依頼人の家へ
日が昇り、人々の生活が始まる。
朝食を食べ、男は働き、女の多くは家事を務めていく。
そんな彼らの表情は晴れない。皆、昨晩起こった不規則な地揺れの不安がまだ残っているのだ。
彼らにとって、あの地揺れは世界の終わりのように感じられたという。
まさか、こんな辺境に魔族が襲撃してきたのでは、という話もちらほらと聞こえてくるぐらいだ。
そんな中、五人の男女が東区へと向けて足を進めていく。
スケア達だ。昨晩地揺れを起こした当事者達は、彼らの会話を素知らぬ顔で聞き流し、ふわぁ、と場違いな欠伸をしてみせた。
ただ、自然と人々の様子は目に入ってくるため、眠そうにしながらもその様子に小首を傾げた。
「騒々しいな。なんの騒ぎだ?」
「さあな。泥棒でも出たんじゃねえか?」
「ほう。物騒なのか不用心なのか、よくわからんな」
原因である彼らは、なぜこんなに皆が狼狽えているのかが本当に理解出来ていなかった。
唯一原因を察する事の出来るエルザも、スケア達が原因だとは伝えにくく、黙りこくっていることしか出来ないでいた。
そもそもの元凶である狼牙は昨晩の戦闘で飢えを解消したらしく、機嫌はかなり良くなっていた。
「主様。まだ朝は早いですが、もう先方を伺ってもよろしいのでしょうか?」
「構わんだろうさ。好きな時間に来て欲しい、と言われているのだ。たとえそれが朝早くであっても問題あるまい」
彼女の中には、常識の範囲、という認識は持ち合わせていなかった。
スケアは少し気怠そうに目的地へと歩いていく。
理由としては、昨晩遅くまで戦闘があり、睡魔が猛烈な勢いで襲ってきてることがひとつ。そして、その戦闘にて莫大な量の魔力を消耗してしまった事が要因だった。
生前、よく周囲から「底なしの魔力量」と言われ続けていたが、もちろんスケアの保有魔力に底がないはずがない。ただ、彼女独自の特殊な方法で魔力を回復させているだけ。
今回はそれをせず、自然回復で魔力を回復させているからこそ体が怠重く感じてしまうのだ。
スケアはチラリと横目で背後を見る。
視線の先にいるのは、エルザと手を繋ぎ、その後ろに隠れてついてくるシュノンがいた。
今朝から、シュノンがエルザから離れようとしない。しかも、どうしてかスケア達に近づこうとすらしなかった。
どうやら、昨夜の狼牙の行いとその反応で怯えさせてしまったらしい。
昨夜伝えた通り、食べ物か何かで挽回しなければ、嫌われてしまうかもしれない。それはそれでなかなかにショックな事である。
不意に前方に見覚えのある家屋が見えてきた。
以前、スケアが庭の草刈りを請け負った家だ。その家にも数人の女性が集まり、不安そうな顔で何事か話し合っているのがわかる。
その中の一人がスケアに気づき、いそいそとこちらに駆けてきた。
メリーナは若干身構えるが、肩に手を置いて落ち着かせる。
唐突に人間が近づいてくれば、彼女はどうしても身構えてしまう。彼女の境遇上仕方のない事だとわかっているが、本当にこの手のことは時間のみが解決する事だ。スケア達も手伝ってはいるが、ゆっくりと時間をかけてやることしか出来ないのが無念である。
「あんた、この間の人よね?」
「久しいな。あれから庭はどうだ?」
「あんたの言った通りだったよ。あれから全然雑草が生えてこないんだから」
「それは何よりだ」
駆け寄ってきたのは、あの時の依頼人だった。
どうやら彼女はスケアのことを覚えていたらしく、見かけて声をかけてくれたようだ。
丁度良かったため、彼女になんの騒ぎかを尋ねる。
「今日は今朝から騒々しくてな。いったいなんの騒ぎだ?」
「あんた、昨日の地揺れを覚えてないのかい?」
「地揺れ?」
「そうさ! 縦に横にガンガン揺れてねぇ。もう怖くて全然寝付けなかったよ!」
地揺れなんてあっただろうか、とスケアは思案する顔になる。同時に、隣にいたメリーナも、うーん、と唸って思い出そうとしていたが、どうやらなかなか思い出せそうにない。
すると、ちょいちょい、と背後から引っ張られた。
見ると、シュノンがスケアの外套を引っ張っており、スケアの視線がそちらに移った事に気付くと、ててて、とエルザの後ろに隠れた。
どうしたのかと思っていると、入れ替わりにエルザが近づき、
「大変申し上げにくいのですが、原因は昨夜の戦闘かと」
「戦闘? ただ殺し合っただけであろうに」
「昨晩はどのように戦われましたか?」
「前をメリーナに一任し、時に自ら援護に飛び込んだ。他には、第五位階の魔術を幾つか……あ」
問われ、正直に答えてから原因に思い至った。
第五位階の魔術は魔力の消耗が激しく、それに見合った高威力の魔術を発動する。一般の魔術師は第五位階を扱えるものが非常に少なく、また、発動するに見合った魔力を有していなければ発動できない超高難度の高等魔術なのだ。
それをいくつも扱えるスケアは、昨晩狼牙に対して何度も、何度も、数種類の第五位階魔術を並行して叩きつけていた。
その結果、魔力消費による気怠さに苛まれているのだが、その余波のことを完全に度外視してしまっていたのだ。
第五位階魔術は、島を丸ごとひとつ消しとばしてしまうようなものや、星をひとつ粉々に粉砕してしまうようなものまで存在する。
それに類するものを何度も使ったとなれば、当然その余波は甚大なものだ。寧ろ、地震程度で済んで良かったと思わずにはいられない。
ただ、街の人々を不安にさせた要因が自分だ、と知れば、やってしまった、という認識は僅かながらに出てくるものだ。
「……そんなに揺れたか?」
「体感ですが、震度六はあったかと」
「なかなか揺れていたのだな……」
横目で狼牙を睨む。
彼は呑気に欠伸をしていた。自分達が元凶であるなど思っていない様子だ。
そのままメリーナを見れば、耳と尻尾がわかりやすくシュンとしていた。
彼女は耳がいい為、この会話が聞こえていたのだろう。
「どうしたんだい?」
会話をしていた女性が不思議そうに言う。スケア達が原因だとは露ほど思っていない雰囲気だ。
当然だ。わかるはずがないのだから。
すぐに姿勢を戻し、先ほどと変わらぬ態度を心がけて対峙する。
「いや、今此奴に言われてようやく思い出したのだ。確かに揺れていたな。関係無しにすぐに寝たが」
「あの状況で眠れたのかい!?」
「ドラゴンの住処に行ってみれば、あのようなものは日常茶飯事。よくある事なのでな」
限りなく嘘に近いが、あながち嘘ではない。ドラゴンは相当な重量の個体もいる為、そういった個体の住処に潜入した際、大きな音とその重量でグラグラと揺れることもある。
ただ、それでも震度六程度に揺れることはない。その場合は、かなり古い個体のドラゴンがブレスを吐いた時ぐらいだ。
ただ、目の前の女性はそんなことを知るはずもなく、へぇ、と感嘆の声をあげた。
「へえ。冒険者もやっぱり大変なんだねぇ」
「うむ。それで、何か用か?」
このままではいらぬ事まで聞かれそうな気がして、話を逸らすように問いかけた。
すると、彼女は、そうだった、と笑って、
「いやね、あんたが見えたもんだから。世間話と前のお礼を言おうと思ってね?」
「礼など不要だ。仕事なのでな」
「そう言わないで、聞くだけタダだろ?」
「それもそうだ」
お礼なら、会話の初めに言われた為、もうこれ以上は良いだろう。
そう思い、そろそろ会話を切り上げようとするが、
「では儂らは――」
「あんた達は今日は何しに来たんだい?」
当たり前のように会話を阻んでくる。これだから、この年頃の女は苦手なのだ。それも、よくいるおしゃべりな女は特に。
「……仕事でな。以前、お主から聞いていた家庭教師の依頼を指名されてな」
「ディーネさんとこのかい? あそこから直接依頼を受けるなんて、あんた達やるじゃないかい!」
「それほどでもあるまい。儂らはただ依頼をこなしただけのこと。――と、そろそろ儂らは行かせてもらおうか」
「おっと、そうだね。これ以上長話をしたら、ディーネさんにもご迷惑だろうし」
ディーネさんというのは、依頼人の奥さんの事だ。
「ではな」
「また何かあったら頼むよ」
「儂らがいる時にしてくれ。そうでなければ受けられん」
「それもそうだ! あっははははっ!」
本当に元気な女だと思った。
他の家に比べると、比較的大きな家の前に立つ。家は大きく、他と比べて庭もどうやら広いようだ。
庭にはよくテラスに置いてあるようなテーブルと椅子が置かれており、今いる玄関前からは見えないが、子供の笑い声も聞こえてくる。
「ここか?」
「そうだ。確かに他に比べれば裕福なようだ」
それは家を一目見ての感想だったが、使用人を雇い、周囲から疎まれるような獣人を二人も家に入れていることからある程度稼いでいるのは確かだろう。
メリーナに視線を送る。
すると、彼女は薄く微笑み、小さく頷いた。そして、ドアを三度ノックする。
こんこんこん、と乾いた音。しばらく待ち続けていると、内側からドアが開かれた。
「はい、どちら様でしょうか?」
現れたのは給仕服を着た妙齢の女性だった。
黒の髪を長く伸ばし、少し鋭い眼差しがスケア達を捉える。顔立ちも悪くなく、どこか落ち着いた物腰が特徴である。
立ち姿から凛としており、その際の重心の位置と呼吸から彼女がどのようなことが出来るのかを判別していく。
ふと、スケアの鼻が特殊な臭いを感じ取る。何かが腐ったような異臭だ。しかし、周囲を見てもなにか腐ったものが置いてあるとかそういったわけではない。
これを感じた時、毎度他の人物に視線をやる。その視線に気づくのは連れて歩いている部下達だけ。
ただ一人、メリーナは使用人と思しき女性と対峙している為、こちらに視線を寄越すことが出来なかった。
「おはようございます。我々は家庭教師の指名依頼を受けて来た者です」
「ああ! 少々お待ちください」
女性はそう言うと、家の中へと戻っていく。その隙に、彼女の視線がスケアへと移る。
「どうなさいましたか?」
「視線の気配が変わったことに気づくのは見事だな……」
「ずっとお慕いしてまいりましたので!」
「これは慕うの次元ではなかろう」
「それで、何かございましたか、ロード?」
褒めれば尻尾を振って喜ぶメリーナの相手をしていると、隣に立っていたエルザが問いかけてくる。
そうだった、と彼女との対話を止め、少し気になったことを口にする。
「ふと香ったのだが、お主らは何か臭わなかったか?」
「いんや? 少なくとも、オレはなんにも」
「申し訳ありません。私も覚えはありません」
どうやら、鬼達は何も気づかなかったようだ。
では、臭いに関して敏感な女はどうだろうと目をやれば、
「そうですね……ドアが開いた時に人間の臭いが四つ。手前にひとつ、奥に三つ。その三つと同じ場所からふたつの獣人の臭いが。不遇に扱われている様子はございません。湯浴みでもさせてもらえているのか、悪臭はございません。
また、同じ場所からは香ばしい香りが致しましたので、恐らくは食事中かと思われます。それと、部屋は別ですが、奥の方から微かに精液のものと思われる臭いもしました」
「流石は狼。あの一瞬でそこまでの臭いを判別したか」
余計な情報もあったが、この場合は彼女の鼻は頼りになる。
しかし、誰もスケアが感じた臭いは感じていないらしい。
スケアにしか感じないというのであれば、あと理由はひとつしかない。
「そうか、お主ら皆感じられなかったか……。となれば確定だな」
「……あぁ、そういう事ですか」
スケアの物言いに、どうやらメリーナが何のことかすぐに気付いたらしい。これは生前から時折言っていたことだが、どうやらそれを覚えていたようだ。
少しして、中の気配がふたつこちらに近づいて来たことに気付く。
ドアが開くと、これまた顔立ちの良い男性が現れた。それに続いて、先ほどの女性もやってきた。
男性は茶髪の髪を丁寧に整えており、人の良さそうな柔らかい表情をしている。体も鍛えているようで、肩幅も広く、全体的にがっしりとした体つきをしていた。
男性は朗らかに笑うと、
「よく来てくださいました。俺が依頼人のロイドです。あなたがパーティリーダーのスケアさんですか?」
「いえ、わたくしはメリーナと申します。主様はこちらの方に御座います」
そう言ってメリーナは、すっと自然に横に退いた。
開けた空間にスケアは身を入れる。
「儂がこのパーティのリーダーを務めるスケアという」
「ああ! これは失礼! よろしくお願いします」
そう言って手を差し出された。その手を取り、スケアは表情を取り繕い観察を続けていく。
「あなた達の噂は聞いてますよ。なんでも、あのヴェルグを倒したんですよね?」
「ああ。見事な腕前を持った男だった」
「当然ですよ。冒険者の中でも、個人でSランクになった奴なんてそうはいませんからね。――っと、すみませんこんな所で。どうぞ、中へ入ってください!」
「では、失礼する」
ロイドに促され、スケアは中へと入っていく。メリーナ達もそれに続いて中へと足を踏み入れた。
室内はよくある木造の造りで、少なく見積もっても部屋が六つはある。途中に階段があり、外観を少し思い返してこの家が二階建てなのだと判断する。
また後で家の中を案内してもらってから最終的な判断を下そう。
「どうぞ、こちらへ」
ロイドが先導していく。それについていくと、ひとつの広々とした部屋に着いた。
部屋の中は整えられており、物が散らかっているという事もない。部屋の中心に簡素な作りの長テーブルと、その周りに複数の木造の椅子が置かれていた。壁際にはいくつか家具が置かれており、どうやら客間として使っている部屋のようだ。
置かれている椅子のうちのいくつかを勧められ、スケア達はそれぞれ椅子に腰を下ろした。
ただ、生前からそうしてきたからか、メリーナはスケアの背後の壁際に立ち、入り口付近でエルザが直立の姿勢で立っていた。
椅子に座ったのはスケアと狼牙とシュノンだけだ。
これにはロイドも不思議そうにして、
「どうぞ、お二人も座ってください」
「いえ、我々はこのままで大丈夫です」
「ええ、お構いなく」
「……この姿勢を見てると、本当にその手の人みたいだな」
としみじみ呟いた。
間違いなくその手の人なのだが、それを伝えてやる必要はないだろう。
その後も少しの間譲り合っていたが、頑なな二人にロイドが折れ、本題へと移っていった。
「では、改めまして。俺がロイド・ヴァーンハイドです」
「先も言った通り、儂がスケアという。そして、そこでだらしなく座っているのが狼牙」
「よろしくやろうや」
「え、ええ。よろしく」
名を呼ばれ、軽く挨拶する狼牙。そのあまりの態度にロイドも苦笑していた。
「次に、入口脇に立つ騎士がエルザ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
礼儀正しいエルザは、名を呼ばれると左胸に手を当てて一礼した。
「儂の背後に控えるメイドがメリーナ」
「よろしくお願いいたします」
「ど、どうも」
名を呼ばれ、一流のメイドも見惚れる優雅な一礼。
「そして、シュノンだ」
「……」
「この子が仰っていた子ですね? よろしくね」
「…………はい」
紹介され、椅子にちょこんと座っていたシュノンが身を強張らせる。そんなシュノンに気さくに声をかけるロイドだったが、返事はとても小さかった。
ふふ、とスケアは小さく笑い、
「すまんな。この子は人見知りで、緊張しているようだ。どうか、無礼を許してほしい」
「いえ、大丈夫ですよ。可愛いくらいです」
「そう言ってもらえると助かる」
ロイドが温厚な人物で良かったと心から思う。
やけに自尊心が高い者や、礼儀に厳しい者などは時折気分を害する事もあるからだ。一例を挙げるならモルドである。
実際にそんな場面を見たわけではないが、どう考えてもそういう人物にしか見えないのだから仕方がない。
自己紹介が終えた直後、ドアがノックされた。
ロイドが「どうぞ」と促すと、お盆に六つのカップを乗せた先ほどの女性が入ってくる。
「失礼しま――っ!?」
女性は入ってすぐの場所にエルザが立っているなど思ってもいなかったらしく、目の前にその姿を見てギョッと身を竦ませた。
「あ、あの……どうしてお座りにならないのですか?」
「ロードの騎士たる者、ロードと同じ高さに座ることなど許されませんから」
「儂は構わんが」
そう言っても、エルザはかぶりを振る。
「私が構うのです。ロードと同じ位置に腰を下ろすなど、烏滸がましくて出来ようはずがないでしょう!」
「よく言いました! 主様の従者たる者、己の身分を弁えなければなりません。そうでなければ、外に出た時に主様に恥辱を味わわせることになるのですから!」
「その通りです!」
「お主ら、ちと頭が固すぎるな……」
「まーた始まった。気にしなくていいからな」
「は、はぁ……」
エルザとメリーナの熱弁に圧倒され、ロイドと女性は揃って面食らう。
シュノンも初めは同じような反応をしていたが、この二週間で慣れたのか反応すらしなくなった。
ただ、若干表情が綻んだように見えることがあるため、楽しんではいるようだ。
「そうだ、ご紹介します。うちで侍女として雇っている、レイチェルです」
「今日からしばらくの間、よろしくお願いします」
レイチェルはテーブルに持ってきたカップをそれぞれの前に配ると、姿勢を正し、綺麗に一礼する。
その瞬間にメリーナが静かに審査に入ったようだが、審査したところでそれを伝えることもないのだから無視してもいいだろうに。
「ああ、よろしく頼む。迷惑ばかりかけることになるであろうが、善処はするつもりだ」
なにせ、人でなしと碌でなしの集団で、加えて普通なら非常識であることが常識として捉えられている場所で生活していた者達だ。彼らが被る迷惑も、ちょっとどころではないだろう。
ならば、事前に伝えておき、そうなると分からせておく必要があると考えたのだ。
レイチェルは社交辞令とでも捉えたのか、柔らかく笑って承知の意を示した。
「わかりました。なるべく問題はないようにしてくださいね?」
「先も言ったが、善処はするさ」
問題を起こさないとは言ってないがね。
お互いの紹介が終わると、レイチェルは部屋から出ていった。
彼女が持ってきたのはどうやら紅茶らしく、紅茶を出してくる時点でこの家が裕福であることは間違いない。
普通の家に上がり込んだところで、そうそう紅茶なんて出てこない。生前、スケアも紅茶ではなくコーヒーを出していたぐらいなのだから。
お金がないのではなく、単にコーヒーが好きなだけだったが。
紅茶を口に含むと、品質は良くもなく悪くもない、比較的安価な茶葉を使っているのがわかる。
それが悪いというわけではない。だが、あと入れ方に一工夫加えればもっと味が良くなることは確かだ。
「メリーナ」
「はっ」
「これを飲んでみよ」
「……では、失礼して」
控えていたメリーナに飲むよう命じる。
その手の家事については彼女の方が詳しい。自分で感じたことも、彼女ならよく理解するだろう。
そう思っての事だった。
果たして、用意された自分のカップに手を取り、指先で三度、カップを軽く叩いた。その際、横目でスケアを伺ってくる。頷いてやれば、メリーナは紅茶に口をつけた。
メリーナは口に含んだ紅茶を味わうように舌の上で転がし、嚥下する。そのまましばらく余韻に浸っていると、うん、と小さく口にした。
「可もなく不可もなく、といった具合でしょうか。ただ、蒸らす時間が少し短いです。それと、おそらくカップを温めていなかったのでしょう、味が少し落ちています。お湯の温度は問題ないので、それだけのミスが際立っているように感じますね。
主様。少し、文句を言ってきますね?」
「そこまでせんでよい。とはいえ、やはりお主の裁定は些か厳しいな」
「当然です! 主様にお出しするものは全て最高の一品でなければなりませんので!」
「飲めりゃなんでもいいだろ。お前はちょいと固すぎんだよ」
「では、これから狼牙様には泥水を差し上げますね?」
「ふざけんな!」
狼牙は特に味を気にせずガブガブと飲み干してしまう。カップ一杯だけでは当然足りない。その為、さりげなくシュノンのカップに手を伸ばし、その手をエルザに掴み止められていた。
そんないつもの賑やかな光景に、初めて見るロイドが少し楽しげに笑った。
「いやぁ、面白い人達だ。獣人のメイドさんとそうやって仲良く話しているのもそうだ。怒らないでほしいんですが、あなた方は変わってますね」
「そんな連中に家庭教師を頼むテメエも、変わり者だと思うぜ?」
ロイドの言葉に、間髪入れず狼牙が返す。
それに怒った様子を見せず、朗らかに笑って頷いた。
「確かにそうかもしれない。でも、これも賭けだったので……」
「賭け、ですか?」
言っている意味がよくわからず、皆が小首を傾げてしまう。
ロイドはそんな全員の様子を一望し、説明するために口を開いた。
「実は、教えてほしいのはうちの子と、他にもう二人頼みたいんです」
「二人、ねえ?」
それがなんなのか、事前に調べていたスケアはすぐに何を言いたいのか理解した。他の面々も、なるほどそういうことか、と納得したようだった。
そんなスケア達の反応に気付いた様子はなく、ロイドは言葉を続けた。
「その二人は獣人でして。その、女神教の教徒が多いので、なかなか教えてもらえるような人はいなくて」
「それで、獣人をメンバーに入れている儂らに当てをつけたか」
「ええ。あなた方は良くも悪くも有名でしたから。個人の力量が既にヴェルグを超えていて、モルドの騎士を虐殺した異常者集団。しかも、獣人を連れて歩いている。他にも色々と言われていますよ」
「あながち間違いじゃねえな」
「うむ。概ね事実であろう」
ロイドが言った噂についてはスケア達は知らなかった。
だが、その噂も間違いと思しき箇所は出てこなかった。きっと、ロイド自身が噂を集め、事実に近いものを選別していたのだろう。
その辺りは情報の大事さをよく理解しているな、と感心した。
「それで、賭けとして頼んだんです。そんな訳で、獣人の子達も一緒に教えてもらってもいいでしょうか?」
「構わん。断る理由などない」
即答すると、ロイドは心底ホッとした顔になった。
「それは良かった。じゃあ、まずは会ってもらいましょうか。呼んできますね」
「それは不要であろうな」
「え?」
これから子供達を呼ぼうと席を立つロイドをスケアが止める。
それに不思議そうに声を漏らしたが、そんな彼を無視してエルザに視線を向ける。
目が合い、こくり、と頷くと、エルザは音を立てずにドアに近づいていき、開いた。
すると、
「うおぉおおっ!?」
「きゃあっ!?」
二人の獣人が転がってきた。
話をしていると、ドアの向こうからわかりやすく気配がしていたため、子供達が聞き耳を立てているとわかっていた。
なにより、メリーナが先ほどカップを指先で叩いた事で、聞き耳を立てている数を把握していたのだ。
だが、数は三人と聞いていたが、転がってきたのは二人だけだ。
「ほう、珍しい。餓狼族か」
「うっ、そ、そうだ!」
「ふふ、猛々しいものだな。鍛え甲斐がある」
「ひぃっ!?」
スケアは二人を見て、すぐに種族を的中させる。
一人はまだ背の低い少年。真っ黒の髪に、そこから伸びる一対の獣の耳。臀部からはフサフサとした尻尾が伸びている。
どこか強気な翡翠の眼差しはまっすぐスケアを捉え、怯える心を叱咤して吠えてみせた。
ただ、ニヒルな笑みを浮かべてみせると、すぐに背筋が凍ったようだが。
もう一人は少女だ。少年と同じく黒の髪に獣の耳と尻尾。スケアを見上げる翡翠の目からは人間に対する少しの恐怖心が感じ取れ、また見知らぬ人物が敵が味方かを必死に見定めているようだった。
そんな二人の顔立ちは似ている。きっとこの二人は、獣人の姉弟なのだろう。
「餓狼族とは、随分珍しい種族に会ったな。人気のない森の中で集落を作っているはずだが」
「ご存知なんですね。それなら話は早い。
この子達がうちの子と一緒に教えてやってほしい子達で……男の子がユーステスで、女の子がヘテナといいます」
「ユーステスにヘテナ……ええ、良い名前です」
名前を聞き、エルザがうんうんと頷く。
最近は子供の相手をすることが多かったからか、新しく知り合った子供はすぐに覚えるように努力しているようだ。
「で、肝心のあんたの息子はどこだ?」
「あぁ、この子のことですね。どうぞ、入って」
「失礼します」
狼牙に促され、エルザが声をかけて引き入れた少年は、とても理知的な顔をしていた。
年の割に大人しい感じの少年は、父親と同じ茶色の髪に整った顔立ち。正中線がしっかりしており、驚いたことに隙がかなり少ない。
先ほど紹介されたユーステスと見比べても雲泥の差である。
何より、これは三人総じて言えることだが、全員体がしっかりと出来上がっているのだ。まだ子供のため筋肉質というわけではないが、体術や剣術などを扱う際に必要とされる筋肉は充分な程である。
「この子がうちの子で、名前をユリウスといいます。さぁ、ユリウス。挨拶しなさい」
「ユリウス・ヴァーンハイドです。これからよろしくお願いします」
父に促され、自然な所作で自己紹介をするユリウス。
その動きも洗練されており、何より無駄がない。
それを見た四人の反応も顕著なものだった。
「へぇ、これはこれは……」
「えぇ、よろしくお願いしますね」
「ふむ、なるほど」
「これはまた逸材ですね……」
狼牙が好戦的に笑う。
メリーナが泰然と挨拶に応じる。
スケアが何かに納得したかのように呟く。
そして、エルザが彼の一連の流れに目を瞠り、改めて三人を見て慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
スケア達は彼らを一目見て全く同じことを考えた。それは何の確証もなく、また示し合わせたわけでもない。
全く同時に、全く同じことを直感していた。
この三人は間違いなく化けるだろう、と。
スケアがそう考えることはかなり珍しい。普段は少し見込みがある程度の者には見向きもせず、求められ気が向けばそれに応じていた。
ある程度の戦士を見ても、少しは出来るな、程度にしか感じていなかったのだ。
だが、この三人は違う。
彼らなら、きっと将来ヴェルグ以上に強くなれると断言出来る。
スケアの師匠であるスカアハも、クー・フーリンを見初めた時に、同じように感じたのかもしれない。
「これは、退屈しなさそうだ」
スケアにしては珍しく、これからの事に期待するように笑った。