師匠が師匠なら弟子も弟子
「よぅし、やるぞ!」
「いきますよ、父様!」
蒼穹の下、庭で二人の人間が木剣を持ち、対峙する。
炯々とした眼光で息子を見据えるロイド。それに応えるように、父親とよく似た笑い方をするユリウス。
二人を中心に濃密な剣気が立ち上り、それが二人の中心でぶつかり合っていた。
互いに正眼に構え、踏み出す隙を探り合っていた。
「見事なものよ」
「そうかぁ? 頼光や四天王の方が余程だぞ」
「戯け。比較対象が悪過ぎるわ」
「ハッ。違いねえ!」
それを横目に、スケアは狼牙と共にユーステス達の相手をしていた。
事の発端は昼食中。皆で同じ部屋で昼餉を口にしていると、ロイドが午後の剣の講義に参加すると申し出てきたのだ。
どうやら、午前中の魔術講義に参加したディーネを見て、それなら自分も剣の講義に参加しよう、と思ったらしい。
とはいえ、長年剣を振り続けているであろうロイドに教えられることなど何ひとつなく、目につく癖を片っ端から強制するぐらいしかない。
それでも構わないと言うのなら、とスケアは切り出した。
そして、外に出てきたはいいが、酷いと思う癖は思ったほどはなく、ユリウスも剣に関してはなかなかの腕を持っていることから、ひとまずは二人で立ち会ってろと告げて今に至る。
剣の講義にはスケアとエルザ、そしてサポートに狼牙が参加することになっていた。
朝、金を稼いでくると宣い出ていった彼女はもう既に帰ってきている。恐らく、街の住人の簡単な依頼か、近郊の森や平原で魔物や魔獣の討伐、または採取を行っていたのだろう。
しかし、エルザは帰ってきた直後、メリーナに連れ去られ部屋に閉じ込められている。
メリーナからは、
「作業がありますので、それが終われば参加させようと思いますが、よろしいでしょうか?」
と告げられた為、何かスケアには計り知れない仕事があるのだろうとそれを許可した。
結果、こうして狼牙と二人で剣を教えることになったわけだ。
「ロウガにーちゃん、そのライコーって誰だ?」
「オレの首を――」
「――コホン」
「――っといけねえ。昔オレと殺し合った事のある野郎だ。恐ろしいまでの剣の使い手でな。まともにやりあえたらどれだけよかったことか」
狼牙――酒呑童子の伝説における有名な話だ。
大江山に潜む鬼を退治する様に命じられた源頼光は、部下を連れて大江山に向かった。まともに打ち合えば勝てないと判断した彼は、旅人になりすまし、狼牙達鬼に取り入って酒宴を行い、寝静まったところを一網打尽にした。
確かに腕は良かったのかもしれないが、素面では勝てないと断じたこの男に言われるのは複雑だろう。
「それよりも今は剣の講義だ。とはいえ、お主らは何が良いか」
「スケアねーちゃんはどんな感じなんだ?」
「こいつのはやめとけ。芸当が繊細で、尚且つ複雑過ぎて普通は出来ん」
「否定はせんよ」
ユーステスの素朴な疑問に、すぐに狼牙が否定する。
言われた内容に自覚もある為、スケアは苦笑するだけに留まった。
「じゃあ、エルザねーちゃんは?」
「あやつの剣はちと堅苦しいな」
「まぁ、騎士だからな。オレ達のとこに来て多少ゆるくはなったが……騎士になりたいわけじゃねえならやめた方がいいんじゃねえか」
「無論、奴の剣がお前自身に合うと言うのなら推奨するがな?」
本人のいないところで、剣術の練度ではなく堅苦しさを語られるのは本人はどう感じるのだろうか。
「スケア先生は魔術師でしたよね?」
「いかにも」
「では、どうして剣を振ろうとお思いになったのですか?」
「嘗ての儂は魔術一辺倒と言ったものでな。それだけでは対策を取られると手が出せなくなる。故それはいかんと思い、数多の師匠に教えを請うたわけだ。とはいえ、それ以前から儂は親からある技術を学んでいた。その技術を伸ばし、また手数を増やそうとそれ以外に手を出したわけだ。――ああ、真似はするなよ。勝手がわからず自壊するぞ」
スケアはこと魔術においては――師匠のおかげで――幼い頃から一流魔術師以上に魔術を振るえる様になった。
しかし、魔術のみに注力していた結果、それ以外が疎かになり、別の苦労をする事になったのだ。
それを憂い、頼み込んでスカアハに師事したわけだが、その修行の厳しいのなんの。
今こうしてスケアがユリウス達を教えてはいるが、自分の受けた修行を考えればこんなものは生温い。
いや、あれはスカアハの修行が厳し過ぎるだけか。
スケアの言葉を聞き、なるほど、と曖昧な相槌を打つヘテナ。
「そういえば、お主も剣を振るのか? 言っては悪いが、ヘテナは剣は向かんと思うが」
「はい、ユリウス様からもそう言われました」
「ユリウスがか?」
ヘテナの同意の声に、スケアと狼牙の視線は再びユリウス達に向く。
すると、丁度戦いが始まったようで、二人が同時に踏み出し、木剣を振り下ろした。
確かに力も強く、体術の心得があるユリウスだが、やはりその筋力の差は覆らないようで、数度打ち合い、鍔迫り合いになると、すぐに強引に押し飛ばされていた。
「ユリウス様は、私は小回りの効く武器の方が向いている、と仰いました」
「となると、ナイフや暗器の方が良いか。ちと難しいが、使えれば面白くなるぞ」
子供に武器を使わせて、面白くなる、とは酷い発言だが、人間の感性など幼い頃には殆ど消えた身。ヘテナの微妙な表情の理由に気づかずに言葉を紡いでいく。
「問題は相手との間合いだが、それは体術にも繋がる話になってくる。何度も繰り返し、体に覚えさせるのだ。そして、実戦を経験する。これが一番だろう」
そう言って、スケアはその手にゴム製のナイフを投影した。
「スケアねーちゃん、それなんだ? ナイフみたいだけど、オレの知ってるのと違うぞ」
「儂の故郷で使われていたものだ。このように柔らかい素材でできておる故、そうそう怪我をすることもあるまい」
そう言って刃先に指を当て、ぐにゃり、と曲げてみせる。
それを見たユーステスとヘテナは、おー、と小さく声をあげた。
スケアはそれをヘテナに渡し、その持ち方、構え方の説明に移っていく。
それを横目に、狼牙もユーステスの相手に移っていく。
「お前、どんな剣を使ってみてえんだ?」
「『竜殺し』みたいなでっかい剣!」
「誰だそりゃ?」
「先日、エルザが一方的に嬲ったあの男よ。大剣を使い、善戦した」
「あー、あいつか。あの剣振ろうとすんなら、取り敢えず力つけねえとな」
大剣は見た目通りかなり重量を感じさせる武器だ。その分、扱いは大振りになるのが主で、機動力が極端に削がれてしまう。反面、その破壊力は並外れて高く、うまく扱えれば複数人を同時に斬り飛ばすことも出来る。
巧みに扱うためには、当然その重量を支える為の筋力が必要になってくる。まだ幼い彼は筋肉は付いているが、大剣を振るえるほどではないと考えていた。
それにしても、やはりSランク冒険者というものは子供に憧れを抱かせるらしい。スケアが戦った時のギャラリーの様子からしてもそうだった。
強過ぎる力は忌避されると言うが、どうやらスケアはそれが如実に出ているようだ。
スケアがそんなことを考えている間に狼牙はひとつ頷くと、家に立てかけていた自分の大太刀を取ってきた。そして、それをユーステスに突き出した。
「持ってみな」
「お、おう――うおぉっ!?」
恭しくそれを受け取ったユーステスは、直後、その重さでつんのめり、落としはしなかったがぷるぷると震えながら堪えていた。
「な、なんだよこれ!?」
「へえ、落とさなかったか。上出来じゃねえか。んじゃ次は振ってみろ」
「こ、これを振るのかよ!?」
「これを振れねえんなら、大剣なんぞ持ち上げられねえよ」
無茶苦茶だ。だが、それが正しくもある為、スケアは口出ししなかった。
言われたユーステスは小刻みに震えながらも大太刀を構え、ゆっくりとした所作で、軸がブレながらも振り上げる。
そして、ひと思いに振り下ろそうとして、大太刀の重さに体が持っていかれ転倒した。
まぁ、六尺はある大太刀を、十歳という若さの少年が――獣人ではあれど――持ち上げたのだから、上出来ではあるだろう。
それを理解していて尚、狼牙は腹を抱えて笑う。
「ハハハハハハッ! 圧倒的な筋力不足だな!! ダッセェぞ、その姿!」
「やめてやれ。下手すると泣くぞ」
口では諌めるスケアだったが、護法の主たるスケアもまた、笑いを堪えていた。似た者主従である。
笑われたユーステスは当然不機嫌になる。出来なかったら笑われた。それほど不愉快なことはないだろう。スケアなら怒りのあまりその首を切り落とすかもしれない。
ヘテナはむくれてしまったユーステスを励ましにかかる。
その間に、スケアもその身の丈程ある大太刀を手にして、二、三度ほど振り下ろす。
あまり振った経験はないが、どうしてか実に手に馴染む。まるで何度も扱ってきたかのような錯覚を覚えるそれに、スケアは人知れず首を傾げた。
「相変わらず重いなこれは。普通の大太刀よりも重く創ってあるだけはある」
「ここの常識に合わせたら、どの程度だ?」
「そうさな。五百あれば振れる。持ち上がりはしたのだ。ユーステスの膂力は四百はあるだろうよ」
「『鑑定』使えよ。その方が間違いがねえ」
「面倒だ」
「何だそりゃ」
奇妙な会話に、それを聞いていたユーステスとヘテナは、こてん、と首を傾げる。彼らは二人の会話にどのような意味が込められているのか理解出来なかった。
そうなるように、言葉を濁しているのだから当然ではあるが。
ここの常識、というのはつまりステータスのことを言っている。
元々ステータスの存在がない世界の出身であるスケア達は、自分の手で大凡の身体能力を把握し、幾度も試して肌に合った武器や戦い方を選ぶ。
それをしてきたからこそ、ステータスをあまり重視していない二人だが、彼ら自身そのステータスがどのような意味を持つのか、詳しくは知らなかった。
漠然と数値が高ければ高いほど強い、という認識でしかないのだ。
そしてスケアは生前、身の回りにいる者達は基本的に文字化けであったり、五桁は超える数値を持った者ばかりだった為、その年代の平均値というものを把握出来ていない。
その為、ユーステスがどの程度の数値になっていようと、関係ないから剣を振ってろ、という考え方にしかならなかった。
しかし、その数値が本当に意味があるのか疑問に思っているのもまた事実。
何故なら、高ステータスの人間をそう見る事がないために詳しくはないが、身の回りの文字化け集団は、スケアのよく知る身体能力をしており、また、生物にとって当然である身体的特徴しか有していないのだ。
例えば、耐久という表記がステータスに存在する。
その名称から察するに、数値が上がれば打たれ強く、また肉質を硬化させるのだろう。
だが、スケアは打たれ強くはあるだろうが、打撃は普通に効くし、斬られれば当然血が流れる。
肌が硬くなったとか、そういったことを自覚したことはなかった。
そんな要因もあり、尚更ステータスの意味を把握しきれないでいた。
「となると、まずは筋トレからか?」
「そんなもの、こやつらはいつもしておる。のう、ユーステス?」
昨日、スケアの体術講義の最中、暇を見てはユーステス達が筋トレをしていたところを目撃していた。
それを思い問いかけると、案の定ユーステスは頷いた。
「お、おう! 毎日やれって兄貴に言われてるんだ」
「ほぉ。何やってんだ?」
「まずは腕立てを百。それでスクワットを二百。腹筋を百。後は……」
「もういい。メンドくせえからとりあえず全部三百ずつ増やせ。それを三セットな」
ユーステスが思い出すように指折り数えて答えていくのを狼牙が止め、無慈悲な判断を下した。
「さ、三百!? それを三セットぉ〜っ!?」
「そ、それはあまりにも多いのではないですか!?」
「いや? まぁ、歳にしちゃあやってる方だとは思うが、まあ普通だろ。おい、スケア。お前、コイツらぐらいの頃は何回やってたんだ?」
「儂か? 一万を二セット。後はダッシュを八キドメクロだな」
ユーステスとヘテナの表情が凍りついた。
気持ちはわかる。だが、驚くべきところはそれだけではない。一通りの筋トレ全てを一万二セットなのだが、それら全てを行なってようやく準備運動だという頭のおかしさだ。
これをスケアに言い聞かせたのはスカアハなのだが、この準備運動の際にも容赦なく攻撃を仕掛け、また終えた後は地獄のような稽古に入るのだから本当にやめてほしい。
それで怪我をしても、何怪我をした? 仕方のない奴め、治療してやる。よし、治ったな? じゃあ再開だ。と、強引に再開するのだ。他にも、話を聞いていないのならその耳はいらんな、と削ぎ落としてきたり、失敗すればその足を斬り落とすぞ、と脅して実行してきたり……。
鬼畜という言葉では生温い程の所業の数々だった。
――思えばよく耐えきったよな、俺……。
素でそんなことを思うぐらいには生きた心地がしなかった。
それを思えば、狼牙の指示などただのカモである。
おっと、思い出しただけで軽く寒気が。
ユーステスとヘテナは憐れむような眼差しでスケアの元に寄ると、
「大丈夫です。きっと努力は報われますよ」
「そうだぜ、スケアねーちゃん。強く生きてくれよ」
「待て。お主らはいったい何を思った?」
「筋トレが友達」
「呪い殺すぞ貴様ら」
思わずそう言ってしまった自分は何も悪くないと思った。
「ふぅ、いい汗かいた」
「おっ、終わったみてえだな。思ったよりやるじゃねえか、ユリウス」
しばらくすると、軽く汗を拭いながらスケア達の元へとやってくるユリウスとロイド。どうやら、立ち合いはもう終えたらしい。
ユリウスもロイドも肩で息をしており、なかなか白熱した一戦となったようだ。
特にロイドは満足そうに笑っていた。息子の成長が嬉しいのかもしれない。
「ありがとうございます。それで……これは何してるんですか?」
ユリウスの視線の先には、ひいひいと悲鳴をあげながら腕立て伏せをするユーステスがいた。
だが、ただ腕立てをしているわけではない。少しバカなことを口走ったお仕置きを兼ねて、スカアハ流のしごきをしてやっているわけだ。
つまり何が起こっているかというと――
「す、スケアねーちゃん……っ! あ、あぶっ!? あぶねーって! 火がめちゃくちゃ飛んで来て――ひぃっ!」
「ほれ、よく見て避けんか。腕を焼かれそうなら片腕でやれ。足や胴体が貫かれそうならば逆立て。飛び退け。方法はいくらでもある。そら、出血大サービスだ。氷の雨もくれてやろう」
「ご、ごめっ――悪かったって、スケアねーち――ぎゃああぁぁぁぁぁ――――!!」
悪魔のように歪んだ顔で、腕立て伏せをするユーステスに向けて初級の火属性魔術、『火球』を豪雨のように降り注がせ、木剣を片手に、時折ユーステスの体ギリギリを擦過させる。
そして、そこに"火球"を発動しながら"氷礫"と呼ばれる氷属性初級魔術を同時に発動した。
迸る絶叫に皆が動揺するが、よく見るとかすり傷しか負っていないことがわかる。
当然だ。始めたばかりの者に、当てようとするほどスケアは鬼ではない。慣れてきたら当てるが。
「しかし、本当に見事な腕前だよなぁ。やっぱり、大変だったりしましたか? 魔術の鍛錬ってのは」
スケアが違う属性の魔術を同時に行使しているのを見て、ロイドはさめざめと呟く。
スケアはユーステスから視線を外し――魔術の展開は続けながら――ロイドの疑問に答える。
「大変どころではなかったな。少なくとも、お主の伴侶の経験した修練と比べれば、生きた心地がしなかったのは確かだ」
スケアの言い分に、ロイドがムッとする。
「それは、ディーネがまだまだ弱いという事ですか?」
「フッ。赦せ。儂の言葉が足りなかったが故の発言よ」
苦笑し、自らの手を見る。正確には、その皮膚の下にある魔術回路を視る。
「儂の魔術の師はちと横着する性格でな。――ロイドは聞いてはいなかったが、魔術回路の話はしたな?」
その言葉に、ユリウスとヘテナは頷きで応じる。ユーステスは応じる余裕がない。
「魔術回路の総本数は三十六本。本来ならば何年もかけて閉ざされたそれらを全て開き、保有する魔力量を増やす。
だが、横着した師は手っ取り早い方法を行った。早く済む代わりに失敗する可能性が高く、また死の危険性が限りなく高い方法を」
「そんな方法が?」
「ある。閉じている魔術回路を強引にこじ開けるのだ。しかし、その負担は重く、肉体が耐えきれずに裂け、全身の血が抜け、己から死を求めるほどの激痛が全身を蝕む」
「それは――っ」
明らかに非人道的。普通なら耐え切れずに死んでしまうであろう危険な方法だ。
その魔術回路を開く術がそれともうひとつしかない場合でも、恐らくは誰も選ばないだろう方法だ。
それをスケアの師匠が容赦なく行ったというのは驚愕に値する。
「感覚的にはそうさな……内蔵をずっとぐちゃぐちゃにかき混ぜられているのが近いな。胃が収縮し、腸が捻れ、肺が痙攣し、血液が逆流して、肉体が耐えられずに瓦解する。あまりもの激痛に、儂も悲鳴をあげたものだ」
「へぇ、お前が?」
「応さ。当時はもっと生きた目をしていた自覚がある」
生憎、当時のスケアを知る者はここにいない。
狼牙を蘇生させたのは十代の終わり。エルザと出会ったのは十八の頃。メリーナは一度会ってはいたが、その当時は悪魔王の城に入る事を認められる為に力をつけている最中の為、顔見知り程度の認識でしかなかった。
そうなると、どうしてもスケア自身の言葉を信じるしかなく、真実であったとしても信じたくないような内容であった。
「ユリウス達には……」
「せんよ、そんな事は。生き残れる可能性が低過ぎて危険過ぎる」
「その言い方じゃ、ある程度生き残れる可能性があるならするって言ってるみてえだな?」
「愚問だ。手っ取り早く出来るのであれば、手間が無くて助かるというものだ」
「師匠が師匠なら、弟子も弟子だな」
狼牙は半笑いになりながら、嘲るように吐き捨てる。
喧嘩腰にしか捉えられない態度にロイド達は息を呑むが、スケアはそれをニヒルな笑みで応えるのみ。
二人の距離感が測り切れていなければハラハラするだろうが、これが二人なりの気楽な距離感なのだ。
喧嘩に発展する事は無く、お互いに馬鹿なことで罵り合うのが日常。主従としては間違った関係かもしれないが、堅苦しいものを求めていないスケアにはこれで充分だった。
スケアは気を取り直すように息を吐くと、ようやく魔術の猛威を止める。
「さて、元々の議題に戻ろうか。此奴の剣、誰が教えるかだが……」
「まっ、あの野郎に最も似た剣はオレが使う。それなら、オレしかいねえだろ」
「そうさな。貴様に可能か?」
「ケッ。やるだけはやるさ。鬼がガキに武器の手ほどきをするたァ、人生何が起こるかわかんねえなぁ。おっと、鬼生つった方がいいか?」
「どちらでもよかろう」
実際、狼牙はこれまで人にものを教えた試しがない。教えることがなかった、というのも理由のひとつだが、もちろんそれだけではない。
単純にこの男が感覚派なのだ。そのチャンネルが合う者ならば軽く教授可能なのだろうが、生憎これまでにそんな者はいなかった。
どうなるのか軽く心配にはなるが、そもそも深く興味を示すようなことでもない。
元来、そういった心の機微に疎いスケアは、冷めた眼差しで狼牙とユーステスを見据えていた。
そこに横から声がかかる。
「あの野郎とは?」
「ヴェルグって男だ」
「ヴェ、ヴェルグと同じ剣が使えるのか!?」
「あくまで似た剣技であるだけだ。奴の武器と、オレの武器は用途が違えからな」
狼牙はそう言ったが、完全に用途が違うというわけではない。
大剣は大振りになる代わりに遠心力と全身の体重移動を利用し、武器自身の重さを以って相手を叩き潰すのが主な用途だ。
対し、大太刀というのは本来馬上から馬の動きに合わせて敵を切り払い、または刺す目的で利用するというのが用途である。
通常の太刀や打刀と違い、大太刀は手首のスナップを利用する事は出来ないが、その大きさに見合った重さである為、大剣や西洋の剣と同じように武器の重さを利用しての打撃として用いることも多々ある。
つまり、細かな部分に違いはあるが、大剣と比べても似通った部分はかなり多かった。小回りがきかないというところも特に。
それを思えば、やはりユーステスの剣は狼牙が適任であるような気がしてきた。
スケアの足下で、ぜぇぜぇと息を乱すユーステスに視線が集まる。
どうやら、先ほどまでのしごきで体力を消耗して、頭上での会話が耳に入っていないようだ。
あの程度で疲れていては、スカアハの修行は耐え切れまい。
そんな確信を持ちながら、スケアは声をかける。
「ユーステス。お主の剣は狼牙が教えることになった。これから剣の講義の際はこの男に付きに行け。儂も時折面倒を見るが、やはり主な面は此奴が見ると思っておけ」
「はぁ、はぁ……ぜぇ……げほっ! わ、わかったぜ!」
「まだまだ元気そうだな」
「ひぃっ!!」
「……冗談だ」
そこまで本気で怯えられるとスケアも思うところも出てくる。
とはいえ、改善するつもりは今の所ないが。
「さーて、んじゃやるかね。先ずは腕立てからか」
「またぁ!?」
「言ったろうが、筋力不足だってよ」
先ほどあれだけやらされた腕立てを再びさせられることになり、勘弁してくれと言いたげに抗議の声を上げるユーステス。
しかし、鬼である彼がそれを考慮するわけもなく、容赦なく筋トレを指示した。
それにわかりやすく絶望するユーステス。
それに苦笑したヘテナは、少しでも休憩の時間を増やせられればと口を開く。
「スケア先生、質問が」
「赦す。申してみよ」
「スケア先生も剣を使うんですよね?」
「なんだって? ヴェルグを徒手で倒したとは聞いていたが、それは初耳だぞ!」
「いかにも。幾つかの剣術を独学、または教授され修めている」
ロイドの前でわざわざ言うことでもないものをなぜ事前に伝えておかねばならないのか。
そう思い、特に反応を見せずにヘテナの問いに答えた。
「それは先ほども仰っていたように、繊細なものなのですか?」
「先に狼牙が口にしたものは儂自身が身につけた剣術を混ぜ込んだものだ。それ故に複雑になってしまってな。それに、儂は元々剣術は我流。初めて教わったのは抜刀術の方でな」
「バットージュツ?」
「わかりやすく言えば、居合いだ。良い機会だ、見せてやろう」
そう言って、スケアは虚空から妖刀をその手に収める。
突如として現れた刀に瞠目し、次いでその刀の禍々しさに皆一歩後退る。
彼らにはその刀を一見すると、少し反りの入った片刃の剣のようにしか見えないだろう。だが、その剣からは尻込みするようなおぞましい気配がした。
少しでも近づけば、頭がおかしくなりそうなほどに不気味なそれを、彼らの誰もが息を呑んで注視した。
スケアからしてみれば、その手に握る妖刀が何故か機嫌が良いな、という感覚でしかなかったが。
「誰か、儂に向けて何か投げてくるがよい。我が抜刀術をその目に焼き付けてやろう」
「んなことしなくてもいいだろ」
「む?」
「おい、狂信者メイド。テメエの主人から勅命だ。この木の葉を何枚か落とせだとよ。自然なままでな」
そう言って狼牙は、自分の側に立つ木をこんこんと軽く叩いた。その木は今朝、スケアの"衝撃"の的にした、ディーネが大切に育てたというあの木だった。
だが、当然この場にメリーナはいない。声量も普段通りだった為、今彼女達が籠っている部屋に届くはずがない。
そう思っていたが、彼女は獣人だ。それも狼の。普通の獣人達よりも耳が良く、また同種の間でも優れた五感を持つ彼女ならばもしかすると。
そう思ったと同時だった。スケアの脇を突風が吹き抜けたかと思うと、狼牙が示した木の下にメリーナが現れ、
「せいっ!」
少し可愛らしいながらも気迫のこもった声で木を蹴りつけた。
今朝のことがあったからか、はたまたそのような指示だったからか、木は衝撃に揺れ、ひらりと四枚の葉を落とした。
突然現れたメリーナに皆は目を瞠り、その行動に唖然としていた彼らだったが、状況は刻々と動いていく。
蹴り足を戻したメリーナは一足飛びでその場から離れ、いつの間にか狼牙でさえもその場から少し離れた場所で笑みを浮かべながら立っていた。
そして、気づけば奇妙な音が響き始めていた。 チン、チン――と一定のリズムで鳴る音に皆の意識が引きつけられる。
音の出所はスケアだった。正確にはその左手に握る妖刀。親指で妖刀の鍔を押し上げて鯉口を切り、そして納めるという一連の動作を幾度も繰り返し行う。まるで自身の中でタイミングを計るように、何度も、何度も――。
ふと気付けば、スケアの顔面から表情がごっそりと抜け落ちていた。まるで元から表情が存在しないように、病的なまでの無機質さ。
先程までは少し会話とズレの感じられるも確かにあった感情がそこには無く、そこにユーステスとヘテナが驚いた。
しかし、先程まで木剣を打ち合っていた親子は、別の面で驚いていた。
全く隙がない。
正面から挑みかかれば間違いなく斬り殺されるという事を本能的に理解させる。では、側面、または後ろからはどうだろうか。言う必要などないぐらいにわかりきった話だった。
コツ、とヒールの形をした具足が音を鳴らす。
一歩、また一歩と進むごとにスケアの気配が曖昧になる。確かにそこにいることはわかるが、視界に収めていながらも見失いそうな不可解な現象に皆が目を擦る。
ひらひらと不規則な軌道を描いて落ちる四枚の葉を一度視線で一筆書きに追う。そして、落ちる葉の下に辿り着いた時――
パチンッ――とこれまでよりも少し強く、しかしよく聞いていなければ違いに気づけないくらいの微妙な変化。
が、一番違うのはその柄に空いていた右手が伸びていた事だ。
あまりにも自然な変化に、皆が一瞬変化に気づくのが遅れ、スケアを囲むように十六枚の葉が地面に落ちた。
ヒュッ――と小さく呼気を漏らす。構えを解き、それを目にしたメリーナが即座に動き、彼女の周囲に散らばる葉を手に取って、ロイド達の元へ戻ってくる。
「どうぞ」
「……えっ。あ、どうも」
呆然としていたロイドは一瞬反応が遅れ、メリーナからそれを受け取ると、メリーナはスケアの元へと戻っていく。
「見事なお手前にございます」
「世辞はよい。聞き飽きた」
「いえいえ、本心からの言葉にございます」
「アレのガキなだけはあるな。抜刀の瞬間に気付けなかったぜ」
それはそうだろう。全員が気付けないような瞬間を狙ったのだから。抜刀術の居合いは熟練者ほど抜刀の瞬間が目視しにくい。ただ、その後は目に出来るため、相当な使い手であればそれに反応してしまう。
事実、先の大戦で戦った者達は、名の知られた者達の多くはこの抜刀に反応してみせた。
それを経験している身としては、もう反応されたぐらいでは驚かない。
ただ、スケアは明らかに考慮していなかった。
そんな経験があるから、見えていても驚かない。
だが、ただの人間やまだ十と少しの子供にそれが見えるわけがない。自分が人間の領域でないということを、完全に意識していなかったのだ。
それが何を意味するかといえばつまり、
「ね、ねーちゃん。今の見えた?」
「み、見えませんでした。ユリウス様はどうですか?」
「駄目。抜刀の瞬間から終わりまで何も見えず、感じもしなかった……」
「……これまで色々なやつを見てきたが、あれはそのどれもを凌駕する。しかも今の一瞬で、全ての葉を縦と横の二回斬ってる……! 不規則に動いて、捉えにくいはずのこんな薄いものを」
彼の手の上には、切断面が綺麗な葉がある。もともと一枚だった物が四つになって、それが四枚分。
確かに落ちる葉をその途中で斬るのはかなり難しいことではある。それが出来てこそ、抜刀術は極まったと思っても差し支えないだろう。
スケアの抜刀術は間違いなく神域に至っているだろう。だが、スケアの師匠の一人である母親は、今のスケアよりも抜刀術の技量は上だ。体術と抜刀術の極致に至っている人物である事は間違いない。
本当に、何故神代の生まれではないのか。もしそうだったなら、もっと有名な人物になっていただろうに。
尚、これはスカアハの談である。
スケアはその妖刀を手から消すと、腕を組み、彼らの元へ近づいていく。
この時には既に、その顔面には若干の感情の色が戻っていた。
「これが儂の抜刀術よ。とはいえ、これを教えはせん。これを使おうと思えば、また別のことも並行して教えねばならんからな」
それを聞き、ロイド達は少し残念そうになる。
その胸中を察しはするが、わざわざそれに応えてやる理由もない。それに、口にはしないが、ユリウス達にもこの術理は向いていない。
ユーステスは狼牙と同じく力のゴリ押し。ヘテナは小さく小回りの効く武器を。ユリウスは父親と同じ剣の地盤が形成されきってしまっている。
そんな状態の彼に、別の術理を教える事は害にしかならないだろう。
少なくともスケアはそう考えた。
狼牙はどう考えているのかはわからないが、教えてやれといった口出しをしてこないということは、彼も似たような考えなのだろう。
「さて、もう小休止もよかろう。そろそろ始めるぞ」
「あ、バレちゃってました?」
「露骨であったな、ヘテナ。儂の師匠がここでお主らを鍛えていたのなら、斯様な手法は乗っては来ぬよ」
「遠回しな自分は優しいだろアピールやめろ」
狼牙の呆れた声に、ニヤ、と笑い、各々に教えに行こうとして――
「メリーナ殿~? そろそろ戻ってきて欲しいのですが! 私にこの作業は苦痛なんですよ!」
「武人――それも騎士とはいえ貴女も女の端くれ。それぐらいは出来るようになってはどうです?」
「勘弁してくださいよ!」
メリーナ達が閉じこもっていた部屋の窓から顔を覗かせたエルザから悲痛な声が漏れる。
何をしているのかわからないが、エルザが苦手な事をメリーナは彼女としていたようだ。
本人が苦手な事を無理矢理連れ立って始め、途中でそれを完全に一任して出てきてしまうとは、もしかして、エルザっていじめられてる?
「メリーナ先生、いったい何をしてるんですか?」
「ふふ、終わってからのお楽しみよ。――では、主様。暫しお時間を頂きます」
「よかろう。疾く行ってやれ。エルザめがやつれておるぞ」
「メリーナ殿~っ!」
「わかりました! わかりましたからそんな声を出すものではありません! ほら、しゃんとしなさいっ! シュノンが呆れてますよ!」
「いいえ、呆れてません。すごくびっくりしてるだけです」
「それを呆れてると言うのですよ、シュノン」
「言わんわ戯けめが。間違った事を教えるでないわ」
今にも泣きそうな声でメリーナの名を呼び、それを諌めながら部屋へと戻っていく姿に、皆どこかほっこりとした空気感を漂わせていた。
まったく。エルザは出来る時は凛とした人物なのだが、出来なくなるとすぐにこうなる。それも、日常生活の方で特に。
それが彼女のひとつの魅力であり、平和な日常の光景でもある。
気になることといえば……。
「あいつら、結局何やってんだ?」
「知らん。メリーナの言を鑑みるに、花嫁修行か?」
思いつきでそう口にしては見たが、お互いの中で結論は出ていた。
二人は互いに顔を見合わせ、
「ねぇわ」
「無いな」
実に無情な発言をして、
「いや、流石にそれはかわいそうな気がするんだけど……」
そうロイドに諭されるのだった。
結局エルザが解放されたのは、剣術の講義が佳境に入ってからだった。その時の彼女はかなり憔悴していたのは、言うまでも無いことだろう。