確認テストするか
顔合わせを終えたのだ。早速仕事に移ろうと思う。
「早速仕事に移らせてもらうが、よいか?」
「ええ、もちろん。ここではなんなので、場所を移しましょうか。三人は準備してきなさい」
「わかりました」
どうやら、ここでやるわけではないらしい。
スケアは別にここでやっても構わないが、部屋を変えるというのならそうさせてもらうだけだ。
ユリウス達は先に部屋から出て行き、遅れてロイドに連れられてスケア達も部屋から出て行く。
その際、持って来ていた手荷物は全て狼牙に押し付けた。文句を言ってきたが、昨晩の腹いせである。甘んじて受けてもらおう。
そして連れられてきたのはリビングと思しき部屋だった。
部屋にはテーブルと椅子があり、入り口から見て左側の壁際には長椅子が鎮座している。対面の壁には腰までの高さしかない小さな本棚がひとつとクローゼットが置かれている。
正面に視線をやれば、そこには庭へと続く窓がある。この世界にもガラスは存在するが、地球のように透明度が高いものではない。恐らく、使われている材質が違うのだろう。
窓から庭が見える。どうやら、ここから外に出ることも出来るようだ。
「勉強などを教える時はこの部屋を使ってください。ここが一番広いので」
「では、体術などを教える際は庭で教える、ということでよろしいのですか?」
「そうしてください。家の中じゃ危ないですから」
室内には初めにメリーナが入った。宿屋のように指で触れる、といったことは流石にしなかったが、目でわかる範囲の隅から隅を確認していく。
そんな彼女の行動に疑問符を浮かべていたロイドだったが、どうやらスルーする事を決めたらしい。部屋の説明をしてくれた。
メリーナに続き、スケアも室内に足を踏み入れる。室内をぐるりと見回し、設置されてある長椅子に腰を下ろした。
「食事の際はここの隣の部屋でお願いします。そこで全員で食事を取るので」
「承知しました。教材になりそうなものは、こちらにございますか?」
「ええ、ありますよ。そこの本棚にあるはずです」
言われ、近くにいたメリーナが本棚に近づいていく。
本の数はそう多くない。多く見積もっても十あるかないかぐらいしか並んでいない。
それも仕方がないだろう。
この世界で本は高価なもの。その為、本を持ってるのも大抵は貴族や王族といった金を持っている者ばかりだ。
時折、大きな街では図書館を建て、沢山の量の本を一般公開している場所もあるが、それも各国の首都にひとつあるぐらい。国の力が及びやすい範囲にしかないのがこの世界の常識である。
その為、十に満たない数であっても、充分多い部類なのだ。
本が高価な理由として、印刷技術が普及していない事が挙げられる。コピー機などは当然作られておらず、魔術に印刷するものも無くはないが、よく知られていないというのが現状だ。
なぜよく知られていないかというと、この世界では基本的に攻撃的な魔術を重視する傾向があるからだ。
この世界の歴史を掘り返すと、長い戦いの歴史ばかりが続く。同じ種族同士で戦うこともあれば、異種族同士の抗争になることもあった。
そうなると、戦いで使えない魔術よりも、より多くの敵をなぎ払い、威力の高い魔術が自然と求められてくる。
その為に殺傷力のある魔術を必死に覚え、研鑽し、他の誰にも負けないように攻撃的な魔術を編み出していこうとする。
そうすると、殺傷力のある攻撃的な魔術がどんどん進歩し、それに反比例して戦闘に使えない魔術が衰退し、研究も滞るという魔術全体を総合的に見ての悪循環が出来上がるわけだ。
当然、スケアは印刷魔術も使える。
それを広めるつもりは今のところないが。
メリーナは本棚に並べられている本の背表紙を流し読む。
少し間があり、メリーナはスケアに対して頷く。どうやら、言われた通りそれらしい本が置いてあるようだ。
確認出来たことを把握すると、ロイドは確認の為に口を開く。
「他に何か、聞いておくことはありますか?」
「いや、問題ありません」
「わかりました。では、先ずは何から始めるんですか?」
問われ、皆の視線がスケアに集まる。
それを把握しているのはスケアだけなのだから、当然だろう。
「今日は午前中を一般教養。午後から体術を見るつもりだ。三人は、字の読み書きは?」
「出来ます」
「よし。ならば、今日はテストをして、お互いの軽い自己紹介をするぐらいでよかろう。
エルザ。お主がメインをするのだ。基本はお主の裁量で進めよ」
「御意」
「へえ。事前に結構考えてくれてたんですね。それなら、もうひとつ頼んでいいでしょうか?」
「物によるな。言ってみるといい」
「実は、ユーステスとヘテナにはレイチェルが従者教育を施してるんです。彼女が教え込むって聞かなくて。もしよければ、そちらもお手伝い願いたいんです」
「それぐらいならばよかろう。わかった。
――メリーナ。予定を変更し、お主にも一般教養のサポートに入ってもらう。その中でも主に礼儀作法。レイチェルが従者教育を教える際、その手伝いをしてやれ。すぐでなくともよいが、早い段階でレイチェルと方針を擦り合わせておけ」
「畏まりました」
字の読み書きができるのなら簡単なテストをしても問題ないだろう。
これから数日は確認の意味合いが強いものになるだろう。
体力、身体能力、知力。
それらを確認してから、その後どのように教えていくのかを考えていくつもりだ。
そして、追加で頼まれた事を予定に入れ、それぞれに指示を出していった。
すると、
「お待たせしました」
「勉強道具持ってきたぜ!」
「よろしくお願いします」
「おっ、来たな! それじゃあ、よろしくお願いします」
指示を終えてすぐに、三人が鉛筆を持って部屋に入ってきた。
彼らが入ってくると、ロイドが後を託して部屋から出ていった。
初めに、メリーナが五人分の椅子をテーブルの傍に用意し、エルザが三人をそこに連れて行き、座るように促す。離れたところにひとつ椅子を用意したのを見るに、どうやらそれは狼牙の椅子のようだ。
彼らが座るのを見届けると、メリーナがスケアの脇に控え、エルザがシュノンを連れてユリウス達と同じく椅子にそれぞれ座った。
狼牙も欠伸をしながら、客間を出る際に押し付けられた全員分の荷物を部屋の隅に置き、用意された椅子に腰掛ける。
全員が位置についたところで、エルザが口を開いた。
「では、改めて自己紹介からしましょうか。
私はエルザといいます。彼方におわす私の主君、スケア様の近衛騎士を務めております。
今回私は、あなた方の一般教養と剣術を任されております。至らない身ではありますが、よろしくお願いします」
「おいおい、硬えなァ!」
聞いていてやけに硬い。緊張でもしているのかと思うぐらいに硬い。
それを見て可笑しそうに狼牙が笑った。キッとエルザが睨みつけるが、狼牙は気にした様子もなく視線ごと笑い飛ばした。
彼が笑った事で皆の視線が集まり、自然と次は狼牙の番になる。
「んだよ、次はオレってか? まあいい。
オレは狼牙だ。呼び方は自由にしろ。基本的にオレが教える事ァねえが、体術と剣術で手伝いをすることになってる。加減は苦手なんで、その辺は理解してくれ」
「狼牙様は雑過ぎます」
「いいんだよ、こんな感じで」
おざなりに手を振り、メリーナに視線をやる。その視線を辿って彼女に集まった為、今度は彼女の番と言う事だ。
「わたくしはメリーナと申します。見てわかる通り、獣人です。ですので、特にユーステス君とヘテナさんにはシンパシーのようなものを感じますね。獣人には獣人特有の悩みもあるでしょうから、いつでも相談に乗りますよ。もちろん、ユリウス君も何かあれば気兼ねなく言ってくださいね。
わたくしは主に体術を教えることになります。それと、魔術のお手伝いと、お二人の従者教育のお手伝いも命じられております。わたくしは厳しいので、覚悟してくださいね?」
「大丈夫! レイ姉も厳しいから!」
「こら、ユース!」
「それは頼もしいです。じゃあ、予定していた以上に厳しくしてあげるから、覚悟しててね」
「えぇっ?」
「藪蛇だったな、ユーステス。ハハハッ!」
ユーステスがいらん事を言ったおかげで、どうやらメリーナはかなり厳しくいくらしい。
彼女は本当に厳しいので、二人には頑張って欲しいところだ。
「さて、では次は儂か。
儂はスケアという。主に魔術と剣術、体術を教え、一般教養で手伝いをする事になる。うむ、基本的に全てに関わっていると思っておけ。とはいえ、一般教養はエルザが主体となって行う故そうそう口を出す事はないと心得よ。
何か質問は?」
「では、スケアさんはその……貴族、なんですか?」
「……よく聞かれるな。答えは否。儂は貴族ではない」
「ええ。主様は王族ですよ」
「王族っ!?」
「たわけ! 貴様が斯様な事を抜かすから勘違いされるのであろう!」
「つっても間違いじゃねえだろ」
「はい。間違いではないですね」
「味方がいない……だと」
「えっと、つまり……?」
「……身分は気にするな」
この一言に限る。
それにしても、何故いつもいつも貴族かどうかを聞かれてしまうのだろう? 初めて会った人物は特にそうだ。
それは、自分の格好と口調と態度の問題だと本気で気づいていないだけである。
「とはいえ、これからいくらでも時間がある。そこで互いを知っていけばよかろう」
そう言えば、皆が納得の表情になる。
他に質問も出ないことから、スケアは先を促す。残っているのは、シュノンだ。
「…………ぇと……その……」
「大丈夫。怖がる必要はありませんよ。落ち着いて、ゆっくりでいいから」
ガチガチに緊張しているシュノンに、エルザが優しく声をかける。か細いその手を握り、大丈夫、と何度も励ます。
「シュノン。ゆっくりと深呼吸をしてみるとよい。そうすれば、少しは落ち着けるやもしれん」
「……すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」
返答は行動だった。何度も深呼吸し、緊張をほぐそうとするその姿に、皆から可愛らしいものを見る目になる。
「し、シュノン……です……ょろしく、お願ぃしま、す……!」
「よろしく!」
「シュノンさん、ですね。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
ところどころ声が小さいが、無事に自己紹介をすることができた。それを待っていた彼らもすぐに三者三様の反応をした。
その反応が好意的なものだったからか、緊張で強張っていた顔が少し柔らかくなった。
「よく言えましたね、シュノン」
「立派ですよ。今夜はお赤飯ですね」
「これで赤飯は違えだろ」
「だが、よく言えたなシュノン。良い子だ」
彼女が挨拶をできたことを皆が褒める。褒め方が少しおかしい者もいるが、スケア達は基本的に出来たことは褒める方針だ。所謂、褒めて伸ばす手法を取っている。
褒められて喜ばない子供はそうはいない。シュノンもとても喜ぶ子供だったため、今も嬉しそうに笑った。
――ここに来て、初めて笑ったな。
「では、お主らも。改めて自己紹介を」
「私から。ヘテナ・ロックヴォイドといいます。教えられたことをしっかり身につけられるよう頑張ります!」
良い心がけだ。
「ユーステス・ロックヴォイドだ……です! いつか兄貴や、お前みたいに強くなれるように頑張るぜ!」
「こら、ユース!」
「ふふ。やはりお主は元気がよいな。儂のように、と言うのであれば生半な覚悟では至れぬと知れ」
「おう! じゃなかった。はい!」
「よい返事だ」
満足そうにスケアが嘯き、にしし、と勝ち気に笑う。
しかし、彼の発言――というよりは口調でとある人物に火をつけた。
「ユーステス君。あなたは敬語について厳しく教えてあげますね。従者教育の時間がとても楽しみになりました」
「め、メリーナ姉ちゃん……? な、なんか怖いんだけど……」
「気のせいよ。きっとね。フフフフフ」
メリーナが怖い顔で笑う。
彼女はスケアに対する態度は特に重要視する。その為、口調がなっていないと判断すれば、すぐに躾しようとするのだ。
とはいえ、口調に関してはこれから先にどうしても正す必要が出てくる以上、今矯正しておいて損はない。
かなり怖いかもしれないが、頑張ってほしい。
「では、最後は私ですね。ユリウス・ヴァーンハイドです。粉骨砕身努力していきます。よろしくお願いします」
そう言って、ユリウスは頭を下げた。
彼の視線が切れている間にスケアは狼牙と目配せする。その意図に気付いたらしく、狼牙も頷きで返した。
そんなこんなで皆の紹介が終わり、エルザに進めるように促す。
それを受け、エルザは説明を開始した。
「それでは、まず初めに皆さんの知力を確認する為に、軽く試験を行います」
「試験ってなんですか?」
「本来なら、これまで習ったことをどれだけ理解出来ているかの確認をするためのものです。ですが、今回我々はあなた方が何をどこまで理解しているのかを知る為にこれを行います。
ですので、基礎的な問題から難しい問題まで幅広く出題していこうと考えているので、頑張って解いてみてください」
説明を聞き、皆が頷く。
試験の意図を理解して、どんな問題が出るのかを思案しているようだ。
その中で、ユリウスは表情の変化がない。問題はないと体言しているようだ。
「シュノン。お主も一緒に受けるとよい。いつものお勉強を場所を変えてするだけだ」
「わかりました!」
「よい返事だ。ただ、エルザから習っていない問題も入ってるやもしれん。その場合、その問題は飛ばしても構わんぞ。
――問題は儂が考えた。今儂の手の中にあるこの羊皮紙に、問題が書かれている。気負うことなく、解いていくとよい」
シュノンに軽く説明してやり、虚空から羊皮紙の束を取り出す。昨夜のうちに問題を考え、羊皮紙に印刷魔術で印刷しておいたのだ。
問題の束をメリーナに託し、メリーナがそれぞれの前に裏向きで配る。
配り終えると、元の位置に戻ってきた。
「全部終えたら私のところへ持ってきてください。私が採点をしますから」
「はい!」
「では、私の合図で問題に取り掛かってください。――始め!」
エルザの声に応じ、四人が羊皮紙をめくる。
そして、各々が問題に取り掛かっていった。
それを眺めているのも退屈である。代わり映えしない様子を見続けていては、どうしても眠くなってくる。
加えて、スケア自身が大の勉強嫌いなこともあり、すぐにその光景から興味をなくしてしまった。
昨夜遅くまで起きて問題を考え、その前には狼牙と戦闘してかなり魔力を消費してしまっている以上、体の疲れも相当なものだ。
それはきっと、側に控えるメリーナも同じだろう。
「メリーナ。儂は寝る。お主も共にどうだ?」
「えっ!? そ、そのような栄誉……こ、光栄にございます!」
流石にテストの邪魔にならないよう、お互いに声のトーンを抑えて話す。
スケアはそのまま長椅子に横になる。どうしようか迷っている様子だったメリーナの手を引き、その体を引き寄せて眠る。
よく鍛えられた筋肉とフサフサとした彼女の耳や尻尾の感触を堪能しながら意識を深い闇へと沈ませていった。
腕の中のメリーナも赤面し、カチコチと固まってしまっていたが、お互いの体が触れ合っている場所からよく眠れるように睡眠魔術をかけていたため、そう時間もかからずに彼女の瞼も重くなり、ゆっくりと眠りについたのだった。
試験を始めて三十分程が経った。
一般教養を任されたエルザは、黙々と問題を解いていく四人を俯瞰して見ながら、時折背後の主君の様子を伺っていた。
試験が始まってすぐにメリーナと共に眠ってしまったスケアは、大層疲れていたのか起きる気配がない。
それも仕方ないとはわかっている。狼牙はそれほどまでに強力な鬼なのだ。
一任された以上、なるべく頼らないように気をつけて取り組もうと考えていた。
チラリと狼牙が座っている筈の椅子を見る。
しかし、そこには彼の影も形もない。いつの間にか退室して何処かに行ってしまったようだ。
「終わりました」
「早いですね、シュノン。解けましたか?」
「難しいのばっかりでした」
「となると、教えてない問題が多かったんですね。まぁ、勉強を始めてまだ三ヶ月なんですから、これから知っていけばいいんですよ」
声をかけられて見ると、どこかしょんぼりとしたシュノンの姿があった。
どうやら問題が思うように解けなかったらしい。
羊皮紙を受け取り、静かに採点を開始する。
羊皮紙は全部で三枚。それらに様々な問題がびっしりと書き巡らされている。
その中でも空欄がとても多い。
空欄のところの問題を見てみると、確かにまだ教えていないものばかりで、シュノンにはまだ難し過ぎると納得してしまうのも仕方のないことだろう。
しかし、教えた範囲の問題は全て正解している。至らないところばかりな自分だが、そんな自分が教えて理解してくれていることがたまらなく嬉しく感じた。
「でも、シュノン。教えたところは全部正解ですよ。よく出来ましたね」
「ほんと?」
「ええ。よくわかってくれているようで私は嬉しいですよ。この調子で頑張りましょう!」
頭を撫でてやると、嬉しそうに表情が綻んだ。その顔が本当に可愛らしい。
シュノンの点数は三十二点。
今回は残念な点数であったが、この調子で勉強していけば、間違いなく満点も取ることが出来るだろう。
若干親バカのようなものが入っている気がしないでもないが、この三ヶ月ずっと見てきているのだ。仕方がないと誰にともなく言い訳をしておく。
それから十分が経ち、ユーステスが羊皮紙を手渡してきた。
「どうでしたか?」
「すげー難しかった」
「そうなんですか? でも、結構解けていますよ」
採点を始めて見ると、所々空欄があるが、それでも埋められている箇所が多い。
時折間違っている問題もあるが、それも計算ミスなどの凡ミスばかりだ。
完全な偏見だったが、彼はもう少し間違いが多いと思ってしまっていた。
だが、現実は違った。数問だが、難しい問題も解けているのだ。いったい、今まで誰に教わっていたのだろうか。
そう思わずにはいられないくらいには問題が解けていた。
「はい。六十五点ですね。ここの問題なんて難しいのに、よくわかりましたね」
「へへっ。兄貴に教わったんだ!」
「兄貴? そういえば、先程も言ってましたね。お兄さんがいるんですか?」
「兄貴は兄貴さ!」
「私のことですよ。兄貴と言って慕ってくれてるんです」
そう言って、まだ問題に取り組んでいたユリウスが会話に入ってきた。
「あなたが二人に算術を教えてたんですか?」
「え、まぁ……はい。父様から学んだ事を教えていただけですよ。――それより、出来ました」
「あ、はい。では、少し待ってください」
そう言って彼の羊皮紙を受け取ると、ドアがノックされ、レイチェルが入室してきた。
彼女は長椅子でスケア達が寝ているのを見ると、仕方ないと呆れたように息をついた。
「毛布でも持ってきましょう」
「申し訳ありません。遅くまで起きていらしたようで、お疲れだったのでしょう。メリーナ殿もそれにお付き合いになってましたから」
「それだけ準備してくれていたのでしたら、致し方ありませんね」
テーブルの上で羊皮紙の問題用紙を見て、少し驚いたような顔になったのをエルザは見逃さなかった。
この世界は、実は紙もそれなりに高価で、それを大胆にも子供達全員分を用意していたことに驚いたのだ。
実際はスケアが魔術で作っただけなのだが、それを伝えればマズイ状況になりかねない。その為、曖昧に笑って返した。
採点を始めると、とにかく問題が正解していく。難しいはずの問題も難なく解き、途中式でもなかなか複雑な事をしていた。
先程、彼は父様――ロイドに教わったと言っていた。それが本当だというのなら、ロイドはかなり頭のいい人物なのかもしれない。
だが、彼と話してみた印象はそうでもない。確かに平民にしては頭はいいだろうが、途中式を見ていると、この世界では貴族が学び、尚且つそれなりに専門的な解法で解かれていることがわかった。
失礼だとは自分でも思うが、彼がそれを学んだことのあるような人物には到底思えなかった。
少しして、レイチェルが毛布を持って戻ってきた。
それに気づくと、採点を一旦やめて立ち上がる。
「私がしますよ。あなたでは危険ですから」
「危険、とはどういう事ですか?」
寝ている人に毛布をかけるだけ。それだけの事のどこに危険があるのか不思議でならない、といった顔だ。
そう考えるのも間違いではない。
だが、ことスケアに関してはそれだけの行為でもなかなか危険なことになるのだ。
それも、信用していない人物が近づいたのなら特に。
「ロードは幼い頃に厳しい訓練を受けておりまして、信頼した人以外が近づけば体が反応して殺してしまうのです。ですので、今日会ったばかりのレイチェル殿では危険だと判断しました」
「そ、そうなんですか……。わかりました」
「ご迷惑をおかけします」
申し訳なさそうに毛布を受け取り、眠っている二人を起こさないように注意しながら毛布をかける。
その間にレイチェルはユリウス達に近づき、調子はどうだ、と会話を始めていく。
その間にエルザは椅子に座りなおし、採点を始めていった。
残り一問まで丸付けをするが、全て正解だった。難しい問題も多かったはずだが、彼はしっかりと正解していったのだ。
そして、問題は最後の一問だった。
そこには、エルザが見た事のない数式がいくつも羅列して書かれており、思わず動きを止めてしまった。
「れ、レイチェル殿。少しいいでしょうか?」
「どうしました?」
「これなんですが……」
どれだけ数式とにらめっこしていてもわかるわけがなく、救いの手を求めようとレイチェルに声をかけた。
「……え? なんです、これ?」
「わかりますか?」
「すみません。わかりません」
「そうですか……」
頼みの綱のレイチェルでもその数式が何を表しているのかわからなかったらしく、目を点にしてしまっていた。
こうなってしまえば、眠っているスケアに尋ねるしかない。
ただ、そうしてもいいのだろうか? 折角休んでいるのに、それを妨げるような事をしてしまっては申し訳ない気持ちになる。
だが、今起きている者の中では数式の意味が理解出来なかったのだから仕方がない事である。
それを、仕方がないで済ませてしまっても良いのか……。
――申し訳ありません、ロード!
ただ、他に手がない以上、どのような罰も甘んじて受けるつもりで声をかける。
「お休みのところ、失礼します。我々では判断がつかない事柄が起きましたので、ご確認していただいてもよろしいでしょうか」
全員の視線が眠っているスケアに集まる。
その中で、ユリウスだけが、やってしまった、という顔をしていたが、エルザは視線を外していてそれに気づけなかった。
声をかけると、「ん……」と小さく声を漏らして応じ、メリーナの体に下敷きになっていない方の左手を軽く上げた。
「ありがとうございます!」
待たせるわけにはいかないと思い、足早に彼女の下へと向かう。
側に行き、問題である答案を手渡した。
「こちらの問題になります」
「ん……」
例の問題を伝え、スケアは眠っているのか起きているのか微妙な反応をしてみせる。それでも一応起きたらしく、うっすらと片目を開けてそれに視線を合わせる。
そして、不可解な物を見たと言いたげに眉根が寄せられた。
スケアが寝起きだからか、消え入りそうな小さな声で問う。
「……誰の答案用紙だ」
「ユリウスにございます」
「そうか。何故円錐の体積を求める問いに積分やら方程式やらが使われているのか甚だ疑問ではあるが……答えは間違っておらん」
「ありがとうございます。お手間を取らせて申し訳ありません。まだ時間もございますので、引き続きお休みください」
「そうさせてもらおう」
そう言って、スケアは腕の中にいるメリーナのピコピコと動く耳に顔を埋めた。少しするとまた小さな寝息が聞こえてくる。
その光景を見ると、とても微笑ましい気持ちになる。
生前は立場が許さない状況だ。こんな光景は、今だからこそ出来るものだろう。
何より、あの城にはメリーナに競争相手が多過ぎたのだ。その死後もこうして主君と共に在り、今こうして腕の中で眠れるというのは、彼女にとって幸せな事だろう。
「お二人はとても仲が良いんですね」
「ええ。メリーナ殿にとって、ロードは命の恩人で、その感謝の気持ちでお世話係になりましたから。ロードも、その事をとても誇りに思い大切になさってきたようです」
本当はその中に『メリーナにとって初恋の相手』ということもあるのだが、彼女達はスケアが元々は男である事を知らない。その為、皆にいらぬ勘違いをさせてしまうことになる。
それを懸念して細かい説明はやめておいた。
レイチェルはそれを聞き、慈しむように微笑んだ。
「本当に、良い人に巡り会えたんですね。獣人に優しく出来る人はそういませんから」
「ええ。我々の自慢の主です。二人共、そういう事なので、ロードに怯える必要はございませんよ。あの御方は異種族にも分け隔てなく接する尊い方ですから」
「はい!」
「お、おう!」
その後、満点の答案をユリウスに手渡し、ヘテナの採点を終え、昼食に呼ばれるまで世間話や軽い身の上話をしていた。
ヘテナの点数は八十四点で、随分優秀な生徒達であるとエルザは認識した。
しかし、今回の試験において、ある謎が出てきた。これについて、後でスケア達と話し合うことになるだろう。
ちなみに、狼牙は屋根の上で眠っていたらしい。昼食に呼ばれ起こされたスケアが、自身の回路を利用して発見したのだった。