も絶え絶えとなっていたメストが、忌々し気に吐き捨てた。

 そんな彼に部下の一人が魔力ポーションを差し出し、メストはひったくるように受け取る。そんな彼を咎めるように、ジャニスティスは苦言を呈する。


「そう言うな。今は無事に逃げられたことを喜ぶべきだろう」

「そうは言いますがね。あいつはわかりやすく異常ですよ! 魔術師があんたを一方的に潰すような白兵技術を持ってるだけでなく、無詠唱で上級魔術を払いのけ、俺の上級魔術も霞むような威力の魔術を使う! あんなの、勇者一行でも倒せるとは思えない!」


 メストの悲痛な叫びを、周囲の部下達は目を伏せながら聞き入る。その表情からは、二つの感情が見え隠れしていた。

 そんな奴が本当にいるのか、という疑問。そして、そんな奴がいるのなら、どうやって戦うのだという不安。


 マズイ、と現状の様子を見て、そう胸中で溢す。


 ――士気が落ちている……。


 これまで長い間、共に戦場へ駆り出されてきたからこそ、今のメストにはその口を閉ざしてもらいたかった。これ以上士気を下げられては、勝てる戦いにすら勝てなくなってしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。


 ジャニスティスとて、メストの気持ちがわからないわけではなかった。これまでの鍛錬がまるで無駄だとでも言うかのように薙ぎ払われたのだ。戦士として、とても不甲斐ない気持ちになるのは当然だ。

 それでも前を向き、対策を立てなければそれこそ時間の無駄になってしまう。


 自らが把握している限りでやはり問題なのは、ジャニスティスとメストの二人をたった一人で圧倒してしまったスケアである。

 驚くべきは、メストの言う通り――魔術師であるというのに卓越した体術を見せたことだ。その背には守るべき子供がいたというのに、その子供には指一本触れさせずに――常に己を中心に戦闘を繰り広げてみせた。

 もし同じ状況でも、ジャニスティスに同じことができるとはとてもではないが思えなかった。


 対峙して思ったことは、彼女の手強さは、並外れた戦術眼だと考える。


 一の手を打てば、その全てが返される――どころではない。常に戦局を俯瞰し、戦場を把握。

 そして、こちらの動きから次の手を看破し、即座に返しの手で覆される。


 こちらには魔術師がいたこともあり、最小限の動きで防ぐには本人も魔術の心得がなくてはならず、仮に魔術の心得があれば、体術の心得がないのが常道だ。

 が、かの女は両方を会得しており、魔術には魔術で、体術には体術で返してきた。しかも、対峙する自分達以上にだ。これには舌を巻くと同時に、感嘆の念を抱かずにはいられなかった。

 なぜそれほどの実力者が有名になっていないのか甚だ疑問だった。

 本来、どちらか片方しか扱えないのだとしても、世間で語られるほどの実力であることは間違いない。それが両方だ。有名にならないわけがない。


 なぜ彼女がこんな片田舎にひっそりと暮らしているのかがとにかく気になった。

 しかし、そんなことは今は関係がない。

 頭の中に浮かんだ疑問を振り払うように頭を振り、今一度周囲の部下達を見回す。


 ――人数が減ったな。


 今この場にいるのは、ジャニスティスとメストを合わせても六人。この作戦が始まるまでは十人もいたはずが、四人の損耗を許してしまったことになる。

 今回の任務が危険なことは承知のことだった。だからこそ、連れていくメンバーは厳選し、当時動ける精鋭を選んだつもりだった。


「そちらはどうだった?」


 別行動した子供達を追った部隊に尋ねる。すると、苦々しい顔でかぶりを振った。


「子供たちの抵抗が激しく、難航していました。それだけならよかったのですが……」

「先ほど言っていた、白銀の女騎士か」

「はい」


 何も錯乱していたのはメストだけではない。このダンジョンが形成して合流した際、彼らも同じように怒号を発していたのだ。

 その時に言っていたのが、白銀の女騎士である。


「気配がしたと思った時にはもう、二人がやられていました。それで陣形が崩れた隙にまた一人……」

「……そうか。メスト、その騎士について、何か判明していることはあるか?」


 それまでずっと怒鳴っていたメストだったが、まだ不機嫌そうながらも尋ねられた内容には答える。


「ちょっと前まで西区の門番まがいなことをしてた奴ですね。ここの領主の部下を苦も無く撃退するぐらいの実力者ですよ。ただ……」

「ただ、どうした?」


 一度、考えるように黙ったメストに、訝しげに続きを問う。


 しばらく情報を整理するようにしていたメストは、悔いるように謝ってきた。


「すみません。こいつについての情報はまだ集まりきってません。噂では、『竜殺し』を倒すほどの強さだ、っつー話はあるんですが、なにぶんまだ人間どもからしか探れてないので裏が取れてません」

「わかった。とにかく、要注意人物として扱っておこう」


 仮にその話が真実だとすれば、ジャニスティス達の勝利は絶望的だ。

 いくらジャニスティスとはいえ、ヴェルグと対峙して勝てるとつけあがる程愚かではない。

 魔族達にとっても、ヴェルグという男はそれほどまでの脅威なのだ。


「他に危険な者は?」

「……正直、あのスケアとつるんでる連中は全員、ですかね。ただ、一人だけ情報が一切ない男がいるんで、コイツが不気味です」

「情報がない? どういうことだ」

「言葉通りです。あの化け物女や、獣人。銀騎士については大なり小なり情報はあったんですが、男に関する情報が全くない。調べても、一介の冒険者と同じように連中と仕事をしてますが、それに同行したという記録があるだけ。誰かの目がある場所で戦ったという記録がどこにも見当たらないんす」


 それは、確かに不気味だ。


 こと戦闘において、事前知識があるのとないのとでは大きく違う。それだけで対策のしようがあるからだ。しかし、それができないとなると、直接対峙した際に様子を見つつ戦わなくてはならず、知識の有無で戦局が左右されてしまうことも多い。


 もちろん、必要とあらば自分が矢面に立ち、己の命を犠牲にしてでも情報を引き出して見せる。しかし、それをしようとすれば、再びスケアの様子が思い返され、どうしても足が重くなる。


 奴は、自分の不死の原理を理解している。いや、正しくは『一族の不死性の対応法』だろうか。


 いったいどこからそれが漏れたのか定かではない。だが、あの女をどうにかしなければ一族の安寧を脅かされるだろう。

 だが、だからとはいえ対策法が思いついているわけではないのだが。


 鬱屈とした気持ちを払拭するために小さく息を吐く。


 考えなければならないことは確かに多い。

 だが、そればかりを考えたところで状況は好転することはない。考えないことは論外だが、それだけを考えていればいいわけではない。他にもしなければいけないことがあるのだから、今はそちらをこなしつつ、頭の片隅に残しておけばいい。


「今は、こちらを先に片付けるか」


 そう言って、少し離れた場所で怯え、泣きじゃくっている鬼人族の少女に目をやる。

 皆もそれにつられ、同じものに視線を向けた。


「術式は成功したようだな」

「ええ、なんとか。ひとまずは安心ですかね」

「ああ。よくやってくれた」


 メストに労いの言葉をかけ、泣きじゃくる少女に近づいていく。


 少女の前で止まり、言葉を投げかける。


「ようやく会えたな。なぜ我々が貴様を狙うのか、知らぬわけがあるまい?」

「し、知らない……!」

「とぼけるな! 貴様がした所業、忘れたとは言わせんっ!」

「知らない! ホントに知らない!」


 少女は恐怖に彩られた顔で必死に泣き叫ぶ。

 今は、その声に苛立ちを感じずにはいられない。


「貴様、ふざけているのか? ()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()!? それほどまでに我らの目は節穴だとでも言いたいのかっ!!」


 怒りのまま、泣きじゃくる少女に咆哮する。

 らしくないと自分でも思う。だが、騙されてはいけない。現在魔族連合軍の進軍が滞っているのはこの少女の所為に他ならない。幸いにも人間軍に知られているわけではないようだが、軍の立て直しに莫大な時間を必要にさせられたのだ。

 それによって生じた被害は途轍もない。


 断じてこの娘を許せるはずがないのだ。


「いい加減小娘のように泣き喚くのはやめろ! ()()()()()!!」

「騎士様……騎士様ぁ……!」


 無駄だと言われていても、少女は助けを求め続ける。

 それが無辜の民ならジャニスティスもこうも苛立つことはなかっただろう。

 それは自分だけではない。自分の後ろにいる部下達も同じだ。


「……いいだろう。あくまで白を切るつもりならそれでいい。この作戦を達成するために貴様は障害でしかないからな」


 ジャニスティスはそう言って、悠然と歩み寄る。


「我々は貴様を殺すことに躊躇はない。己の犯した罪の重さをその身に刻んで死ねぃ!」


 拳を硬く握りしめ、頭上に掲げる。


 先の言葉通り、手加減なし。する必要性を感じない。


 今まさに掲げた拳を振り下ろそうとしたその時だ。



「――ここかァ?」



 不意に、聞いたことのない男の声が聞こえてきた。


「っ!?」


 勢いよく振り返る。部下達も今の声を聴いて臨戦態勢を整えていた。

 だが、その表情も強張っている。


 メストに視線を向ける。彼はその意図を汲み取り、強く頷いた。


 今いる場所は、彼の魔術によって厳重に隠蔽されている。そう簡単には見つからないはずだ。

 だというのに、今聞こえてきた言葉は、明らかにこの場所がバレたかのような焦燥感に駆られる。


 彼の腕は信頼している。だがしかし、過信はいけないと理解もしている。

 先ほどのスケアという例もあるのだ。警戒しすぎるということはないだろう。ないはずだ。


 自らも臨戦態勢を整えつつ、息を潜め、声の主の様子を窺う。


「ええ。この壁の先です」

「ほんとかァ? オレの感覚じゃ、ただの壁だぜ?」

「貴方の貧弱な感覚ではそうでしょうね」

「おいコラ」

「ですが、わたくしの鼻は誤魔化せません」

「無視かおい」


 どうやら、男女二人組らしい。


「にしたってここかよ。入り口から近ぇじゃねぇか」

「それはわたくしに仰られても」

「……で、どっから入るんだ?」

「探すのは面倒なので、手っ取り早く行きましょう」

「お前ほんとにメイドかよ」

「当たり前でしょう。ボケました?」

「殺すぞこのアマ」


 どうやら力関係は女の方が強そうだ。

 まあ、男は尻に敷かれるものだ。兄はそうでもないが、自分はそうだ。


 そう、壁を隔てた先にいる男に奇妙な親近感を抱いた。


 だが、少し待て。今、女はなんと言った?

 聞き間違いでなければ、手っ取り早くいく、と言わなかったか。


 それはつまり――


「では、狼牙様。()()()()()()()()()

「あいよ。んなら、下がってろ」


 ――やはりそうか!


 こういう嫌な予感は、正直当たってほしくなかった。

 だが、この壁はかなり分厚い。少なくとも、自分ではそう簡単に壁を破壊してしまうなんて芸当はできない。それに、ただでさえ分厚い岩壁にはジャニスティスの魔術でさらに強度を増していた。

 仮に破壊できるとしても、それは何か強大な――それこそ、王級(第四位階)魔術でも使えない限りは不可能だ。

 この声の相手が何者であるかはわからないが、今ルーミアの街には王級魔術を行使できるような高名な魔術師はいない。それは潜伏中の情報収集でわかっていた。仮に物理で破壊しようものなら、たとえヴェルグであろうと簡単ではないはずだ。


 そう、頭ではいくつもの可能性を否定できる。

 だが、ここで頭の片隅に置いてある者達が浮かび上がってきてしまう。奴らならばもしや、と思わずにはいられない。


 直後、壮絶な破壊音が響いた。

 粉塵が巻き起こり、飛び散った瓦礫が散らばる。衝撃が空間を叩き、暴力的な暴風がその場の全員を襲いかかる。


「くっ……何が――!?」

「おいおい嘘だろう……っ」


 顔を守るようにして上げていた手を下ろし、そうして視界に入ってきたものに思わず声が漏れた。

 先ほどまでそびえたっていた岩壁が跡形もなく崩壊し、そこになかった大穴がぽっかりと広がっていた。未だ晴れていない粉塵も相まって、まるで地獄の入り口のような不気味な印象を見る者に与えた。


「思ってたよりゃ硬かったな。魔術かなんかで強化してたか?」


 粉塵をかき分け、酷薄とした笑みを浮かべた男が泰然と現れる。


 それは奇妙な男だった。

 見たことのない奇妙な衣服を身に纏い、大剣ほどの長さのある片刃の剣を腰に佩いた長身痩躯の男。どこか軽薄そうな笑みを浮かべるその姿からは、覇気と言えるものは感じない。

 しかし、なぜだろうか。どうして自分の体は、歯車が狂ったように動かない?


 男は破壊した岩壁の奥に広がっていた光景を一瞥し、


「へえ、当たりっぽいな」


 男は口の端を歪に歪める。獲物を前にした肉食獣のような獰猛な笑み。

 それを見て、背骨に氷をぶち込まれたような錯覚を覚えた。


 本能で理解した。この男は危険だ。今までで一度も感じたことのない、明確な死の気配。

 死神の鎌が首筋に押し当てられたかのような、言いようのない悪寒が全身を襲った。


「……何者だ」


 なんとかひねり出した言葉は小さく、それだけで自分は気圧されているのだとわかる。


 そんなジャニスティスを見て、男は嘲るように口の端を更に深く歪めた。


「そう怯えるなよ。始める前から縮こまってりゃ、興醒めだぜ」

「何者だと、そう言っている」

「ケッ。どうやらどいつもこいつも腰抜けの集まりらしい。本当にあいつの言うような奴がいんのかよ?」

「貴様……!」


 どうやら心から侮られていることが容易に察せられた。

 相手はどうやら戦士としての心構えなどはないらしい。そこらに集まるゴロツキと何ら変わりない。


 そんな不遜な態度の相手にふつふつと怒りが沸き上がる。そのおかげか、全身を蝕む恐怖が振り払われた。

 それまでと違う力強い目で睨みつけると、男は愉快そうに口端を上げた。


「そうだ。それでいい。退屈は嫌いなんだ」


 不遜な態度はそのまま、だがどこか哀愁を感じさせる声音で男は呟く。

 それを少し不思議に思いながらも、三度目となる誰何を問いかけた。


「貴様は、何者だ」

「さっきからそればかりか。ったく、他の言葉は忘れたのか? 面白味がねえ」


 つまらなさそうに鼻を鳴らすその姿は、どこか疲れているように感じられた。

 しかし、ジャニスティスからしてみれば相手が何者なのかという情報は、とても大事なものだ。


 相手の名前を知る、というのは、それだけで行動の指針を決めるための重要なファクターとなり得るものだ。

 仮に相手が有名にはなっていない存在であれば、慎重な行動を取るという決断ができ、翻って有名な存在であれば、それだけで何が危険でどのように立ち回るべきかが即座に判断できる。

 そういった情報を大事にしているジャニスティスだからこそ、相手の素性の把握は特に気にしていることだった。


 ただ、このまま同じことを繰り返しても徒に時間を費やすだけだ。それは建設的ではない。

 それなら、わかりやすく相手の目的を確認することにした。


「……答えないか。ならば、質問を変えよう。目的はなんだ?」

「目的? んなもん、お前らと()るために決まってんだろ。ついでに、うちで面倒見てるガキを返してもらう」

「ほう。つまり、貴様はスケアの縁者というわけか」

「おいおい、下手な演技はよせよ。そんなもん、とっくに調べてんじゃねえのか?」

「……まだわからない事ばかりだがな」

「随分正直じゃねえか。好感が持てるぜ」


 それぐらいは当然の措置だろうから、相手が理解しているのも当たり前のこととして割り切る。

 問題は、目の前の男に関する情報が一切ないことだった。


 先ほどの応答でどうやら彼はスケアの縁者らしいことが窺える。彼女の縁者で男となると、消去法で一人しか浮かばない。

 不気味なくらいに情報が少ないその男の存在に、たまらず額に汗が浮かぶ。

 何をしてくるか、一切予想がつかない。一目見て、近接戦闘を得意としている典型的な前衛にしか見えない。その腰に佩く長剣がその予想をより強いものにしている。

 しかし、その予想が正しいのかと疑問視する自分がいた。


 原因は、先ほど戦闘をしたスケアという例があるからだ。

 そして、目の前にて泰然と佇む男は彼女と同じパーティに所属するような人物だ。その男が、そんなにわかりやすい存在だろうか、と思ってしまう。


「お、おじさん……!」

「よう。なんて面ァしてやがる。笑ってろよ。いつもエルザに言われてんだろ?」


 奴の縋るような声に、男は少しやわらかい表情で応えた。


「貴様らは、その娘が何者かわかって連れ歩いているのか?」

「あン? なんだ。そのガキ、なんか曰くでもあんのか」


 男はせせら笑う。

 その態度には頭に来るが、今は落ち着いて対峙することが何より大事だ。そう思うことによって、なんとか高ぶる気を静める。


「その娘は災厄だ。生かしていては、いつか後悔するぞ」

「へぇ……?」


 その言葉を受けた男は、今一度震える少女を見やる。


 ジャニスティスは知らない事であったが、狼牙達にとって災厄は特段珍しいものではなかった。

 これまで何度も災厄ともいうべき騒動に遭遇した経験があるからこそ、今更災厄などと言われたところで身構えるようなものではなくなっていたのだ。

 だからこそ、ぼんやりとした眼差しには真剣さが見られない。

 何を考えているのか推し量れない表情で少女を眺める様子には――ジャニスティスの見間違いか――むしろ期待しているようにも見えた。


「災厄ねぇ? どういった災厄なのか知らねえが、それが殺す理由か? そいつをなんでスケアに言いやがらねぇ?」

「言ったところで無駄だろう。だからといって見逃すような女には見えなかった」

「ッハ、違いねぇ! よく見てるじゃねえか」


 それまでのような小馬鹿にしたようなものとは違う、純粋な称賛のようにも受け取れる笑みはまっすぐにジャニスティスを捉える。

 まるでその他のものは目に入っていないようにすら感じられた。事実、その通りなのだろう。


 問答ともいえないような二人の対話の間に、気圧される心を奮い立たせた部下達が徐々に陣形の展開を始めている。

 それに意識を割いてすらいない男は、もう既に背後を取られていることに気づいた素振りを見せない。


 そのことに気づいている少女だったが、そこは既にメストが魔術で声が出せないようにしていた。その事に気づいたときにはもう遅い。


 間違いなく好機だ。


 男の背後から部下が忍び寄る。その手にはギラリと鈍色に輝く斧が握られ、あれならばどんな巨木であろうと一振りでなぎ倒せるだろう圧力を見る者に与えた。

 未だに気づいた素振りを見せない男は、暢気に会話を続けようとしている。

 部下は斧を大きく振りかぶり、隙だらけのその身体に渾身の力を込めて、叩きつけた。


 激突。もはや見慣れた血しぶきを上げる姿を想起して、その予想と目の前に移る現実との差異に瞠目した。


「――なんだァ? なまくら使ってんのかよ?」


 男はその場で不自然なほど自然な動きで肩越しに振り返り、そこにいるジャニスティスの部下を見やった。肩を抉るように叩きつけられている斧には見向きもせずにだ。


「馬鹿な……!?」


 いくら頑丈な男であろうと、斧を叩きつけられて無傷なのはあり得ない。鋼の肉体とまで謳われるヴェルグであろうと、傷を負う。

 しかも、今回部下が斧を振り下ろしたのは肩口だ。

 本来ならそれで身体は真っ二つに切り離される。戦場でもその姿は何度も見てきた。

 だからこそ、あの男が両断される姿をすぐに想起した。


「こんな……馬鹿なことが……っ」

「嗚呼、悲しいねぇ。何が悲しいってテメエ、そんななまくらでオレを殺れると勘違いしたことだ」


 言って、男は肩に今も押し付けられている斧を無造作に掴むと、ゆっくりと押し返し始めた。


「ぐぅっ!?」


 部下から苦悶の声が漏れる。

 部下の男は体格に恵まれている。毎日鍛え上げているからこその巨躯だが、対して相手の体格は控えめに言っても細身だ。身長は魔族から見ても高いと言えるが、反して全体的な線は細い。

 だからこそ、徐々に押し返し始めている姿には何度目かもわからない驚愕に襲われる。

 付け加えるなら、部下は両手。相手は片手。その上で、見る限り男は腕の力だけで押し返していた。


 人間の男が、あろうことか鍛え、何度も戦場に出て生き残ってきた歴戦の戦士を純粋な膂力だけで圧倒するのは悪い冗談でしかない。


「いったいどこにそんな力が……!」

「ッハ。テメエの図体は見てくれだけか? うちの狂信者騎士の方がまだ力があるぜ」


 せせら笑う男は、充分な高さまで斧を押し上げると、ゆったりとした動作で振り返り、空いた左手を軽く掲げた。


「とりあえず、テメエが先に一発やったよな。次はオレの番だ」


 そう言って、男は部下の頭を軽く小突いた、ように見えた。

 だが、そんな軽そうな一撃とは裏腹に、小突かれた部下の頭が、ぐしゃり、と胴体に埋め込まれたように潰れた。


 全身に衝撃が走る。やはり、スケアの縁者は皆異常だ。


 とはいえ、仲間の死に思うところがないわけではない。全身の血が沸騰したかと錯覚する。

 それは自分だけではなく、仲間の死に触発され、周囲に展開していたメストを含む部下達も憤激し、口々に吼えたて、民間人なら萎縮するであろう殺気を男に叩きつけた。

 だが、そんな殺気など意に介さない。


「おいおい、なんだよ。急に元気になったじゃねえか。善哉。最初からそうしろよ」


 周囲から叩きつけられる殺気を総身で受けながら、男は愉悦に表情を歪めた。

 すると、ようやく自分が囲まれていることに気が付いたのか、


「ぁン? テメエらいつの間に回り込んでやがった? まあいい。もともとやる気だったことがわかって何よりだぜ」


 それは、先ほどのスケアにも劣らない威圧感だった。意思の疎通が図れない、凶暴な肉食獣を前にした感覚。


 ――本当に何故、これほどの威圧感を放てる者が無名のままなんだ。


 そんな愚痴を内心で吐き捨てつつ、憤る感情を、ジャニスティスは鋼の意思で封殺する。

 兎にも角にも、今は得られた情報を整理するのが先決だ。

 結果として、部下が一人殺されてしまったが、そこで感情のまま向かっていったところで勝機などあるはずもない。得た情報から勝利の可能性をどれだけ引っ張り寄せられるかに全神経を集中させ、全霊を持って取り掛からなければならない。

 部下を率いる立場である以上、怒りに身を任せている余裕など微塵もないのだ。


 しかし、得られた情報はとても単純だった。

 それは、男がとても頑丈で、見かけ以上に膂力があるということだけ。

 いったいどの程度の力で攻撃をすれば、奴の身体に傷を付けられるのだろうか? こと破壊力という一点に関して言えば、先ほどの一撃は今すぐ出せる戦力の中では最上級といえた。


「さて、やるか」


 何気ない一言に、皆が身構える。どのような行動をするかわからない以上、その一挙手一投足に細心の注意を払う。

 男はニンマリと笑みを浮かべた次の瞬間、


「テメエだ」


 部下の一人に対してそう言ったかと思うと、疾風となって飛び出した。


「陣形を崩すなっ!」

「タネがわからない以上、まともに攻撃を受けるなよ!!」


 口々に注意喚起の声が上がり、男を囲むようにして部下達も動き出した。

 標的とされた者は武器を手に、いつでも対処できるように身構える。


 そして、男は拳を突き出し――武器ごと部下を吹き飛ばした。

 凄絶。一撃はその一言に尽きた。まるで大砲のような激突音が鳴り響いたかと思うと、次の瞬間には殴り飛ばされた当人は直線状の壁に背中から叩きつけられていた。

 部下の男はその一撃で完全に昏倒しており、周りの人間が怒鳴るように呼び掛けても一切の反応を見せない。

 男の拳を防いだと思われる武器は半ばから粉砕しており、防ごうとして防ぎきれなかったことが分かった。防ぎきれずに前進した拳はどうやら鎧の胸部装甲を貫き、部下を殴り飛ばしたようだ。


「なんという馬鹿力だっ!」


 そこで先ほど壁を破壊したときの姿がフラッシュバックした。

 先ほどの壁に大穴を開けた事実と、目の前の光景からどうやらこの男は腕力に自信があることが窺い知れる。

 そのことから、恐らく眼前に佇む男は膂力と耐久力のステータスが際立った、パーティ内の壁役(タンク)を担っているのだろうと予想を立てた。


 しかし、それで再び身がすくむような軟弱者はここにはいない。

 膂力が高いというのであれば、直接殴り合うのではなく、遠距離から叩く。そのように考えるのは当然の結果だろう。

 今この場で可能な遠距離攻撃はメストの魔術のみ。他にできるとすれば、周辺に転がっている瓦礫などを投げつけるぐらいだ。

 仮に投石をしたところで奴の頑強性なら大したダメージにはなりえないだろう。まさにドラゴンに小石を投げつけるようなもの。


 それにもうひとつ問題があるとすれば、魔術師の守りがなくなってしまうことだ。遠距離からの高火力魔術で相手を殲滅することに長けている魔術師は、翻れば近接戦にめっぽう弱い。

 メストはこれまで何度も戦場に出て人間との戦争で生き残ってきたから受け身といった前衛に必要な技能を心得ているが、それもあくまで出来るだけであり、受け身から次の行動へ移す一連の動作はやはり遅いままだ。

 スケアとの戦闘の際も、そこを狙われた。


 それを守るためにはやはり、前に出てその注意を引く必要があった。


「私も前に出る! 奴の一撃は絶対に受けるなっ!!」


 おう! と勇ましい返答を返す部下達とともに、自らも前に出る。

 現状残っている戦力の中で最も白兵戦に優れているのはジャニスティスだ。それなら、自分が矢面に立ち、その注意を引きつつ皆の攻撃の隙を作ろうと突出した。


「お? 思ったよりも早く出てきやがったな。愉しませてくれよ!」


 そんな声に聴く耳を持たず、男に向けて拳を放ち、蹴撃を繰り出す。

 先ほどのスケア戦と同じように、全力で攻撃を繰り返す。

 そのひとつひとつはどれも必殺。魔族であろうと無事ではすまない一撃を、あろうことか防御する素振りも見せない。吸い込まれるようにその身に乱打を浴びながら、男は笑みを絶やさない。

 ジャニスティスはその手応えに戦慄するしかなかった。

 鋼を殴っている()()()ではなく、まさに鋼を殴っていると断言出来るその硬さは、殴った側である自分の拳が先に壊れるのではないかという考えが脳裏を駆け巡る程だった。

 布切れしか身に纏っていないその立ち姿からは想像もつかなかったが、その身体全体を守るように筋肉の鎧がそこに存在した。


「拳の重さはまあまあだな」


 その言葉を受けた直後、悪寒が全身を走り抜ける。直感に従い上体を後方へ倒すと、今まで自分の首のあった場所に、横薙ぎに男の腕が通り抜けた。

 ぶおん、という空気を切り裂く音にひやりとする。あと少し反応が遅れてしまえば、首を失うところだった。


「へぇ?」


 男は感嘆したように声をこぼす。

 直後、横合いから暴風が男に向けて叩きつけられ、風に飛ばされるように男が吹き飛んだ。しかし、全身の身動きも満足に取れないような強風に飛ばされながら、男は空中で身を捻って着地。

 衣類についた汚れを払うように叩き、


「今のは面白かったぜ」


 と下手人であるメストを一瞥して、ただ笑った。


 その後も陣形を組み、攻撃を加えては攻撃をした者が一撃で吹き飛ばされる。男は防御をものともせず、防御した武器ごと薙ぎ払った。

 だが、これまでの攻防でわかったことがあった。

 不思議なことに男は殴られれば殴り返し、また殴られては殴り返すということを繰り返していた。

 それだけではない。男が殴り返す際、まるで殴りますと予告するように言葉を口にし、そしてテレフォンパンチで殴りかかってくるのだ。

 術理など関係ない。ただ殴られたから殴るというその姿勢は、やはり当初受けた印象のようにゴロツキ同士の喧嘩を彷彿とさせた。まるで、防御できるのならしてみろと挑発を受けているようで腹が立ったが、男はそれを貫くだけの力があり、自分達はそれに翻弄されている事実が在った。


 絶叫が木霊する。防御するなと悲鳴が上がる。そんな悲鳴を聞き、下手人である男は初めは愉しそうにしていたが、そんな笑みもすぐに引っ込み、作業だとでもいうように迎撃していた。


「あの野郎、謀ったか? 碌に愉しめやしねえじゃねえか」


 そうこぼしながら、死角から迫る風の魔術を裏拳で受け止める。

 部下達が攻めていながら、合間に飛来する魔術も認識してからの対処が早い。

 その点を見れば、奴の実力は欠片であれども窺い知れる。

 しかし、対処してから魔術師を迎撃するのではなく、あっさりと無視を決め込んでいた。


 本来、戦闘の常道としてはまず先に魔術師を叩くというのが基本だ。

 魔術師は魔力の続く限り高威力の範囲攻撃や搦め手を用いて戦線を攪乱できるのだから、それを叩くのは当然の帰結だろう。それをさせないように部下達も立ち回り、果敢に攻め立てているが、それがなくても魔術師の元へ向かう素振りがないのは理解できない。

 目の前の男もそれを理解していないはずはない。それでもなお、魔術師を狙わないのはどのような意図なのか、一切理解できなかった。


「ぐっ……クソ!」


 メストが苦し気に喉を鳴らす。

 彼の足元には飲み干した魔力ポーションがいくつも転がっていた。戦闘が始まり、メストが何度も魔力が空になり、魔力ポーションで失った分を補い、また魔術を発動するという動作を繰り返していた。

 魔術師にとって、保有している魔力は自身の生命力にも等しい。それを一度空にするだけで昏倒する者だっている。

 幾度も繰り返すだけで危険な行動だが、なんとか気力で立っているような姿は見ているだけでも痛々しい。


 しかし、決定打がない。先ほどから繰り出される魔術は男の薄皮一枚裂くだけにとどまり、羽虫がうるさい程度の認識でしかないのだろう。


「もはや、立っているのも我々だけか……!」


 生来の不死性を利用して立っていられるだけのジャニスティスとは違い、他の部下にはそんな能力は持ち合わせていない。

 その為、初めはなんとか食らいついていた部下達も、疲弊してからは足取りも乱れ、男の一撃を受けて昏倒してしまった。唯一ジャニスティス以外で無事と言えるのはメストだけだったが、魔力の消耗によってもはや立っているのがやっとの状態だ。

 死屍累々の惨状を退屈そうに睥睨していた男は、「はぁ」と息を吐き、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。


 その時、


「もういいでしょう。目的も達成しましたし、主様の元へ向かいますよ」


 そう、壁の大穴から女の声が上がった。


 見ると、そこには赤毛にメイド姿の獣人がいた。獣人の傍らには今も震えるあの娘がいたが、今の今までいることに気づいていなかった己の未熟を呪った。


 ――最悪だ。


 奴だけは必ず殺しておかなければならなかったのに、我々は相手の策に乗ってしまったことに気が付いた。

 あの男がヘイトを買い、その間に隠れていたあの女が小娘を奪取する。たったそれだけの策とは言えないような策に、まんまと嵌まってしまったのだ。不甲斐なくて涙が出そうだった。


「あァ、忘れてたぜ。まあいいか。退屈なだけだったからな」


 男は忌々しそうに女を振り返り、悠然と近づいていく。


「随分と不満そうですね。お願いですから、また飢えるのはやめてくださいね?」

「前に発散して間が開いたからな。断言はできねえな」

「貴方の相手は疲れるんです。その後の仕事に支障をきたしますので、やるならエルザさんを使ってくださいな」

「……あっさり仲間を売りやがったぜこの女」


 もはや我々は眼中にないのだろう。一度も振り返ることなくその場から離れていくのを、満身創痍のジャニスティス達は黙って見送るしかできなかった。


 終わってしまえば、完敗だった。

 案の定というべきか、スケアの仲間は総じて化け物ばかりであることがよく分かった。

 だが、これで終わらない。ここで終わってしまっては、フェストニクの名折れだ。


 今は命があることを喜ぶべきだ。まだ与えられた使命は残っている。それを成すことがいま最も重要なことのはずだ。


「今に見ていろ。必ず、貴様らを打ち砕いてみせるからな……!!」


 低い声で、怨念にも近いまがまがしい気配を放ちながら、次こそは負けないと強く決意するのだった。

 その為に、今は使命を果たすことを優先する。


「メスト。少し休んだら、当初の予定通り()()()()()()()()()()()

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