後手
ぴちょん――
と暗い洞穴の何処かで雫の落ちる音がする。キイキイ、と奇怪な音が反響し、何か巨大な生物の息遣いのような音がそこかしこから聞こえ、スケアは小さく息を吐いた。
――ひとまず、想定通りの結果になったか。
内心でそうこぼし、苦笑交じりに周囲を見回す。ごつごつとした岩肌に、どこかから漂う鉄の香り。明かりのない真っ暗な空間の中、今いる場所が小さな小部屋になっているらしいことがぼんやりと判別出来る。
その中で、少し離れたところに倒れる人影があることに気づいた。
スケアは、それが誰かを確認するために近づき、想定していた人物であることに小さく安堵した。
「ふむ、どうやら無事に間に合ったようだな」
数瞬前の光景を思い返す。
今にも発動しかねない儀式魔術。勝ち誇った顔のメストを思い返し、スケアは小さく嘲笑する。あの時ほど笑いそうになることはそうそうない。すべて手の平の上だということを、奴は最後まで把握していなかったのだ。
まあ来ることはわかっていたが、儀式魔術ほど干渉しにくい魔術はない。
儀式魔術とは、スケアが普段使うような一人で行うような魔術ではなく、複数人で行使する魔術全般のことを指す。
しかも、今回のはかなり特殊なものだった。
本来、儀式魔術は数百人単位で行う大魔術が主流で、当然その規模も大きなものになってくる。
一例を上げると、標的を弱体化させる効果を持つ大結界であったり、一軍を対象にした広範囲の攻撃魔術が儀式魔術の代表格だろう。
しかし、今回の魔術はダンジョン形成のためのもので、魔力溜まりを変質させることを目的としていた。裏を返せば、攻撃するために発動されたわけではなかった。
だからこそ、スケアは焦ることなく術式に目を通すことができた。
しかし、先述の通り、儀式魔術は術式に干渉しにくい。複数人で術式を構築する所為か、個人で行使する魔術よりも脳にかかる負担が大きくなってしまうのだ。また、その術式が発動間際と言うことも大きな要因だったろう。
とはいえ、その構築された術式自体かなり繊細なもので、ほんの少しでも術式を書き換えるだけで無力化されてしまう代物である。
今回、無事に魔術が機能したことからわかる通り、スケアは術式に介入したが、無力化させたわけではない。
そもそも、スケアはジャニスティス達がダンジョンを作ることを知っていたため、それを邪魔するつもりは毛頭なかった。だからこそ、先の戦闘中に「逃げられる」と断言していたのだ。
では、どのように介入したのか。
ダンジョンに引きづりこまれる際、ユリウスとエルザ達を近くに転移させるよう少し細工しただけである。
現在、ユリウスは確認を終えている以上、残りはエルザ達四人。きっとどこか近くにいるはずだ。
ようやく目が暗闇に慣れてきた。
今のところ襲われる危険はなさそうだ。なら、そろそろ捜索を始めた方がいいだろう。
スケアは自然な所作で一枚の式符を懐から抜き取り、パチン、と指先で弾くと、一羽のカラスにその姿を変えた。カラスを部屋の出口に向けて飛び立たせると、その場で胡坐を組み、静かに目を瞑る。
飛び立たせたカラスと呪術で視覚を共有させて、捜索を開始する。
今スケア達がいる場所が、ダンジョン全体でどの程度の場所にいるのかは定かではないが、まだしばらくは一本道が続きそうだった。
そうしてしばらく飛ばしていると、不意に視界の中に異物が映った。
見ると、そこには巨大なカマキリのような生物が、バリバリと異音を響かせながら何かを食んでいた。その何かはどうやら生物であり、まだ息はあるらしく、時折ビクッと痙攣している。
――ダンジョンに引きづりこまれた人間か。
カマキリが顔を近づけている場所を覗き込むと、それは腹部の皮膚を食い破られ、絶え間なくあふれ出てくる鮮血が地面に毒々しい染みを作っていた。
血に染まった服を見る限り、食われているのはどうやら南区にいる人間だろう。
あれは死ぬまで時間の問題だ。
そう断じ、スケアは静かに捜索を開始する。カラスを操り、出来る限り音を立てずにその場から去らせた。幸いカマキリは食べることに意識が割かれているようで、小さく生じた羽音は気付かれなかった。
それから間もなくして、キラリと何かが光ったのが見えた。
カラスを向かわせると、そこでは見覚えのある女騎士が、ちょうどゲンゴロウのような巨大な虫を両断し、ふぅ、と小さく息を吐いたところだった。
スケアは彼女が気づくように、わざとバサバサと羽音を鳴らす。
その音に気づいたエルザが剣を構え、その正体を目にし、静かに剣を下ろすのを見届ける。そうして、彼女の肩にカラスを止まらせる。
「ご無事でなによりでございます、ロード」
「そちらもな。近くに飛ばされるよう細工はしたが、無事に成功したようで一安心だ」
言って、周囲を一瞥する。
そこには、彼女を中心に斬り捨てられた巨大な虫の残骸が転がっていた。緑色の液体が岩肌にぶちまけられ、夥しい虫の体液に、エルザが少し申し訳なさそうになる。
「お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ございません」
「気にするな。これからしばらくは見る光景だ」
「そう、ですね。ロードはお近くに?」
「うむ。その先を道なりに進むと開けた空間がある。そこを抜けた先の小部屋にいる」
カラスの首を元来た方向へと向け、その視線を追ってエルザも真っ暗な空間に目を向けた。
「わかりました。すぐに合流いたします。ロードはお一人ですか?」
「いや。ユリウスと共にいる。今はまだ気を失っているがな」
言って、スケアは薄目で隣に倒れる少年を見る。やはり、まだ目は覚ましていなかった。
「そちらはどうだ。子らの姿が見えぬようだが」
今一度周囲を見やるが、虫の残骸が転がるだけで、ユーステス達の姿はどこにもなかった。
それを聞いたエルザは、申し訳なさそうに目を伏せる。
「申し訳ございません。シュノン以外は少し先でまだ眠っているのですが……」
それを聞き、スケアは困惑したように眉根を寄せる。
「シュノンの姿がない、と?」
「……はい。ダンジョンに呑まれる前までは確かに共にいたのですが、目を覚ました時にはもうどこにも」
「なるほど。ちと周りを見て来よう。お主はユーステス達の元にいろ」
「お手間をおかけして、申し訳ありません」
命じると、再びカラスを操って周辺の捜索を開始する。
五分程度は飛ばしてみたが、残念なことにその姿はどこにもなかった。
スケアはエルザの元に戻り、小さくかぶりを振った。
「周辺にはおらんな。これは、ちと不味いやもしれぬ」
「もしや、魔族の手に?」
「その可能性が高い。奴らの狙いは把握しているか?」
「いえ。シュノンを執拗に狙っているのは把握しておりますが、その理由までは……」
「やはり、そちらにも魔族がいたか」
「はい。――それで、どういたしましょう?」
奴らの狙いがシュノンだということは把握していた。今、この場にいないということは、元々術式にそのように細工をしていたのだろう。
そうなると、少ししてやられた気がしてしまい、不機嫌になる。
とはいえ、自分の限りなく少ない感情に振り回されているわけにはいかない。
急ぎ、持たせていた呪符の呪力の探知を始める。
「……随分と上にいるな。恐らく、儂らは最下層にほど近い場所に飛ばされたらしい」
「シュノンは無事でしょうか?」
「わからん。渡したものは居場所を示すだけで、生死については判別しようがない」
「……」
エルザは心配そうに目を伏せる。
シュノンを一番気にかけているのはエルザだ。その分、彼女に対する情も一際強いのだろう。
「今は合流が先決だ。ユリウスを連れて、そちらに向かう」
「お言葉ですが、シュノンはどうするのでしょうか? あの子は戦う術を持ちません!」
「わかっておる。それはこちらで手を打つ」
「も、申し訳ございません! 出過ぎたことを……」
「よい。その気持ちはわからんわけではない故な。今は落ち着け。ユーステス達にそんな顔は見せるなよ」
「は、はい……」
少し引きずってはいるようだが、彼女はいろいろ経験してきている。それに、エルザは切り替えは早い方だ。心配はないだろう。
「ではな。また後で落ち合おう」
「お気をつけて」
「お主もな」
言葉を返し、スケアはカラスを操り飛び立たせ、視覚共有を切ってからカラスを燃やした。
問題は山積みだ。特に問題なのは間違いなくシュノンだろう。
念のため、もう一度呪力を探る。やはり変わりはなかった。
ダンジョン形成の際、光に呑まれた後にスケアも一瞬だけではあるが意識が飛んだ。目を覚ますまでにそれほど時間は経っていないと思うが、確証はない。
とにかく、エルザに言ったように、早急に手は打たなければならない。
スケアは自身とつながっている回路を通じて、外に残している護法に念話を繋ぐ。
「聞こえるか、狼牙?」
『あン? おう、テメエか。随分と面白そうなことになったじゃねえか。狙い通りか?』
「半分はな」
『半分? なんかあったのかよ』
こちらの返答が思っていたのと違ったからか、狼牙は不思議そうな声で問い返してきた。
やはり、付き合いが長いおかげか、すぐにこちらの様子がおかしいことに気づけたらしい。
「実はな――」
「テメエがしてやられただァ? おいおい、腑抜けたか」
予想だにしない悪友の声に、狼牙はたまらず呵う。
生前のスケアであれば今日のミスは起こさなかっただろう。気が抜けているとしか思えず、その事を少し気に入らないと思っていたこともあり、遠慮も周囲の様子も気にせず嗤った。
だからだろう。急に笑い出した狼牙に困惑した様子のヴェルグが声を掛けた。
「お、おいロウガ殿……?」
「今の状況をわかってんのか、お前」
「この状況を嗤わずにいられるかよ! 気にせず続けてなっ」
『……? お主どこにいる?』
こちらの様子を念話で聴いていたスケアが、訝しげに問う。
念話は周囲の環境音が聞こえない、お互いの声しか聞こえないものだ。
本来、念話は一対一での対話以外にも、複数人と対話することはできる。しかし、今二人が行っているのは、お互いが交わした契約の際に繋いだ回路を利用したもの。つまり、周囲にいる者は突然奇行を行っているようにしか見えないのだ。
今、狼牙がいるのは冒険者ギルドの一室。以前、スケア達が冒険者登録をした際、スケアとメリーナが得意属性を調べた際に使われた会議室だ。
入り口から見て円卓の最も奥にギルドマスターが座り、その隣には、この街で現状最もランクの高いヴェルグが座っており、残りの席に今いる高ランク冒険者がそれぞれ座っていた。
とはいえ、この街にいる冒険者は低級や中級が多く、高ランクとはいってもせいぜいがBランク。しかも、そのBランクの数も少なく、必然的にそれぞれのパーティ全員が参加することになっていた。
結果、用意された椅子にはまだ空きもあり、そのうちのひとつに狼牙も卓に足を乗せて座っている。
そして、その後ろの壁際には合流するように言われていたメリーナが、我関せずを貫いて控えていた。
「今は、冒険者ギルドにいる。ダンジョンが現れたことによる緊急会議だとよ」
『何故そんなものにお主が出席している? 儂らはそんなものに呼ばれる立場にはおらんだろうに』
「なあ、さっきから一人で何話してんだ?」
「念話中だ。黙って続けとけ」
会議中に突然別の者と話されて、それはできないだろう、という考えは狼牙にはなかった。以前の環境がそうだったから、ここでもできるだろうとしか思っていない。
しかし、生憎彼らはそんなことは知らず、非常識な奴だとしか思わない。
だからこそ、会議に呼ばれた冒険者の一人である男は、なおも続けようとする狼牙に苛立ちを募らせ、それを遮るように責任者が声を上げた。
「待ってくれ。今、念話中と言ったか? 相手は?」
「あ? うちの大将だが?」
瞬間、ざわざわと会議室内が騒がしくなった。気の所為か、後ろからも視線を向けられている気がする。
――いや、気の所為じゃねえわ。
軽くとはいえ、スケアの存在を臭わせたのだ。あの狂信者が反応しないはずがない。寧ろ、なぜ自分ではなくお前に連絡がいくんだ、とすら思われていてもおかしくない。
ことスケアに関することとなると、途端に理不尽になるのだから、狼牙にとっては本当にたまったものではない。
しばらく騒がしくなっていた室内だったが、ギルドマスターとヴェルグが何やらアイコンタクトを取ると、
「その念話を、今この場の皆に繋ぐことはできないか? 出来れば、彼女にも参加してもらいたいんだ」
「おい、本気かよギルマス!?」
ギルドマスターの言葉を聞き、その場に集う冒険者達が抗議の声を上げ始めた。
どうやらスケア達の印象は、彼らの中で随分と酷い状況にあるらしい。考え直せとそれぞれがしきりに詰め寄る姿を見て、可笑しそうに哂った。
本来、この場にはスケア達も参加することを望まれていた。
狼牙がこの会議に参加させられた流れは、合流するように命じられたメリーナと合流した後、ダンジョンが発生。街中がパニックに陥る中、自警団や冒険者達が落ち着かせるために駆け回っていた。
狼牙達はその時、我関せずを貫き、ダンジョンに潜ろうとしていたのだ。
では、そろそろ向かおうか、と家を発とうとしたそこに、ヴェルグがスケアを訪ねてやってきたのだ。
しかし、当然その時にスケアは不在。ならば今いる者だけでも、と狼牙達が引っ張られてきたのだ。
責めるように浴びせられる声を黙殺したギルドマスターは、真っすぐ狼牙へと視線を寄越し続けてきた。
どうやら、意志は固いらしい。
「生憎、こいつはオレと奴の一対一でしか繋がらねえ」
「そうか……」
「ま、別の手段はなくもねえが」
「本当か!」
残念な結果を伝えられ、一瞬気落ちしたギルドマスターだったが、続く言葉に食い気味に反応を示した。
少しは面白いものが見れた、と少し機嫌を良くした狼牙は、繋がった念話に向けて意識を向ける。
「よう。ここの全員に念話を繋げられるか?」
『そこに魔術師はいるか?』
思っていたのとは違う返答に小首を傾げながらも、周囲を見回す。敵意を隠そうともしない視線の彼らを流し見、何人か魔術師がいることが確認出来た。
「いるぜ」
『誰でもよい。魔力を高めさせろ』
それを聞き、狙いをなんとなしに察した狼牙は、適当に目についた女魔術師を横目で見やる。
「テメエでいい。魔力を練り上げろ」
「な、なんであんたの指図を受けなきゃなんないのよ!」
「――やれ――」
「ぐっ……!?」
命令口調で指図されたことに気が触れたのか、女魔術師が抵抗を示した。が、面倒を嫌う狼牙は相手の様子を気にせず、呪術の一種である言霊を用いて強制的に魔力を練り上げさせた。
女魔術師はその後も抵抗をしようとしていたが、頭と体が切り離されたかのように無意識に魔力を練り上げ始めていた。
その事に困惑した様子の女魔術師だったが、不意に「えっ?」と間抜けな声をこぼした次の瞬間、突然体を痙攣させ、椅子に無気力にもたれかかった。
「なっ!?」
「おいてめえ、いったい何しやがった!?」
女魔術師のパーティメンバーらしい冒険者達が凄まじい剣幕で怒鳴る。
狼牙はそれに取り合わず、事を見守り続けた。
すると――
「お、おい……?」
椅子にもたれかかっていた女魔術師が、小さく身動ぎした。それに気づいた冒険者達が心配そうに声をかけるも、女魔術師は反応を示さない。
そうして、女魔術師が居住まいを正すと――
「……随分と軟弱な体だ。保有魔力も雀の涙程度ではないか」
と、スケアの声で話し始めた。
冒険者達は揃って、張り裂けんばかりに眦を見開かせた。
ギルドマスターですら、戸惑ったように瞠目し、
「す、スケアなのか……?」
と、自分の体の調子を確かめている女魔術師へと声をかけた。
「然様。ちと体を借りてこの場に参じておる。赦せ」
「俺達の仲間はどうした!!」
スケアが肯定を示せば、肉体の持ち主の仲間が怒気をあらわにがなり立て始める。それに煩わしそうにしながら、
「今は眠っておる。なに、取って食いやせん」
とぶっきらぼうに返した。
そもそも、スケアが今こうして他人の体を使って話しているのは、何も体を乗っ取ったわけではない。それこそ、霊の類の魔物でなければ肉体を乗っ取るなど出来はしない。
スケアは、女魔術師の魔術回路に接続し、肉体を遠隔操作しているに過ぎない。もちろん、大抵の魔術師はそんなことはできない。他人の魔術回路に干渉するなんて芸当は、並外れた魔力操作が出来なければ悪影響しかないのだ。
それをおぼろげながらに理解しているのだろう。この場にいるもう一組のパーティに所属している魔術師は、あり得ないものを見た、と目を丸くしていた。
その後も口うるさく怒鳴りつけてくる冒険者達を無視し、スケアは隙のない所作で立ち上がる。その普段の女魔術師からは見ることのないだろう動きで、彼らも思わず押し黙った。
会議室内の空気が重くなる。それも仕方のないことだろう。
彼らにとって、スケア達はぽっと出の異物なのだ。そして何より、メリーナの存在が彼らは許せない。
しかし、そこを噛みつけば、間違いなくスケアが何かしらの報復に動くことは想像に難くない。
スケアに敵対行動を取られたくない。それが、今この場に集まっている冒険者たちの総意だった。
「よく来てくれたな、スケア。状況はわかるか?」
「詳しくは聞いておらんが、予想はできる」
「それでいい。では――」
「だがちと待て。こちらも急ぎの用があるのでな。先にそちらを片付けさせてもらう」
スケアはそう言い放つと、ギルドマスターが何か言う前に足早に狼牙の元に歩み寄る。その際、視線でメリーナにも近くに来るように命じ、正しくその意図を組んだメリーナが近づいてきた。
そして、集まったことを認識すると、スケアは声を潜めて口を開いた。
「さっき言ってた続きか?」
「然様。業腹だが、こちらが後手に回っている。故に、主らにはその状況をかき回してほしい」
「主様ほどのお方がしてやられたのですか!?」
「まったくもって遺憾だが、主要な術式にしか目を通していなかった儂の落ち度よ」
おや、と珍し気にスケアを見る。
この主が自分から自らの失敗を理由に、その尻拭いをさせようとするのは非常に稀だ。基本、自らの失敗は率先して取り戻そうとするのが生前のスケアである。
当然ながら、そう出来ない状況であればスケアとて自分から行動しようとはせず、誰か別の者に任せた。つまり、現在スケアが自ら動けるような状況ではないことが容易にわかった。
「んで? 状況は?」
「シュノンがジャニスティスの手に渡った。理由はわからんが、奴らの目的はシュノンの殺害だ」
「それは――」
「そうかい。それで、テメエが動けねえ理由は?」
メリーナの言葉を阻むようにして狼牙は仔細を問いただす。
メリーナは実力者だといっても、その本分はメイドであり、間違っても戦人ではない。
その為、状況理解が遅く、どうでもいい質問で徒に時間を食うこともしばしばあった。もちろん、スケアの言葉は気持ち悪いくらいに意図を理解する狂信者だが、戦闘における状況判断は、狼牙やエルザの方が早い。
普段ならいくらでも彼女の疑問をぶつけてもらっていいのだが、時間がないと言われている以上、無駄なことで時間は費やしていられなかった。
こちらの意図を理解しているのだろう。スケアは狼牙を咎めることなく、話を続けた。
「単純に距離の問題だ。シュノンに持たせた呪符の位置は遥か上層。方や、儂らは下層――最下層と言い換えてもよかろう」
「随分とまた飛ばされたじゃねえか。相変わらず運の悪さは一級だな」
「まったくだ。自分でも嫌になる。故に、儂らが動くには時間がかかりすぎる。主らが動いた方が早く片付く」
「ハ。テメエのことだ。考えてなかったわけじゃねえだろ。その為に、オレらを地上に残したわけだ。違うか?」
「本来は挟撃目的だったが、こうなっては仕方あるまい。何事も柔軟に動かねばな」
「脳筋がなんか言ってやがる」
軽口を交えた気兼ねないやり取り。共に喧嘩腰ではあるが、そこには確かな信頼関係があった。
狼牙はのっそりとした動きで椅子から腰を上げる。
「んなら、向かうかね」
「手段はそちらに任せる。保護した後、ダンジョンを下り、合流しろ」
「楽しめるか?」
「さて、もう既に十六度は殺している。流石にすぐに生命力が切れることはなかろうが――それでも退屈はせんだろうよ」
スケアの中で、どのような裁定が下されたのか、そこまで悟れるほど狼牙は異常ではない。が、少なくとも、彼女の中で最低限認められる何かはあったのだろう。
いったいそれが何なのか、わかったものではない。それでも、認められる何かがある、ということが分かっただけでも僥倖だ。
「いくぜ、狂信者メイド」
「致し方ありませんね。では主様。すぐに貴女様の御許まで参じます」
「あぁ。待っているとも」
互いに柔らかな笑みを浮かべ、言葉を交わすのを見届ける。なんだかんだと、本当に仲のいい主従だと呆れながら、狼牙は部屋を後にした。その後にメリーナが続く。
「お、おいっ、待て!」
「奴らの分は儂が聞こう。こちらも切羽詰まっていてな」
後ろからギルドマスターの引き留める声が聞こえたが、それを阻むようにスケアが言葉を返しているのを最後に、足早に部屋を去った。
狼牙達が部屋から出てきたことにより、冒険者ギルド内がざわめき立つ。まだ会議が始まってさほど時間も経っていない。だというのに、こうして堂々と会議室を出てきたのだから、会議はどうなったのだと疑問に感じても仕方がないのだろう。
しかし、そんな周囲の様子に狼牙達が興味を示すわけがなく、正面から堂々とギルドから出て行った。
「まずは見張りをどうにかしなければなりませんね」
ギルドから出て、まず目に入るのは阿鼻叫喚となっている街の様子だ。やれ子供がいない、家族がいない、と街の人間が騒ぎ立てているのを尻目に、二人の視線は目的である中央広場へと向けられる。
そこにはぽっかりと空いた穴が存在しており、覗くと、中に通じる石造りの階段が真っ暗な空間へと続いている。
そして、その入り口の前には、この街に常駐している自警団と冒険者ギルドの職員が見張りに立っていた。
それを見たメリーナの言葉に、好戦的な笑みで応じた。
「んなもん、小細工はいらねえ! 正面突破だ!」
「……はあ。だと思いました。わかりやすくていいのですが」
「決まりだッ。いくぜ!!」
「やれやれ。今ばかりはエルザさんの苦労が身に沁みますね」
こぼれる文句を無視し、泰然とした足取りで中央広場に向かう。
近づいてくる二人に気づかないわけもなく、ギルド職員と思しき一人が立ちふさがった。
「そこで止まれ。今はダンジョンに入ることは許されていない」
「知るか。オレらはこの中に用があんだよ」
「これはギルドマスター直々の命令だ。大人しく引き返してくれ」
「我々は、我々のリーダー以外の命令には従いません。そこを、どきなさい」
互いに己の主張を押し付け合う。しばらく続けていると、自警団から配属されたと思しき見張りも近づいてくる。
それに内心でほくそ笑む。
「何をしてるんだ」
「いや、すまない。すぐに散らせる」
「散る必要はねえ。――止まってろ――」
「――っ!?」
言霊。呪力の込められたそれの対処手段のない者など退屈でしかない。
手っ取り早く自由を奪うと、その脇を悠々と抜けてダンジョンへと向かう。
「待て! 戻れ!」
「お勤めご苦労さん。天災にあったと諦めな」
背後からの言葉に、思ってもない言葉を返しておき、そちらへの意識をそこでシャットアウトした。
眼前に広がる階段を前に、獰猛な笑みを浮かべて、
「さて、愉しませてくれよ」
まだ見ぬ、しかし必ずぶつかるであろう存在に向けて、言葉を投げかけた。