武器屋
「ガキがこんなところに何の用だ!!」
「ひうっ」
武器屋に入って迎えられたのは、男の野太い怒号だった。まるで雷が落ちたかのような爆音に、シュノンは身を竦ませ、ヘテナは耳を押さえてうずくまってしまい、ユーステスは驚きながらも勇敢に立ち向かおうと身構えた。
武器屋の中はとても煩雑としており、目に入る場所の至る所に様々な武器が所狭しと並べられている。そして、様々な剣が置かれた場所に小柄な人物が立っていきり立っていた。
ユリウスも少し驚いたらしく目を丸くしていたが、すぐに回復して言葉を紡いだ。
「失礼。自分はユリウスといいます。東区に住む者です」
「あぁん? それがどうした」
「実は、我々の師の一人からここのお話を耳にしていたので、一度目にしてみたいと思い伺わせていただきました」
「師だぁ? 誰だいったいっ?」
「狼牙、と呼ばれている方です」
ロウガぁ? と一度訝しげに唸る。すると、途端に破顔して、ウワハハハ、と地鳴りかと思うほどに大きな笑い声で笑い出した。
「な、なんだぁ……?」
「突然笑い出した……? これが前にロウガおじさんが言っていた、情緒不安定って言うのかな。……ヘテナ、大丈夫?」
「は、はい。大丈夫。ありがとう」
「狼牙先生、なんてことを教えてるんだ」
突然笑い出した男に各々が戸惑い気味に身を立て直す。その時に一度聞いた言葉を口にすると、ユリウスが呆れたようにボソッと嘯いた。
今一度男の姿を見直す。
男はこれまで見てきた中で最も背が低い。ずんぐりとした体形で、腕が丸太と見紛いそうなほどに太く、顔が髭で毛むくじゃら。ちょっと今までに見たことがないくらいに毛深くて、正直先ほどとは違う意味で戸惑っている。
「おひげがむがもが……」
「シュノン。それは言っちゃだめだと思うわ」
思わず口に出たところをヘテナに口をふさがれ、静かに諫められたが、どうやら男に気づかれた様子はなく、一頻り笑い終えた男は上機嫌に近づいてきた。
「いやあ、怒鳴っちまって悪かったな。たまに武器を盗みに来るガキがいてな」
「スラムですから、それなりに注意は必要ですね」
「まあな。うちのもんでガキにケガでもされちゃたまったもんじゃないからな」
「確かに。子供は危険な物とそうでない物の区別はつかないですし、たとえ用心してても、用心が足りなくて本人や周りがケガをしますから。それを思うと、怒鳴られるのも仕方がないと思います」
「坊主、お前わかってんな~! 年の割に大人びてるし、ロウガやスケアに聞いた通りのガキだな」
うんうんと何かに納得して頷き始め、ユリウス達はどのような話を聞いているのだろうと思った。
「っといけねえ。挨拶がまだだったな! 俺はセス。見ての通り、しがないドワーフの武器屋だ」
「改めまして、ユリウスです。こっちが……」
「あぁ、良い良い。全員聞いてるぜ。お前がユーステスか。それで、そっちのフードを被った嬢ちゃんがヘテナだな? で、お前がシュノンだったか」
ユリウスは改めて自己紹介をし、続けて皆を紹介しようとすると、セスは必要ないとそれぞれの名前を確認するようにそれぞれを指差して名前を告げる。
「全員をご存知なのですね。それも、先生から?」
「おうよ! まぁ、酒場での会話だからな。あってるかちょいと心配だったが、問題ないようだな」
「人に指を刺したらいけないんだぞ! エルザねーちゃんが言ってた!」
「おぉっと、こいつは悪かった! 聞いてたよりしっかりしてんだなぁ!」
恐らく、スケア達はユーステスのことを少し間の抜けた少年とでも伝えていたのだろう。
確かに普段は間の抜けた性格をしているため、そのように説明されても仕方がないのだろう。
「それにしても、よく子供だけでここまでこれたな? 言っちゃなんだが、治安は最悪だからな?」
「嫌な視線はいっぱい感じた」
「だろう? 世界にはここより治安の悪い場所もあるらしいが――まあいいや。なんか飲むか? 奴らの面倒見てる子供なら追い出すわけにはいかねえからな」
「では、お言葉に甘えます」
そう言うと、セスは店の奥に引っ込んでいった。きっと、そちらに飲み物などを置いてあるのだろう。
待つ間、各々が思うように店の中を見て回る。
店の中には剣を始めとした、槍、杖、戦斧、大剣といった武器や、盾や鎧といった防具も所狭しと並べられていた。
ユーステスはその中でも、大剣や戦斧といった武骨な武器を好んで見ている。狼牙にも大剣の扱いを教わっていることからも必然の流れだろう。
彼の憧れる冒険者も、こういった武骨な武器を扱っているのを鑑みるに、おそらくロマンのある武器が好きなのだろう。
ヘテナは剣や軽鎧といった身軽なものを見ているようだ。
彼女のスタイルはユリウスと同じで、手数で攻める事を主にしているため、妥当なチョイスだと言えた。
その中でも、シュノンは少々手持ち無沙汰にしていた。
彼女は面々の中で唯一戦闘手段を持たない一般人だ。そんな彼女には武器屋は見ていても楽しくないだろう。
その事に少し申し訳なさを抱きつつ、数ある武器の中からユリウスはナイフが並べられている場所を見て歩く。反りの入ったものや、刺突を目的とした刃先の鋭いものなどを見て回り、その出来の良さに、ほう、と思わず声が漏れた。
はっきりと言って、店内に置かれているものはどれも最高級と言っても過言ではない品質だった。あまり他地区の武器屋を覗く機会がない為比較対象がないのだが、すれ違う冒険者の持つものとは明らかに違う。
まるで、その刃に魂が宿ったような強い存在感だ。
「これは、いい出来だ」
「コイツの良さがわかるたぁ、いい目をしてるな!」
ぽつりと呟いた声に弾んだ声が返ってくる。
どうやら戻ってきていたらしいセスが飲み物の注がれた木製のカップを乗せたお盆を手に、溌溂とした笑顔で傍らに立っていた。
「他の武器は見たことがないのではっきりしたことは言えませんが、他の武器にはない……念。いや、武器の意思とでも言えばいいでしょうか。目に見えない、でも、確かに感じるものがあります」
「ほお……若ェのに大したもんだ。お前、将来立派な男になるぜ。俺が保証してやる」
保証されたところでどうなるわけではないが、そう言ってもらえることはありがたい。その為、素直にお礼を言っておいた。
すると、丹精込めて作った武器を褒められて気をよくしたのか、上機嫌なまま口を開いた。
「なら、お前が気に入ったやつはあるか? なんだったら、好きなものをやるぜ?」
「ありがたい申し出ですが、お断りします。どれも逸品であることは確かですが、どうやらここにある武器達には振り向いてもらえそうにありませんから」
「そうか。やっぱお前は見る目があるな。うちの奴らはお前の言う通り、お前さんに使われようと思っちゃいねえ。だが、お前のことを認めてはいるみてェだな。全員が言ってやがる。”自分よりもうってつけの奴がいる”ってよ」
「そうですか。では、その武器と出会う日を心待ちにしていますよ」
少し他人行儀に聞こえたかもしれないが、本心からの言葉だ。
この世界はとても危険な場所だ。ロイドやスケア達から戦闘の心得を皆学んでいることから、また、ユーステス達本人も体験していることから自衛の重要性を正しく理解していることだろう。
そうなると、必然武器を手にする必要が出てくる。そうでなくとも、冒険者や魔物、魔獣といったものが存在するのだ。取らざるを得ないだろう。
それを本人達はわかっているのやらいないのやら、曖昧な表情でユリウスたちの会話を眺めていた。
「おっといけねえ! ほれ、ミルクぐらいしかないが、適当にくつろいで行ってくれ」
「ありがとうございます。いただきます」
「ほら、お前らもだ!」
「おう!」
「ユース、お礼を言いなさい!」
「そうだった! ありがとう!」
注意され、お礼を言うユーステスに眩しいものを見るような眼差しで眺めるセスにユリウスは訝しむ。が、踏み込むのもいけないと自制し、カップになみなみと注がれているミルクを口に含むのだった。
それからしばらくが経った。
話していて思ったが、セスは気のいい男だ。何度か失礼ではないかと感じてしまうユーステスの態度や、黙して座ったままのシュノンにも気を悪くした様子はなく、豪快な笑い声でこちらの心配を吹き飛ばしてくれた。
そのおかげか、ユーステスはすっかり懐き、一緒になって笑い合っている。
その境遇からあまり人に懐かない少年がこうも簡単に気を許してしまうのを見ると、少し微笑ましく感じた。それだけ、彼が親しみやすいという証明か。
とはいえ、彼からは面白い話を聞くことができた。
例えば、
「えっ、スケア先生に飲み比べで負けた?」
「おうよ! いやあ、あれには驚かされたもんだ」
本来、ドワーフは人間よりも力が強く、そして手先が器用な種族だ。その為、生産職になることが多い。
そして、同時に酒豪な種族でもある。
彼らはとにかく酒が好きで、個人差はあるが、酒にも強い種族として知られる。
セスもその例に漏れず、他のドワーフよりも強いらしい。
そんな彼が、スケアと飲み比べて負けたとは到底信じられなかった。
「いったい、どれだけお飲みになったんですか?」
ちょっとした好奇心か、ヘテナが問いかけた。
セスは伸び放題の髭を指で弄びながら、思い出すように呻いた。
「あ~いくつだったっけな。……そうだそうだ思い出した! 俺が樽を百個空にして限界になっちまったんだがな」
――ちょっと桁がおかしいがスルーしよう。
心の中でそのように決意し、セスの次の言葉を待つ。
「確かその時にゃあいつは数を覚えてないって言いやがってな? そのあと意識がしっかりしてるやつで数えたんだ。そしたらびっくりするぜ! あの女、樽を二百八十も空けてやがった!」
「は?」
「へ?」
「はい?」
聞こえてきた言葉に思わず間抜けな声が出てしまう。それはユリウスだけでなく、ヘテナとユーステスからも漏れていた。
唯一反応のなかったシュノンはどうやら上手く理解が及んでいないらしく、こてん、と首をかしげていた。
その可愛らしい仕草にセスがわずかに微笑み、どう言えばわかりやすいかと思案する。周囲に視線を向けて、武器が乱雑に差し込まれた樽を見つけると、
「娘っ子。お前さんはこの樽いっぱいに水が入ってたら、どれだけ飲めそうだ?」
そう言って、樽を指さした。
その樽はユリウスの胸の高さまであり、そこに満杯まで水を注いだとなると、よほど喉が渇いていてもすべては飲み干せないだろう。
果たしてシュノンはその樽を目にして、小さく唸る。
「うん? うーん……多分そんなに飲めない」
「だろう。スケアはな、それと同じぐらいの樽いっぱいに酒が入ったものを、二百以上飲み干しちまったんだ! っていえば、伝わるか?」
「……なんとなく、スケア様はすごいことはわかった」
「ブワハハハ! ああそれでいい! 二百なんて言われても想像しにくいわな!」
曖昧な表情で頷いたシュノンを見て、再び大きく笑った。
ただ、やはりその量はいろいろとおかしい。
つまり、スケアは樽を約三百も空けておきながら、帰ってきてからユーステスが隠しておいた夕飯も平らげてしまったことになる。彼女の胃袋はいったいどうなっているのか。
うちには大食漢は多い。ユリウスはもちろん、ユーステスとヘテナも相当な量を食べる。
それはそれだけ厳しい稽古をしているからだが、もちろん限界は存在する。話を聞いていると、彼女にはそんなものはないのだと錯覚してしまいそうだった。
そんなスケアの底なしの胃袋の話や、武器を作る鍛冶師ならではの面白い話を聞くことができた。
そんな時だ。
――ん?
不意に妙な気配を感じ、ユリウスは目を細める。その気配にはユーステス達も気づいたらしく、耳をピクリと動かし、その気配のする方へと視線を向けた。
気配がしたのは入口からだった。お客さんでも来たのだろうか。
そう思い、ユーステス達にフードを被らせるべきかと逡巡する。
喩えこの武器屋の主人がドワーフであろうと、この街は人間の街だ。人間が幅を利かせている以上、異種族である彼らはとても居心地が悪くなる事だろう。
しかし、ユリウスの勘は手遅れだと訴えかけていた。
その勘は正しく、ギイ、と音を立てて一人の男が入ってきた。
男は長身だ。丁寧に刈り上げた短髪に、鷹のように鋭い眼差しが自分に向けられる。
だが、特徴的なのは彼の外見である。彼は顏を除いた全身を黒を基調とした鎧で身を包んでおり、その上から隠すようにマントを覆っていた。そして、彼の肌は紫がかった色をしていた。黒人や白人と同じく種族特有のもの。
――魔族……?
実際に目にするのは初めてだ。ロイドやディーネから耳にしたことのある特徴からそのように断じただけだ。だが、間違いであるとはどうしても思えなかった。
なぜ彼らがこんな人間の住む街にいるのだろうか。
諜報活動だろうか。彼ら魔族と人間は何年も争っていると聞く。
しかし、国境付近や主要な国家に潜んでいるのならまだしも、ルーミラは辺境にあるだけの街だ。高名な冒険者がいるわけではなく、また、武勇に優れた貴族がいるわけでもない。
――判断材料が少ない……。
今は確かにヴェルグがいる。
しかし、彼はルーミラに腰を落ち着けているわけではなく、世界中を旅している文字通りの冒険者なのだ。
他に名のある冒険者の話を聞いたことはない。
ユリウスがそのように静かに相手の様子を窺っている間に、店の主であるセスは少し緊張しながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「こいつは珍しいお客さんだ。こんな辺鄙なところにようこそ」
少し茶化すようにして相手の出方を窺うセス。
その間にユリウスも気づかれないように体勢を整える。
男は一度室内にいる一人一人に視線をやってから、改めてセスに視線を戻す。
「なぜ子供がいる?」
「鍛冶に興味があるってんで見せてたんだ。それで、何の用だい?」
酷くあっさりとした説明だったが、彼なりに自分に意識を向けさせようとしたのだと察せられた。
男はその説明を聞いてもなおこちらに意識を外さない。
どころか、先ほどよりも強く意識しているように感じられた。
そして、ある一点に視線を止めると、その温度がぐっと下がった。
「何の用だい。冷やかしなら帰んな!」
少し苛立ちも交えて告げると、男もようやくセスに応じ始めた。
「すまない。少しあるんだ。それで、ひとつ貴殿に尋ねたいが、セスというのは貴殿で間違いないだろうか?」
「……そうだが」
「それはよかった。実は貴殿に頼みたいことがあってきたのだ。実は――」
「帰んな。あんたに売るモンはなんもねえ」
突然、それまでの様子とは打って変わり、有無を言わさない態度で男を突き放した。
先ほどまでとの変化に思わず訝しむが、おそらく彼にも何か事情があるのだろうと深くは考えなかった。
「そう言わずに、頼みを聞いてはもらえないだろうか」
「聞くつもりもないし、聞かなくても要求はわかる。だから断る! わかったらとっとと出ていけ!」
セスは凄まじい剣幕でまくしたてると、語気を強めて男を拒絶した。
なんとか話を聞いてもらおうとしていた男だったが、脈がないとわかるとすぐに退散していった。
いったいどうして彼がそこまで男を拒絶するのかは疑問だったが、詮索するつもりもないユリウスは追及しない。
だが、それはユリウス個人の考えであり、ユーステス達はそうではない。
彼らは年相応に好奇心旺盛な子供だ。そんな彼らが彼の突然の変化に興味を示した。
「ど、どうしたんだよ!?」
「何かありました?」
不思議に思ったユーステスとシュノンがセスに詰め寄る。
セスも困ったように笑う。その笑みには先ほどまであった力強さが感じられず、どことなくやってしまったという感情が見え隠れしていた。
セスは頭をかくと、
「悪いな。あまり聞かないでくれ」
そう、追及されることを拒んだ。
それでもなお問い詰めようとする子供達に嘆息し、ユリウスはセスに助け船を出す。
「ほら、やめなさい。人には誰しも触れられたくないことはある。みんなもそうだろう?」
「えー? 俺、別に兄貴に知られたくない事なんてなんにもないぞ?」
「そうです! シュノンはどう?」
「わかんない。けど……騎士様たちはよく、秘密のお話をしてるよ」
言われてみると、確かに彼女達は毎晩スケアの部屋に集まり、なにやら会合のようなものをしている。
内容に関して詳しいことはわからないが、一度ユーステスが話の最中に突撃した時は今後の稽古の方針について話し合っていたらしい。
それだけなら別に構わないのだが、盗聴防止の結界を張っているらしいのだから怪しさは尋常ではない。
らしい、というのはユリウス本人にはその結界を認知できていないからだ。
なにかあるということはわかるのだが、あくまでそこどまり。結界に関しては母親であるディーネが気づき、その事をロイドと話していたのを漏れ聞いた。
しかし、あれば何かと便利そうなので、今度教わろうと密かに思っている。
ユリウスに注意されつつも興味津々なままの彼らだったが、それでも追及の言葉は止まった。その事にセスは礼を言うように静かに頷いた。
「それよりも、どうしてこんなところに魔族が?」
「さあな。最近そんな噂を聞いたが、まさか真実だったとはな」
「噂?」
「この街に魔族が潜んでるって噂だ。その時は酒場だったこともあって、ありえねえ、って笑ってやったんだが……」
セスは難しい顔で唸る。
彼の反応もわかる。ユリウス自身、そんな話を聞いても一笑に付していただろう。
魔族に関しては本当に話しか知らない。人間よりも魔力が秀でており、身体能力も高いという。謂わば、身体スペックは人間の上位互換であるといえる。
人間との違いは、その容姿もそうだが、知的探求心がとても強いことだ。だからこそ、彼らは魔術を研鑽し続け、高名な魔術師が多いのだろう。
ユリウスは魔族に関して特に思うことはないが、一般的な反応ならひどく嫌い、恐れるものだろうが、生憎ユリウスはそうではない。
「彼らの目的は、何か思いつきますか?」
自分だけの考えだけではどうしても至らない答え。それを問いかける。
しかし、返答は予想した通りのものだった。
「残念だが、俺にもわからねえ。初めは『竜殺し』がいるからかと思ったんだが……」
「彼はここで暮らしているわけではないですから、可能性としては少し弱いでしょうね」
「お前さんもそう思うか。そういや、西区の門番の話を聞いたことがあるが、その線はどう思う?」
「エルザ先生ですか? それも少し弱い気がします」
可能性としてはゼロではないだろう。
エルザの噂は彼女に会う前から耳にすることはあった。いくつもの冒険者パーティを返り討ちにし、領主からの圧力にも屈しない騎士の噂。
それでも、あくまで可能性がゼロではないだけで、ルーミラという人間領の辺境の街に現れた一人の人物のためだけに、魔族が危険を冒してまで確認しに来るだろうか。
気になることはもうひとつある。
それは、先ほどの魔族が一瞬だけ見せた冷たい眼差し。その先にいたものを、ユリウスは視線を追って確認している。
「セスさん。ひとつ気になることがあるんですが」
「なんだ?」
「先ほどの男が見せた目のことです」
「あれか。初めは人間の子供がいるからだと思ったが、確かにあれは妙だったな」
そう。彼の言う通り、人間の子供がいることに対する警戒心からの行動ならユリウスも納得する。だが、それなら視線を向ける場所がおかしい。
「あいつが見てたのは、間違いじゃないならシュノンだったよな?」
「ええ。間違いありません。ですが、人さらい目的でもなさそうでした。あれはそれよりも――」
「憎悪、それか嫌悪に近かったな。だが、その理由がわからん。本人に何か心当たりでもねえのか?」
「どうやら彼女はこの街に来た以前の記憶はないらしくて」
二人は難しい顔になる。どれだけ考えたところで彼らの目的を察せられるわけではなく、ただ可能性が列挙されるのが関の山だ。
今はそれよりも、これから起きるかもしれない事に意識を向けた方がいいだろう。
最も恐れなければならないことは、どこかで襲撃を受けることだ。
どのような目的でこの場にいるのかは判断がつかないが、彼らが特に気を付けなければならないといけないことは、目撃されないこと。
敵国に潜入している以上、人の目というのは殊更に忌避しなければならない問題だ。
意図してかどうかはわからないが、今回人間にその姿を目撃されてしまったことになる。相手が子供とはいえ、その事実は変わらない。
誰かに言いふらされる前にその口を閉じさせなければならない。自分ならそうする。
それはどうやらセスも思ったらしい。しばらく難しい顔でいた彼も、ユリウスに再び目を向けてくると、
「今日はもう帰った方がいいんじゃねえか? このままここにいるのは危険かもしれねえ」
それを聞き、今まで黙って二人の会話を聞いていた――理解していたかは微妙――ユーステスが不思議そうに尋ねる。
「えっ、なんでだ?」
「ユリウスが魔族を見ちまったからだ。理解してるかわかんねえが、人間と魔族は敵同士だ。そんな魔族が人間の街で、人間に見られちまったんだ。口封じされてもおかしくねえ」
「確かに仰る通りですが、下手に動いた方が危険では?」
「そうかもしれねえが、ここは南区だ。殺し殺され、泥棒騒ぎも日常だ。そう見えるように殺され、雲隠れしちまうかもしれない。それに、俺はあまり戦いの心得がないんだよ。そこらの悪ガキやチンピラなら問題ねえが、荒事を生業にしてる奴らを相手にすればすぐにこれよ」
そう言って、自分の首に手刀を押し当てる。
「それなら、すぐにでもここから出て、西区でも東区にでも逃げ込めればいい。今この街で最も安全なのは、それこそお前さんらの家だろうしな」
言われて納得する。
今家にはスケア達がいる筈。良くも悪くも有名な彼女達は腕っぷしは確かだ。日常的にしごかれている身として、そこに疑問はない。
問題があるとすれば、今彼女達との連絡手段がない事。家を出た時に何か呪符的な紙を渡されているが、それがどのような用途なのかわかっていない。
即ち、彼女達に迎えに来てもらおうにも頼むことが出来ず、家までの距離は少々遠い為、途中で襲撃を受けたらひとたまりもない状況なのだ。
「最低限人通りの多い場所を進めば危険は少ないはずだ」
「どうでしょう。確かにそうかもしれませんが、その人通りが多い場所までが遠いです。さっきの男にとってもそれだけは避けたいはず」
「となると、途中で待ち構えられてるかもしれねえか……」
「考え過ぎだと言われればそれまでですが、可能性としては考えておいた方がいいと思いまして」
まあ、なんだかんだと口にしてもあくまで可能性の話である。
ユリウスは静かに方針を定めていく。
直線的な距離で言えば、市場のある第二街区に戻るより、西区に向かう方が近い。ユリウスだけなら問題はあるだろうが、西区で暮らしていたというシュノンがいれば、悪いことは起きないだろうという打算もある。
元来た道を戻って市場に向かおうとすれば、先ほどセスが口にしたように待ち構えられている危険性がある。
もし待ち構えられていて、戦闘を余儀なくされた場合、ユリウス達は戦いの心得のないシュノンを守りながら戦わなくてはならなくなる。
そうなってしまうと、冗談では済まない大怪我を負う可能性がぐんと増える。それは絶対に避けなければならない。
それを思うと、全員が無事に逃げるなら西区に向かう方がいいだろうと思われた。
「ユリウス様、どうしますか?」
「このまま西区を経由して行こう。道中何があるかわからない。全員、周りをしっかりと注意してくれ!」
「わかったぜ!」
「シュノン、帰る準備は?」
「大丈夫!」
ユリウスの号令にそれぞれが力強く応じた。
それだけ彼らが自分を信じてくれていると思うと、少しうれしく感じた。
その様子を黙って見守っていたセスは、話がまとまったのを見て取ると、申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「出来る事なら送って行ってやりたいんだが、治安もあって店をそうそう離れるわけにもいかねえんだ。すまねえな」
「仕方がありませんよ。また遊びに来ます。その時はスケア先生も一緒に」
「おう、待ってるぜ!」
「またな!」
「お邪魔しました!」
「ありがとうございました」
別れの挨拶を交わし、ユリウス達が店を後にする。
少年達がいなくなった店内はどうしてか物寂しくなった。
普段は鉄を打つ音しかならないようなさびれた場所である。何か騒がしくなったと思えば盗みを働きに来た不届き者ばかり。
今回のような平和な客はとても珍しいのだ。しかも、他の人間のように嫌な視線ではなく、誠実に応対する紳士的な少年に特に興味が湧いた。
不思議な少年だった。聞けば、彼はまだ十一歳だという。本当にそうなのか疑わしいものだ。
育ちがいいのか、一人前の大人を相手にしている感覚だった。
何より彼は賢い。他の子どもたちと違い魔族が現れた時、彼は相手の様子を窺っていた。
そして、魔族が去った後、どんな危険があるのかを言葉にせずとも気づいていた。年不相応に落ち着いている少年だったが、また会いたいと思えるいい人間だ。
「何事もなければいいんだが……」
死んでほしくない。素直にそう思えた。
「絶対に死ぬなよ。お前らにゃ、渡さなきゃならねえもんがあるんだからな」
少年達が出て行った扉をまっすぐに見つめ、そう小さく呟いた。