食べ歩き
長らくお待たせして申し訳ありません。加えて、これまでに比べて短くなっております。
執筆していた内容が、使っているiPhoneが故障し、使えなくなっていたため、ただでさえ遅かった執筆がさらに遅くなってしまいました。ちなみに、壊れて半月は経ちますがまだ携帯は使えません……。不便すぎる(泣)
時間は少し遡る――
今日は朝から皆と一緒に外に出ていた。
エルザに会ってから、外に出る機会は増えた。だが、いつも誰か大人が一緒についていた。
なんでも、一人でうろついていると危ない為、誰か大人が一緒にいた方がいいらしい。
だから、今日はユーステスに誘われ、皆で出かける時に行ってもいいかと聞いた。一人ではないのだから大丈夫かもしれない、という淡い期待を持ってスケアに聞いてみたのだ。
すると、「行ってもいい」と快い返事がもらえた。
その時、チラとユリウスの方に目をやっていたのだが、それはどういう意味だったのだろう?
とはいえ、ただ出かけるだけだとまだ心配だからと言って、長方形の一枚の紙をそれぞれに手渡された。
パッと見た限りは何の変哲も無い小さな紙だ。その紙の表面には濁った黒色で、変わった絵のようなモノが描かれている。
渡された紙をちゃんと持っていることを条件づけられ、スケア達に見送られ家を出た。
街の中は、シュノンにとって新しい発見ばかりだった。
若い女性の姦しい笑い声。雑踏の音。騒々しい子供達の駆け回る姿。
その全てが人間。一人として獣人の姿が見当たらない。
それまでの主な行動範囲は西区の中のみ。そこから外には一度も連れて行ってもらったことはないし、ユリウスの家に来るまでに一度通ったぐらいだった。
「みんなで外に行くのは初めてだよな〜」
「そうね。いつもは家で勉強してるか、庭で遊んでるぐらいだものね」
シュノンは一般教養だけを学んでいるが、他の面々は体術、剣術、魔術を学んでいる。
その間の時間、シュノンは手の空いている者であったり、ディーネに遊んでもらったりしていた。
そうして、必然的に一般教養や食事時、自由時間ぐらいしか四人一緒になることはなかった。
それを思い、フード付きマントを目深に被ったユーステスとヘテナの会話に、ユリウスとシュノンも静かに首肯した。
ルーミラでも異種族差別は当然ある。その為、ユーステス達がそのまま人々の前に出るとどんな目に合うのか分かったものではない。
近隣の人々は暗黙の了解として、ユーステス達をいないものとして扱っており、庭に出ているところを見ても見てないフリをするという。
ただ、その暗黙の了解が街全体に広がっているわけがなく、それがない場所にいると当然ひどい目にあうのは目に見えている。
だからいつも出歩く時はフード付きマントを羽織っているらしい。
自分もそうした方がいいのだろうかとエルザに聞いてみたが、
「別にいいんじゃないですか?」
とあっさり言ってのけた。
あまりにもあっさりとした反応だった為、シュノンも呆気に取られたものだ。
それでも、彼女は抜けている時は本当に抜けている人だとシュノンはもう知っている。
だからその主人であるスケアにも確認をとった。
「誰もそこまで見てはいない。目立つ行動をとらなければ何事もあるまい」
とこれまた楽観的とも取れる発言を返された。
「鬼人族は特殊な種族だが、外見は獣人やエルフ達のようにわかりやすくはないからな。知っていて狙っている訳でもなければ、変に隠す方がかえって目立つ」
メリーナの物憂げな顔を見て優しく囁く声が聞こえたが、深く理解する事は出来なかった。
声が小さくて聞き取りづらかったというのも理由のひとつだろう。
とはいえ、スケアもそう言うのなら大丈夫か、と思いフードを被らずに歩いていた。
「二人はともかく、シュノンもフードを被らなくてもいいのかい? いつも大切に隠されているように思うほど外に出さないから」
ユリウスが肩越しに振り返って尋ねてくる。
形として、前をユリウスとユーステス。後ろをシュノンとヘテナが歩いている為、話そうとすれば自然とそうしないといけない。
「大丈夫。わたしが行きたいって言った時は外に連れていってくれる」
「そうなのか。……少し意外だよ。こう言っちゃなんだけど、過保護を通り越して軟禁してるように見えたから」
ユリウスは少し申し訳なさそうに言う。
――周りからはそう見えるんだ。
確かに、周囲から見るとシュノンの扱いは軟禁と捉えられても仕方がないかもしれない。
だが、あれがしたいこれがしたいとお願いすれば快く了承される為、あまりそんな印象はなかったが。
「なあ兄貴。ナンキンって何だ?」
「軟禁、ね。そうだな……わかりやすく言うと、自由を与えつつ、でも外と関わらせないって感じかな」
「関わらせないって?」
「外に遊びにいけないって事。もちろん、それだけを言うと語弊があるけど、それが一番近いんじゃないかな」
それだけを聞くと、確かに自分は軟禁されているのかもしれないと思う。
だが、軟禁されているとすれば今回のように皆で出歩くことは許されなかったのではないか?
スケア達は大事な話があるからと言っていた。誰も手が離せないのなら、シュノンが出歩く事は許されるはずがない。
難しい事はわからないが、シュノンはそう考えて、まさかと笑って返した。
「それよりも、どこに行く?」
「やっぱ最初は市場だろ!」
投げかけた問いに、ユーステスが即答する。
渡された紙とは別に、お小遣いもいくらか貰っていた。
一般教養でエルザからお金の使い方や算術を教わった為、実践してみたいのだろう。
「ユース。何を買うつもりなの?」
「何か食べたいよな。何あるんだろ」
「食べ歩きがしたいのか。そうだな、他にみんな行きたいところはあるかい?」
ユリウスは確認するように言い、それぞれに視線をやる。
しかし、特に反対意見はなかった。
皆はこれまで何度か市場に行った事があるそうだが、シュノンにとっては未知の領域。市場という場所がどのような場所なのか、漠然とした認識があるだけなのだ。
だから、どんな場所なのか見てみたい。
断る理由は特になかった。
「じゃあ、市場に行こうか」
「わぁ……」
第二街区市場に着いて少し、思わずそんな声が漏れた。
忙しなく行き交う人の群れ。張り合うように続く客寄せの声。争うようにして続く値切り交渉。そして讃える拍手の音……。
人が多過ぎる。
今まで随分と狭い世界で生きていたんだなと思った。籠の中の鳥という言葉が近いのだろうか。
初めて訪れた場所はあまりもの迫力があり、正直目が回りそうだった。
それをわかってか、隣にいるヘテナが途中から手を握って引っ張ってくれていた。
「おっ、あそこにしようぜ!」
そう言ってユーステスはシュノンの状態を知ってか知らずか、無遠慮に狙いを定めた屋台に小走りで向かう。
「こら、危ないぞ!」
ユリウスは注意しつつ、悠然と歩いて――だが速度を少し早めて――追いかける。
その姿を見てると、親子のようにも感じられた。
ずいぶん小さな親子だが、年齢の割に落ち着いているユリウスは皆の兄貴分、というよりも保護者――父親という印象が一番しっくりした。
あまりもの人通りに眩暈を覚えながら周りを見回すと、他にも親子の姿はまばらに見えた。
母の慈愛に満ちた眼差し。父のさりげない気遣い。子供の駄々にころころと変わる楽しげな顔。
その姿が少し羨ましく思えた。
あまり周りに伝えていない為、スケア達も知り得ない事だろうが、シュノンには両親はいない。どころか、ルーミラに来るまでの記憶がない。
聞かれないから伝えないのだが、それをマイナスに考えた事はなかった。
もちろん、不安を感じないわけではない。だが、それ以上に日々が充実していた。
初めて会った時、最初は当然警戒した。
誰でも初めて会う人にはある程度警戒はするだろう。それが自分に対して悪意のあるものなのか。危害を加える為に現れたのか……。
もちろんそこまで深い意味を持って警戒していたわけではないが、未知のものに対する恐怖心というのは、種族問わずに抱える本能的なものに違いない。
だが、その警戒もすぐに吹き飛んだ。
出会った彼女らは、接していてとても暖かかった。
自分のことをよく見てくれる騎士様――エルザは一緒にいて落ち着く。わからない事は教えてくれる。
包容力というのだろうか。抱き寄せられると、温かく、とてもいい匂いがした。
もし自分に母親がいたら、こういうものなのだろうか、といつも思う。
では父親とするなら誰だろうと考えてみると、意外な事にそれはスケアだった。
どう見てもスケアは女性だ。
では、なぜ男性である狼牙ではなく、スケアが父親っぽいと思ったのだろう。
それは、彼女の行動がどことなく男性っぽいのだ。
格好に関心がない。優美な姿で常に微笑を湛えているが、それしか知らないのではないかと思わずにはいられないぐらい表情に変化がない。
それはそれで本当に人間なのだろうか、と思わずにはいられないが、父親と考える理由としては弱い。いや、理由になっていないとすら感じた。
では、なぜか?
悶々とした気持ちになりながら連れられるようにして二人の後を追い、その光景を見てハッとした。
「ユース! こんなに人が多い場所で勝手に走って行ったりしたらダメじゃないか。はぐれたらどうするつもりだったんだっ」
「ご、ごめんよ兄貴……」
そこでは、ユーステスに追いついたユリウスが彼を叱りつけていた。
――そうだ。
あの面々の中で、自分を叱る唯一の存在だからだ。
もちろん叱られるのは嫌だ。だが、これまであまり叱られた経験のなかった自分でも、親を持つ西区の年の近い知人達が親に叱られている姿を見て、どことなく物恋しい気持ちになった。満たされない空腹感のように、気持ちが悪く、鬱屈とした気持ちにさせられた。
自分は見てもらえていないのだと寂寂たる思いに囚われ続けた。
だが、スケア達が来て変わった。
エルザは多少気が引けるのか、それとなく「〜してはダメですよ」と優しく注意するだけ。それでは満たされない。
メリーナは『叱る』というよりは『怒る』。純粋な怒りを持って、「〜してはなりません。いいですね? 返事は」と嫌に威圧的に感じてしまい、純粋に怖い。
狼牙はそもそも自分の事は放ったらかし気味で、「いいじゃねぇか別に。それでなんかあっても自己責任だ。だろ?」という形である。
それはそれで気楽に感じられるが、メリーナとエルザ双方からその事で色々と言われている姿を見て、子供ながらに良くない事なんだ、と思った。
後で聞いたが、そういうのを放任主義というらしい。言葉の詳しい意味まではわからなかったが。
そして、スケアの場合はしっかりと叱る。
メリーナのように怒りが前面に出過ぎておらず、エルザのようにさりげなく注意するのとも違う。
してはいけない事はしっかりとわからせるために叱り、突き放さず反省を促し、全てを包み込む寛大さで赦す。
普段から親しくしているわけではないが、彼女もまた自分のことを見てくれていると子供ながらに感じた。
時々怖いと思うこともあるが、怖がる自分を見た時のスケアの項垂れる姿を見ていると、ちょっと笑ってしまいそうにだった。
やってきた店はフィソールという肉を串に刺して焼いた食べ物を取り扱う店だった。
香ばしい肉汁の匂い。ジュウジュウという食欲を掻き立てる音に、知らず唾液があふれ出してくる。それに気づいたヘテナが可笑しそうに笑ったが、目の前で焼けている肉を凝視していて気付かなかった。
その店で人数分のフィソールを頼み、ユリウスの博識な知識が披露されたりといったことがあったが、注文したフィソールに意識を割いていてほとんど聞いていなかった。
次にあまり見たことのない食べ物を取り扱う店に行った。
麦を焼いて膨らませたお菓子で、作り方はパンに近い。だが、そこからさらに油で揚げるという工程を挟み、食べられるようになるようだった。
これまた食い意地の張っているユーステスに連れられてきたが、食べてもおいしいとは感じられなかった。あまり味が感じられず、一瞬自分の味覚がおかしいのかと思ったが、先ほどのフィソールを食べたときにはしっかりとその濃厚なタレの味を感じていたことからそれはないはず。
しかし、そのお菓子はとても人気があるらしく、周囲にいた子供は皆食べていたり、そうでないものは買うために並び、親に催促したりする姿があった。ユーステスとヘテナも満足そうに食べているのを見て、自分がおかしいのだろうかと少し嫌な気分になった。
救いになるとすれば、ユリウスもどこか難しい顔で食べていたことだろう。
その後の感想を語り合ったときに「味がしなかった」と言っていたことからも、ユリウスの味覚はどうやらシュノンと近いようだ。
次に行った場所はヘテナの、のどが渇いた、という一言によって、飲み物も頼める場所がいいということになった。だが、片手間に飲み物が頼める店は簡単には見つからず、仕方なく出店ではないしっかりとした飲食店に足を運んだ。
店内は騒然としており、何人かの男性客が店員に詰め寄り、忙しなくがなり立てているようだ。
「なにかあったのか?」
「ふむ……事情を知っていそうな人に聞いてみようか」
そう言ってユリウスに連れられ適当な席につくと、物怖じした様子も見せずに隣の席に座っていた男に声をかける。
「もし。これはいったい何の騒ぎですか?」
男は声を掛けられるとは思ってもいなかったようで一瞬の間を開け、おっとおれか、と小さく口にした。
その男は奇妙な男だった。肌は黒く、この辺りでは珍しく長い黒髪を腰まで伸ばし、そのうえで身なりは整い、材質の好い装束に様々な装飾を身に着けていることから高貴な人物であるようだ。
この場には不釣り合いな人物だろう。しかし、誰もが彼のことなど気にした様子もなく平凡な日常――店員の周りは平凡とは程遠い――が繰り広げられている。
そのことが不思議に思い、それ以上に目を引いたのは彼の目だった。
長い彼の前髪に隠れて――食事中のため少し俯き気味ということもあるのだろう――覗けたのは、燃え上がるような真っ赤な眼光に、どうしてか気味が悪く感じた。
そう思ったのは自分だけなのだろう。三人はユリウスの声をかけた男に注目していた。
「さあ、おれも詳しいことは知らないな。ただ、聞いていた内容を組み立てて察することはできる」
男はシュノンたちを流し見て、口元をいびつに歪ませた。
それが殊更不気味に映る。
「どんな内容なんです?」
「なんでも、少し前にここで働いていた人間がいたようでね? 彼らはそいつにどうやら心を奪われてしまったらしい。そいつがいなくなったことに彼らは詰め寄っているみたいだ」
「なるほど。どうもありがとうございます」
「気にしなくていいさ」
彼はそう言い、再び食事に意識を向けた。
「なあ兄貴。つまり、好きな人が急にいなくなったからあんな騒ぎになってるってことか?」
「みたいだ。でも、こんなにたくさんの人に想われるなんて、とても美人な人なんだろうね」
ユリウスのその一言に、ヘテナが少しムッとした。
「ユリウス様もその人に会いたいのですか?」
「うーん。興味はあるな。でも、どうしてもってわけじゃないかな」
「ヘテナ、ユリウスがとられると思った?」
「ちっ、違います!」
軽くつっついてみると、顔を赤くして否定した。だが、それが照れ隠しなのは一目瞭然だ。
かわいらしいその反応にちょっと嗜虐心がくすぐられ、その時には先ほどの男のことはもうすっかり忘れてしまっていた。
その間も、それからも――男が立ち去っていくまでずっと凝視されていたことなど、最後まで気づくことはなかった。