遅参
『一等鍛冶』を出てから西区への道を急ぐ。
相変わらず混沌とした惨状が視界に入り、あまり長居したい場所ではないと内心で毒づく。
幸い、今のところ想定していた問題は起こっていない。常に周囲への警戒を続け、近づいてくる気配はないかと密かに索敵を続ける。
時々気配が近づくことはあるが、南区の住人がふらふらとした覚束ない足取りですれ違うだけだった。
鼻の利く獣人姉弟の二人も警戒してくれているが、未だに彼らの警戒網に反応はない。その事に安堵する反面、なかなか現れない襲撃者に焦れてくる。
「なあ兄貴。西区まではあとどれくらいなんだ?」
「そうだな……はっきりとしたことは言えないけど、もうそんなに時間はかからないんじゃないか?」
「そうなのか。こんなところ早く抜けたいや」
「そうね。相変わらず、嫌な視線が消えないものね」
ユーステスの呟きにヘテナも同調して頷いた。
やはり彼らもスラムの環境には辟易しているようで渋面を浮かべている。
南区についてはディーネとロイドからは行くなと教えられていた。
その意図を理解していたユリウスは、今回の話がなければ事情がない限り近づくことはなかっただろう。
だが、聞けばスケア達は自分が同伴することが南区に来る条件だったという。
スケア達はきっと自分の境遇に気が付いていることだろう。
何かと彼らは自分のことを特別扱いしている節がある。
今はユーステス達と接するのと変わらないが、来たばかりのころにさりげなく探りを入れてきたのだ。恥ずかしながら、ユリウスはその探りに一度乗ってしまっていた。
もちろん全てを把握しているわけではないだろうが、それでも彼女の抱いていた疑惑に確証を与えてしまったと思われる。
しかしそれ以上踏み込まれることはなく、正面から確認されることもなかった。どうやら、彼女は見守る姿勢をとっているようだ。
仮定の話にすぎないが、暴いてしまえば彼女にとっても都合が悪い事なのだろうと推測している。
なんにせよ、少なからず信頼されていることはわかっている。
その信頼に応えなければ、と強い使命感のようなものを抱き目的地までの道を注意深く進む。
「――あれは……?」
ふと前方に小さな立て看板が見えた。その先を目で追っていくとまばらにだが獣人の姿が目に入った。
おそらく、あれが西区との境界線だろう。
「見えてきた!」
「やっとここから出られるのか!」
「ちょっとホッとしました」
「まだ安心するには早いぞ、みんな」
喜びをあらわにする子供達を戒めるように告げる。
まだ視界に入っただけで辿り着いてはいない。それに、西区に入ったとしても安全だという保証はない。
それこそ、自分達を鍛えているあの超人達に合流するまでは気を抜けなかった。
「……?」
不意に奇妙な現象が生じる。
――人がいない。
いつの間にか周囲から人の気配が感じられなくなっていた。
道の端、視界の悪い裏路地、雨風を凌ぐだけしか機能しないおんぼろの家屋。どこからも生活音がしない。まるで、この世界に自分達だけしかいないと錯覚しそうだった。
「あ、兄貴!」
「ユリウス様!」
自分を慕う姉弟から同時に声が上がる。
彼らの視線はすぐそばの裏路地に向いていた。見ると、目深にフードを被った人影がそこに立っていた。
その男はおもむろにフードを脱ぐと、異種族の顔が外気に晒される。
見覚えのある魔族だった。
魔族は何をするでもなく、ただじっとこちらのことを観察している。その視線の先は、やはりシュノンだ。
「みんな、いつでも逃げられるようにしてるんだ」
「お、おう!」
「わかりました!」
「う、うん」
相手に悟られないよう小さな声で彼らに指示する。
それぞれの反応を聞き、ユリウスもゆっくりと呼吸を整える。
男はしばらくシュノンを睨んでいたかと思うと、不意にユリウスに視線を向けた。
「先ほど会ったな、少年少女」
「ええ。先ほどぶりです。私はユリウスと申します」
挨拶を返すと、男は少し驚く素振りを見せた。
「驚いたな。君は私が怖くはないのか?」
「確かに、少し恐ろしくはあります。ですが、それは種族に対するものではなく、これから起きるかもしれない出来事に対するものです」
「なるほど。それは確かに道理だ。君はとても賢いらしい」
「お褒めいただき光栄です」
ユリウスは警戒を緩めず、常に相手の隙を窺いながら対話に応じる。
「見たところ、君たちは成人していないようだが」
「そうですね。まだ十とそれを過ぎたばかりですから」
「なんと……それほど若いのにこうもしっかりとした子供が育つとは、よほど教育熱心なご両親なのだろうな」
「ええ、それはもう。彼らに対しても教育を施そうとしてくれますから」
そう言って、ユリウスはチラと背後の獣人を示す。それを追い、魔族の視線も一度彼らへ向いた。
そして、ほう、と感嘆の吐息を漏らすと、
「彼らのような異種族に対しても教育を? 人間にもまだできた人物はいるのだな」
と称賛の言葉をこぼした。
自分の両親が褒められることに誇らしい気持ちになりながら、どうにかしてこの場から逃走する手段を模索していく。
先ほどから男に隙はない。自分達を子供と侮らず、一人の大人と対峙するように誠実に応じている。
それだけで彼が優れた人柄であることがわかるが、裏を返せばユリウス達を逃がさないように徹底していることに他ならない。
このまま言葉を交わしていてもきっと隙はできないだろう。
しかし、会話を続けていても、やはり人が通る気配はなかった。
タイミングを考えてもおそらく、彼が何か手を施したのだろうと推測する。
それだけで、彼は優れた魔術師なのだろうと察せられた。
――まずいな。
どのような魔術でそれを行ったのか定かではないが、少なくとも自分達はその魔術を教わっていない。即ち、現状の把握が正確にできないことになる。
推測で現状を判断するしかなく、それがどれほど困難なことなのかと鬱屈とした気持ちになった。
「それよりも本題にしましょう。何か御用でしょうか?」
静かに呼吸を整え、ユリウスは敵の目的を問う。
魔族はしばらく黙してユリウスを見つめ、ほどなくして口を開いた。
「そうだな……。君はどう考えているんだ?」
「目撃者の始末、といったところでしょうか?」
魔族から視線を逸らさず、予想していた答えを口にする。
果たして魔族は静かに目を伏せると、認めるように頷いた。
「その通りだ。我々魔族と、君たち人間との関係を考えれば当然だな」
魔族の厳かな声に、わかっていても、苦々しい面持ちになる。
「子供を殺すことに躊躇いはあるが、計画の完遂のためには必要な犠牲だ」
「コラテラルダメージ、ということか」
「こら……? ともかく、ここで死んでもらう。好きに恨んでもらっても構わない」
魔族は宣言すると、わずかに呼吸を変える。拳を硬く握りしめ、剃刀よりも鋭くなった眼差しを見て、彼がどの程度の実力者であるのかを漠然と定める。
間違いなく、彼は猛者だ。少なくとも、並みの冒険者と比べると、彼らでは手も足も出ないだろう。
スケアでさえ、そう簡単に打ち崩せる相手ではないと思われる。
あくまでそれは先日の模擬戦と比較しての判断だ。
彼女の本気というものをイマイチ把握しきれていないからこそ確かな事は言えないが、それでもユーステス達ではかなり厳しい相手であることは間違いない。
「二人とも、よく聞くんだ」
声を潜め、対峙する魔族に悟られぬよう唇も極力動かさずに声をかける。
「合図をしたら、まっすぐ西区まで走るんだ」
「ユリウス様はどうされるのですか?」
「みんなが逃げる時間を稼ぐ」
「兄貴が戦うなら、俺も戦うぜ!」
そう言ってもらえることは嬉しいが、今は状況が悪い。
「ダメだ。シュノンを連れて逃げなさい」
「でも!」
「逃げなさい! 今は一人でも逃げて、師匠達に知らせることが第一だ!」
シュノンは自衛手段を持たないのだ。彼女を狙われれば、ただでさえ低い生存率がより絶望的になってしまう。
誰かを守りながら戦うのは困難なことだ。それを嫌というほどわかっているからこそ、ユリウスも彼らを叱りつける。
それにおぼろげながらに理解していたものの、まだ幼い彼の感情が許さない。
それに家族を失った経験を持つからこそ、殿を引き受けようとしているユリウスを失いたくない。
なおも愚図るユーステスだったが、
「ここはユリウス様に任せましょう」
「ねーちゃん!?」
いつもならユーステスと同じように一緒に戦おうとしていただろう。本当はユリウスに殿を任せたくない。しかし、状況の悪さも理解していたヘテナは、ユリウスの指示に従った。
その事に微笑ましく思うも、ユリウスは男に対し構える。
生憎得物は持っていない。己の身ひとつで人間よりも頑強な魔族と相手どらなければならないことに、鬱屈となる。
「私と戦うつもりか」
「ええ。嗜む程度ではありますが、心得はあるので」
そう、力強く不敵に笑って見せる。
その姿を見て、魔族は表情をほころばせる。
「君は戦士だな」
「もったいないお言葉です」
勝てるかどうかはわからない。はっきり言って、よほどのことがない限りはユリウスが勝てるとは思えなかった。
それでも、友人を逃がすために囮になろうという姿はとてもまぶしく見えた。
互いに互いを意識する。グッと表情を引き締め、相手の隙を窺う。
「行けッ!!」
合図と同時、ユリウスは魔族に挑みかかる。
「シュノン、こっち!」
「ユリウスは……?」
「いいから、早く!」
背後の声が遠のくのを背中で感じつつ、ユリウスは指先から“衝撃”の魔術を放つ。
「グッ!?」
その威力は低く、しかし無詠唱で放たれた攻撃魔術は魔族の顔を打ち据え、小さくのけぞった。
それによって生じた隙に距離を詰め、取り押さえるべくその腕を取りに行く。
が――
「ぬうん!」
のけぞった姿勢のまま、その僅かな動作を利用して力を溜めた魔族が、拳を振りぬいた。
急制動。そして、慌てて横っ跳ぶ。
風を切る鈍い音が耳の傍で鳴り、その風圧にひやりとする。
受け身を取ってすぐ立ち上がるも息を吐く間もなく追撃が来る。
コンパクトな連撃。しかもその全てが必殺。一度でも受けてしまえば、その時点で敗北は必至だ。
「くっ……!」
苦虫を噛み潰したような顔になりながら、しかし冷静にその猛攻を捌いていく。拳撃に次ぎ、下段を狙ったローキック。辛くも跳び退り、その時にはもう魔族の姿はそこにはなかった。
ちり、とうなじに電流が走る感覚。その意味するところを察知し、即座にその場で伏せた瞬間、先ほどまで上体のあった場所を何かが通り抜けた。
すぐにそれが魔族の蹴り足だと理解した。
同時に、目の前の魔族に対して畏怖の念を抱いた。
――なんだ、今の威力は……!?
魔族の蹴撃によって生じた風圧に思わずそう内心で毒づく。
まともに受ければ、今の一撃だけで体が泣き別れになっていたかもしれないという確信めいた何かを感じ、身が竦みそうになる。
だが、止まってはいられない。ここで動きを止めてしまえば、それこそおしまいだ。そう己を叱咤し、次の行動に移す。
ユリウスは伏せたままの姿勢から背後に向けて体当たりを敢行する。
魔族はまだ足を戻せておらず、必然的に片足立ちの姿勢だった。ユリウスはその足めがけて突進する。
直後、巨大な大木を錯覚した。全身でぶつかったはずなのに、びくともしない。
――なんて体幹だ!?
思わぬ硬さに冷や汗が止まらない。
ユリウスはまだ子供とはいえ同年代と比べても重い方だろう。筋肉量が段違いだからだ。
それでもまだ体は成熟していない子供。相手は人間よりも身体能力の高い魔族。ましてや、その軍人だ。並みの魔族よりも肉体を鍛え、技を錬磨し、数多の死線を生き抜いてきた兵士なのだ。
その肉体の完成度を少々甘く見ていたらしい。
その事を反省しつつ、しかしアドバンテージはこちらにある。
今、ユリウスは男の足と密着した状況だ。つまり、いつでも関節技へと移行できるということ。
魔族の背――背面上部のマントに手を伸ばす。そして、空いた手を魔族の鎧に伸ばし、足を魔族の足裏に置くと、全体重を背後に倒した。
「ぬうっ!」
魔族の体勢が崩れ、背中から倒れこむ。
いくら肉体を鍛え、体幹が整った者であろうと、片足立ちであればいくらでも転倒させる方法はある。
スケアにすら警戒させたユリウスだ。少しでも隙を見つければこうして体格差のある相手でも投げ飛ばしてみせる。
が、当然ながらこれで終わるわけがない。
魔族は受け身を取る。勢いを利用し、転がるようにして起き上がる。
そこまでがユリウスの狙いだった。
流れる動作でうつ伏せになり、手を銃の形にして正面に向ける。
イメージするのは、黒光りした殺人の道具。その威力、手に馴染ませた反動すらをも想起して魔力を練り上げる。
魔族がこれから行うであろう動作を予測し、狙いを定め――
「衝撃」
轟音が轟く。反動で腕が跳ね上がり、しかし狙い過たず顔を上げた魔族の左目に不可視の弾丸が命中する。
「グアッ!?」
苦悶の声を上げる魔族。左目からとめどなく赤い体液が噴き出したのを見るに、どうやら目を潰すことができたらしい。
スケアに魔術を教わり、以前よりも魔術が扱いやすくなった。
彼女の教えは厳しく、とても丁寧なため、無能と蔑まれる魔術適正が無色のユリウスでも魔術の行使速度が格段に速くなった。魔力の循環もその廻る速度が増していた。
それでも、教えを受けてまだ数週間しか経っていないのだ。
どれだけ優秀な魔術師でも、基礎もろくにできていない素人を一流の魔術師にするのに何年もかかる。
ユリウスがこの数週間で使えるようになった魔術は十。そのうち、無詠唱で使える魔術はふたつだけ。
もちろん、ふたつだけであっても無詠唱で魔術が使えるのは称賛されるべきものだ。ユリウスもディーネの目の前で無詠唱で魔術を行使したときは泣いて喜ばれたものだ。
だが、実戦でダメージを与えられるものは先ほどから使っている"衝撃"しかない。
可能なら、スケアが放ったほどの威力で使いたかった。きっと、魔力の循環が足りないのだろう。
ユリウスはないものねだりをするつもりはなかった。
できないのなら、そう想定して戦術を組み立てていけばいい。
そう思考し、隙のない所作で立ち上がる。
魔族は少しだけ呻いていたが、すぐに復活し、彼もまた隙のない所作で立ち上がる。
その眼には憎悪の念はなかった。炯炯とした眼光でまっすぐにユリウスを見据える。
「やるな、少年。まさか、無詠唱で魔術を使うとは……」
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、所詮は無属性、それも初級魔術――」
「そう己を卑下することはない。喩え初級魔術とはいえ、無詠唱で魔術を行使できるものは魔族にも少ない。加えて、体術も心得があるようだ」
彼はそう言い、口端を微かに持ち上げた。
「よもや君のような年若い少年が、と思うと末恐ろしく思うよ。もし君が大きくなって、我々との戦争に出てくることを考えると、一層厳しい戦いとなるだろう」
過分な評価だと思う。それ以上に嬉しくも思う。
魔族はしばらく黙考する。対し、ユリウスは仕掛けない。
隙がないというのももちろんだが、それだけが理由ではない。
この戦い。ユリウスから仕掛ける必要はなかった。時間を稼ぐだけでいいのだ。
先ほど逃がした子供達。彼らがきっと家まで逃げ切り、スケア達を寄越してくれると信じている。
時間を稼ぐ、と一言で言っても、それがどれほど困難なことなのかは嫌というほど理解している。
だが、やらなければならない。やりきらなければ、待っているのは、己の死だ。
ふと、あることに気づいた。
――血が止まってる……!
先ほど放った二発目の"衝撃"は間違いなく彼の左目を破壊した。出血量からもそれは間違いない。
だが、いつの間にかその傷は完全に癒えており、べっとりと付着した血液が名残として残っているだけだ。
――どうなってる?
考えられるとすれば、彼がいつの間にか治癒魔術で癒したか、ポーションを使ったか。
傷や欠損した体の部位を癒やす方法は、治癒魔術とポーションを使うと習った。流石にそれを実演してもらうことはできなかったが、元冒険者である両親も認めたことから間違いない。
しかし、彼がポーションを使ったところを目にしていない。そうなると、残る可能性として、治癒魔術を使ったというところだが、恐らくそれもないと思われる。
なぜなら、彼が魔術を行使する姿を目にしていないからだ。
目に見えないほど早く魔術を使った可能性もなくはないが、彼は詠唱すら口にしていない。
生憎、治癒魔術の詠唱は知らない為、確かなことは言えない。それでも、基本的に魔術師は魔術を使うときには詠唱をするという。そうでなくとも、詠唱を省略して、発動したい魔術の名前を口にするとスケアから聞いた。
考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。
ユリウスは殊更に知識がないというわけではない。
もちろん、並みの魔術師に比べれば拙く、知識も足りないが、スケアからは筋がいいと言われるだけの実力はあり、吸収も早い方だった。
しかし、徹底的に魔術戦の経験が足りない。本格的に教わって間もないため、こればかりは仕方のない事だった。
しばらく黙考していた魔族が、キッと鋭い眼差しになる。
「我が名はジャニスティス! 最強の魔王、不死魔王の系譜なり!」
魔族――ジャニスティスは高らかに名乗りを上げる。
それはユリウスを戦士として認め、全力で相手をするという意思表示に他ならない。
ユリウスはその名乗りに圧倒される。知識としては知っていたが、目にするのは初めてだった。
しかし、宣言された以上、自分もそれに応えなければ、対峙する相手を軽んじることになる。
それだけは本意ではない。
束の間の逡巡。意を決し、彼の行動を倣って戦士の礼を取る。
「我が名はユリウス! 元冒険者ロイド、ディーネが一子なり!」
名乗りを終えると、称えるようにジャニスティスが笑う。
そして、二人は再び激突する。
戦闘は熾烈を極めた。
なんといっても、ジャニスティスが強過ぎる。
普段からスケア達と模擬戦を繰り広げているが、あくまで手を抜いてのものだ。だが、それでも今なお戦闘が続いているのはその模擬戦あってのものだろう。
耳元で風が唸る。受け流す一撃は流しきることが難しく、その度に体にダメージが残る。完全に流せないのならば、と最小限に抑えるように努める。
速度は目で追うことができない。動いたと思えば姿を見失い、視界の端で影が動いたと理解した瞬間にはもう攻撃が迫っている。毎度済んでのところで防げているのは、きっと同じく敏捷性が高いメリーナが相手をしてくれていたからだろう。
今この場にいない師匠達に感謝の念を抱きつつ、ユリウスは果敢に挑んでいった。
いったいどれほど戦っているだろうか。
時間間隔の狂ったユリウスに正確な時間はわからないが、少なくとも二十分以上は戦い続けているだろうか。
並みの大人よりも体力があるとはいえ、ただ走りこむ時と戦闘時ではその疲労度合いはかなり違う。
常に隣に死の気配を感じながら戦うというのは心労が凄まじい。しかも、相手が自分よりも強者であるということも精神的にくるものがあった。
それによる要因が積もりに積もり、遂にユリウスも限界が見えてきた。
途中で何度も逃走を考えた。しかし、そんな隙を与えてくれるほど相手はユリウスを舐めていない。
「ハアーッ、ハアーッ……!」
壊れたように息をする。滝のように流れる滂沱の汗。視界が霞む。防御する腕は痺れるを通り越して感覚がなくなってきている。
これまで、かなり慎重に、時に大胆に動いた。培ってきた足運びと体捌きを駆使し、自身に有利な状況に転がるように尽力した。スケアとの模擬戦のように、隙を見ては関節を取りに行き、投げに移ろうとした。
それでも終始防戦を強いられていた。
「これほど長い間私と戦い続けた人間を私は知らない。やはり君は立派な戦士だ」
ジャニスティスは凄絶な笑みを浮かべて宣う。
それに応える余裕はない。何か言葉を返そうとしても言葉にならず、苦し気にせき込むことしかできなかった。
その様子を一瞥すると、
「だが、それももう終わりだ。君はよく粘った」
言うと、ジャニスティスは全身に力を籠める。
ひゅっ、と小さく息を吐くと、それだけで彼の雰囲気が一変する。
全身にのしかかる威圧感。一般人なら向けられるだけで死を連想するそれに、奥歯が砕けそうなほど食いしばってこらえる。
なんとかこらえられているのは、先日のスケアとの模擬戦でスケアに向けられた殺気が原因だった。あの時ほど生きた心地がしなかったことはない。
心臓を直接握りつぶされたような全身を蝕む倦怠感と不快感は、ユリウスをして生きることを手放しかけた。
しかし、あれがまだ加減されたものであることを知らない。
「眠れ。恨んでくれて構わない」
グッと全身を僅かに捻り、次の瞬間、地面を粉砕する勢いで肉薄する。
明らかに人知を超えた現象に目を瞠る。
それもほんの一瞬。すぐに応じようと腕を上げるが――
――腕が、上がらない……っ!
そこまで思い、眼前にはもう既に腕を振りかぶっている彼の姿が映り、喩え腕が動いたとしても間に合わないと嫌でも分かった。
「覚悟!」
「――貴様がな」
不意に聞こえた声。刹那、二人の間に割り込む影。遅れて、ジャニスティスの姿が掻き消える。
何が起きたのか、詳しいことはわからない。
残念ながら、ユリウスの目では何も見えなかった。だが、眼前に立つ見覚えのある後ろ姿と、西区の境界線付近に生じている砂煙でおおよそのところは察せられた。
簪で止めきれなかった金の髪がたなびく。
僅かの残心の後、構えを解いたスケアは肩越しにユリウスに振り返り、
「すまんな、遅参した」
申し訳なさそうに見えない顔でそう言った。