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騒動後の日常

 木々の隙間から覗く陽射しを見上げて目を細める。

 初夏という季節柄、最近は徐々に暑くなってきた。今は日陰が多い場所の為その暑さも和らいでいるが、後一ヶ月もすればどこであろうと今以上に暑くなることは間違いない。


 地球との違いを上げれば、初夏特有の雨期がこの世界には無い事だろう。

 今日は雲ひとつない晴天。人々の絶好の仕事日和である。


 僅かに吹くそよ風が髪を靡かせる。それに合わせて外套もゆらゆらと揺れる。

 運動をして火照った体を冷ますように流れる風を浴び、精霊の心遣いか、と若干の感謝の気持ちになった。


 今いるのはルーミラ近郊の森。この付近では魔物が活発で、冒険者でなければ近づく者はまずいない。この一帯で最も危険な場所である。

 とはいえ、それは一般的なことでしかなく、スケアにとってはこの森も安全な場所にしか感じられなかった。


 エルザの騒動からもう二週間になる。

 あれから西区の宿を拠点に、日銭を稼いで暮らしていた。


 エルザと狼牙の二人と合流したことで、彼女らが持っていた資金を合わせてもかなりの額を手に入れた。具体的に金貨を四十枚。これにメリーナが依頼で得た金――金貨だけで十六枚を合わせての金貨五十六枚が今手元にあることになる。


 これだけの金があれば、しばらくは遊んで暮らせることは間違いない。

 しかし、生活必需品や食料、狼牙の酒代でそれなりに金を要するため、その金に頼り過ぎないよう日々数多の依頼を達成して暮らしていた。


 今回ここに来たのも依頼だ。

 この森には最近アースウルフの群れが住み着いたらしい。いや、以前からアースウルフの群れ自体はいたらしいが、その群れの規模が増えてきたという話だ。

 その討伐が依頼の内容である。


 スケアは今回、メリーナと狼牙を引き連れてきており、エルザは宿にいるシュノンを見させている。

 シュノンはその種族柄、誰か一人は一緒にいてやった方が良いという判断からそうしていた。


 唐突に背後から何か硬いものが激突するような音が轟いた。

 肩越しに見れば、退屈そうな顔の狼牙が、ほとんど直立の姿勢で拳を右の空間に振り下ろした姿で立ち尽くしており、その丁度真下には頭部から体の半ばまでを破裂させた獣の残骸が転がっていた。


 間違いない。アースウルフの死体だ。


 現在、森の中でスケアは狼牙と背中合わせになり、アースウルフの群れに囲まれてしまっている。

 そして、殺到してくる捕食者を捌いていくことを強制されている状況にあった。


 とはいえ、二人は気負った様子を見せず、普段通りの自然体で対応していた。狼牙に至っては、脱力し過ぎているまである。


「あーかったりぃ……。今何匹狩った?」


 背後で暢気に欠伸をする狼牙が嘯く。


「はて、儂も詳しくは知らん。把握しておるのはメリーナであろう」

「退屈なんだ。こうも張り合いがねえとよ」


 そう言って、狼牙は自分の右腿を平手で打つ。すると、そこに牙を突き立てていたアースウルフの頭部が快音を響かせて弾け飛んだ。

 着ている服に脳漿がブチまけられるが、次の瞬間にはスケアの魔術で汚れが綺麗に無くなる。


 完全に噛まれていた筈だが、狼牙の肌は傷ひとつなかった。

 相変わらず、頑丈な男だ。


「致し方あるまい。ここは辺境も辺境。加えて、魔族領からも未踏査領域からもそれなりに離れている。それ故、周辺の魔獣も強力な個体はいまい」


 言いながら、左の空間を一閃する。

 振り抜いた拳に確かな感触。それに遅れて、三メートルは離れた木にアースウルフの半身が突き刺さった。

 しばらくはもがいていたが、次第にその身体から力が抜けていく。


「つまんねぇなあ。退屈はオレ達の天敵だぜ? 何年生きられると思ってんだよ」

「そうさなぁ。鬼の寿命は個体によって変わるからのう。とはいえ、お主は神の領域に踏み込んでいる。寿命など存在せんか」

「オレ達の間に寿命がある奴っていやぁ、シュノンだけか」


 シュノンは鬼人族という、三百年後にはもう絶滅していた種族だ。

 スケアの――スケアと契約していた悪魔王の記憶が正しければ、今いるこの時代には既に二人しかいないはず。つまり、シュノンともう一人しか存在しないのだ。

 そのもう一人が男であれば血は続くだろうが、そうでなければもうその種族はおしまいである。

 他の種族と交わって子を作っても良いのだが、そうなると自然とその血は薄くなっていく。それでは、種族の終わりが少し長引くだけでしかないのだ。


「シュノンの寿命はわかんのか?」

「……さて、な。鬼人族の寿命は鬼と比較すれば短かった筈だ。ふむ……およそ百五十前後であろうさ。詳しくは儂も知らんが」

「百五十、か。そこまで長くはねえんだな?」

「人間や獣人に比べれば充分長い。寿命で死なせたくないのであれば、儂らと同じ領域まで鍛えてやらねばならんが……」


 彼女は戦いはあまり好きではないという優しい性格をしている。無理矢理鍛えてやるのも嫌がるだろうし、なによりそこまで強くしてやる義理はない。

 面倒はしっかりと見てやるつもりではあるが、寿命を無くすのはある種残酷なことだ。それを強制したくなかった。


「そんなもんかねェ?」

「そんなものだ」


 そう言って、嘆息気味にスケアはその場でサマーソルトを繰り出す。半身をスケアに向けていた狼牙は、振り返る遠心力を利用して無造作に裏拳を放った。

 遅れて、二人の側にふたつの肉塊が音を立てて地面に転がった。


「らしくないな。いつからお主はそう優しくなった?」

「優しくなんかねえよ。変なこと言ってっと食い殺すぞ」

「殴り殺すの間違いであろう? とはいえ、退屈であるのはその通りよな」

「唐突に話が戻ったな。……あの狂信者もどこまで行ってんのやら」

「呼べばすぐにでも現れよう。呼ぶか?」

「いらん」


 スケア達はドラゴンとも普通に殺し合える。そんな身であれば、少し地属性の魔術が扱える程度の魔獣の相手は退屈に過ぎる。


 その為、自然と二人は雑談を交わしながら殺到するアースウルフの群れを屠っていた。

 だが、その作業ももう十分にもなる。そうなると、自然と作業も終わってしまう。


 スケア達の周囲には、既に十匹程度のアースウルフの死体が転がっていた。


 本来低ランクの冒険者では撤退も視野に入れなければならない相手だ。

 しかし、魔界に行けばこんなのは児戯にしか感じられない程度である。あそこはもっと恐ろしいものがごろごろいるのだから末恐ろしいことだ。


 具体的に言えば、冒険者ギルドが定義した魔獣、魔物の危険度のカテゴリーでトップクラスであるSランクが最低ランクな場所だ。先述のドラゴンもSランクに分類される。

 対して、アースウルフはDランク。


 生前スケアはSランクの冒険者だった。メリーナや狼牙は冒険者ではなかったが、実力もスケアと同等程度はある。

 これで、どう気を付ければいいと言うのだ。


 周辺に意識を向ける。

 離れたところに複数の気配がするが、それも瞬く間に数を減らしていくのがわかった。どうやら、そこでメリーナが一人で相手をしているようだ。


 差し迫った危険はなく、討伐が終わったのであればすることはひとつしかない。


「さて、討伐証明を剥ぎ取るぞ」

「オレじゃ無理だ。金にするんなら質をよくしなきゃなんねえんだろ? だったら、オレにゃ無理無理」

「……致し方あるまい。ならば、警戒はしておけ」

「へいへい」


 間の抜けた返事を聞き流し、手の平を上に向けて少し腕を上げる。それは側から見れば、道具を寄越せ、と催促しているような姿だ。


 すると、手の平の直上の空間に波紋が広がり、波紋から一本のナイフが落ちてきた。スケアの扱う空間魔術だ。小さな亜空間を魔術で形成し、そこに荷物を入れている。


 似たような魔術に『収納魔術』と呼ばれるものがあるが、『収納魔術』は使用者の魔力量によって容量に限界が左右するのに対し、スケアの使うこれにそんなものはない。

 が、存在しないはずの亜空間を新たに創り出す必要があることから、こちらの方が莫大な量の魔力を消耗することになる。


 そうなると、どちらの方がより良いかは一長一短となるが、スケアの使っているこの空間魔術は、一度創ってしまえば術者が消滅させない限り、大気中に存在するマナを利用して半永久的にその亜空間は残り続ける事ができる。

 つまり、術者が魔力を消費するのは亜空間を創造するその瞬間のみなのだ。

 保有している魔力量が多い魔術師はこの手法をとる者が多かったが、その難度から成功する魔術師は一握りでしかなかった。


 スケアの創造した亜空界には生前から使用している業物の武器等が主に置かれ、今いるこの世界にて目を覚ました当初に確認した妖刀やゲイボルグ、自作の弓などもそこに鎮座していた。


 取り出したナイフはどこにでも売っているような簡素な造りで、スケアがルーミラの街の武器屋で買った物だ。


 アースウルフの討伐証明となる部位は牙や爪、尻尾など色々あるが、その証明部位をギルドにて買い取ってもらう際に最も高く買い取ってもらえる物が毛皮である。

 ただし、それは傷が少なく、状態も綺麗なものでなければ高額にはならず、剥ぎ取った者の腕に左右されやすいものだった。


 その点で言えば、確かにこれは狼牙に任せるのは危険だ。

 彼は見てわかるように、酷く大雑把でガサツな性格をしている。手先もそれほど器用ではない為、こう言った剥ぎ取り作業をする際はいつも他の者に任せていた。


 スケアは静かに作業に移る。


 転がっているアースウルフの数を数えてみれば、十三匹を討伐したことがわかった。これを一人で捌かないといけないと思うと、億劫な気持ちになってしまうのも仕方のないことだろう。

 先述の通り、毛皮の剥ぎ取りは最も神経と集中力を使うものなのだから。


 中には破裂して元の状態から毛皮があまり売れそうにないものもあったが、その場合は仕方なく尻尾や牙などの残っている部位で済ませた。


 どれほど時間が経ったろう。体感でおよそ三十分前後程作業を進めていた頃合いに、ひょっこりとメリーナが戻ってきた。


 彼女の身体に目立った外傷は見当たらず、彼女の纏うメイド服の裾が少し汚れている程度だ。

 メリーナはなかなか繊細な戦い方をする為、狼牙と違って返り血を浴びることはない。

 狼牙にもたまには見習ってほしいものである。


 メリーナはスケアの前まで来ると、優雅に一礼した。


「主様。群れの駆逐は無事に終了致しました」

「御苦労。負傷は?」

「ございません。あの程度の獣を相手に傷を負うなど、起きるはずもございません」

「それは重畳。では、血の臭いにつられて他の魔獣や魔物が寄り付く前に討伐証明の部位を剥ぎ終えよう」


 畏まりました、とメリーナは頷き、足早に付近に転がっているアースウルフへと近づく。


「そら、これを使うとよい」


 そう言って、自らが使っているのと同じナイフを虚空から取り出し、それを投げ寄こした。


 飛来するそれを危なげなく掴むと、メリーナは礼を口にする。


「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」

「市販の安物故、そう大事にすることもなかろう」

「何を仰いますかっ。主様の御手に触れたものは全て普通以上の価値が付与されるのです!!」

「なぁ、それなんて魔術だ?」

魅了(チャーム)ですね」

「魅了魔術にそんな効果はない」


 この部下は本当に変わらない。生前から――それも、お互い十にも満たない幼い頃から見知っているが、どうしてこうも懐かれてしまったのか。


 未だ何かを語ろうとしているメリーナを急かし、剥ぎ取り作業を再開した。


 一人でするよりもよほど早く作業が進む。なにより、メリーナ自身が器用な人物の為、こういった作業が得意である、ということも要因のひとつだろうと思う。


 結果、先ほどとは段違いの速度で剥ぎ取りが終えられていく。


 周辺のものは全て終え、次はメリーナが片付けた骸達の方へと向かう。

 幸い、まだ血の臭いにつられたものはいないようだ。


 不意に開けた場所に出る。

 濃密な血臭が鼻腔の奥を貫き、視界には凄惨な光景が広がっていた。

 至る所に肉塊が転がり、地面は血で真っ赤に染め上げられている。鮮血は地面だけでなく不規則に林立する木々にも飛んでいた。


「……おいおい。これでよくもまぁその程度の汚れで済んだもんだ」

「全くよな」


 その光景を目にして、スケアと狼牙は揃って苦笑した。


 繊細な戦い方をしてはいるが、終わった後の現場は綺麗かと言われれば、そうでもないのが残念なところだ。


 ――立つ鳥跡を濁さず。


 それを目指してほしい気持ちもあるが、それは元暗殺者だから思うことなのだろうか。

 とはいえ、先ほどの場所で、アースウルフの身体を木に叩きつけたり、肉塊を転がしている時点で人のことを言えないのだが。


「そう褒めないでください。面映ゆいではありませんか」

「褒めてねえよ」

「まぁよい。それよりも、急ぎ剥ぎ取りを終えて戻ろうではないか。腹も減った」

「んだな。今日はパーっと飲み明かそうや」

「何を仰いますか。まだお昼ですよ。飲むにはまだ尚早かと」


 賛同の意を示しはしたものの、誰も狼牙の言葉には頷かない。

 メリーナの言う通り、まだ太陽は中天にも至っておらず、後少しでようやく昼時になろうという頃だ。


 別に酒が嫌いなわけではないスケアだが、昼から飲むのは非常に稀であり、昼間は溜まった仕事や鍛錬に時間を費やしている。それが、生前のルーチンだったからだ。

 飲まないこともなかったが、それは付き合いや祝い事などがあったときぐらいである。


 ざっと見た限りで肉塊の数は二十を軽く超える。それだけの数を一人で鏖殺したメリーナは誇ってもいいと思うが、ヴェルグ辺りも普通に出来そうな気がしたら誇らない方がいいと思ってしまった。


 そんなバカなことを考えながら、静かに剥ぎ取り作業に入った。それを目にしたメリーナは、狼牙に対して行っていた小言を止めて後に続く。


 そうして始まる作業を、狼牙が手持ち無沙汰に眺める。これが街中なら酒を片手に眺めているのだが、生憎今はそんなものは持ち合わせていない。

 すると、必然することもなくなってくる。


 彼には周囲の警戒を任せていたが、そんなものは片手間に出来ることであり、何より狼牙自身が警戒せずともスケアもメリーナも個人で周囲の索敵は行っている。

 形式上狼牙も探ってはいるが、少しサボっても問題ないのだ。


 とはいえ、先刻狼牙が口にしたように、最大の敵である退屈が押し寄せてくる。

 それを紛らわせるために、狼牙は徐に口を開く。


「なぁ、今更なんだがよ。女の体になって不自由はねえのか?」

「誠に今更よな」


 狼牙の問いに呆れたような顔になって応えた。

 その疑問が出るのが二週間前ならスケアも理解出来る。彼は物怖じしない為、気になった事はすぐに口に出すぐらいはする。


 それを知っていては、その話になるのが遅過ぎる、と呆れても仕方のない事だ。


「特にこれといった問題はあるまい。これといった問題はなかったが、下着がな……」

「あん? 下着?」

「うむ。儂は女物の下着というものをそうそう見た試しがなくてな。どの向きで履けば良いのかちと考えてしまう」

「いつもはどうしてんだよ」

「メリーナに任せておる」


 普通なら何を馬鹿な、と思っても仕方のない事だが、スケアの生前のことを知ってるものからすれば、納得出来なくても理解は出来た。

 なにせ彼女の主だった子供は、親権の譲渡、睡眠魔術によって眠らされた後の意識ない状態での夜這い、未亡人に懐かれた付属、悪魔王が善意とは名ばかりの愉悦目的での接吻による肉体的接触で流し込んだ遺伝子情報という、本来為すべき手順を為していない結果なのだ。


 まともに致した時は基本的に異性を拷問する際のみという、聞き方によってはそういう趣味を持った人物にしか聞こえないものである。


 その為、洗濯などの家事の際にほとんど意識せずに目に入る程度の接触で、脱がせるといった事はしたことがなかった。


 それを考えれば、やはり納得は出来ないが理解は出来る。


「あー……その辺りはどうなんだ、狂信者」

「いつも黄金比のようなあられもない主様の裸体を拝見出来て、悶え死にそうですぅ……! あっ、思い出しただけで鼻血が」

「重症だわ」

「貞操の危機を感じる気がする」

「危機を感じるのが遅え!」


 肉体が男であろうが女であろうが、スケアという個体であれば良いのか、と呆れ果ててしまう狼牙だった。




 その後も大したことのない談笑を交わしつつ、無事に全ての剥ぎ取り作業を終了させた。


 そうして、三人はルーミラの街へと戻る。


 門番に依頼の帰りである旨を伝え、中へと入る。

 既にスケア達は門番達に顔を覚えられており、殆ど形式だけのやり取りだった。

 その際、やけに怯えられていた気がするのは気のせいだろうか。


 街に入ると、スケア達はまっすぐ冒険者ギルドへと向かう。

 賑わいのある様子を流し目に、中央広場へと足を進めていった。


 ギルドに着くと、扉を開く。中に入れば自然と冒険者達の不躾な視線が注がれるが、それがスケアだと気づくとすぐに視線を外した。


 二週間前のここに来たばかりの騒動を覚えているものばかりで、それを知らない者達は古参の冒険者達から必死に止められている姿を目にする。


 しんと静まり返るギルド内を無視し、受付に足を向けた。

 そこにいた女に声をかける。


「依頼完了の確認を頼みたい」

「はい。ええと……アースウルフの群れの討伐でしたね。討伐証明の提示をお願いします」


 受付の言葉にメリーナが静かに前に出る。

 そして、剥ぎ取った討伐証明の入った袋を、ドサリ、と音を立てて女の前に置いた。


「確認します」

「一人でやるよりも複数でやれ。その方が時間が短縮されて良かろう」

「わ、わかりました」


 そう言って女は袋を持って奥の扉へと消えた。


「ここでやらんのか」

「以前も今のように部屋を移して行っておりましたので、そのような決まりなのかと思われます」

「そういうものか」


 その間、必然的に待たされてしまうわけだ。


 横目で狼牙の様子を盗み見る。

 彼は目に見えて苛立っていた。腕を組み、不機嫌な態度で眉根を寄せ、小さく唸り声を上げる。


 ちょっとした退屈なら良いのだが、こうも退屈なことが続けば彼は我慢が限界になってくる。


 こうなってしまえば、何かしらで彼の退屈を紛らわせてやらねばならない。

 最も手っ取り早い方法は彼と戦えば良いのだが、そうするとその余波で周囲一帯が消し炭になってしまう。


 スケアが悪魔王と同等に強ければ周囲への被害も比較的小さく済むのかもしれないが、生憎とそうでは無いのだから仕方がない。


「狼牙」

「あン? ――っと」


 振り向いたところへ、大銅貨を三枚投げ寄越した。


「それだけあれば余程高い酒でなければ飲めよう。退屈を紛らわせてくるがいい」

「ヘッ、オレのことをよくわかってんじゃねえか!」

「何年の付き合いだと思うておる? それに、貴様の前には九老とも付き合ってきておるのだ。その程度のこと、わからんわけがあるまい」


 九老と言うのは、酒呑童子である狼牙の片腕である隻腕の鬼、茨木童子のことだ。


 生前は、狼牙と九老という伝説の鬼を護法として侍らせていた。城内での立場は近衛隊長と副隊長という役職を与え、側近衆ではないがそこそこの立ち位置に据えていた。

 つまり、同じく近衛隊の所属であるエルザの直属の上司である。


 隻腕でありながらもその武勇は優れ、酒と戦を愛し、嘘を嫌う鬼らしい鬼だった。狼牙よりも頭が残念だったのが少し惜しく感じる存在だ。


 そんな鬼も、生前の大戦によって討死した。

 今際の際に、満足そうに呵々と笑っていた記憶が今もしっかりと残っている。


 当時は短期間の間、淡白な対応をしていた狼牙も踏ん切りがついたのか、今ではそんな様子をこれっぽっちも見せない。


 今も九老の名前を出しても、納得するように笑うだけだ。


「そりゃそうだ。――じゃ、ちっと飲んでくるぜ!」

「くれぐれもツケを作るでないぞ」

「わーってるよ!」

「狼牙様、飲み終えましたらご連絡を」

「オレはガキかよ!?」


 小言のように注意されて、狼牙は少し怒声を上げた。


 彼の態度が大きい子供のようにしか感じられないのだから仕方がない。

 事実、彼が言った直後にメリーナと二人で頷き合ったのだから。


 狼牙は気軽な足取りでギルドから出て行く。

 ギルド内でも食事が出来るのだが、どうやら行きつけの店があるらしく、酒を飲む時はいつもそこへ向かっていた。


「スケアさん」


 狼牙を見送り、メリーナに声をかけようとしたところにギルドの職員から声をかけられた。


 見ると、のっぺりとした男がひとつの羊皮紙を持って受付カウンターの向こうに立っていた。


「確認に行った女はどうした。もう作業は終えたのか?」

「いえ、そちらはまだです」

「では、何用か」

「はい。あなた方の実績を信じて、次の依頼についてのお話をしたいのですが」


 スケア達がこの二週間の間に行ってきた依頼は千差万別だ。採取依頼であったり、討伐依頼であったり。

 そして、そのどれもを完璧に終えていた。


 それで仕事に関しては信頼され始めているらしく、早くも次の依頼の話をするようだ。


 とはいえ、気になることもある。


「依頼の話だと? 依頼はこちらが依頼ボードから選ぶのが決まりであろう」

「そうです。しかし、例外が存在することはご存知でしょう?」

「……指名か」

「その通りです」


 冒険者は依頼をある程度達成して実績をつけていくと、その冒険者のランクを上げるための試験を受ける必要がある。

 それを見事突破してランクを上げていくと、依頼人から直接指名を受けて依頼を受けることがある。


 これを直接依頼――または、指名依頼と呼び、実績を認められたひとつの証明なのだ。


 当然のことだが、依頼人から仕事を頼みたいと思ってもらわなければ指名依頼の話が出ることはなく、話を貰おうと思ってもたくさんの依頼をこなして実績を得るしか方法はない。

 加えて、冒険者は荒くれ者が多い為、指名依頼の話を貰えないことが多い。

 それを思えば、本当にありがたい事なのだ。


 実際、スケアが呟いた瞬間、近くにいた冒険者の視線がいくつかこちらを向いた。


「悪く言うわけではないが、随分と変わった依頼人よな。悪評ばかりの儂らを指名するとは」

「主様、案外そういうわけでもありませんよ」

「なに?」


 スケア達は二週間前の騒動で、モルドの騎士を容赦なく皆殺しにした。

 それによってかなりの悪評が広まった。道を歩けば嫌悪の眼差しを向けられ、視線を向ければいそいそと立ち去っていった。


 そんな姿を見ていては、本当に変わった依頼人だとしか思わなかった。


「これまでの依頼人達の評価によって、思ったより悪い人達じゃない、という評価になっている模様です」

「ほう。……エルザの人当たりの良さのおかげであろうか」

「恐らくは。主様は人当たりは悪いですし、狼牙様は呑んだくれ。わたくしは人間に対してはあれなものですから」

「さり気なくディスりおったな、お主」

「おや、何のことでしょう」


 ジト目で睨むと、メリーナは対照的にニッコリと笑った。

 本当に太々しくなったものだ。


 ただ、メリーナが言ったようにスケア達は人当たりは良い方ではない。


 スケアは人間に対しては冷淡であり、なかなか冷たく応じることが多い。


 狼牙は特にスケアのように態度が如実に悪いというわけではないが、酒呑みということもあり、飲み仲間の間でしか評価は高くない。寧ろ、その飲み仲間の家族から煙たがられているようだ。


 そして、メリーナは人間をとことん嫌っており、温厚な人間には取り繕った笑顔とよそよそしい対応を。彼女が嫌った人間には取り繕うことすらせず、汚物を見るような目になる。


 唯一仲間内でそういったことが無いのがエルザだけなのだ。


 そんなメリーナの話を、職員の男も同意するように口を開く。


「まあ、今メリーナさんが仰ったように、評価が改善されてきているのが依頼が来た要因でしょうね」

「それは何より。――それで? 依頼内容は何だ?」


 訊けば、男は持っていた羊皮紙をスケアの前に差し出した。

 それを手に取って見れば、スケアは小首を傾げた。


「依頼の内容は、住み込みでの家庭教師です」


 ――どこかで聞いた話だな……。


 それがどこで聞いたのかを、話を詳しく聞いてようやく思い出すのだった。

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