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朝のひととき

 家に少し変わった奴らがやってきてもうすぐ二週間になる。

 彼らがやってきて、毎日がいつも以上に大変になった。だが、それ以上にとても楽しく、充実しているとユーステスは思う。


 事の発端はユーステスとヘテナの境遇に遡る。


 ユーステスとヘテナは元々、深い森の中の一角に身を寄せ合って暮らす種族だった。

 餓狼族と呼ばれる彼らは高い戦闘能力を有し、また滅多に人前に出ない種族だ。


 人間の前に出れば何をされるか分かったものではない。

 世間では人間は異種族に対して迫害を特に行う野蛮な種族としての見方が強い。中には異種族と共存している場所もあると聞くが、人前に姿を見せない珍しい種族である自分達にも同じことが出来る保証がない。

 加えて、共存しているという場所も年々減少傾向にあると聞く。


 そんな事から、森の中で貧相ではあるが集落を作り、隠れ住む日々を過ごしていた。


 父と母と共に畑を耕し、時に父から戦うための心構えと手段を教わっていた。


 ユーステスは父が大好きだった。もちろん、母親も好きだったが、父は男としてとても尊敬できる人物だと子供ながらに感じていた。


 だが、五年前のあの日、その幸せは唐突に終わりを告げた。


 その日、ユーステス達が暮らす集落を魔獣の群れが襲った。

 ただの魔獣であれば、父や他の男衆が撃退した。頻繁ではないとはいえ、時折迷い込んだ魔獣や魔物が村を襲うことはあった。その時は男衆が撃退するか追い払うかするのが日常だったのだ。


 が、今回は相手が悪かった。


 それは巨大だった。父親よりも何倍も大きかった。力がとても強く、力自慢の男衆がまるで赤子のように捻られ、村の男衆が総出でかかって数匹の撃退が関の山だった。


 その外見は靄がかかったように思い出せない。その後の記憶もないから、きっと自分はそれを見て、何かが起きて気を失ったんだと思う。

 ただ、覚えているのは、それが大きかった事と、太い腕が四本あったという事。


 気が付いた時には、ユーステスはヘテナに背負われ、森の中を走っていた。


 何してるんだ。引き返せ。父さんが、みんなが戦ってるんだ。俺も戦う。みんなを守るんだ。


 そんな事を叫んだ気がする。

 だが、ヘテナは決して振り返らなかった。どれだけもがいても、ヘテナは力を強め、その手を離すことはなかった。


 覚えているのは、彼女が泣いていたこと。そして、密着しているからこそ気づいた体の震え。


 何で震えてるんだよ。何を見たんだよ。


 気になって問いかけた。


 しかし、ヘテナは答えない。頑としてその口を閉ざし続けた。

 彼女が何を見たのか、ユーステスはわからず終いだった。


 そうして、二人は森を抜けた。深い森を、ヘテナはふたつ下のユーステスをおぶって走破したのだ。


 そこで人間に捕まった。たまたま遭遇した人間が奴隷商人だったのだ。


 ユーステスはヘテナと一緒に首輪をつけられ、毎日暴力を振るわれた。


 紆余曲折あってユリウスと出会い、助けられた。

 詳細は省くが、ユーステスはユリウスやロイド達に対して酷い事をたくさんしてきた。

 でも、皆は意に介した様子もなく、暖かく迎えてくれた。


 ユリウスは父の次に素晴らしい人物だと思う。


 そしてある日、ユーステスは彼に言った。


 強くなりたい、と。可能なら、Sランク冒険者として有名なヴェルグのように。誰にも馬鹿にされず、大事な人を守れるぐらい強くなりたい。


 それからはユリウスとロイドがいろいろ教えてくれた。馬鹿にされないようにレイチェルからは言葉遣いや礼儀作法を教わった。まだ上手くできないが、始めたばかりよりは良くなっている……と思う。


 ある日、家庭教師を取ろうという話になった。ロイドだけが教える形では色々と考えが狭まるだろうから、とロイドとディーネは言っていた。


 だが、適任はいるだろうか。

 ユーステスはあまり人間を信用していない。それはヘテナもそうだ。奴隷にされ、非道な行いをされてきたのだから当然だろう。一緒に暮らしてロイド達には心を開いているが、それ以外の人間は信用できるとは思えなかった。

 加えて、人間にとって、彼らの信じる宗教の思想から異種族とは滅ぼすべき対象であるという考えがあるらしい。

 その考えに染まっていない人間なんてものは、そうそういない。


 その為、話は保留のまま一年が過ぎた。


 そしてあの日、ヴェルグが街に来たと聞き、また彼が戦うと聞いて、興味があった。

 それを察してか、ユリウスが見に行こうと言ってくれた。


 ただ、獣人であるということをバレないようにフードを目深に被り、ユリウスとヘテナ、お供として今家にはいないが、獣人の使用人と見に行った。


 そこで、そいつらに出会った。


 その時は二人しかいなかったが、そのうちの一人は獣人だった。


 そして、繰り広げられるハイレベルな攻防。いや、実際は一方的な戦いだったが、それでもユーステスにはそれがとてもカッコよく感じた。


 だからこそ、帰ってからあいつらを家庭教師にしたい、と伝えた。

 だが、周りは否定的だった。


 印象が悪過ぎたのだ。ヘテナは放出されたおぞましく不気味な気配に反応して過呼吸になり、ユリウスは人柄が良くは感じなかったらしい。

 一緒に来ていた使用人は、何だか怖い人、と思ったらしい。


 そして、話を聞いて軽く調べたロイドとディーネの間でも意見は分かれた。


 その人柄、所業を調べて、ディーネは否定的に捉え、連れている人物とその腕っ節からロイドは少し肯定的に捉えた。


 何日も協議が続けられた。その間に、彼女らの評価が世間で上下した。


 そしてついに、彼女らを呼ぶことになったのだ。


 彼女らの教えは、端的に言って厳しかった。


 剣術は基本筋トレ。その後に、用意された特注の剣を振るように言われる。

 その剣は普通の剣よりも重く創られ、初めは持ち上げるだけがやっとだった。だが、今ではそれを十回は振れるようになった。


 ……まぁ、教えてくれている人達は全員片手で振り回すのだが。


 体術に関しては教えてくれている人が酷くスパルタで、骨が折れることも常だ。そして、折れたら折れたで即座に治癒され、すぐに再開されるのだから生きた心地がしない。

 治癒された瞬間をロイドやディーネが見た時は二人とも愕然としていたが、どうしてだろう……。


 魔術もかなり厳しいが、基礎的な部分を重点的に、丁寧に教えられる為、日々上達していっているのを自覚している。

 しかも、家にあった魔術教本に載っている魔術には術式に無駄が多過ぎるらしく、それまで出来なかった魔術が教わった途端に使えるようになった。


 総合的に見て、彼女らを雇って正解だと思っている。




 今日は朝早くに目が覚めて、自分にあてがわれている部屋から出る。

 ユーステスの部屋は二階の少し奥側にあった。その為、顔を洗おうと一階に降り、家の裏手にある井戸に赴く。そこで水を汲み、自分の顔を洗って寝ぼけ眼だった目を覚ます。


 そうして家に戻ると、ちょうど自分達と同じ獣人のメリーナに遭遇した。


 自分たち餓狼族とは違う狼の獣人で、深くスリットの入ったメイド服を着た赤毛に小麦色の肌の獣人。可愛らしい顔をしており、背筋も伸びた綺麗な姿勢で立っていた。


 初めて見た時はスケアの召使いか何かと思い、戦う術を持つようにはとても見えなかった。


 だが、それは間違いだった。

 この二週間の間に体術稽古は幾度もあった。その際に相手をしてもらったのだが――


 一撃で沈められた。


 初めは自然体で立つだけの彼女に、ユーステスが突っ込んでいく。父から教わった心構えは、『恐れず、大胆に』。

 それを単純に考え、無策で突っ込んでいたわけだが、それまでのスケアの稽古で徹底的に修正された。

 だが、あまりにも自然体過ぎて隙だらけに見えたのだ。


 だが、拳を振り抜いた瞬間、眼前に迫ったのは先ほどと同じ姿勢で、懐に潜り込んだ彼女の姿だった。

 その後すぐに気を失った。


 彼女の人柄はとても温厚だ。少なくとも、自分はそう思う。

 喋りかければ人好きのする顔で笑い返してくれ、怒ったらちびりそうになるくらいに怖い。

 でも、それ以上に優しい人だった。


「おはようユースくん」

「おはよう、メリーナねーちゃん!」

「朝から元気ね。良いことです。居間に朝ごはんを用意しておきましたよ」

「やったぁ! メリーナねーちゃんのごはんだ!」


 メリーナはとても料理が美味しい。レイチェルやディーネの作る料理と同じものを作って比べても明確な違いが出てくるほどに。

 使っている食材は一緒なのに、不思議なことだ。

 きっと家事スキルが高いからだ、というのがディーネとレイチェルの言である。そして、勉強し直さなきゃ、と戦慄していたのは記憶に新しい。


「おや。おはようございます、ユーステス君」

「おはよう、エルザねーちゃん!」


 居間に急ぐと、そこには先客がいた。椅子に座り、紅茶を飲んでいたその人物も、気配を感じたのかこちらへ振り返った。


 普段の白銀の鎧を脱ぎ、タンクトップにスパッツ姿というラフな格好に髪を結い上げた姿の女性――エルザだ。


 タンクトップから覗ける肌は筋肉質で、普段からよく鍛えていることがわかる。また、所々に痛々しい傷痕が残っていた。

 そして普段の鎧姿からはわからないが、彼女は意外と胸が大きい。

 そういえば、以前ヘテナとメリーナが、エルザは着痩せするタイプだと言っていたのを聞いたことがあるが、なるほどそういうことだったのか。


 胸元には魅惑の谷間があり、そこに首からかけられた小さなプレート状の物体がふたつ。何か書かれているようだが、生憎ユーステスには読めなかった。


 エルザは自分が胸元のプレートに興味を示していることを悟ると、いそいそとタンクトップの下に入れて隠してしまった。


 彼女はどう見ても人間で、ユーステスも初めは少し距離を置こうと考えていたが、一般教養の講義を受けているうちに自然と話すようになった。


「今日は早いですね」


 窓の外を見ると、まだ陽が昇ってそれほど時間は経ってない。そろそろディーネやレイチェルも起きてくるのではないか、ぐらいの時間である。


「ちょっと目が覚めちゃって。エルザねーちゃんこそ早いじゃん」

「私はいつもこの時間ですよ。あとはメリーナ殿と、たまにロードもこの時間に起きてこられますね」


 そう言われてみれば、ユーステスが朝起きてくるといつもエルザ達はもう既に起きていた。もちろん、レイチェルやディーネ、ユリウスとヘテナも起きているが、それでもこれだけ早くはないようだ。


「でもちょうど良かったですね。冷めないように私が手を加えましたが、出来立てのメリーナ殿のごはんがありますよ」

「そうだった!」

「ふふ。ユーステス君は本当にメリーナさんのごはんが好きなんですね」

「おう!」


 エルザに促され、ユーステスは椅子に腰を下ろす。目の前にはとても美味しそうなパンやサラダ、卵料理が広がっている。


「エルザねーちゃんは食べないのか?」

「私はもう食べましたから。この紅茶が食後の一服なんです」

「へー」


 自分から聞いといてなんだが、曖昧な返事を返して目の前の料理に手を伸ばしていく。ひとつ、またひとつと口にする度に染み渡るような食べ物の味が口の中に広がっていく。

 その姿を横目にエルザは苦笑し、その手に持つ紅茶で唇を湿らせる。


 彼女は変わった人間だった。

 いつも指示がない時は常に鎧を身に纏い、自分の担当する仕事がなければギルドに行くか、自身の鍛錬に時間を費やす。


 そのストイックな姿は見習わねばならないところも多いが、流石に度が過ぎるのでは、と思わないこともない。


 彼女は異種族に対する偏見が無く、また人間の多くが染められた宗教の考えに真っ向から反対する人物だ。

 だからこそロイドは雇ったのだが、不器用なところも多い人だという評価が成されていた。


 理由としては、家事が何も出来ないと言っていいほど苦手なのだ。

 しかし、こと戦闘になると、ロイドを相手に一方的に攻める程の猛者。ロイドが世間ではどの程度の実力者なのか、という疑問は出るが、少なくともそこいらの冒険者よりは強いのではないだろうか。


 不意にエルザが扉の方に視線を向ける。

 その様子に反応してユーステスは食事の手を止め、遅れて漂ってくる臭気に「んっ!?」とどもった。


「遅えなァ、遅えなァ? ユーステス、お前今一回死んだぞ」

「随分と遅くまで飲まれていたようですね、狼牙様。お酒の臭いが家に入る前からしていましたよ。控えめに言って臭いです」

「お前ら直球過ぎんだろうが。さっきメリーナも『臭いです。近づかないでくださいます?』って言ってきやがったんだぞ!?」


 臭いの主は気付いた時にはもう既に背後を取っており、ユーステスの首筋に指を一本当てていた。


 これも変わった人間だと思う要因のひとつだった。


 五感が鋭い獣人よりも早く反応してみせるほどの気配探知能力。単にユーステスが気を抜いていただけというのもあるが、それでも鼻の効く自分よりも先にその臭いに気づいていたというのが驚きだ。


「貴方は限度というものを知らないからでしょう。まさか、ツケにしてないですよね?」

「バッチリ、ツケにしておいたぜ」

「……はぁ。ロードに怒られても知りませんからね」

「オレは天下の酒呑童子だぜ? 酒呑童子が何故そう呼ばれんのか、知らねえわけじゃねえだろ」


 そう言って、少し赤い顔で大笑いする銀髪の男。

 キモノというらしい変わった衣服で見上げるほどの――ユーステスの身長(132センチ)では基本的に大人は見上げるが――長身の持ち主で、ガサツで豪放磊落な人柄の男。まぁ、ただガサツなだけともいえるが。


 名をロウガ・ハイバラ(灰原狼牙)と言い、彼もまた変わった人間だ。

 女だらけのパーティで唯一の男性だが、居心地が悪くないのだろうかと疑問に思う。


 彼がユーステスの剣の師匠なのだが、伝えられることがとても抽象的だった。


「違う、もっと腰入れてよォ、斬ッ!! って感じだ莫迦が! そうだ、それが斬だ! ああん? 掛け声? んなもん、適当でいいんだよ適当で。ブッハハハッ! お前全然力ねえなァ? そんなんじゃ大剣なんざ振れねえぞ?」


 これである。

 それを横から見ていたエルザは開口一番、


「貴方は人に教えるのが致命的に向いてませんね」


 と言ったぐらいである。それを見ていたメリーナは腹を抱えて笑っていた。


 ただ、自分は彼の教えがかなり性に合っていた。おかげでなんとなくこうすればいいみたいな事もわかっている。

 今では一緒になって、


「ここはもっと斬ッ、って感じか?」

「莫迦野郎! 勢いが足りねえ! もっとこう!!」

「こうかっ!!」

「そうだ! そして吼えろッ!」

「うおおぉおっしゃぁぁああああっ!!」


 と叫んでいるぐらいだ。


 ただその所為なのか、最近女性陣から可哀想な子を見る目で見られるのはちょっとつらい。


 そんな彼だが、稽古じゃない時も今のように絡んでくることも多い。まぁ、ウザ絡みも多いが、わしゃわしゃと不器用ながら雑に頭を撫でて快活に笑う姿が、ユーステスは好きだった。

 本来なら耳を触らせるのは嫌だが、彼はそれを知ってか知らずか無遠慮に触れてくる。ただまぁ、自分が気を許してしまっている以上文句は言えない。


「くっさ! 酒くせえよ、師匠!」

「おいおい、お前までそんなこと言うのかよ。だぁいじょうぶだって、お前もでかくなりゃこうなるんだ」

「させないように徹底しますよ」

「そうしてください、レイチェルさん」


 気づけば、部屋にレイチェルが入ってきていた。酒の臭いに鼻を覆い、攻めるように鋭い眼差しで睨みつけていた。


 その視線の冷たさといったらないが、狼牙は気にした様子もなく、大笑して返した。


 レイチェルはすぐに気を取り直すと、朝の準備を始めた。とはいっても、既に大凡のところをメリーナが片付けていたようで、


「今日もですか……。ちょっとこのままじゃ堕落しそうです」


 と愚痴をこぼした。


「メリーナ殿も悪気があるわけではないので……」

「尚のこと悪いですよ。いえ、善意でやっていただいてる以上文句は言えないのですが」

「そう言うあいつは?」

「ロードを起こしにいったのでは?」

「あー、あいつ朝が致命的に弱いからな」

「天は二物を与えずとはよく言ったものですね」

「ハッ。主君に対して言うじゃねえか! あの野郎、抜けてるところも多いぜ?」

「ええ。それがちょっとした人間臭さがあって安心するんですよ」


 ユーステスが食事を再開していると、頭上でそんな会話が繰り広げられていた。


 狼牙は相変わらずユーステスの頭にそのガッシリした手を乗せており、なかなか離す素振りを見せない。もう慣れたものだが、初めは困惑したのを覚えている。


「ユーステス。お水はいりますか?」

「あっ、欲しい!」


 レイチェルから水を受け取り、食事を続けている間にも狼牙達の会話は続く。


「あとお前、多分その言葉使い方間違ってんぞ?」

「そうですか? 一人の人間が多くの才能や資質を持つことはない、と言う意味だったと記憶してますが」

「朝起きられねえことも完璧超人じゃねえ証明ってか。まっ、確かに野郎は完璧ではねえわな。超人ではあるが。起こさねえと一週間も眠り続けるとかイかれてんじゃねえの?」

「お言葉の前半については同意します。ですが、後半はロードのお身体のことを考えると致し方のない事でしょう。

 あのお方はお強い反面、御身の体に対する負荷が強過ぎるのですから。――それと狼牙様。後ろ、危険ですよ」

「あン、後ろォ? ――ふぎゃっ!?」


 間抜けな声を上げて、頭に乗っていた感触が突如として消失する。


 どうしたのかと振り返ってみると、顔を押さえて地面に倒れる狼牙の姿が視界の端に移り、正面にあった光景に唖然となって固まった。


 目の前に下半身があった。しなやかなフォルムで蠱惑的な曲線を描くそれに、年頃の少年ならば嫌でも意識してしまう異性の陰部。

 無論、下着は着用されているが、隠れているからこそ意識してしまうそれに、視線が釘付けになってしまう。


 それに遅れて、布が隠すようにふわふわと降りてくるが、完全に隠れるまでがとても遅く感じた。


 そこにいたのはスケアだった。


 家に来た時のような漆黒の装束ではなく、どこかの民族を思わせる衣装。

 白地の半襦袢に胸下から足元が隠れるまで伸びるほど長い巻きスカート。そして、足首辺りまで伸びる黒の布地に炎を模したと思しき蒼い刺繍の入った羽織に袖を通し、胸下の位置で腰紐で結んでいる。

 恐ろしく長い金髪も後頭部で結って簪で留め、それに収まりきらなかった分の毛をそれまでのように垂らしていた。


 しかし、寝起きなのか腰紐は解け、羽織ははだけて両二の腕の位置に引っかかる形で止まり、裡に纏う襦袢もはだけて肩を外気に晒している。簪もほとんど落ちかけで、一纏めにされた髪の大半は下ろされていた。

 その姿が彼女の整った容姿に妖艶な空気を持つその有様から、より扇情的に見る者を強く惹きつけ、魅せる。


 一見して動きにくそうな格好だが、本人曰く見た目ほど動きにくくはないそうだ。それは羽織の側面に脇下まで縦に伸びるスリットのおかげなのだろうと言っていた。


 ただ、本人自身がそういった格好を着た試しがなく、その為、結局動きにくいそうだ。


「……うん? 何か踏んだかな」

「ノミです。主様がお気になさることはないかと」

「そうか。……ふわぁ、眠い。まったく、忌々しい陽射しめ。何故太陽というものがあるのだ。いっそ、破壊してしまおうか」

「ふふふ。キャルマタ様がお聞きになればとてもお喜びになりそうな話でございますね」

「本人を前にしてそう呼ぶなよ。奴は許した者にしかその呼び名を許さん」


 スケアは心底眠そうに表情を崩して悪態を吐く。

 メリーナはそれに面白そうに笑った。


「……今のを踏むと言うのなら、テメエの中の『踏む』の定義を一度問いたださねえとな」


 彼らの足下で倒れた狼牙がそう口にしたが、どうやら彼女らの耳には届かなかったらしい。

  スケアはユーステスに視線を向け、おや、と小さく呟いた。


「珍しく早いではないか、ユーステス」

「おはよう、スケアねーちゃん。早く目が覚めちゃって」

「ふむ、時にはそういうこともあろう。疲れを持ち越しておらんのなら問題あるまい」


 婉然とした笑みを浮かべながらスケアは頷く。


 ただ、先述の通りスケアは現在かなり目のやりどころに困る格好をしている。

 それを気にして見ないようにしているのだが、どうやら彼女にはそういった意識は低いらしい。


「どうしたユーステス。明後日の方を見よって」

「目のやりどころに困るんだよ! 服をちゃんと着てくれよ!」

「む、服……? ――おお、これはしたり。寝てる間にはだけておったか。普段からこうである故まったく気にしておらなんだ。これ、メリーナ。鼻血を垂れ流しておらんで服を正させんか! お主がこの服を仕立てたのであろうが、儂はこれの着付けを知らんぞ」

「ご、ご馳走様です……」

「お前は一体何を言っている」


 鼻血を垂れ流しながら恍惚な表情だったメリーナに喝を入れ、メリーナはいそいそとスケアの着付けに動いた。

 はだけた襦袢と羽織を直し、腰紐を結び直し、シワの入った裾を伸ばし、と手慣れた手つきで作業を進める。


 スケアがその服を渡されたのは初めての剣術稽古の次の日だった。

 スケアはパッと見でそれが何なのかを理解したようで、


「チマチョゴリか? 生憎、それの着付けは知らん」


 と開口一番に述べて、スケアとエルザにあれやこれやと手を尽くされて着せられたものだ。


 しかも、日が経つにつれてまた別の服を仕立てているようで、それを知ったスケアは仏頂面で、


「貴様らは私を着せ替え人形にでもするつもりか」


 と雷を落としたのだ。


 しかし、メリーナの仕立てる動きは止まらず、水面下でひとつ、またひとつと増えているらしい。


 エルザは身嗜みを整えると、スケアの目の前で片膝立ちになり、頭を下げる。


「おはようございます、ロード! 本日はお日柄もよく――」

「よい。面を上げよ。以前も私は申したぞ。堅苦しいのは嫌いだ。自然体でいろ、と」

「ハッ。しかし、私とロードは――」

「戯け。無駄に肩がこるではないか。この私がよいと言うのだ。いつからその命に背けるほど貴様は偉くなった?」

「も、申し訳ございませんっ! で、では……お言葉に甘えまして」


 そう言って、エルザはその場で立ち上がり、先程ユーステスと言葉を交わした時のように柔らかな態度で主に応じる。


「それでよい」

「主様。着付けが完了いたしました。御食事の準備も出来ております」

「御苦労。では、朝餉としようか」

「畏まりました」


 言われ、嬉々としてメリーナは動く。

 スケアが座りやすいように椅子を下げ、目の前に数々の食べ物を用意していく。スケアはそれを受け入れ、用意された食事を口に運んでいく。

 その所作は優雅で、ユーステスにはない高貴さが滲み出ていた。


 彼女は初めて出会った時、王族だ、と他の面々が言っていた。きっと、幼い頃からそうあれかしと育てられたに違いない。


 よく食事中に鳴る食器のこすれる音が全くせず、眠そうな顔で次から次へと食べ物を平らげていく。


 その間に倒れて悶絶していた狼牙も復活し、呆れ顔で蹴られた箇所をさすりながら空いていた椅子に音を立てて座った。

 叱られたエルザもいつの間にか椅子に腰を下ろし、スケアの様子を見ながら紅茶を飲んでいた。


「スケアさんは本当に綺麗にお食事をしますね」

「そういう風に教育されたんだろ」

「……教育係がやたらと厳しかったからな。正直、それぐらい良いだろうと思うことも口を酸っぱくして言われたものだ」

「職務に忠実な方だったのですね」


 レイチェルが見惚れるように口にした言葉に、狼牙が目の前にあったパンに手を伸ばしながら言い、食事の手を止めたスケアが苦笑しながら言った。


 ユーステスはスケアのセリフに、そのままレイチェルをイメージしてしまったが、スケアの様子を見ていると――漠然とだが、きっとそれ以上に厳しい人だったのだろうと思った。


「確かに、あのお方は職務を忠実に実行する立派な方でしたね。誰かさんと違って」

「おいおい、さりげなく上司に毒吐いてんじゃねえよ。そりゃ俺だけじゃねえからな?」

「そうさな。彼の国は職務を全うしない者ばかりだった」

「それは国としてどうなんですか……」

「面白ければよかろう。ぶり返しが儂に帰ってきて面倒ではあったが」


 それは国を動かすにおいて致命的な事ではあるが、あまりそういったことに詳しくないユーステスには、なるほどそういうものなのか、と単純に考えた。


 不意にスケアの前に紅茶が差し出される。食事も佳境に入ったことを見て取り、メリーナがモーニングティーを用意したのだ。

 スケアはその紅茶を受け取り、その香りを楽しみ、喉を潤した。


「そういえば、ロード。またこのロクデナシ様が朝帰りをしてこられました」

「ふっ。いつものことだ。そう目くじらをたてることもあるまい」


 思い返せば、確かに彼らが来て朝から酒臭い事はよくあったが、それが全て朝帰りの結果だとすれば、この二週間のうちの六割は朝帰りしている。

 そうなると、スケアのような達観した態度も納得出来た。


 だが、次に落とされた爆弾で流石のスケアも表情を凍てつかせることになった。


「またツケにした、と仰っておりました」

「あっ、お前莫迦――!」


「――ほう」


 ゾクリ、と背筋が凍る。氷塊を浴びせられたように、全身に重りをつけられたように、不気味な気配が部屋中にのしかかる。


 これまで感じたことのない不気味な気配に、ユーステスは思わず硬直し、レイチェルも目を見開いて身構えた。

 対し、エルザはそれまでと同じく紅茶を楽しみ、メリーナはやれやれと顔に手をやりため息を吐く。


 スケアに視線を戻す。


 いつの間にかスケアの手には狼牙の大太刀が収まっており、滑らかな動作でその一撃が振り下ろされた。


「おっとォ――ッ!」


 普段なら防ごうともしない狼牙が、初めて防御の姿勢をとり、肉迫する凶刃を両手で挟み止めた。

 それを見て取ったスケアは、片手だったのを両手に持ち替え、断ち切らんと更に力を込めた。


「なぜそれが儂の手に馴染んだかがようやくわかったわ。貴様を斬り捨てる為だったのだな」

「絶対ェ違えよ!!」


 ギチギチと歪な音が二人から鳴る。

 いつの間にかスケアの顔には見たことのない紋様が浮き出ており、それを見た狼牙は悪態を吐いて、抵抗する力を強める。

 気の所為か、その全身が隆起した様に見えた。


「テメエッ、"鬼神の紋様"まで引っ張り出してくんじゃねえよ!」

「お主こそ、無駄に抵抗するな。加減を誤って、この家ごと叩っ斬りそうではないか」

「ハハハァッ! そいつはテメエの未熟だぜ!!」

「クハハッ。吼えるではないか。よかろう。容赦無く斬り殺してやろうではないか!」


 瞬間、スケアの双眸が禍々しく赤黒く染まる。白かった部分は黒く染まり、周囲に粘つく様な不気味な気配が滲み出す。


 ユーステスはその感覚に総身を凍りつかせた。一歩でも動けば殺されると感覚的に理解し、指ひとつ動かせなくなった。

 そんなわけないだろうと思う気持ちもあったが、人間とは思えないその姿を見て、どうしてかそんな常識が通用しない相手だと思ってしまい、呼吸がどんどんと浅くなる。


 ふと左手に何かが触れる感触。見れば、自らの左手にエルザの手が重ねられていた。


「え、エルザ……ねえ……」

「落ち着いて。大丈夫ですよ」

「で、でも……」

「ほら、ゆっくり深呼吸して。そう……大丈夫ですからね」


 優しく語りかけるエルザの言葉に従って、ゆっくりと深呼吸する。何度か繰り返し、ようやく周りを気にする余裕が出来た。


 どうやらレイチェルも似た様な状況に陥っていたらしい。しかし、周囲に頼るべき相手がいなかったからか、半ば狂乱状態になりかけていた。

 その肩にメリーナが手を置き、何事かを囁くと落ち着いたようだ。


「な、なんだよあれ!?」

「なにって、ロードですよ。言ってませんでしたが、ロードは人間じゃありませんよ?」

「え、えぇっ!?」

「種族は訳あって言えませんが、あのお方を害そうとしない限りは大丈夫ですよ」

「そんなことしないって! 勝てる訳ないし……」

「賢明な判断ですね」


 状況は変わらず空気は重く、今にも押しつぶされそうな中、辛うじて言葉を返すユーステスと違い、慣れているのかエルザは普段通りの柔らかな態度を崩さない。

 随分衝撃的な事実を聞いた気がするが、現状の空気に流され、頭の中からその真実が拭い取られていった。


 その間にも状況は流れていく。

 いつの間にか二人はユーステスが聞いたことのない言葉で会話しており、何を話しているのか聞き取れなくなっていた。


「まぁ落ち着けよ。面白い話を仕入れてきたんだって」

「ほう、日の本言葉になるとは、他には聞かせられんことか?」

「いや別に。ただ、色々と面倒になったら嫌だろ?」

「……良いだろう。聞くだけ聞いてやる」


 気の所為か、二人の纏う空気感が剣呑なものから穏やかなものになりつつあった。

 言葉はわからないが、スケアの気を引く何かを、狼牙が口にしたのだろう。

 ただ、体勢は維持されたままなのだが。


「なんか知らんが、勇者がこの街に向かってるらしい」

「……情報筋は――聞くまでもないか。信憑性は?」

「一人二人が言っているなら俺だって伝えねえよ。聞いたことがあるって奴は何人もいた。確証はねえが、恐らく確かだ」

「……相容れぬ連中、か。この世界(ニールマーナ)の事だ。聞くまでもないだろうが、ここ産か?」

「想像通り、勇者召喚産だとよ」

「となると転移者か。これまでに()()()()()()()()()()()()。そして、勇者と呼ばれる転移者ども。我らが王に仇なすのは必然だな。今は傘下ではないとはいえ、いずれそうする身。情報は得ていた方がよいか……。まだ情報はあるか?」

「いくつかな」

「よかろう。後で皆を集める故そこで話せ。ツケはいくらだ」

「大銀貨六枚と銅貨九枚。それと、銭貨七枚だ」

「……流石は名高き酒呑童子、か。よかろう」


 そう言った後、スケアは力を抜き、大太刀から手を離した。


 どんな会話をしていたのかは知らないが、どうやら穏便に済んだらしい。

 スケアに生じていた変化は瞬きと共に消え失せ、双眸も元の色を取り戻していた。とは言え、元々彼女の瞳の色は真紅。そこに澱んだ黒に近い色が瞳に浮き上がっていた訳だ。その澱みが瞳から消えたのだ。


 ユーステスは人知れずホッと息を吐き、レイチェルはメリーナに支えられながら椅子に腰を落ち着かせる。


 そんな外部の動きなど興味もないスケアは椅子に腰を落ち着けて、冷めきった紅茶に手を伸ばし、それを横からメリーナが掠め取った。


「冷めきっておりますので、淹れ直します」

「そのままでもよいぞ? 勿体無いではないか」

「なりません。こんな質の下がったものは、口になさる価値がございませんので」

「……そんなことはないと思うが」


 王族、というには酷く庶民的な事を口走るスケアにさっきまで殺されかけていた狼牙が笑いながら椅子に座った。


「いいじゃねえか。好きにやらせてやれよ。減るもんじゃなし」

「この家の備蓄は減るがな」

「んなのオレの知った事じゃねえ」

「はいクズ〜。安定のクズ野郎よな」


 さっきまでの剣呑な雰囲気など何処吹く風。普段通りの気兼ねないやり取りを繰り広げ、その事にユーステスは唖然とした。


 レイチェルはそんな雰囲気にため息を吐きつつ、幾度か深呼吸をして呼吸を整えると――


「それはそうと、スケアさん。ロウガさん。そこに座ってください」

「あ? どうして」

「上をご覧になられてはどうです?」

「上……? あ」


 言われて頭上を見上げると、そこには切り裂かれた天井がそこに存在した。そりゃ、百八十一のスケアがそれと同じぐらいの長さの大太刀を振り回せばそうなるだろう。

 それを見てスケアは苦笑し、狼牙はケラケラと笑った。


 そして、大人しくレイチェルの前で正座になり、


「手柔らかに頼む」

「駄目です」


 雷が落ちた。




「おはよう、ございます……」


 雷が落とされている最中に五人目の来訪者であるシュノンが現れ、レイチェルに正座させられて怒られている二人を見て、目を丸くしたのは余談である。

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