不穏な気配
飲食店で軽く食事をとり、お腹とのどを共に潤し満足の中店を後にする。
だが、ここでひとつの問題に直面した。
渡されていたお金がそろそろ底をつきそうだったのだ。その量は少ないというわけではなかったが、また多いというわけでもなかった。
その為、こうして思うがまま買い食いをしていてはこうなることは時間の問題だった。
「よーし、次はどこに行く?」
「そんなユーステスに残念な話があるぞ」
「なんだよ兄貴?」
「もう好き放題食べるほどのお金はない」
その時のユーステスの顔は本当に悲惨なものだった。まさに世界の終わりだと言いたげに全身でその心情を表すように、その場で頽れた。
大げさではないか、とも思わなくはないが、彼にとって食事というものはそれほど大事なものなのだろう。
だが、ユーステス以外の面々はもう満腹になってしまっており、むしろ食べ過ぎだとしか思えず、ヘテナとシュノンの女子二人は、太るかもしれない、という恐怖心からこれ以上の食事は勘弁してほしかった。
「それにほら。二人は食事はもういいみたいだし」
そう言って苦笑気味にユリウスはシュノンたちの様子を語った。
ユーステスもまだ少し不満そうではあったが、納得したようで、わかった、と小さく口にした。
「これからどうするのですか、ユリウス様?」
「どうしようかな。適当に街を見て回るのもいいし、もう切り上げて帰るのもいい。冒険者ギルドに行くのもいいかもしれない」
「今なら、『竜殺し』も街にいるらしい。運が良ければ会えるかも」
「それはユースが喜びそうだ」
そう言って、ユーステスの様子を伺う。
先ほどまで残念そうにうなだれていた彼は、今度は目を爛々と輝かせながらうんうんと唸っていた。
ついさっきまでとは百八十度違う顔で、喜色満面に悩む姿は本当にメリハリがはっきりしていると思わされる。
ふと思えば、スケア達もそういったメリハリはしっかりしているように感じる。
いつも何かしら騒ぎ合い、いがみ合って喧嘩も多い。しかし、ここぞという時にはいつも表情が引き締められ、問題に対処する。
これまで冒険者の仕事と言えば家庭教師をしている姿しか見ていないわけだが、ふざけるときとそうでないときがハッキリしているのは、誰が見ても明らかだろう。
稽古の時は厳しく、より厳しくユリウスたちを律する。
それは、剣技が、魔術が、体術が。その全てが己を守る為にとても大切だからだと、幼いシュノンにもわかる。
見ていると、厳しすぎるきらいがあるのは否めないが、その分そうでないときはとても甘い。一緒になって騒ぎ、レイチェルやディーネを困らせては叱られている情けない姿をよく見ることになるのだが、メリハリがはっきりしている証明だろう。
「よし決めた!」
「なにを?」
「これからどうするかだよ!」
「……そういえばそうだった」
「お、もしかして自分の世界に没頭していたか~?」
「ふふ、シュノンったら。もしかして、待つのは苦手?」
「むう」
ちょっと思考に没頭していたら、どうやらそれなりに時間が経っていたらしい。しかも、ヘテナとユリウスから揶揄されるとは思ってもみなかった。
ヘテナに関しては意地悪な顔で笑っていることから揶揄った意趣返しだとわかるが、ユリウスがそのような攻撃をしてくるなんて想定外に過ぎる。
「ん? なんだ? なんの話?」
「なんにもないっ!」
むくれて声を荒げ、ユリウスとヘテナがおかしそうにケラケラと笑った。
不思議そうに首を傾げるユーステスだったが、気にしないことにしたらしい。
――きっと将来有望になる。
と馬鹿なことを内心で考えながら、下手にまた突っつかれないように口にすることはなかった。
「ごめんごめん。たまにはこういうのもいいかと思って。それで、どこに行くんだい?」
「色々迷ったけど、今日は冒険者ギルド以外に行きたい場所があるから、そっちに行く!」
「珍しいわね。あなたが冒険者よりも興味を示すことがあるなんて」
「まあいいじゃないか。それで、どこに行くんだ?」
シュノンは知らないが、ユーステスは冒険者に強い憧れを持っている。男の子が冒険に憧れを持つように、なにより彼は獣人だ。獣人は本能的に闘争を求める。
その為、力を持つ者に強い羨望と好意的な感情を持つようになる。もちろん無条件に、というわけではないが、少なくともユーステスが特に憧れているヴェルグは常識人であり、なにより差別をしない良識人だ。
そんな彼が、最も憧れているヴェルグに会える機会を逃すのは非常に珍しい事なのだ。
そうとは知らないシュノンは彼らの共通の認識である話をぼんやりと聞いているだけしかできなかった。
ユリウスに問われたユーステスはまだ少し煮え切らない様子だったが、口にした以上はもう覆らないと、行きたい場所を口にした。
「師匠から話を聞いた、武器屋!」
それは、スケア達がユリウス達のもとに家庭教師として数日経ったころに遡る。
ユリウス達が朝から魔術講義で頭と魔力を空になるまで練磨し、昼から体術稽古で精魂尽きるまでみっちりしごかれた後の夕飯前の話だ。
スケアは魔術講義と剣術稽古初日の夜から、分厚い本を片手に、家で羽ペンとインクを借りてなにやら筆を走らせている姿がよく見られていた。それは依頼に赴いて二週間が経った現在も続いているのだが、今は置いておこう。
その本はいったいどこから入手したのか、何を書き記しているのかと様々な疑問は尽きないが、その日もいつものように勉強部屋としてあてがわれた部屋で、本に筆を走らせていた。
そんな彼女の下に、いつものように気楽な様子の狼牙が近づいて行った。
「よう、暇か?」
「そう見えるのなら今すぐいい眼科を紹介してやる」
「見えねえし、そもそもここにゃ眼科も医者もいねえだろ」
「医者はおらんが、治療院という施設があるらしい」
「ほーう? そこで病が治ると」
「そんなわけあるか。メリーナに調べさせたが、どこも死人の増設工場と化しているらしい」
「ハッ! 満足な治療技術も持ってねえ連中しかいねえなら、それはもう神にでも頼るしかねえわな?」
「それは、お主の生きた時代の話か。それとも、ここの文化の話か。なんにせよ、その為の女神教であり、その為の治癒魔術だろうに」
スケアは変わらず筆を走らせながらその雑談に応じ、視線が寄越されないという失礼な態度にも気にした様子もなくケラケラと笑いながら話に興じていった。
分類上、治癒魔術は光属性魔術に分類される。細かい分類になると、光属性魔術だけでなく水属性魔術にも治癒の効果はあるが、今は割愛しよう。
光属性魔術には不浄を祓う力を持つとともに、傷を癒やす効果も存在する。女神教はその力を使い、町や村を回り人々の傷を癒やすことも業務の一つとして存在するらしい。
しかし、その技術を女神教は”神の御業”、”神の奇跡”と伝えており、女神教の信者のみにしか使うことはできないという定説が広まっている。
つまり、治癒魔術は女神教である証明のひとつとして知られていた。
それが誤りだと知るのは――この世界では――スケア達と悪魔王の軍勢だけだったが。
だからこそ、治癒魔術を使って稽古の負傷を治したところをディーネ達が見た時に、愕然としていたのだ。
女神教に真っ向から対立するような行動をとり、獣人を連れている者がまさか女神教の信者の証である治癒魔術を使ったのだ。驚かないわけがない。
まあ、治癒魔術は加減を誤れば対象を逆に傷つけることもできる。その為、代償が付きまとうと称して、生前いた世界でも禁忌指定を受けていたが。
「ここの連中も寺の坊主みてえなことやってんのか」
「下っ端の下っ端の仕事のようだがな。加えて――」
「――人間しか見ねえ、ってか」
「然様。それ故、ある程度裕福な生活をしている者や、冒険者として成功している者は下級ポーションで済ませる者も多いようだ。確かに下級ポーションは製法も広まり、市井でもある程度流通している」
「へえ。だからまだ問題はねえわけか」
「ッハ」
狼牙が宣った発言に、スケアが鼻で笑う。あまりもの反応に狼牙もイラッとしたようだが、いつものことだとすぐに諦めたらしい。ふう、と小さく息を吐いた。
「本気でそう思っているわけではあるまい? あれは確かに広まっているが、相場は銀貨四枚と少々高額。しかし、差別意識が少なく手先の器用なエルフやドワーフが作って売っているのならまだしも、大半は人間が販売している。なら、連中は足元を見て売ってやる、となるわけだ。加えて、あれは手傷にのみ作用し、風邪や疾患といった病には作用せん。風邪ならばどこぞの民間療法でも治るが、疾患は専用の薬物でなければ効き目はない。
つまり、病死の割合は何も解決しておらんわけだ」
「やだねえ。やり方が陰湿だこと」
「お主なら正面から堂々と奪っていく故、そのような豪快な手法がお好みかな?」
「わかってるねえ」
「それなりに長い付き合いだぞ? 当然だ」
他愛もない話だと言いたげな軽い口調で話す内容ではない。
しかし、流石は元悪魔王の器というわけか、それとも毎度ぶり返しを対処していた反動か。頭と体を分離させて筆を走らせる片手間に世情を語り、手元を修正する様子もない。
実に器用なものである。
「ん? 何の話?」
そこにひょっこりと顔を出す人物が現れた。
ユーステスである。
「おう。なーに、退屈な社会のお勉強だ」
「地歴公民どれに当たるかな?」
「知るか。適当に歴史でいいだろ」
「歴史だけはない」
「なんでだよ」
「すまんな。なんとなく否定したくなった」
スケアと狼牙の会話についていけず、唯一理解できた『お勉強』という単語を聞いて、あんなに勉強してしごいてきたのにまだそんな元気があるのかと感嘆とも呆れとも取れる反応を示した。
それを見た狼牙が笑い、スケアもつられるように妖艶に微笑んだ。
そして、それまで止めなかった手を止め、首を少年へと向けた。
「それよりどうした。お主が我が下を訪れるとは珍しいではないか」
「そうだった! エルザねーちゃんが呼んできてほしいって。もうすぐご飯が出来るからって」
「そのエルザは?」
「疲れて寝ちゃったシュノンを起こしに行った」
「寝込みを襲う。なるほど喰うのか」
「へっ!?」
「お主でもあるまいに、それはなかろう」
「ええっ!?」
「あんなガキにゃ興味はねえっての」
「だから喰らうのだろう? 頭からボリボリと」
「まだ食っても味が薄そうだ」
本気とも冗談とも取れるニュアンスでの会話に、思わず無言になるユーステス。それを見て、スケアはまたニヒルな笑みを浮かべながら「冗談だ」と言った。
イマイチ信用しにくい様子だったが、怖くてそれ以上何も言えなかった。
「ま、まあいいや。それじゃあ、早く来てくれよ!」
「隣の部屋故そう急ぐこともあるまい」
「そうそう。それと、オレ達これから飲みに行くからいらねえって言っとけ」
「初耳だが?」
その時のスケアは本当に初耳だったらしく、半目で狼牙を睨んでいた。
それに仕方なさそうに肩を竦めてみせた。
「そりゃそうだ。今初めて言ったんだ」
「……」
「そう睨むなよ。元はと言えば、テメエが話も聞かずに手ぇ動かしてるからだろうに」
「……そういえばそうだったな」
それだけ聞き、スケアは観念したように深いため息を吐いた。
「それに、顔繫ぎも兼ねてんだからよ」
「何?」
狼牙が放った一言に、スケアはその双眸が鋭く細められる。
「飲み仲間の一人に、テメエと会ってみたいっつってるやつがいんだよ」
「何故儂が人間などに会わねばならんのだ」
「おいおい、早とちりすんなって。誰も人間だとは言ってねえぜ?」
「なに……? ……ッ!」
それだけでスケアは相手が誰か察したらしい。その顔から険が取れた。
狼牙はそれだけで話はついたと思ったらしい。
それまで黙って話を聞いていたユーステスに、よろしく言っといてくれや、と言ってその横を通っていく。そして、いざ部屋を出ようとしたときに立ち止まり、肩越しにユーステスに振り返った。
「もし興味があったら、テメエも行ってみるといい。オレの名を出しゃあ追い返されやしねえだろ。南区の『一等鍛冶』っつー武器屋だ」
「ネーミングセンス。それに、南区はスラムではないか」
「ユリウスが一緒にいりゃ問題ねえだろ」
「それもそうか。よいな、ユース。南区に行くときは必ず儂らかユリウスと同伴だ。よいな?」
「お、おう!」
どうやら、彼らはユリウスのことをとても買っているらしい。少し誇らしい気持ちになった。
「それと、これは儂からのお願いなのだがな。もしメリーナが儂の分の夕餉を捨てようとしていたら、止めるか隙を見て盗むかしておいてくれんか」
「それはいいけど、なんでだよ?」
「なに、せっかく丹精込めて作ってくれたものを処分してしまうのはもったいなかろう。それに、冷めておっても、あ奴の作る飯は美味いからな。帰ってきてから必ず食う。喩え腹が張ち切れそうに膨れていてもな」
そう言って、スケア達は飲みに行ってしまった。
「素敵なお話ね」
「先生は、本当にメリーナ先生のことを大切に思っているんだな。種族なんて関係なしに」
ユーステスは聞いた武器屋に行く道すがら、その時の話をしていた。
いくらユーステスが子供でも、その話がいい話だということが分かる。
そんなにしてまで食べたいなら食べてから行けばいいじゃないかと思うが、その後頼まれた通りに盗み出しておいた料理を、スケアは平らげたという。
「でも、ようやくわかったな。なんであの時ユースがあんなことをしたのか」
「そうですね。自分で食べるためにそんなことをしたのかと思ってました」
「食い意地が張ってるだけだと思ってた」
「なんでみんな俺が持ってったの知ってるんだ!?」
あの時ほど綺麗に持って行けたと思ったことはない。
時折つまみ食いしようとしてレイチェルやメリーナに見つかることはあるが、あの日だけ何事もなくいったのだ。だからどうしてみんなが知ってるのか、不思議でたまらなかった。
すると、ユリウス達はそれぞれ顔を見合わせ、
「だって、見てたからね」
「バレバレだったわよ?」
「見え見えだった」
「なっ、なななななななな……!?」
思わぬ事実である。賢いユリウスはまだしも、まさかのんびりしてるシュノンにも見られていたなんて……。
だが、驚愕の真実はそれだけではなかった。
「父様も母様も見ていたし、レイチェルも止めようとしてたな」
「ええっ、でも止められなかったぞ!?」
「メリーナ先生本人が止めたからね。たまにはいいでしょう、って」
「騎士様もユースが隠したのを探し当てて、冷めないように手を加えてた」
「そ、そんなぁ……」
どうやら、全員にバレていたらしい。そうなると、あの時感じた達成感が急に恥ずかしくなってきた。穴があったら今すぐにでも頭から入り込んでしまいそうだ。
今現在、四人は南区の武器屋を探して歩き回っていた。
スラムというのがどんな場所か知らなかったユーステスだが、初めての場所に目を通し、わかりやすく嫌悪感を示した。
路のそこら中にゴミが転がっており、暗くよどんだ目をした人々が汚い格好で歩き回り、いつかの奴隷商人のようなぎらついた眼差しで道行く者を値踏みする。そこらから悪臭が漂い、怒号や悲鳴が起きても誰も反応を示さない。
これが同じ人間が住む場所なのだろうかと、本気で思ってしまった。寄る辺のない者の掃き溜め。肥溜め。言い方は様々だが、まともな場所ではない。まさに混沌。落ちた先に行きつく先がここだとするのなら、落ちないようにもがかなければという使命感のようなものを抱いた。
自分たちに視線が寄せられる。まばらだが確かに感じる視線にはひとつとして気持ちのいい視線というものが存在しない。そういった目で見られることに慣れている自分だからこそ判別できるそれを、意識して無視する。
しかし、ねばつくような気持ちの悪い視線が続き、どうにかなってしまいそうだった。
「あ、兄貴……」
「そうだね。早いこと目的の場所に入らないと、みんな落ち着かないだろうし」
スケア達が言ったように、今回ユリウスが一緒にいるわけだが、どういうわけか慣れているように感じた。正直、女子二人は半ばグロッキー状態で、ユーステスも男の意地で我慢しているがほとんど限界も近かった。だが、耐性でもあるのか、ユリウスはこういったものとの向き合い方というものを正しく理解し、表面上普段と変わりがなかった。
これまではユーステスが以前聞いていた時の話をしていたためまだ皆に元気が残っていたが、その話もひとまずの節目を迎えた以上、次第に気力がなくなるのも時間の問題だった。
それから十分程歩いた頃、ユリウスが視線の中に目当てのものを見つけたらしく、小さく声を上げる。
「あそこじゃないか?」
言われ、地面に落としていた視線をゆっくりと上げる。
そこには、鉄を打つ槌の形をした看板に、『一等鍛冶』と記された文字。
見つけた。そう認識したとき、ふっと体の中に力が湧くのを感じた。
「あ、あそこだ!」
「ようやく着いたのね……」
「つ、疲れた……」
各々が疲労の色を隠すこともせず、目的地を目にして表情がほころんだ。
「早く行こう!」
そう言って振り返った時、思わぬものを目にした。
ユリウスが、鋭い眼差しを少し離れた裏路地に向けていた。普段温厚な彼のそんな顔は初めて――いや、一度だけ、スケアとの模擬戦の時に見たきりだった顔が再び覗かせていた。
ユリウスの見ている場所をつられて見ても、薄暗く整理のされていない不気味な道が続くのみ。むしろ、仄暗い道が地獄への道のように感じ、背筋に冷たいものが伝う。
「兄貴?」
不安になって声を掛けると、ハッとした彼は次の瞬間にはいつもの笑みを顔に浮かべて振り返った。
「そうだね。行こうか」
「ユリウス様、何かありましたか?」
「何もないよ。ほら、行こう」
言われ、目的としている武器屋に進む足を速めた。
それが急かされているように思い、先ほどのユリウスの様子と合わせて不安を感じずにはいられなかった。
そんな思いを胸中に抱え、『一等鍛冶』という店の目に立った時、ユーステスは横目でユリウスの見ていた裏路地に再び視線をやるのだった。