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蹂躙劇

 スケア達は家を飛び出した後、西区への道を駆け抜けていた。

 左目に生じた傷は既に癒え、底冷えのする冷たい眼差しが周囲を威圧するように各所に向けられている。


 ふとあることに気が付いた。気配がふたつに分かれているのだ。南区にひとつ。そして、先ほども探知した西区から南区に向けて動く三つ。

 すぐさまその気配を手繰り、どうやら一人残っているのはユリウスだとわかると、すぐにその状況を把握した。ひとまず生き残っていることに安堵するが、現状は最悪に近い。


 現状の危険度で言えば、間違いなくユリウスの方が大きい。

 彼の実力に関して、スケアは絶大な信頼を置いている。自ら教えることはないと宣言し、Sランク冒険者とも戦えると称賛したほどだ。

 後は年を重ね、体の成長を待てばいいだけ。裏を返せば、今の段階で彼と同程度、またはそれ以上の()()を相手取れば苦戦は避けられないということだ。


 確かにSランクと戦えると評したが、冒険者のSランクになった連中はどいつもこいつも一癖ある連中ばかりなのだ。

 今の時代のSランク冒険者はヴェルグしか把握していないが、彼は人間とは到底思えないほどの膂力と頑丈さを見せた。ステータスの能力値ありきというのを抜きにしても、ヴェルグのあれは客観的に見ても異常である。

 生前では、一時的に己の体を完全な水にして相手の攻撃を無効化してしまう者もいたぐらいだ。


 つまり、技術力だけではSランク冒険者というものにはそうそう勝てない。それこそ、スケアのように隔絶した力量でなければ不可能である。

 要は、更に一芸が必要になるということだ。それはきっと、強力な魔物や魔獣との戦闘で必要に迫られ身に着けたものだろう。


 相手が誰かはまだ把握していない。しかし、予想しているのはふたつある。

 ひとつは奴隷商人。彼らを狙う理由として最も妥当なものだ。何しろ、四人のうち三人はとても珍しい種族である。奴隷商人の格好の獲物といっても過言ではない。


 もうひとつは、魔族である。

 接触している可能性はかなり低いと考えている。そもそも、人間領の辺境の街に魔族がいたとしても、十中八九どこかに身を隠しているはず。

 その線で考えれば、彼らが狙われるのは運悪く接触してしまったのだろう。


 ユリウスが苦戦する相手であると仮定すると、相手は魔族の可能性の方が一歩リード。しかし、数が複数である、と考えれば奴隷商人の線も捨てきれない。


 そこまで考え、メリーナに数を調べさせると、ユリウスの相手をしている相手は一人であるという。

 そうなると、相手は魔族であるという考えが強くなる。遅れてその考えを認めるような事柄が発覚した。


 街の中に潜んでいる複数の存在を、メリーナの鼻が捉えた。加えて、遅れてやってきたエルザが合流する。

 エルザには、スケア達と違って裏口から出させ、こちらを監視していた気配を締め上げるように言っておいた。


 その彼女が、監視していたのは魔族だったと証言したのだ。


 ここまで状況証拠が揃ってしまえば、相手は魔族であると断定するしかない。

 スケアはすぐにメリーナにいくつか指示を出し、エルザにユーステス達の保護を命じ、進路を南区へと変更した。


 道中、人避けの結界が南区を囲むように張られていることに気づいた。巧妙に隠されているが、中で何が起きているかを思い一瞬の思考。すぐに魔力を練り上げ、結界に自身の術式を噛ませて対象を書き換えた。

 やはり、魔術師が潜んでいるかと目を細め、最悪の結果にならないよう道を疾駆する。


 ようやくその姿を目にしたとき、魔族がユリウスに対しとどめを刺す瞬間だった。


 ――間に合ったか。


 かろうじて間に合ったことに安堵の息を漏らし、玄翁じみた魔族の拳を受け流して胸の中心に掌底を叩きつけた。

 残念ながら鎧に阻まれて威力が抑えられてしまったが、それでもすぐには復活できないだろうとあたりをつけ、背後の教え子を振り返る。


 酷く息が乱れている。普段の優男然とした笑みは鳴りを潜め、焦点も合っているのか微妙なところだ。


「お主ほどの男が、ずいぶんこっぴどくやられたな」

「ぜえ、……ぜえ、ごほっ、まあ……」

「言葉も出せんほどとはな。殺し合いぐらい、()()()()()()()()()()()()()()()()


 ユリウスは咳込みながら、苦々しい顔で認めるように笑う。


 それを見届け、


「まあよい。ユーステス達の元にはエルザが向かっている。よくぞ足止めをしてくれた」


 本当はまだ模索しきれていない可能性を掲示してやりたかった。

 だが、これは事前知識があるからこそできることか、と思い直し、労いの言葉をかける。


 何はともあれ、かなり危険な役目をこの少年は引き受け、成し遂げたのだから、師匠として褒めてやらなければならない。

 それに応じるように小さく頷くのを見届ける。


 人避けの結界が張られていたということは、先述の通り魔術師がどこかに潜んでいると思われる。

 探すことは難しくない。何しろ、スケアは深淵到達者だ。探知するのも困難なほど微量な魔力を辿ることなど造作もない。


 しかし、それを復活してきた目の前の男が許すとは思えなかった。


「お早い復活だな」

「何者だ」

「なに、こ奴の師よ」


 言うと、男の中でスケアに対する警戒心が跳ね上がったように感じられた。

 それだけユリウスが評価されているのだろうと思うと、流石と思わずにいられない。


 さて、この男は何者だろうか。

 魔族が潜んでいるのならジャニスティスの関係者であることは間違いない。

 だが、生憎スケアは彼の顔も知らなければ、部下の顔も知らない。

 当然だろう。スケアが生きていたころ、彼らは既に故人だったのだから。


 酷薄な笑みを顔面に張り付けながら、スケアは魔族の男の観察を続ける。


 男の挙動に隙は無い。鋭い眼光がスケアを貫き、ぶつけられる殺気に自然と心地よい感覚になる。わかっていたことではあるが、男は武人で間違いない。


 相手の正体がわからない以上、下手なことはできない。

 が、確かめる手段はある。それに反応を示すとは思いにくいが、反応させるほどのインパクトがあるネタを、スケアは持っているのだ。


 一層笑みを深める。それを見て、魔族は身構えた。


「魔族の男よ。お主に聞きたいことがある」

「答えると思っているのか?」

「答えるだろうよ」


 ――少なくとも、私が欲しい情報はな。


 魔族は訝しげに眉を顰めるが、根幹はやはり揺らいではいない。


 しかし、次の瞬間、魔族の表情は驚愕に染め上げられた。


「――リィンナーデは息災か?」

「き、さま……!?」


 魔族はわかりやすく驚く。人間が知るはずのない情報を、目の前の女が得ていたからだ。

 彼女はまだ二歳だ。しかも、その情報も魔族領の魔王達にしか知らされていない。しかも、かなり厳重な情報規制をしている筈。


 それを、あろうことか人間が知っていることに、これ以上ない危機感を募らせる。


「なぜ貴様がリィンを知っている!」

「さて、なぜだろうな?」


 そう言って、スケアは笑みを絶やさない。まるで、他にも知っているぞと言わんばかりに。


 事実、スケアは他にも知ってる情報はある。なにせ、三百年以上先の未来で身内となっていたのだから、知らないことの方が少ないと言ってもいい。


 しかし、それをわざわざ口に出すこともない。そもそも、「私は未来から来た。だから知っている」と言ったところで信じられるわけがないだろう。それで信用してしまったのなら、頭がおかしいのでは、と思わずにはいられなくなる。


 とはいえ、これ以上小出しにするつもりは今のところはなかった。

 なぜなら、もう得たい情報は得られたからだ。


 スケアが得たい情報は対峙している魔族が何者なのかということだけだった。大まかな相手の目論見などは既にインチキで把握しているのだから、当然、残る懸念は目の前にいる男が何者なのかという至極真っ当な疑問に尽きる。

 今の反応で、スケアは目の前の男こそがジャニスティスであると確信した。


 リィンナーデは不死魔王の嫡子。つまり、現不死魔王のガランデリスの娘だ。

 そんな相手をリィンと軽々しく呼べる者となると、かなり限られてくる。リィンナーデ本人の歳から考えても、彼女が自ら進んであだ名で呼べと言うのは考えづらい。

 他にそう許すことができるとすれば、それは父であるガランデリスに他ならない。だが、彼は厳格な人物であると聞いていた。そんな男が、臣下に娘の呼び方をあだ名にするとはとてもではないが考えられなかった。


 残る可能性として、親族が上がってくる。むしろ、そうとしか考えられない。

 なにより、彼の風格を見ていると、彼がジャニスティスであると断じた方が納得できるのだ。


 並みの男ではない。数多の戦場を渡り歩いてきた強者ならではの威圧感。抜き身のナイフを彷彿とさせる双眸は、目を丸くしながらもすぐに細められた。

 彼の中で、スケアに対する警戒は最高潮に達していることは想像に難くない。


 ジャニスティスは先ほどと同じ問いを繰り返す。


「貴様、何者だ」


 誰何を問うのならば、そちらから名乗るのが筋であろう、という言葉を飲み込み、スケアは応じる。


「私はスケア・シュクレアン。先も言った通り、今までお主の相手をしていた、こ奴の師を務めさせてもらっている冒険者よ」

「冒険者、だと? 貴様のようなSランク冒険者は知らん!」

「ほう。一目でSランクと断じるとは見る目がある。……だが、生憎私はDランクだ」

「貴様のような者が、Dランクだと……? なんの冗談だ」

「何分、冒険者となってまだ日が浅いのでね」


 包み隠さず真実を語る。隠す理由もないし、調べれば簡単にわかることだからだ。


 ジャニスティスは与えられた情報を噛み砕くように整理し、警戒心をあらわにしながら、しかし冷静に言葉を紡ぐ。


「……なるほど。納得はできないが、理解はした。どうやら、貴様はここで逃してはならない相手のようだ」

「異なことを。元より逃がすつもりもなかろう」


 そもそも、この男はスケアの存在を既に認識していただろう。そうでなければ、見張りをつけておく必要がない。彼は恐らく顔を知らなかっただけ。


 良くも悪くもスケア達は有名だ。少なくとも、ルーミラでは知らない者の方が少ないだろう。

 なにせ、先日モルドとその兵士を返り討ちにしただけでなく、兵士は全滅。モルドは心神喪失まで追いつめている。加えて、その前にはヴェルグを素手で一方的に殴り倒していた。


 それだけすれば有名にならないわけもなく、また潜入していたジャニスティス達の耳に入らないわけがない。

 しかし、現状彼がこうして動いている要因を予想するとなると、考えうる答えはひとつしかなかった。


「さしずめ、目撃者の口封じ、と言ったところか」

「そのつもりだった。だが、貴様には聞かなければならないことが増えた」

「生憎、こちらには何も聞くことはないのでな。ただ――」


 スケアは一度口を閉ざすと、双眸を鋭く細める。瞳には剣呑な光が宿り、歴戦の戦士であるジャニスティスでさえ、背骨に直接氷塊をぶち込まれたかのような感覚に襲われる。


「弟子をイジメてくれた礼はせねばなるまい」


 本音を言うと、初めは皆殺しにするつもりだった。喧嘩を売られ、買ったのだからそれぐらいはしなければ話にならない。相手が奴隷商人の類だと予想していたのも要因のひとつだ。


 しかし、よりにもよって相手は魔族だ。相手が異種族であるならば、スケアはまず二の足を踏むことが多い。

 先日、西区の獣人を助けた時にも口にしたように、異種族は手を取り合う友であるという考えの元、その者が己の敵であるかどうかをより慎重に判断する必要が出てくる。

 もちろん、敵と判断すれば早いが、今はまだ完全に敵であるとは判断していなかった。

 初めて顔を合わせたとはいえ、一応は義叔父であることが決め手に欠けさせた。


「ちょっと、待ってください」


 不意に背後から声がかかる。ユリウスだ。どうやら、これまでの会話の間に話せる程度まで回復したらしい。


 ユリウスは二人が静かに聞き耳を立てているのを認めると、未だに荒れたままの呼吸で口を開いた。


「ひとつ、確認したいことがあります」


 ユリウスはそこで一呼吸置くと、抱いていた疑問を投げかける。


「ジャニスティスさん。あなたはどうしてか、我々の中で特にシュノンを注視していたように感じられるのですが、それはなぜですか?」

「シュノンを……?」


 シュノンについては未だにわかっていないことが多い。本人の記憶がないというのが大きいが、本人の得意魔術からあり得ないことが起こっている。

 人間以外に光属性が得意属性の存在など、本来ならあり得ないのだ。

 明確な理由は定かではない。一説では、異種族は負の存在であるため、神の御業である光属性が使えないのだ、という話がある。


 真偽のほどはさておき、確かに歴史を振り返ってみてもそんな存在は見受けられない。当然歴史だけで見れば、ジャニスティスのダンジョン生成という出来事が抹消されるように、歴史書が改変されている可能性はある。

 だが、そうであっても、悪魔王の軍勢がそのような珍しい――もとい、面白そうな現象を見逃すはずがない。しかし、スケアの継承されている記憶の中にはそのような話はひとつもなかった。

 完全に前代未聞の現象なのだ。


 そんな彼女について、スケアが疑念を抱いてしまうのも不思議ではない。


 ジャニスティスは口を固く閉ざしたまま喋らない。

 それは彼の中で何かしらの葛藤のようなものが見え隠れしている。話してもいいものか、それとも、単に機密事項として話せないのか。


 確かなところは定かではない。

 だがどうやら、シュノンに対して何かしらの因縁ともいえる何かがあることはその様子からよくわかった。


「まさかとは思うが、鬼人族を奴隷商に売るために追っている、とでも言うまいな?」

「いいや違う。それだけは断じてない!」


 力強い否定だった。少なくとも、その事に嘘はなさそうだ。


「ではなんだ? よもや、殺すために動いている、とでも言うつもりか」


 考えうる限りで最悪の可能性だ。しかし、スケアが手をこまねく問題である以上、他がどう動くかなど想像しにくい。

 喩えどれだけ馬鹿げた可能性であろうと、頭の片隅にでも置いておいて損はない。それがあるとないとでは、対応速度に大きく差が生じてしまうからだ。


 果たして、ジャニスティスは答えない。その沈黙こそが、答えと言っても過言ではなかった。

 残酷なまでの静寂。ユリウスは静かに思考に移る。シュノンに何があるのかを必死に模索していく。


 しかし、その思考は強制的に止められる。


「――つまり、こういうことか」


 この二週間の間に聞き慣れた声。しかし、その声色は恐ろしく冷たい。

 全身に重くのしかかる重圧。空が降ってきたのかと錯覚するほどの莫大な圧は、気の所為か周囲の家屋を軋み出させる。

 まるで、家屋が悲鳴を上げているかのようだ。


 絶対零度の眼差しが、まっすぐジャニスティスを捉える。


「貴様は、私の庇護下にある者を殺す、と。そう言うのだな?」


 わかりきった確認。ジャニスティスはそれにも沈黙で答えた。


「そうか」


 小さくそうこぼす。その声は消え入りそうなほど小さく、比較的近い距離にいるユリウスでさえも聞き逃してしまいそうなほど。


 スケアは確かにシュノンに対して疑惑は持っている。だが、現状保護している立場であるが故に、庇護下に置く者を狙う存在を許しはしない。

 喩えそれが異種族であっても関係ない。それは、王だった者としての使命感か、はたまた保護者としての義務感か。なんであろうと、自身に与するものならば守り切ってみせるという強い決意。


 即ち――


「貴様は私の敵というわけか」

「……何を今更」

「そうだな。今更だ」


 ジャニスティスの声に、無機質な声が応じた。そこに感情の色はなく、総身に直接打ち据えられる瀑布の如き殺意に、ジャニスティスが後退る。


 それを追うようにスケアが一歩詰める。その一歩で、スケアの中で臨戦態勢が整う。


「来るがよい。一片残らず殺し尽くしてくれる」


 その言葉を合図に、惨たらしいまでの蹂躙劇が始まった。





 ユリウスは思わず我が目を疑った。

 ジャニスティスの強さはこれまで戦っていたユリウス自身が嫌というほどわかっている。それこそ、今まで戦った相手とは比べ物にならないほどだった。

 それが今や、スケアの独壇場と化していた。


 二人の戦闘が始まってから、まだそう時間も経ってない。だというのに、()()()()()()()()()()()()

 生物学上、複数回死ぬことはあり得ない。それこそ、不死とは言えなくても不死に近い生物というのがいるのは知識として知っている。しかし、死んでも傷を修復して蘇生する生物というものについては知識にもない。

 だが、実際に目の前で起こっている以上納得するしかなかった。


 スケアの様子が一変したことには驚いたが、それは彼女がシュノンを大切に思っているからだろう。


 開幕の瞬間を思い返す。

 スケアの姿が一瞬で掻き消えた、と思えば強烈な衝撃音が轟いた。雷が落ちたかのような爆音に続き、ジャニスティスの体を守っていた鎧が音を立てて崩れ落ちた。


 掌底で鎧を砕くだけでも驚きだが、その凄絶な一撃は鎧でも防ぎきれず、打たれた胸の中心が大きく陥没してしまっていた。

 ジャニスティスは、ぐりんっ、と目を剥き、口の端に血の(あぶく)をこぼしてその場に頽れた。それだけで戦いは終わった、かに見えた戦闘はスケアの非情ともいえる行動に潰えた。

 何とスケアは、あろうことか死が迫るだけの状態であるジャニスティスの頭を()()()()()()()()。脳漿がぶちまけられ、つんとした刺激臭が鼻腔に届き、言葉を失った。


 思わず息を呑む。

 スケアは変わらず感情を感じさせない顔で、こう言った。


「いつまで寝ている。貴様にはその程度、かすり傷に等しかろう」


 すると、潰れたはずの頭蓋がじゅぐじゅぐと気味の悪い音を立てて修復されていった。さほど時間もかからずにジャニスティスの首は元通りになり、先ほどまで潰れていたのが夢であったように錯覚してしまうほどだった。

 しかし、地面に作られた赤い水たまりが、先ほどの光景が現実であると証明していた。


 ジャニスティスは僅かに面食らった様子だったが、すぐに切り替えたのだろう。表情を引き締め、拳を硬く握りしめると、うなりを上げて突き出される。

 刹那、彼の体が宙を舞う。しゃがみこんだ体勢でジャニスティスの足元に体の側面から飛び込み、体全体ですくい上げるように払ったのだ。

 流れる動作でスケアの腕が伸び、バミャリ、という乾いた音が響く。遅れて、ジャニスティスの体が地面に激突する。


 音の出どころはすぐにわかった。宙を舞った男の首が通常の可動域を超えて後ろを向いているのだから、何をされたのかは明白だった。


 ぐりんっ、と擬音が付きそうなほど勢いよく首が元通りになると、分が悪いと見たか、慌てて距離を取った。


 瞬間、ジャニスティスの体を杭が貫いた。地面から生えてきた杭は都合八つ。頭に三つと胴体に五つ。そのうちのひとつが心臓を貫いたのを見逃さなかった。

 恐らくスケアの魔術だろうが、いつ魔術を使ったのか全く分からなかった。


 その後もスケアは殺戮を続けた。淡々と、機械的とも取れる淡白さでジャニスティスを殺し続けたのだ。


 ――ここまでか……!?


 戦慄する。普段からスケアとの模擬戦を繰り広げていたが、それがどれほど手を抜いていたのかを嫌というほど理解させられる。先日のヴェルグとの一戦も遊びだったのかと思わせられた。

 強い強いとは思っていたが、これはユリウスの計れる限度を明らかに超えている。


 治癒を終えたジャニスティスが怒号を発する。


「よもや、魔術までも扱うとは……!?」

「それが、今際の言葉でよいのだな?」

「くぅっ!」


 縮地。余人に認識させない冴え渡りし歩法に、ジャニスティスは辛うじて反応してみせた。

 応戦するように拳撃を見舞うも、それは全て捌かれる。跳ねるようなフットワークで右に左にと避けることもあれば、不思議なことに、拳がスケアを避けるように外れることもあった。


 いったいどのような手法でそのようなことをしてのけているのか、てんでわからない。

 しかし、しばらく見ているとひとつだけわかったことがある。


 スケアは機動力を利用して相手を翻弄している。先ほどから足を止めているのはジャニスティスを殺したときだけで、それ以外は常に動き続けていた。

 それはきっと、彼女独自のスタイルなのだろう。しかも、見ているだけで複数の体術の一端が見え隠れしていた。

 いつか言っていたように、スケアは身につけた体術をまぜこぜにしているのだとぼんやりとだが理解できる。なるほど、確かにあれでは勝手がわからず自壊してしまうだろう。


「ぉおおおおおおっ!!」


 雄たけびを上げ、ジャニスティスが散弾銃もかくやという剛拳を放つ。その一撃は紛れもなく必殺。防御してもその防御ごと貫かれそうな拳撃を前に、スケアは焦らず、而して的確に捌いてみせる。


 迫る拳の外側に半歩踏み出し、外から内へ払う。それだけで拳の軌道は強制的に変更され、またスケアのコンパクトな動作によって、硬直時間に圧倒的な差が生まれる。


「ふっ――」


 短い呼気に合わせて小さな動作で繰り出される拳。一撃に込められた力はジャニスティスとは対照的に少ない。その分動きの制限が少なく、一瞬の隙に肌色の雨霰が襲い掛かる。


 その動きには見覚えがある。


 ――確か、ヘテナに教えている体術の……。


 いくら獣人とはいえ女性であることは間違いないヘテナに、スケアは手数を主にした体術を教えている。

 歩幅を小さく、腕を短くすることをヘテナに滔々と語っている姿は鮮明に瞼に焼き付いている。


 この体術は、接近戦において見た目以上に手ごわい印象を与えられる。


 教わり始めたばかりであるヘテナでは未熟さが際立ち、隙を多く見せてしまっているのが現状だが、その技術を修めているスケアが行ってみせると、途端に堅牢な拳撃の要塞を展開してしまう。


 今もそうだ。先ほどまでの破壊力とは打って変わった猛攻にわずかに困惑の色を見せるジャニスティスも、すぐに振り払って果敢に応戦。必殺の拳がすぐにいなされ反撃を浴び、怯んだ隙に怒涛の猛攻が襲い掛かってくるその状況に苦々しい表情を隠せない。放たれるものは肘や裏拳、手刀と様々だが、その手数の多さには舌を巻く。

 一を打つと十が返ってくる。しかも、それをしているのは達人を遥かに上回る超人だ。


 これまでの惨憺たる結果に、彼自身相手が悪過ぎることを痛いほど理解しているだろう。

 何度も撤退しようと画策しているのはユリウスも気づいていた。が、それを他でもないスケアが許さない。


 はっきり言って、この状況はジャニスティスは詰んでいると断言していい。

 近接戦は圧倒的に不利。それならと距離を取れば残酷なまでに容赦なく魔術が飛ぶ。搦め手に移行しようとしても即座に利用され不利な状況に追い込まれ、一撃必殺を画策すれば今のように小技で叩き潰される。

 詰み以外の何物でもないのは明白だった。


「ば、馬鹿な――」

「そら、またひとつだ」


 一瞬だけ生じた隙。それを見逃すはずもなく、スケアの足がぶれ、ジャニスティスの首が歪に折れ曲がった。おぼろげながらに蹴撃を繰り出したのだとわかったが、それでもその速度に瞠目せざるを得ない。

 首からは骨が肉を貫いて見えており、首を蹴り折ったその事実にもう驚くことすらできなかった。


 少しでも防御が緩めばこれだ。味方だからこそその矛先が向けられることはないが、仮にそんな状況になってしまったら、と考えるとゾッとする。


「人の身でありながら、これほどまでの強さだと……? 貴様、いったいレベルはいくつだっ!」


 がこん、と聞き慣れない音とともに、ジャニスティスが怒鳴りつける。


 そうだ。この世界はステータスがあり、レベルという概念も存在する。

 人間の間ではあまりレベルを聞き合う習慣はない。もちろん、仲のいい者同士や共に組むことになった際は確認のためにお互いに申告し合うことはある。


 あくまでレベルは指標でしかない。それでも、高ければ高いほど相応の修羅場をくぐったという証明になるのだと、小さい頃にロイドから聞いたことがある。


 ユリウスも興味はある。

 これほどまでに強いのなら、恐らくは二桁ではないだろう。一例を上げると、ユリウスのレベルは六十八。


 ユリウスは知らないが、彼の年齢だと二十を超えているというのは途轍もない苦労をしてきたのだと心配される。加えて、Aランクの冒険者の平均レベルが百二十であるらしい。それを思うと、Sランクの平均はいったいどれほどになってしまうのか。


 スケアはその問いに、素直に応じた。


「知らぬ。もう長いこと正確な数値は目にしてはいない」


 ――どういうことだ?


 正確な数値を見ていないという言葉の意味するところを、ユリウスは正しく把握できていなかった。そもそも、レベルが自分で把握できない状況も聞いたことがないのだ。


 それは質問した側も同じらしい。意味が分からないと一蹴した。


「貴様、私をからかっているのか!」

「貴様如きをからかってなんとする。私は、紛れもない真実のみを口にしたまで」


 スケアは無機質な声音でジャニスティスを睨みつける。


「話は終わりか? では、こちらからもひとつ問おう。何故(なにゆえ)シュノンを狙う。年端も行かぬ幼子を殺すことが生きがいというわけもあるまい」


 その問いに、ジャニスティスは押し黙る。


 やはり話せない事情があるのか、と推測する。


 しかし、沈黙を許すスケアではなかった。


 スケアは自然な所作で何かをジャニスティスの前に放る。びちゃっ、と気味の悪い音を立てたモノをその視界に入れた時、思わず言葉を失った。


「生憎私は己の求める返答以外を許すほど優しくはない。――さあ吐け。次は左だ」


 スケアは無感情に吐き捨てる。


 放られたものは耳だった。スケアはいつの間にかその手に小振りのナイフを握り、それを手の中で弄んでいる。

 いったいナイフをどこから取り出したのか。明らかにナイフの間合いではないのにどうやって彼の耳を切断したのか。

 疑問は尽きないが、目にもとまらぬ早業で彼の耳を切り落としたのだ。


 ジャニスティスは一瞬遅れて自身の耳がないことに気づき、慌てて右手を当てる。手にべっとりと血が付着する。

 それを見てもすぐに表情を引き締め、力強い目でスケアを睨みつけた。


「脅しには屈しない。いくら拷問しようと私には通用しない!」

「……そうか。そうだ、貴様は不死魔王の血族だった。確かにこれは無意味だな」


 数瞬の沈黙。刹那、スケアの姿が掻き消えた。直後、ゴトリ、と彼の首が落ち、遅れて鮮血が噴出。

 首のない肉塊の背後に立つスケアが振り返り、口を開いた。


「では、答えるまで殺そう」


 絶対零度の眼差しが首を失った肉塊を射抜く。


 ――発想が貧困!


 思わず内心で声を張り上げた。

 彼女の言い分は、どれだけ痛めつけてもすぐに治癒してしまうのなら、話すまで殺し続けるという。

 常々思っていたが、脳筋思考にも程がある。


 彼の体の原理がどうなっているのかはわからない。しかし、先ほどまでの様子を見ているとどうやらスケアは理解しているのだろう。その上での判断だと仮定すれば、彼女の宣言にはきっと意味はあるのだろう。


 それでも、突然そのような宣言をされれば、思わずそう思っても仕方がないだろう。


 スケアは手に持っていたナイフを捨てる。そのナイフは半ばで折れてしまっており、付け根まで血で染まっていた。

 どうやら、今の一瞬で首の切断に成功したが、ナイフ自身が耐えきれなかったらしい。どこにでも置いてありそうな安物のナイフだったからだろう。


 本来の扱いではないのだから仕方ない。

 驚くべきは、本来の用途を大きく超えたことをしてのけた彼女の絶技だ。


 スケアは空になった手を自然と眼前の肉塊に伸ばす。その手には濃密な魔力が凝縮して纏われており、目に見えない刃物がその手に握られているようにも見えた。


「――ッ」


 突然スケアが血相を変えて顔を跳ね上げ、慌てて地面を蹴った。

 ユリウスが何か反応する前にはもう視界に彼女がいなくなり、一泊遅れて、轟、と灼熱が背後で迸った。思わず身を小さく縮こまらせ、遅れて背後に視線を向けると―


「魔族……!」


 そこにはローブを身に纏った魔族が杖をこちらに突き出して立っていた。

 どこか飄然とした風貌の男はどこか焦ったように息を乱し、大粒の汗を浮かべて嘆息する。


「おいおい、うそでしょ。こっちは『豪炎(フルファイア)』使ってんだけど。それをなーに涼しい顔で防いでくれてんの? 今のが上級魔術って理解してる?」


 軽薄さが滲み出る語調で話す男は呼吸を整えるようにして息を吐くが、なかなか息が整わない。

 その様子から、どうやら慌てて駆け付けたことが窺えた。


 そんな魔族を前に、スケアは静かに腕を下ろした。


「探す手間が省けたな。その魔力、違えるものか。貴様には私の左目の礼をしなければならんからな」

「俺も会えて光栄ですよっと。俺の張った結界をあっさり書き換えて侵入してくるわ、上級魔術を簡単に防ぐわ、同時に別方向から放った魔術を見ずに無効化するわ……おかげで自信なくすわこの野郎!!」


 まくしたてるように叫ぶ男は、敵意をあらわにスケアを視界から外さない。


「そう悲観することはない。私と渡り合えるものは第一勢力にも存在せぬだろうさ」

「あーやだやだ。そう自信たっぷりな奴、大っ嫌いなんですわ」


 そう言って、魔族は肩を竦める。

 それを見て取ったスケアは、


「食えぬ男め」


 そう苦々しくこぼしたかと思えば、口中で小さく呪文を唱え、柏手を打つ。その瞬間、重ね合わせた手の中で呪力が収縮し爆発した。

 呪力で形成された爆風は両側面から飛来する土塊を吹き飛ばし、死角から迫るジャニスティスを打ち据える。ジャニスティスは小さく舌打ち、追撃に移るスケアから逃れるように距離を取った。


 ユリウスは見たこともないものに唖然とした。

 今まで聞き、体験してきたのは全て魔術だ。しかし、今感じた力は魔力ではない。完全な未知の力だ。

 加えて――これは感覚的な話でしかないが――今のは魔術等で見られるひとつの術式などではなく、それ以前の魔力等の暴走に近しい。

 強力な魔術師は内包する魔力を敢えて放出することで、その奔流がひとつの攻撃手段とすることができるという。

 恐らく、今のはそれと同じものだろう。


 ユリウスが一人そのように思考している中、スケアはジャニスティスと魔族の両方を視界に入る位置に立ち、静かに隙を窺う。状況は悪い。前後を挟まれた。

 だというのに、泰然と構えるスケアを見ていると、逼迫した状況に感じられない。


 魔族はそれまでの一連の流れを見届けると、渋い顔で目頭を押さえた。


「ほら見ろ! 隙をついたと思ったのにこれだよ。あんた背中に目でもついてんの?」

「背後に目はないが、目以外でも周囲の状況を探る術はあるのでね」

「昔の勇者が言ってたっていう()()()()()()()ってやつかい?」

「あながち間違いではないな」


 そう言葉のキャッチボールを繰り広げながら、魔術の応酬が止まらない。


 足下で魔力が蠢く――コツ、とつま先で地面を蹴ることで発動間際の魔術が強制的に霧散。

 天からの落雷――足下に転がっていた小石を軽く蹴とばし、その小石に雷が引き寄せられ外れる。

 小銃の如く肉薄する炎弾――虚空に指を走らせ素早く丸を描き、その円に集められた炎弾がひとつになり術者へと投げ返す。


 主な攻撃は魔族のものだったが、涼しい顔でそれらをいなし、時に返してしまうスケアの実力は凄まじい。


 しかし、彼女はそれだけでなく死角から幾度となく迫るジャニスティスの猛攻も捌かなければならない。

 奇しくも、初めての体術稽古の時の構図と同じ。が、あの時とは対峙する者の練度が違う。

 だというのに、彼女は冷静に、流麗な体捌きで躱し、反撃までしてのける。


 左方から大波を彷彿とさせる砂が、雪崩の如くスケアに押し寄せた。


 スケアは横目で迫る砂の荒波を一瞥すると、ガバッ、と雲霞を振り払うように腕を振るう。たったそれだけの動作に凄まじい魔力がうねり、人一人簡単に飲み込めるような荒波は内側から弾けたように薙ぎ払われた。

 が、その時には次ぎが駆け寄っている。


「はあぁあぁっ!」


 弾丸のような勢いはそのまま、裂帛の気合いと共に、全身の筋肉が一際大きく膨張させたジャニスティスがスケアに拳を叩きこんだ。しかし、ジャニスティスの渾身の一撃を、スケアは正面から片手で受け止める。ガシッ、と拳を握りしめた腕は小揺るぎもしなかった。


「なんだ、それは……!」


 ジャニスティスの苦しげな声に、スケアの横顔をのぞき込む。

 そこには、先ほどまではなかった紋様が顔から首――恐らく、その先にかけて浮き上がっていた。以前、ユーステスが一度だけ目撃したものだが、今まで正面から受けようとしなかったスケアがそうしたカラクリは、きっとあれなのだろう。


 スケアはしたり顔で、


「己の手の内を容易く曝すほど、私は愚かではない」

「それもそうだ!」


 ジャニスティスは掴まれている腕を荒々しく振り払い、そのまま白兵戦を仕掛けた。

 拳を振るい、蹴りを繰り出し、息を吐く間もなく乱打を浴びせかける。スケアに一方的に嬲られていた姿はそこになく、一人の戦士としての姿が垣間見えていた。


 スケアはその攻撃を悉く、受け、流し、押し返した。背後にユリウスを庇ったまま、半歩たりとも下がらない。それどころか、少しずつ前に出て、嵐のような攻撃を続けるジャニスティスを、後ろへと追いやっていく。

 ジャニスティスの猛攻に晒されて逆に押し返しながらも、その表情には乱れはなかった。

 その鉄壁の防御は、崩すことはもちろん、揺らぐ気配すらない。しかし、ジャニスティスは攻撃の手を休めなかった。何か別に狙いがあるのか。


 そう考えた時、それを認めるようにジャニスティスは声を張り上げる。


「……メスト!」

「わかってますよっ!」


 呼びかけに応じた魔族――メストは、練り上げた魔力を操り、両掌をスケアへと向ける。


「これならどうだい! “吹き荒ぶ烈刃(シュテルンリッター)”!」


 突き出した掌から高密度に研ぎ澄まされた一陣の風が乱舞の如く放たれた。狙いは、ユリウス。


 ユリウスは慌てて魔力を循環させる。しかし、自分の魔術の腕では間に合わない。その事に焦りを感じつつも、なるべく平常心であるよう心掛けた。

 そんなユリウスの心情を知ってか、ジャニスティスと肉弾戦を繰り広げていたスケアが庇うように飛び出す。その際、すれ違いざま肩に手が触れられる。まるで、「問題ない」と言いたげに。


 スケアは眼前に防御用の結界を咄嗟に張る。ガツン、と硬質な激突音。耳障りな音に身が小さくなりそうなのを意識的に払いのけた。

 しかし、それで終わるほど甘くはない。魔術が結界を打つと、食い破ろうと結界を執拗に打ち据える。それも、ほとんど同じ場所を間断なく。狙いは十中八九結界の破壊だ。


 スケアほどの魔術師の構築した結界を簡単に破れるとは到底思えないが、それを見越したうえでの行動だとすれば、その意味は大きく変わってくる。

 スケアが目を細める。相手の魔術の術式に目を通すと、素早く結印。結界の強度をそのままに、その形状を変化させる。地面から垂直に伸びていたものが、鋭利なものに。

 一目で、その意図を理解した。正面から()()()のではなく、()()()()


 スケアの目論見通り、メストの発動した魔術は結界の形を伝い、そのまま延長線上にある家屋や物体を粉砕した。砂塵が巻き上げられ、木片が散乱する。


「ちぃっ……!」


 またもあっさりといなされたことに、忌々しそうに舌打ちするメスト。そんな彼の眼前に突如として火炎が吹き荒れた。炎は瞬く間に大通りを埋め、建物を焼き、辺り一帯が火の海に沈む。

 だが、彼もまた魔術師としては一流なのだろう。すぐに対応し、反射的に結界を構築して――慌てて三重にして張った。魔術の威力が、彼の予想以上に強かったのだ。


 眩い光と音。そして、圧倒的な、熱。ユリウスはスケアが囲うように張った結界に守られていたが、発生源が近いこともあってか、全身に打ち据える熱に煽られ、「くっ!?」と呻いた。灼熱は不思議と建物から建物へと燃え移らず、しかし初めに焼けた家屋のみが灰すらも残らず燃焼し、地面が融解を始めていた。


 炎に呑まれ、その姿を視認できなくなったメストだったが、遅れて炎の中心から暴風が吹き荒れた。ローブに焦げ目をつけ、しかし本人に傷を負った様子はなく、本人の周りの地面は熱で溶かされ、ぐつぐつと溶岩のようなものが噴き上がっており、短く詠唱した後、莫大の水流が滝のように流れ落ち、じゅわっ、と音を立てながら溶岩をまとめて押し流した。

 辛くも防ぎきることに成功したメストは、浮き上がった冷や汗をローブの袖で拭う。


「さっきからさぁ、無詠唱とか勘弁してほしいねえ!? 無詠唱でこの威力とかふざけんなよっ!」


 そうぼやくメスト。しかし、それに応える暇を、ジャニスティスが許さない。


「スアァッ――!」


 身を低くして接近していたジャニスティスの伸びるような拳。あわや直撃するかと思われた一撃を、スケアは首を傾けることで回避。その勢いのまま半歩踏み出す。上半身の体重を巧みに前へと落とし、頭上からジャニスティスの頬に拳を叩きつけた。クロスカウンター。


 元々の体勢が不安定だったこともあり、ジャニスティスも身体が地面に沈む。ズン、と重い衝撃は大地を粉砕し、叩きつけられたジャニスティスを中心に、放射状に亀裂を生じさせる。


「またひとつ減ったな」


 そう冷笑しながらスケアは、背後から迫る氷塊を跳ねるようなフットワークで躱し、一拍遅れてジャニスティスが距離を取った。


 仕切り直す形だが、現状スケアに流れが来ているように見えた。二対一という数的不利をものともしない卓越した戦闘能力で、少なくとも悲観するような状況ではないと思える。


 ――でも……。


「……先生。増援は?」


 ずっと気になっていた内容を、小声で問いかける。スケアはそれに泰然と、ただし、手早く応じた。


「望みは薄かろう。南区全体を囲うように人避けの結界が張ってある。加えて、人払いも既に済んでいるようだ」


 そう言って、先ほど魔術の餌食になった残骸を一瞥する。

 その行動に、ユリウスも納得した。


 確かに、もしこの場に人がいたのなら、これほどのことをして騒ぎにならないはずがない。が、人っ子一人姿を見せないのだから、彼女の言う通りなのだろう。


「冒険者が気づいて増援に来てくれる可能性は?」

「残念だが、低かろうよ。この街にいる冒険者は総じて腕が悪い。ヴェルグやギルドマスターならばまだしも、他の者らはそもそも人避けの結界の違和感すら感じられまい。それに、誰もこんな辺鄙な街に魔族が入り込んでいる、などととてもではないが考えまいよ」

「では、他の先生方は?」

「不可能ではないが、厳しかろう。メリーナには狼牙と合流するように言いつけてある。エルザにはユーステス達を保護するように命じてあるが、恐らくそちらでも戦闘が起きていようさ」


 会話の語調には、焦りや急ぐ様子はない。しかし、状況は初めから何も変わっていないことに悶々とした気持ちになる。


「逃げられますか?」

「不可能ではない。が、()()()()()()()

「実質不可能みたいなものじゃないですか」

「そう言うな。ジャニスティスだけならばどうとでもなる。問題は、あの魔術師よ」

「意識を奪えませんか?」

「ジャニスティスがそれを許すまい。それに、本人もあれで腕は確かだ。相応に修羅場はくぐっているらしい」


 それは見ていてよく感じられた。スケアの魔術を前にして、これだけ凌いでみせる彼の手腕は紛れもなく本物だ。

 それに、ジャニスティスとの連携が巧い。互いに深く言葉を交わさず、その上で相手の行うであろう手札を上手く生かし、また、不利な状況に陥ることを片方が阻む。普段から行っていなければ出来ないことだ。


「倒すしかない、ですか」

「そうさな。まあ、元よりそのつもりだが、逃げられる可能性が高いな」


 その声は、嫌に確信に満ちていた。彼女には、ユリウスに見えない彼らの狙いが見えているらしい。


「先生でも倒しきれないと?」

「ああ。手古摺るだろうよ」

「では、どうするんですか?」

「撤退まで誘導するさ。このまま追い詰めれば、奴らもそうせざるを得まい」


 確かに、現状彼らはスケアを打ち崩す術があるようには見えない。長々と続ければ、徒に体力と魔力を消耗し、手の内を無駄に晒すだけだということは、彼ら自身痛いほどわかっているはずだ。


 スケアはニヒルな冷笑を浮かべながら、相手の様子を窺う。

 先ほどまでの挟み撃ちの形は既に崩れており、彼らはこちらから視線を外さないまま小声で話し合っている。彼らも彼らで、作戦会議の真っ最中なのだ。


 スケアは彼らから視線を外さず、


「ユリウス。渡していた式符はまだ持っているな?」

「……ええ、ありますが」

「寄越せ」


 言われ、スケアの体で彼らの視界から隠しつつ、彼女の後ろ手に渡されていた札を渡す。


 しばらくの間、その手に待った式符に念じていたかと思うと、自身の足の真後ろを通るように、はらり、と落とした。

 次の瞬間、落とされた式符は、すう、と空間に溶けたように見えなくなる。


「作戦会議は終わったか?」


 仕込みが終わった頃合いで、スケアが声をかける。ジャニスティス達は一瞬体を強張らせ、身構えた。


「わざわざ終わるまで待っててくれたってことですかい?」

「応さ。貴様らでは私は殺せん。ならば、無駄な労力を邪魔する必要性を感じないのでな」

「うーわ、出たよ。そうやって格下を見下す奴。そういうのほんっと嫌い!」

「奴のペースに乗るな。あれも作戦だ」

「わかってても、腹が立つことに変わりはないんですよっ」

「そう駄々をこねるな。見下しているつもりはないさ。一の策がだめなら十の策を講じればよい。いつかは――いや、いずれかは通じるやもしれんな?」



 そう言って、冷笑を湛える。わかりやすく何をしても無駄だ、と挑発して彼らの思考を誘導しようとしている。

 だが、相手は他の種族にすら名が知れ渡っている猛将と、そのお抱えの魔術師だ。そんなわかりやすい挑発には乗ってこない。


 スケアは大仰に手を広げ、笑みを一層深くする。


「さあ、来るがよい」


 その言葉を合図に、メストが詠唱を開始。その隙を突かせまいと疾風と化したジャニスティスが一瞬で間を詰めた。

 スケアは手でユリウスに下がるように命じると、泰然と構え、肉薄する魔族を迎え撃つ。


 怒涛の猛攻。大気を裂く乱打を、スケアは最小限の動きで捌き続ける。合間に突き入れられるスケアの神速の貫手は鋭く、吸い込まれるように肉薄する。まさにジャニスティスの行動を完璧に読んでいるからこそできるいやらしい手腕。

 さしものジャニスティスも連打の手を止めざるを得ず、苦い顔で間一髪躱した彼の鼻先を掠める。このままでは拙いと距離を開け――転瞬、全身のバネを利用し、大地を砕く踏み込みに続き、砲弾のように拳を突き出す。


 そんな彼の鼻っ面にノーモーションで結界が飛ぶ。対処しようにも既に遅く、まともに浴びたジャニスティスは後方へと大きく弾き飛ばされた。


 そうして生まれた隙。そこに突如爆撃。耳を劈く轟音にユリウスは思わず耳を塞ぎ、そこにいたスケアは爆炎に呑まれた。

 しかし、呑まれる瞬間に見えたスケアは、まったく焦っていなかった。


「――散れっ――」


 炎の中からスケアの一喝が聞こえ、爆炎が突風に吹き飛ばされた。

 同時に、スケアは右足を素早く走らせた。爪先が、足下に複雑な呪紋を描く。それを目にしたメストは慌てて次ぎの手を打った。威力よりも、速度を意識した炎弾がスケアに襲い掛かる。しかし、それより一瞬早くスケアの姿がゆらりと揺らぎ、陽炎のようにかき消えた。


「どこにっ――!?」


 現れた場所は、先ほどスケアが結界で魔術を弾いた場所。足下に転がっていた木片を拾うと、それをメスト目掛けて投げつけた。


 メストは飛来する木片を打ち落とそうと詠唱を始め、すぐにその異変に気が付いた。


 スケアが投げつけた木片は、突如振動したかと思えば、薪が爆ぜるような音を立てて砕け散ったのだ。

 なにか魔術の失敗か、と思われたが、標的となったメストはすぐに気づいた。木片は砕けたのではなく、無数の鋭く鋭利な針になったのだ。

 直後、メストもキッと表情を引き締め、防御結界を展開。

 そこに、無数の針が矢衾となってメストを襲う。


 こればかりはメストの判断の速さが功を奏した。少しでも遅れれば、全身が風穴だらけになっていただろう。

 が、スケアの魔術はそれで終わりではなかった。


「っ――!!」


 その変化にいち早く気づいたのも、メストだ。

 防御結界に食い止められた針のうち、数本が突如歪に蠢き、蛇となって結界を食い破った。


「んなめちゃくちゃなっ!?」


 絶叫しながら、慌てて横っ跳ぶ。しかし、いくら戦場を経験してきたからとはいえ、メストは魔術師だ。

 この世界の魔術師は基本動かない。その為、前衛を務める者と比べると、その身体能力はやはり劣ってしまう。そんな彼は拙いながらも受け身を取るが、起き上がるまでがとても遅かった。


 そして、そこまでを読んでいたスケアは、そこにもうひとつ木片を投擲していた。木片は形状を鋭利なものに削られ、木製のナイフとなって肉薄する。

 そんなメストとナイフの間にひとつの人影が飛び込み、メストをその凶刃から守った。ジャニスティスだ。


「ぐっ……!」


 己の腕を盾にして部下を守る。ナイフが突き刺さった箇所から血が滴るが、気にした様子もなく、無造作に引き抜き、彼の常人離れした握力で砕かれた。傷は瞬く間に癒え、ジャニスティスの鋭く細められた眼光をまっすぐ見返した。


「身を呈して部下を守るか。見上げたものよ」

「彼は、まだ亡くすには惜しいのでね」

「クッ。なるほど。確かに、そ奴は腕のよい魔術師だ。私と死合い、未だ生きていることがその証拠だ。誇るとよい」

「へえへえ、そりゃどうも」


 スケアの挑発とも取れる賛辞を、メストは苦々しい顔でおざなりに返した。


「さて。次はどうする?」


 スケアはメストの反応に気にした様子もなく、淡々と問うた。

 ジャニスティス達は渋い顔になり、押し黙る。


 数瞬の沈黙。それを見届けたスケアは、つまらなそうに鼻を鳴らす。


「打つ手なしか? それも道理よ。寧ろ、よくもった方か。――では、終いとしようか」


 そう言って、スケアは全身から魔力を放出する。

 魔力の奔流に煽られ、彼女が来ているチマチョゴリや髪が大きく暴れまわる。少し距離を開けているはずなのに、立っていることもままならなくなるほどの暴風に、必死で食らいつく。


 その様は、まさしく魔王だった。凍てついた眼光が標的の総身を捉え、顔面に張り付けられた冷ややかな笑みが恐怖心を助長する。

 標的である二人も、無意識に一歩後退った。


 その時だった。不意にメストが耳に手を当て、


「――おせえっての! 待ち侘びたぜ!!」


 と、大きく声を上げ、杖の先端を叩きつけるように振り下ろした。


 突然の声と行動に、スケアは怪訝そうにメストを見据える。

 遅れて、何かに気づいたように周囲に視線をやった。


「これは……!」

「今更気づいても遅いんですよっと!」


 直後、彼を中心にて巨大な魔方陣が地面に浮かび上がった。淡い光を放つそれはとても巨大で、莫大な魔力があふれ出そうなほど膨れ上がっているのがわかる。そして、それが発動間際だということも、ユリウスはなんとなしにわかった。

 その魔方陣を見回すうちに、ユリウスは気が付いた。

 街の端の方から天に向けて伸びる光の存在。その数はひとつではない。建物の陰になっていてわかりにくいが、複数の――合計六つの光の柱。中には、街の外から伸びているものもあった。

 それぞれが等間隔で並び、また、その距離も今ユリウス達のいる場所からも同じだった。


 スケアもまた、一足早くその光の柱に気が付いた。そしてその光の意味するところも違えることなく認識していた。


「そうか、貴様ら……これの為に時間を稼いでいたな? はてさて、これほど大規模の術式となると、()()()()()()()一人ではできまい。なるほど、中継器……とはいえこの規模、相応に時間はかかる。となると――貴様が現れる前に、用意させていたわけか」

「ああ、そうさ! ずっとひやひやしっぱなしで嫌な汗が止まんねえよ!」

「やはり、貴様は食えぬ男よ」

「誉め言葉として受け取りますよっと」


 その言葉を合図に、ただでさえ莫大な魔力がさらに大きく膨れ上がる。

 それを視て拙いと思ったか、スケアが小さく詠唱を開始し――


 次の瞬間、ユリウスは為す術もなく光に呑まれた。

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