襲われる村
薄暗い森の中。木の根っこが入り組み、ギィギィと気味の悪い音が立ちこめる。
足場も悪く、すぐに足を捻ってしまいそうな場所。そんな場所を、何の苦も無く、障害などないと体言しているスケアが進んでいく。
足場の悪さも、周囲の気味の悪さも、彼女には意味は無い。スカアハの修行で身と槍ひとつで森の中に捨て置かれ、サバイバル生活をしろ、と言われて行った経験から、森の中でも足場を気にせずに動けるように鍛えた。
足を全く止めず、時には木の根を飛び越え、時には潜り抜け、ただ真っ直ぐに抜けていく。
「まったく、この森は実に深いな」
スケアがこの森に入って既に三時間が経過していた。どれだけ進んでも視界が変わることもなく、地場の影響か方向感覚を鈍らせていく自然を相手に、ただの経験だけで無効化させる彼女は、明らかにおかしいだろう。
恐るべきは、その様なことを出来るようにサバイバル生活をさせ、時には襲いかかり、時には獣を仕向けたりといったことをしたスカアハか。寝る暇を与えないとか鬼畜だよ……。
だが、サバイバル生活はそれだけに留まらず、それから砂漠、雪山、無人島と様々な場所で同じ事をさせられた。
その為、スケアはそう言った場所で起こる障害をあっさりはねのけてしまうように鍛えられた。特に、砂漠はキツかった……。
何はともあれ、スケアは当てもなく彷徨っているわけではない。
森に入る前に、ルーンで強化した身体能力で高く飛び上がり、(太陽の位置と時間から考えて)北西方向に村と思しき場所がチラリと見えた。そこに真っ直ぐ向かっている。
時折、敵意が感じればそちらに向けて矢を放ち、姿が見えぬままいるのであろう生物を悉く屠っていく。
まさに、彼女の前に障害は無かった。時折倒したのであろう生物を見に行き、それを捌き、血抜きを行い、それを食料にして口にしていた。
日を跨ぎ、その日の夕方になってようやく森を抜けた。
そこは小高い丘のようになっており、眼下に広がる村の様子が見て取れた。
木造の家屋や畑が見える。所々に転がっている道具から見て、どうやら、ここは農村のようだ。
その目に入る道具や家屋の形から、今自分がいるこの世界の文明水準がどの程度のものかをある程度判断した。
そんな村の様子が少々おかしかった。幾つかの家には火の手が上がっており、広場等でまるで中世ヨーロッパ時代のような服装の人々が、武装した男達に追いかけられていた。
幾つかの家も扉を蹴り開けられ、中に武装した男が入っていく様を見て、襲撃を受けているのか、と酷く冷めた気持ちで眺めていた。
弱者が搾取されるは世の常。自分も悪魔王の器となり、代わりとして統治していた身だ。何度も攻撃を受け、何度もそれを撃退した。
弱者が強者に挑んでも、返り討ちに遭うのみ。それで辱めを受けても、彼女にはどうでも良いことだ。寧ろ、士気を上げるためにも溜まったものを吐き出させる為にさせることもある。
スケアは黙ってその様子を観察していた。
──統率が取れていない。唯の盗賊だな。
時折、盗賊の振りをして他国の辺境の村を襲うような策もとられることがある。
その様な線も考えていたが、そんな様子は微塵も感じられなかった。
そんな観察をしつつ、人種を確認していく。
人間がいるのは当然だが、見ていると動物の耳や尻尾が生えている存在も何人か見受けられる。獣人がこの世界にはいるのだ。
それがわかっただけでも、スケアは嬉しかった。人間はどうでもよかったが、獣人やエルフなどの異種族に手を差し伸べてきたスケアだ。部下にも、獣人は多かった。
ふと、視線を村の出口に近い場所に向ける。一人の男が盗賊にしがみつき、必死に彼を食い止めようとしていた。
そんな彼らの集団から逃げていくまだ十歳にも満たない一人の少女。猫の獣人だ。そんな彼女を追ってくる二人の盗賊が目に入った。
彼女は獣人だ。ならば、救済の対象に入る。
スケアは彼らの速度と、進行方向から大凡の向かう先に当たりをつけ、自分も駆け出す。
幸い、方角はスケアがいる場所に近い。こちらに向かってくるように駆けて来ていたのだ。
枝をかき分け、少女が向かう場所に急ぐ。それほど時間はかからずにその場についた。
いったん木の陰に身を隠し、息を潜めて様子を窺う。
どうやら、少女は転んだらしく膝をすりむいていた。酷く体を震わせ、躙り寄る男達を涙目に見上げている。
「鬼ごっこは終わりかぁ?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる男の顔が無性に苛ついた。と、同時にその言葉を聞いてこの世界が何所なのかを認識した。
スケアが生前、『ニールマーナ』と呼んだ世界だ。自身の身体能力がステータスとして数値化されている世界だった。
──なぜ、ここに?
そんな疑問が浮かんだが、今そんなことは些末なことだ。
「いや……来ないでぇ……!」
嘆願するように少女が言うも、碌でなしである盗賊がそんなことを言われて立ち退く訳がない。
笑みを一層歪ませて、手に持つ西洋の両刃剣を振り上げた。
スケアは身を潜ませたそこにあった石を拾い上げ、剣を振りかぶる男の顔目がけ投擲。投石は男の眉間に直撃し、パァンッ、と快音を響かせ、その頭部を消失させた。
「おぉ、投石を舐めていたな」
思わぬ現象にスケアは笑い、突然の出来事に戸惑った彼らは酷く動揺していた。
「……え? おい、嘘だろ?」
「ひぃっ……!?」
仲間の男は仲間が突然頭を失ったことに驚愕し、少女は目の前で起こった現象に身を竦ませていた。
その隙にスケアは位置を変える。枝に飛び乗り、幾つかの木を飛び移って残る男の側面に移動した。
「だ、誰だ!? 何所にいやがる!?」
何者かに攻撃されたと判断したらしい。周囲に視線を向け、剣を構えて怒鳴り散らしていた。
スケアは弓を召喚すると、魔力を矢の形にして番える。狙うは頭。軽装な男は鉄の胸当てぐらいしか身を守るものはなく、何所を狙っても容易く屠れるだろう。
だが、確実性を持って、その頭を狙う。頭を狙って生きていればそれはもう人間ではない。
射る。亜音速の域に到達した矢は、男の頭部を木っ端微塵に吹き飛ばした。
「……奴ならあっさりと音速の矢を射るのだが、まだ同じようには出来んか」
思い出す幼馴染みであり、同じスカアハに弟子入りした弟弟子。弓に長けた男で、古代ペルシャの大英雄に憧れた男だった。
大戦時、その身にスケアと同じく呪いを受け、その戦闘にて、もはや助かるまい、と自ら判断して殿を務めた。放つ一矢は大英雄の逸話を元にした究極の一矢。大軍勢を吹き飛ばし、しかしその威力に自身の肉体が耐えきれず、五体が四散し命を落とした勇士だった。
目の前で頭を失った二体の亡骸に完全に腰を抜かした少女に、あまり怯えさせないよう、足音を立てながら近づいていく。
「無事か?」
「ひっ、は、はい!」
「ならばよい。しばらくどこぞで隠れておれ。その間に終わらせておこう」
そう言って、彼女に背を向けて村に向かう。
「そうだ」
立ち止まり、肩越しに少女を振り返る。怯えたまなざしで自分を見る少女に向けて、詠唱を小さく口にした。
「──癒やせ」
詠唱に従い、少女の体が仄かな光に包まれる。次の瞬間には、彼女の膝の怪我がなくなっていた。
治癒の魔術。この程度なら低級として扱われる魔術だ。
魔術は五段階の位階で分別される。
第一位階が基礎的なもので、生活の際に重宝される程度の魔術。そのまま数字が上がるごとに難度も制御も高くなり、スケアが生前暮らしていた世界では、第五位階は一流魔術師がひとつ、多くてふたつしか身につけられていなかった。
今のは分類上第二位階。基礎から少し応用を織り交ぜた程度のものだった。
少女は唐突の魔術に身を竦ませ、傷が癒えたことに目を丸くしていた。
その様子を尻目に、村に入っていく。
屋根に上り、すぐに見つからぬように姿勢を低くしつつ、標的を見据えていく。
先程、丘の上から確認した限り、敵は総勢十八人。今はそこで二人減らしたから、残り十六人だ。
「さて、せいぜい踊るがよい」
スケアは薄く笑った。
その後、村はこれまでとは別のざわめきが起きた。狩る側が一転し、狩られる側となった。
どこからか狙撃され、次々に矢で射貫かれていく仲間達の姿に彼らは下手人を捜し出す。どこから飛んでくるのか理解が及んでいないため、近場の家屋を背に身を低くして、当たる面積を小さくした。
「そうでなくては、つまらんな」
その様を見ていたスケアがニヤリと笑う。
被害を受けていた村人達は無事な者達で固まり、彼らも盗賊達と同じく身を小さくしていた。
邪魔にならないため、スケアにとっては諸手を挙げて喜びたい行動だった。
「さて」
盗賊は既に四人にまでその数を減らしていた。仲間の亡骸を見て顔を真っ赤に怒鳴り散らしている男が一人と、それに怒鳴り返している男達。
「──む?」
どのように殺すかを考えていると、不意に視線を感じそちらを見た。
スケアの右側に見える家の陰に一人の女性が見えた。目測百六十半ば。赤毛に小麦色の日に焼けた健康的な肌。明るそうな性格が滲み出ている顔立ちは、とても整っており、恐らくかなりモテるだろう美人だ。
そんな彼女の頭には犬のものに似ている耳に、殿部に見える尻尾。
──犬……いや、狼か。
酷く見覚えのある人物だが、同一人物のはずがない。その人物は先日の大戦で、死んだのだから。
それにしても、息を潜めている自分に気付くなど、有望な人物だ。犬科の鼻の影響もあるのだろうが、それでもその正確性は大した物だ。実際、村人の中にも犬らしい獣人の姿もあるが、そちらはスケアに気付いた様子はなかった。
女性はこちらを真っ直ぐ見つめ、どこか感激したような顔をしていた。村を助けられていることに感謝しているのだろう。
そんな彼女にニコリと笑いかけてやる。美女のスマイルだ! 見惚れるがよい! 我が尊顔を拝謁する栄誉を特に赦す! なんて馬鹿なことを思ってやったのだが、本当に胸を押さえてその場に四つん這いになったのを見ると、少しばかり驚いた。女性をも虜にするとは……。
「綺麗って罪ね……(言ってみたかっただけ)」
そんな馬鹿なことをしている場合ではない。
今はあの下郎共の処断だ。
先日、スケアが確認したのは身体能力のみ。技術に関してはあまり見ていなかった。
なら、彼らにはその実験台となってもらおう。
スケアは屋根から飛び降り、男達の前に姿を現した。
「おう。騒がしいぞ」
「なっ、テメェ今どこから!?」
「上に決まっていよう? いやはや、所詮は盗賊。見ておれば、技術なんぞないようなものではないか」
「はっ、笑わせるなっ! 弓兵が姿を現したのが運のつきだ!」
確かに、並の弓兵ならそうかもしれない。ただ、弓兵は弓兵で接近戦になったときのために剣を携帯していることも多い。
この世界であれば、騎士も多いため、彼らをよく見ればそれもわかることだろう。少なくとも、スケアの見てきた中ではそうだった。魔術兵はそうでもなかったが、まぁ、それはそれ。これは弓兵の話だ。
「随分と自信があるようだ。ならば見せてみよ! この私に歯向かうことを赦す! せいぜい足掻けよ、下郎」
「テメェら! 囲め! このクソアマの手足をぶった切ってその後で辱めてやれ!!」
「「「おおぉぉおおおおっ!!」」」
士気の上がる動機がなんとも欲求に正直なものだ。
男の指示に従い、三人の盗賊がスケアを中心に囲む。抜剣し、時折派手に振り回して威嚇してくる。が、その出鼻を挫く。
自分の後方に立った男が威嚇目的に振り回した瞬間、地面を蹴り、その腹を蹴りつけた。
「げぁっ!?」
思わぬ衝撃に男は呻き、後方へと大きく吹き飛んだ。
仲間がいきなり吹き飛んでいったことに目を瞠り、それによってできた隙に左側に立っていた男の背後に回り込み、その首を捻り折った。バキリ、と乾いた音が響き、無気力にその場に崩れ落ちる。
「な、な……っ!?」
「どうした? 我が肉体を辱めるのではなかったか?」
ニヒルな冷笑を浮かべて、鋭利な刃物のように鋭い眼光が男達を射貫く。その圧力に、スケアから噴き出してくる濃密な殺意に、二人は思わず後退る。
「つまらぬ。所詮は口だけの阿呆か。いや、欲望のままに生きておるだけと言った方がよいな」
少しは技術を試されて欲しかった。だが、それ以前に相手が悪すぎる。この程度の相手では、愉しめやしない。
仲間内から戦闘狂と言われた人物であるスケアは、確かに強者との戦闘を愉しむ傾向があった。
一瞬で終わってしまえば彼女も退屈でしかなく、しかし並の人間ではもはや太刀打ちできない境地に至ったこの女と渡り合える存在など、もはや少ないだろう。
怒鳴り散らしていた男が剣を構えて、スケアに斬りかかってきた。
袈裟懸け、横薙ぎ、逆袈裟、大上段……腕力に物を言わせて剣を振るっているだけの男に、スケアは捉えられない。右に、左にと洗練された歩法を持って容易に避けていく。
「ぐぅっ! はぁっ!! どりゃぁぁぁあああっ!!」
「先の威勢はどうした? そら、脇が開いておるぞ」
指摘した箇所を手刀で打ち据えていく。
透き通る金髪をなびかせ、まるで舞のように美しく在るその姿に、その光景を見ていた村人達から感嘆の声が漏れる。
時折、もう一人の男が飛びかかってくるも、蠱惑的な曲線を描いたしなやかな右足が跳ね上がり、その顎を的確に捉えたことによってすぐに離脱した。
「畜生!! 何で当たんねえんだ!?」
「どれも直線的で単調だからだ」
男の連撃はどれも単調で、フェイントを織り交ぜることもなく、闇雲に振るっているだけだ。そんなものが当たるわけがない。
「くそがぁあああっ!! 俺はレベル二十八だぞ!!」
──低っ。
「もうよい。飽きた」
大上段からの一閃。暴風の如き圧力を持ったそれを、スケアは前進して軌道上に腕を差し込むことでその動きを止める。
その瞬間、一歩踏み込み、その身を反転させる。男の勢いを散らさないまま利用した背負い投げ。地面に強く叩きつけられた男は背中を強打したらしく、肺の中の空気を吐き出した。
そんな男の顔に足を置き、
「よ、よせ……やめろ!!」
「貴様は襲った村でやめろと嘆願されたらやめるのか? それと同じだ、小僧」
容赦なく頭蓋を踏みつぶした。ミシャリ、と歪な音に続き、脳漿がぶちまけられた。赤い水たまりを冷えた眼差しで見つめ、すぐに何事もなかったかのように外套を翻した。
「そういえば、一人まだ残っていたな」
初めに腹を蹴りつけてやった男。あれは致命傷には至っていないはず。
そう思ったのと、男が逃げ出したのは同時だった。
「む」
「もうやってられるかよぉっ!! 俺は、足を洗う! 真っ当に生きるんだぁぁあああっ!!」
殊勝な心がけだ。それが本当に心から思ったのなら、実に良いことなのだろう。
──儂には関係ないがな。
彼らは獣人のいる村を襲った。それ即ち、断罪の対象に他ならない。
男の駆ける速度は人並み程度。スケアならその程度、容易に追いつける。
追いかけようと、足に力を込め、その力を抜いた。
何故か。男の体が宙を舞ったからだ。
男の逃げ出す先。そこから先程見た女性が現れた。
胸を張り、恐ろしく冷たい眼光で目の前の男を睨み付けている。礼儀作法を学んだ経験でもあるのか、綺麗な姿勢で体の前で手を組み、先程まで村を襲っていた男を前にしても全く怯える様子を見せない。
スケアが徹底的に潰して男達が取るに足りない存在だとでも思ったのか、それとも……。
そう思っていると、男は倒れた姿勢から立ち上がり、武器を手に女に飛びかかった。
「どけぇええええっ!!」
見ていた村人達から悲鳴が漏れる。逃げろ、と呼びかける声が聞こえてくる。
そんな声を一切無視して、女性は男を前に構える。半身になり、腰を落とす。両手共に開手で、脱力を心掛けていた。
剣を無造作に振りかぶる。だが、振り下ろされるまでもなく、神速の踏み込みと共に女性の姿が消え去り、鉄の胸当てに守られた胸部に掌打を叩き込んだ。
直後、打たれた箇所が弾け飛び、鉄の胸当てもバラバラに砕け散った。肉片と鮮血が飛び散り、それだけでその拳にどれほどの威力があったのか窺える。
どうやら、彼女は戦う術を持っていたらしい。
そんなことは知らなかったのか、村人達は唖然とそれを見ていた。誰も声が出せないでいる。
それも仕方のないことかもしれない。
スケアは彼女のことを知らないために、なかなかやる、としか思わなかったが、彼らにとって彼女はそれまで共に過ごしてきた仲間のはずだ。それが、突然予想外の力を見せつければ、皆放心すること間違いない。
女性は男を吹き飛ばした瞬間に距離を取っており、返り血を浴びることなく……何故かスケアの目の前に来ていた。
何故自分の前に来たのかはわからなかったが、彼女は姿勢を正すと、一礼した。
「貴女様の戦いに水を差したことをどうかお許しください」
何故か謝ってきた。
謝られる事は何もないと、苦笑する。
「構わん。奴らの相手は飽きていたところだったのでな。寧ろ、お主を賞賛したい。見事な一撃だったぞ、娘」
それは心からの賛辞だ。あの一撃はスケアですらも本気で対処にかからねば危険な攻撃だろう。アレで死ぬほど柔な鍛え方はしているつもりはないが、それでも直撃すれば大ダメージを負うこと間違いない。
あんな一撃を出せる者がいることに、スケアは感心していた。あれなら悪魔王の軍勢でもやっていけるだろう。それは、三十年程器として悪魔王の軍勢を率いた自分が保証する。
女性は賛辞の言葉に眦が張り裂けそうなほど見開かせ、ブワッと感涙を流した。
そして、思わぬ爆弾を投下した。
「っ……! 恐悦の至りでございます。悪魔王様!」
……なに?