魔術講義
大変長らくお待たせいたしました。
二ヶ月ぶりの更新です……。
「さて、得意属性を把握したところで、そろそろ講義に移ろうか。まず始めに、お主らに問うておきたいことがある。なに、簡単な問いだ。魔術を扱うにおいて、必要不可欠であるものは何だ?」
得意属性の把握も終え、各々を席に戻し、元々する筈だった講義に移る。
その筈だったが、ディーネはどうしてか部屋に居座り、ロイドだけが部屋から出て行った。
理由は想像できなくもない。先の問答であったが、スケアは常識が崩れる可能性が高い、と明言した。ディーネは魔術師だ。常識を崩すと明言された以上、同じ魔術師として興味が出たのだろう。
改めて彼女に目をやる。
ウェーブがかった茶髪はよく手入れされており、貴族の令嬢にも負けず劣らずの毛艶をしている。顔のパーツも整っており、元男という観点から見て、男好きする顔だろうと思う。
身体も痩せ過ぎず、太ってもいない。豊満なバストの影響で服にボディラインは浮かんでおらず、しかしその腕はこの街で見た女性たちに比べれば少しだが太い。それも脂肪という訳ではなく、筋肉である事はスケアにはすぐにわかった。
きっと彼女は、元は冒険者だったのだろう。
早々にそのように合点をつけ、スケアは魔術師において必要不可欠の問いを投げかけた。
各々の表情を見ていると、当然ディーネは把握しているようだ。何の変化も見られない。
獣人姉弟は必至に考えて答えを模索しており、ユリウスは少しして思い出した風になる。
「ユリウス、わかったか?」
「多分、魔術回路というものでしたか?」
「然様。ユリウスの言った通り、生物の体内には魔術回路という組織が存在する。魔術師にとっての神経のようなものだ。
魔術回路は魔力を通すことで魔術を発動させることが出来、魔術回路が体内に存在しない者は魔術を発動することが出来ぬ」
チラリと横目でディーネの様子を探るが、その辺りは今の時代でも変わらない常識として認識されているらしく、その表情に変わりはない。
すると、シュノンが何か引っかかったのか、疑問の声を上げる。
「質問してもいいですか、スケアさま」
「よいぞ、赦す。申してみよ」
「スケアさまは、魔術回路がない人は魔術を使えないって言いました。その人は無属性の人と何か違うんですか?」
「それは前提条件が違うな。無属性は無能と呼ばれはするが、先刻メリーナが見せたように魔術は使える。それは無属性が得意属性の者にも魔術回路が存在する証左だ。対し、魔術回路がない者は無属性魔術すら発動出来ず、魔力を感じることすら出来ぬ。
少し話は逸れるが、良い機会だ。何故無属性は無能だと言われるかわかるか?」
「応用が利かないからですか?」
「残念だがヘテナ。無属性魔術も応用は利くのだ。あまり知られてはいないやもしれんがな」
「わかった! 開発された魔術の数が少ないから!」
「ユーステス、よく知っているな。それも理由のひとつだ」
ユーステスの言う通り、無属性魔術は他の属性に比べればその種類は少ない。開発されていないというのもそうだが、術者に依存する魔術ばかりであるからだ。
「ディーネ。お主ならばわかるな?」
「もちろん。無属性の攻撃系の魔術は基本破壊力に乏しく、それ以外の戦闘で使われる補助系のものは、術者の技量に依存する不便なものだから」
「然り。例えば、無属性魔術には"衝撃"と呼ばれる、その名の通り指定した場所に見えない魔弾を撃ち込むものがある」
そう言って手を頭上に掲げる。
それが何を意味するのかわからないようだが、メリーナだけはそれに気づき、躊躇いつつも頭を下げた。
そして――
「衝撃」
詠唱の省略によって発動した魔術がスケアの手を撃つ。その衝撃によって手が勢いよく、ガクンッ、と倒れるが、スケアはあまり痛がる素振りを見せなかった。
理由として、スケアには通用していないからである。ただ通用していないと言うと語弊があるが、衣服の上から輪ゴムか何かで打たれた程度にしか感じられなかったのだ。
その為、スケアはそれまでと変わらない様子で言葉を続けた。
「メリーナの放った"衝撃"は間違いなく我が手を撃ち抜いた。だが、儂の手は見ての通り傷ひとつない。ちと腫れているだけに留まっている。――これはこの戦装束に特殊な効果を付与しているからだが、そうでなくても壺を破壊する程度の破壊力しかない。木に向けて撃ったとて、その幹を少し揺らすだけであろう」
そう言って、スケアは黙って話を聞いているユリウスを正面から見つめる。
「今のお主の魔力量ならば、恐らくメリーナの肌を腫れさせる程度の威力だろうよ」
「……その違いはなんでしょうか?」
「単に身につけている衣服に掛けられた付与魔術の強力さだ」
「……それじゃよくわからないです」
「ふむ、そうさな。……わかりやすくするならば、鉄に傷をつけるぐらいか?」
「そうなると、メリーナさんの肌にも傷がつくのでは?」
「ふむ、上手い例えが浮かばんな……。何か無いものか」
「スケア様に魔術攻撃をするのは、アリがゾウに噛みつくようなものだと思っていただければいいかと。私に対しては、イヌがゾウに噛みつくのを想像していただければ」
メリーナの補足の言葉に、理解しづらいがボンヤリと把握したらしい。微妙な表情で微妙な反応を取る面々。
とはいえ、本当にこれの例えは難しいのだ。
スケアとメリーナは鍛えてきたからこそこのダメージで済んでいるが、そうでなければ骨にヒビが入るぐらいの威力は出る。後は魔力の密度や、込められた魔力量――そして、イメージの強さに応じて威力が増減するのだ。
見たところユリウスの魔力量は年齢の割に多い。後は、彼自身のイメージと精密な魔力コントロールがどの程度なのか。
予想ではあるが、きっとイメージに関しては問題がないだろう。後は魔力コントロールを鍛えてやれば済む筈だ。
とはいえ、それをしてもスケア達には無意味なのだが。
スケアの戦装束にはある程度以下の威力の魔術は無効化する術式が組み込まれている。その強度はとても高く、威力を削げば第四位階の強力な魔術ですら無効化してしまうほど。
しかし、この術式は着衣者の任意によって発動する為、オンオフが可能。それ故に、先程のメリーナの"衝撃"はスケアの手を撃ち抜いたのだ。
対し、メリーナのメイド服にも別の術式が付与されている。付与された術式は、第三位階の魔術までしか防げないという限定的な防御術式だった。
それでも、それ以下の魔術は確実に弾く為、第一位階の魔術である"衝撃"はその防御結界を貫けない。
この術式を仕掛けたスケアの師匠は魔術のエキスパートであり、実に地上の魔術師泣かせもいいところである。
「魔力コントロール?」
「然様。他にイメージと魔力量が影響する。そして、魔術を扱うにおいて最も必要となるのは魔力のコントロールの方だ」
「なるほど。それが無能と呼ばれる所以だと?」
「たわけ。まだ話は途中だ。どの属性を扱うにおいても魔力コントロールは基本中の基本。魔術回路がある者は魔術回路を開くのと並行して行う基本事項だ。ならば無属性を無能と呼ばせる所以はいったい如何なるものか? 解は――イメージである」
その言葉にディーネが小首を傾げ、ユリウスはなるほどと頷いてみせる。
「ちょっと待って。イメージってどういうこと? いえ、言葉の意味はわかるわよ? そうじゃなくて、魔術にイメージなんて必要ないでしょう? 見たままのそれが真実なんだもの」
「――こういう事だ、聡いお主ならば理解したな?」
「……えぇ、わかりました」
「え、わかったの、ユリウス?」
「わかりましたよ、母様。なるほど、そういう事ですか」
ユリウスは今見聞きしたそれに、こくこくと頷いた。他の面々は理解していないらしく、頭に疑問符が大量に浮かんでいた。
つまりこういう事ですね、と前置きし――
「元々、魔術を発動するのにおいてイメージが必要とされていない――いえ、意識はしていても一度目にした事のあるそれを無意識に思い浮かべるから、見た事のあるものと同じにしかならないという事ですね?」
スケアとメリーナの口角が少し上がる。
それを目にしたユリウスは、自分の弾き出した答えを口にしていく。
「無属性は――さっきの"衝撃"を見ての考えですが――目に見えない、または視認しづらい魔術が多くあり、その結果、どうなるかというイメージをする習慣がなく、威力や効果が乏しいものにしかならない。例え、それをする人がいたとしても、視認出来ないから強化のしようがないということですね」
「その通りだ」
ユリウスの考えを聞き、スケアが肯定の言葉を返し、メリーナは、パチパチ、と賞賛するように手を叩く。
メリーナは昔は頭が硬過ぎて、今と同じ説明をしてもまったく理解できていなかった。それを思い返し、素直に弟弟子となる少年へ惜しみない拍手を送っているのだろう。
それに少し照れくさそうにするユリウスに、更に子供達から賞賛の言葉が投げかけられる。
そんな中、ディーネが動かない。
チラリと見てみると、真剣な表情でブツブツと――まるで祝詞を唱えるようにしている。
今ユリウスが語り、スケアが讃えた内容が、この世界における魔術の考え方の齟齬だろう。
これまでのこの世界の魔術は、定められた術式に魔力を流して指向性を持たせて発動する形であり、術者の魔力量の大小で威力の変化するものだった。
しかし――
「今ユリウスが申したことを正しく意識し、扱えば、ただの"衝撃"でもこのような違いが出てくる」
そう言って、庭の方へ目をやる。途中にそれを阻むように窓があるが、既にその脇にメリーナが立っており、窓を開け放って控えていた。
スケアはそこから目に入った木に狙いを定め、地面と水平に腕を伸ばし――
「衝撃」
瞬間、的となった木が半ばで吹き飛び、耳障りな音を立ててへし折れた。
誰もが言葉を失う。先程見たメリーナのものと、明らかに威力が違った。
中でも際立って驚愕の色を覗かせたのはディーネだ。彼女の知る無属性の基本攻撃魔術と、今目にしたものは威力が違い過ぎた。
一瞬込められた魔力量が違うのではないかと勘繰ったが、何度も目にして、錬磨してきた魔術師である彼女が間違うはずもなく、そこに込められていた魔力は必要最低限の分しかなかったと自己完結させる。
だからこそその驚愕は強い。
その様子を流し見つつ、スケアは口を開く。
「このように、確立したイメージがあれば明確な違いが出てくる。とはいえ、無属性の魔術は攻撃ではなく補助系魔術が本分だ。それも、主に自己強化だな」
無属性の補助系魔術は基本的に自己強化にしか使えない。もちろん、他者に対して強化を付与することも出来るが、他の属性の補助魔術と比べるとやはり劣る。
その為、よほどの魔術師でなければ他者への強化に使うことはないのだ。
身内ではメリーナが主に行う。
彼女自身魔術が不得手で、得意属性が無属性であるということが理由だが、それでも彼女が自己強化をするだけで脅威になることは間違いない。
種族柄、素の身体能力だけでスケアを圧倒する女だ。この世界の有力者が相手取るには分が悪過ぎる相手である事は覆しようがない。
しかし、いくら身体能力が上がろうが、それを圧倒する術理を扱われれば敗北を余儀なくされる。
要は対策されていればそれまでなのだ。
実際、身体能力が己より高いからと言って、スケアは彼女に勝てないかと言われれば、そんな事はない。スケアは確かに身体能力は強力だが、それが霞むほどの戦術を組み立ててみせる。ただ強いだけの相手であれば、スケアは必ず勝利を手にするだろう。
死合いは圧倒的な武力で勝てるほど単純ではない証明だ。
だが、単純な力が必要になってくることも確か。
仲間内で言えば、狼牙を相手にする形になる。
彼はその種族特性に加え、単純な筋力のみで己に向けられる攻撃を受け止めてしまう。感覚で言えば、まるで鋼を殴りつける感覚に近い。
彼の肉体はとにかく硬い。それにダメージを通そうと思っても、メリーナでさえ強化なしで殴りつけても逆に拳を痛める結果に終わるだろう。
ではメリーナはどうすればいいだろうか。
術理を尽くす――足りない。
搦め手を用いる――それすら正面から圧し潰すポテンシャルを秘めた男には通じない。
急所を狙う――その狙いに気付かないほどあの男は馬鹿ではない。
他の魔術を覚える――論外である。
メリーナの導き出した答えは――かなり脳筋だが――強度を上回るだけの力で叩く、だった。
もちろん、メリーナ自身体術は身につけている。それもかなりの腕前でだ。
それを身につけているのが前提条件で、あとは防御を貫くための火力を得れば良いだけ。
脳筋思考甚だしいが、育った環境がそんな風潮であるのだから仕方がないだろう。なにより、それがメリーナに一番肌に合ったのだから問題はない。
下地が出来上がった状態での自己強化ほど恐ろしいものはないとスケアは思っている。
その自己強化が無ければ、メリーナは悪魔王の城で一目置かれる存在にはなり得なかった。
さて、これまで長々とメリーナに自己強化を使わせた場合の事を語っているが、問題は存在する。
それは、やはりイメージである。
ただでさえ無属性の魔術はイメージがしづらいのに、それを目に見えない強化に使用するのだ。難しいというのは容易に理解出来る。
「では、どうすればいいんですか?」
ユリウスが怪訝な顔で言った。
「イメージすれば良い。強化した自分を」
「……どういうことです?」
心底不満そうにユリウスが小首を傾げる。他の面々も、等しく表情を曇らせた。
「現実で勝てぬ相手には妄想で勝てばよい。イメージするのは常に何者にも負けぬ己だ」
「そんな漠然としたもので、本当に強化されるんですか? さっきまでの話を聞いてると、魔術はイメージが必要なのはわかりました。ですが、そのイメージにもこうなるという具体性が必要なように感じるのですが」
その考えは正しい。これまでの脱線が多い話から良くそれを理解できたものだと思う。
「確かに、お主の言う通りイメージには具体性が必要だ。喩えば、火球を魔術で出そうと考えても、どれほどの大きさ、熱、破壊力等を意識して出す必要がある。
だが、その炎の熱がいったいどれほどのものかを正確に理解している者はそうはおらん。
ディーネ、お主に問おうか。得意属性は?」
「……火と光」
光――と口にした瞬間、スケアとメリーナの双眸が一瞬鋭く細められた。それはほんの一瞬のことだったが、どうやら正面から見ていたディーネはそれを気取り、表情を強張らせ、即座に臨戦態勢に移行した。
彼女がそんな行動をとった理由を子供達は理解出来ず、不思議そうにしている。
その行動を行わせた張本人であるスケアは、ディーネを手で制することで臨戦態勢を解かせる。
「ほう――いや、よい。
火属性の魔術を扱う際、お主は普段どうしている?」
「……普段は体内の魔力を回転させて、術式を組み立ててるわ。そうして構築した術式を展開させて、魔術を発動してる」
「では、その魔術を起こす際、意識していることはあるか?」
「そんなの特にないわ。あっても魔術の基本的な事よ。術式の正確さとそこに込める魔力の量」
「ふむ。では、それでお主の最高火力はどの程度だ?」
「えっと……そうね。加減無しで小さい村なら丸ごと焼き尽くすぐらいは出来るわ。もちろん、そんなことするつもりはないけど」
「結構。――ユリウス、これでわかったか?」
「……話が矛盾している気がします」
ユリウスは腕を組み、うんうんと唸る。
「先生の話ではやはり具体性が大事なのかもしれません。しかし、母様の話を聞くと、そこにイメージは必要ないと感じさせられます」
「他の者はわかるか?」
他の子供達に訊くが、誰もが首を横に振る。
それを見届け、
「ではユリウス。先ほどまでの話を思い返してみようか。
魔術を扱うのに必要なものはなんだ?」
「イメージと魔力コントロールです」
「そうだ。では、今ディーネが語った内容を思い返してみると、何があったか推測できるか?」
「多分、魔力コントロールでしょうか。……あっ」
どうやら無事に答えに行き届いたらしい。
この話はそう難しいことではない。
これまでなら、魔力コントロールや魔力量のみが魔術に必要な全てだとされていた。だが、スケアの教える内容はそこにイメージという不確定なものを加えただけ。
ただそれだけのことでありながら、魔力の威力は簡単に増やすことが出来る。
スケアはそういった内容を伝えただけだ。
それはつまり、
「魔術を扱うだけなら、魔力コントロールだけでも鍛えることは出来る! それを補助する役割として、イメージが必要というだけなんだ!」
「然様。無論ある程度必要なものではあるが、お主らはこれまでイメージが無かろうと、魔力精度と多大な魔力を集めて強大な魔術を扱ってきている筈。具体的な結果を想起するだけで、必要な工程を減らし、限られた魔力でそれまでの魔術と同じか近い威力を発揮可能という事。
つまり、目の前の敵を倒すというだけの中途半端なイメージでも、圧倒して勝利するという未来を想起すれば、相応に強化されるという事だ。もちろん、イメージが漠然としている分、必要とされる魔力は増えるがな」
実際、メリーナは攻撃魔術を発動する時よりも、自身を強化した時の方が消費魔力が多い。
とはいえ、無属性強化魔術の魔力消費量は他の魔術に比べれば少ない為、莫大な魔力を所持している彼女にとっては大したことではなかった。
それはきっと、ユリウスにも言えることになるかもしれないが、彼自身の取り組み具合によって上下する為、明言はしない。
尤も、消費する魔力量を減らしたいというなら、今度は術式の説明に移らなければならないが、駆け足でする必要もないだろう。そう考え、その口を閉ざす。
他の面々の顔を見ていくと、皆難しそうな顔をしており、ディーネはやはりこれまでのそれとの齟齬と必死に戦っているらしい。眉根を寄せ、ブツブツと本人にしか聞こえない程度の声で何事かを唱えていた。
聞こうと思えば聞き取れるが、わざわざそんなことをする理由もない。その為、スケアはディーネを放置した。
齟齬と言っても、まだこれまでの考えにイメージという要素を加えただけの内容だ。すぐに復活するに違いない。
それに、問題が生じ始めるのは、これからなのだから。
「長くなったが、無属性が無能と蔑まれる理由は理解したな? では、次は基礎的な内容に移ろうか」
そう告げると、メリーナに目配せする。その意図を正しく理解したメリーナは、本棚から分厚く使い古された本を手に取ってきた。
「その前に先生、ひとつだけ」
本を受け取ろうとした時、不意にユリウスから待ての指示が入る。
「む? どうした、ユリウス」
「先生が的にしたあの木ですが、あれは母様が大事に育ててきた木です」
「それがどうした」
「いえ、今はこうして自分の知識との違いに混乱なさっていますが、無事に回復した時には木の事を思い出して、カンカンに怒ると思います」
「……それはいかんな」
本当にそれはまずい。あまり意識せずに的にしてしまったが、考えてみれば当然だろう。
ここは依頼人の家、その敷地内だ。ならば、そこにあるものは全て依頼人とその関係者の所有物だ。
即ち、スケアは依頼人の所有物を破壊した事になる。
そうなると、どう考えても悪いのはスケアだ。
これが不慮の事故と言うのならそれなりに謝罪すれば何事もなく終えられるだろうが、今回ばかりはそうはいかない。
幸い、今ユリウスが言ったようにディーネは混乱中だ。行うのなら、今しかない。
スケアな即座に複雑な術式を脳内で構築する。体内の魔力回路をフルで回転させ、並の魔術師では理解出来ないそれを一呼吸で発動可能な状態にさせた。
「みなさん、これから見るものはわたくし達の秘密ですよ?」
メリーナのその言葉を子供達は理解する間も無く、スケアが魔術を発動した。パチンッと弾指を弾く。
すると、全身からごっそりと何かが抜け出る感覚が襲ってくる。倦怠感が全身を蝕み、同時に倦怠感が抜けていく。
そんなスケアの変化に気付いた者はメリーナだけだった。
子供達の視線は窓の外に向けられている。しかも、全員等しく唖然として。
彼らの視線の先にあったのは、一本の木だ。数秒前に折られていたはずの木だ。
「せ、先生、今のは……っ」
「なに、時間を戻しただけだ。単純な話だろう?」
それを聞き、皆がそれぞれの反応をしてみせた。ある者は取り繕う事なく顔面を凍りつかせ、ある者は口元に手をやり、ある者は目を輝かせ、ある者は「おー」と間延びした声を上げた。
時間操作の魔術は、分類上第六位階――即ち、魔法だった。
彼らはそれを理解しているわけではない。これから魔術を学ぼうとしているだけの彼らでは、その本当の価値というものがわからない。
しかし、これがディーネに見られていたなら別だが、彼女は幸い気付いた様子はない。
なら後は、外にいるかもしれない人々の記憶を書き換えるだけだ。
スケアは何事もなかったかのように振る舞い、そばに控えていたメリーナから本を受け取る。
気を取り直すように空咳をひとつ。そして、何事もなかったかのように笑顔を見せた。
「ご苦労。――では、これから魔術の基礎的内容に入ろうか」
その後、魔術における位階の分類、マナとオドの違い、魔術回路の総本数など教え、レイチェルが迎えにくるまで第一回目の講義は続いた。
その間、ディーネがずっとこれまでの常識との齟齬に苛まれていた事は余談だ。