戻すか
あ、ありのまま今起こった事を話すぜ。お、俺は戦いに負けて死んだんだ。なのに目が覚めた。ここまではまぁ良い。よく戦闘中にやったことだから(個人的に)驚くことではない。だが、目が覚めれば男じゃなくて、女になってやがった! こ、これはトリックだとそういったちゃちなものじゃ断じてねぇ!
などと某フランス人のような事を内心で繰り広げつつ、必死に気持ちの整理をつけようとしていた。
五分ほど呻り、一言。
「……性別戻すか」
まさに常識を覆す発言。性別をあっさり変更させると口にした。もし、この場で聞いている者がいれば、等しく耳を疑ったことだろう。
だが、彼……彼女? にはそれが可能だった。
自分で言うのも何だが、スカアハに師事したこともあり、武芸百般には少々自身がある。
一通り全ての武器術を体得させられ、その中でも特に槍術や剣術、弓術を厳しく指導され、血反吐を吐くような厳しい訓練の果てにそれまでに体得していた体術とはまた違う体術も会得した。クー・フーリンが自力で会得したとされる鮭飛びの秘術も学んだし、原初のルーンも教わった。他にも色々教わったが割愛。
そして、それとは別に、魔術にも秀でていた。というより、初めはその魔術を使ってあらゆる敵を撃滅したものだ。
悪魔の中でも特に魔術に長けた存在のアスタロトに血反吐を吐く思いをしながら(実際に血反吐は吐きました)魔術を教わり、魔術師の皆が目指す境地を、本来なら何十年とかけてもたどり着けない者の多いそこに、十二歳という若さでたどり着いた存在だ。
そんなわけで、魔術に関しては人並み以上の実力がある。普通なら出来ない術式の読み取りもあっさりやってのけるし、様々な魔術を創作したりもした。その多くは神話や伝承をモチーフにしたものが多かったが。
その中にお遊びで作った性転換魔術もある。初めは中身だけが変わっただけだったが、試行錯誤の結果、体の性別すら変えられるようになった。
──まさか、これが役に立つ日が来るとは……。
自嘲するように笑い、性転換魔術を行使する。
瞬間、身体中に激痛が迸る。それに他人事のようにそれまでと変わらぬ表情で耐えていく。普通なら悲鳴を上げて激痛に耐えるのだが、自分は普通ではない存在だ。
これまでの経験から、外からの痛みと内側からの痛み、双方等しく慣れてしまっていた。
この痛みは、体の構造を女性のものから男性のものに変えようとして起こる現象だ。男と女は身体構造が色々と違うため、その構造を変化させようとして生じる痛みだった。
その痛みに耐えつつ、持ち物は何があったかと漁ると、ひとつの煙管があった。
自分の護法となった伝説の鬼、茨木童子にその力を認められた証として渡された物だった。
それに火をつけて、酒の味のする桃色の紫煙を肺一杯に吸い込み、吐き出す。
よく自分の傍に侍ってこの桃色の煙を燻らせていたな、と懐かしそうに目を細める。
直後、体の痛みが治まった。煙管の煙には幻術を行う作用があるが、それを発動させてはいない。単に、体の作り替えが終えたのだ。
「────ぅぐッ!?」
刹那、全身に痛みが生じた。先程のものなど比べものにならない、まるで呪いのような激痛が全身を襲い、思わず顔を顰める。それだけに留まらない。徐々に、体が弱っていく。力が抜けていくのがわかった。
跳ね回った黒髪を見て、顔に手を触れる。慣れ親しんだ顔だ。左眼の傷痕に薄くひげの生えた顎。首筋にも傷痕があることを確認し、体も確認する。傷だらけな自分の体。
これまでの生活の中で、その身に受けて残った数々の戦の証。殆どは茨木童子の物が多いが。左眼や左胸の刺し傷、右胸のふたつの爪痕。その他にも多く存在するが、今や懐かしいそれら。
間違いなく、元の姿に戻っている。鏡がないためわからないが、その目も恐ろしく凍てついた眼孔をしていることだろう。
だが、まさか呪いまで残っているとは思わなかった。このままではこの神々の呪いに全身を蝕まれ、ここで死ぬことになる。
慌てて性転換魔術を展開する。すると、全身の痛みは和らぎ、先程とは違った痛みが全身を襲う。
「……ふぅ。そういうことか」
呪いまでは消せなかったとみるべきか、呪いを解く気がなかったと見るべきか。
「後者、かな」
紫煙を燻らせながら、苦笑気味に呟く。
自分が契約していたあれは、愉悦を第一としている。簡単に言えば、面白さ重視だ。行動の基準が、面白そうだで済む存在なのだ。
故に、これこのままの方が面白そうじゃない? あっ、性別も変えましょう! 的な軽いノリでこんなことをしてのける存在だということはよくわかっている。お陰でもう慣れた。内側を彼の存在に支配されていた身としては、自分もその兆候が出ていたのだが。
結局、姿を女性のものに戻し、それまで座っていた事もあり、凝り固まった体を解すように体を捻り、立ち上がる。
視線の高さは変わらない。いや、ヒールのおかげで少し高いか? となれば、身長は百八十一センチで変わりは無いようだ。
そこまで判断すると、先程性転換魔術が使えたことから魔術の行使に問題は無いだろうが、念の為に魔力の様子も確認しておいた。
全身の魔術回路をフルで動かし、身体中に魔力を循環させる。
魔術回路とは、人体にある魔力を行使する際に魔力を通す為にあるものだ。それが無ければ魔術は行使できず、保有魔力量も増やすことが出来ない。
回路は本来全部で三十六本。だが、自分は悪魔の王と契約してそこに座していた身。様々な悪逆非道を行ってきた、悪鬼羅刹だ。人間嫌いという要因もあり、それを行うのに躊躇はしなかった。
その為、捕らえた人間の魔術回路を移植させ、更に魔力保有量を増やした。元の本数も含め、合計七十二本。通常の倍だ。
中には自分と同じ事をする魔術師もいるらしいが、少なくともこれまで生きてきた中ではそんな存在はいなかった。
──魔術回路に異常なし。
魔術に異常は無いことがわかると、次は呪力を調べていく。
呪力とは呪術を扱う際に必要とする力だ。呪言という言霊の上位技能を扱ったり、日本や中国、インド等で信仰される仏教における神仏に祈りを捧げ、呪文を唱えて効能を得る手法が呪術の主な物だ。
自分が使う原初のルーンも分類上呪術になる。現在使われているルーンは魔術として分類されるが、古のそれと現代のそれでは効能が違い、その用途も多岐にわたることから呪術判定を受けていた。
……魔力で発動しているのに呪術判定を受けているのが、個人的に不思議でしかない。おそらく、現代では原初のルーンがどのようなものか知られていないからなのだろう。
──呪力も異常なし。
となれば、次に問題になるのは体だ。端的に言えば、身体能力の問題である。
「ほっ」
軽く地面を蹴って、跳び上がる。ズドンッ、ととても跳躍とは思えない音を聞きながら目測二十メートルほど飛び上がったことを確認すると、重力に従い高度が下がり、軽やかに地面に着地した。軽く蹴って、身体強化無しにこれなら、生前とそれほど変化はない。
次は敏捷性を確認する。
狙いは遠く離れた場所にある森だ。大体八十メートルは離れている。その森の入口とも言える場所にある一本の木に狙いを定めた。
「ふっ────」
地面が弾け、驚異的な爆発力を速力に乗せて加速。一瞬で八十メートルもの距離はゼロになった。
「こちらも問題ないか。ならば──」
背後の先程まで立っていたであろう砂煙が激しい場所を横目に、今度は目の前の木に向けて構える。
「シッ────」
鋭く呼気を吐き、神速の踏み込みと共に繰り出される正拳突き。なるべく他のよりも太い木を選んで行ったが、その木はあっさりとへし折れ、どころか粉々に粉砕されてしまっていた。
「……判別が出来ないか。まぁ、悪くはない。体も今までと違って動かしやすいな」
男性と女性の身体構造上、実は男よりも女の方が良いとされている。
そんな感じの話を聞いた記憶がある。まさかそれを自分で体験するとは思ってもみなかった。
股関節の動きも以前より随分マシだ。男だったときも百八十度開脚は普通にしていたが、それよりかはやりやすい気がしていた。……個人差によるかもしれないが。
ひとつ文句が言いたいのは……胸が少し邪魔な気がします! 弓を引くときに引っかからないことを願う。
なにはともあれ、身体能力に関しては特にこれといった問題は無かった。
「後は、武装か。鎧に関してはまぁ良い。これとそんなに変わりは無いし」
そんなことを口にしつつ、先ずは刀を召喚した。
長さは二尺七寸五分。鞘から抜くと、刀の付け根から露が噴き出し、ゾクリとする寒気を感じさせた。黒い刀身には若干の水気があり、その刀を見ていると、どうしてか酷く人が斬りたくなってくる。妖刀が使用者の心を乗っ取ろうとしているのだ。
だが、自分には効果が無かった。何しろ、悪魔王と契約して自我を保っているほどだ。そんな存在を相手に自我を保てる者から意識を乗っ取れるわけがない。
軽くその場で振るい、重さを確認。何の異常も無いことを確認すると、納刀し、すぐにそれを掻き消した。
次に召喚するのは、朱い長槍。スカアハより賜った呪槍。不死殺しの概念を持つこの槍に魔力を通し、相手を穿てば、不死なる存在であろうと容易く殺すことが出来る。銘を、ゲイボルグ。ケルト神話の大英雄、クー・フーリンが強敵との戦闘の際のみに振るったとされる呪いの槍だ。
その場で重さを確認。次いで、目の前の虚空に仮想敵を意識して、眉間、喉、心臓を狙った三連撃。槍を軽々しく扱い、旋風を巻き起こしながら仮想敵を追い詰めていく。
間もなくその敵の心臓を貫いて確認を終えた。
「……ふぅ。問題なさそうだ。正直、この槍が無ければ、一から槍を作っていたところだ」
そんなことを嘯きつつ、ゲイボルグを掻き消して、その手に弓を召喚する。
何の変哲も無い弓だ。これは誰かから与えられたものではなく、自らが一から作り上げた物だ。それをルーンで強化して頑丈にし、それでも仲間に自分以上の弓使いがいたために、使う機会があまりなかった代物だ。
その代わりとして、自分は銃火器を主に使っていた。
弦を弾き、問題が無いことを確認すると、魔力で作り出した矢を番える。適当な的になる木に向けて、射った。
矢は狙いより少しズレ、狙いの木に命中。そのまま五本を放つ。強弱をつけて、幾本もの矢を狙いに命中させていく。強くし過ぎると、その威力で木がへし折れ、弱くし過ぎると狙いよりも飛距離が伸びず、それでも命中はさせていた。
「……少しばかり、練習するか。これではスカアハに見せる顔がないな」
何はともあれ、特にこれといった問題は見当たらず、心配事はひとつこれで解消された。
そうなると、次に問題になるのは、今の自分の呼び名である。
元々は男のため、そのままの名前では若干違和感を齎す事になる。先程触れて確認した顔立ちは、悪魔王とスカアハを足して二で割った感じだ。
村雨の刀身に目をやった際に反射して自分の顔を再確認したことからそれは確かだ。
切れ長の瞳に、深紅の瞳。整えられた柳眉。スッと細い輪郭に、ふっくらと色気を感じさせる艶めかしい桃色の唇。
自分が男のままで、他にこの顔を見れば絶対に惚れる。ナルシストではないが、間違いなく美人の類である。
だが、それでもスカアハや悪魔王の名を騙るのは気が引ける。なにより一度死んだ身でありながら、自分のことを悟らせるような名前は辞めた方が良いだろう。
とはいえ、それでいい名前はあるか、と問われてもイエスとは言い難い。
「……そうだな。俺は死人だ。この外見から、もしかしたらあいつらが俺とたまたま出くわして、攻撃してくることもあるだろう。……なら、奴らに俺のことをわかるような名にしようか」
それは、敵対していた天界の連中も悟ることになる名前になりそうだが、今はこの世界が何所なのか、時代がいつなのかもわかっていないのだ。やっぱそういうのどうでも良いし、俺実はこういう経緯で来てるんだ、というのが端的にわかれば良いだろう。
そんなあっさりと先の考えを吹き飛ばした。
そのまま腕を組み、普段と違った胸の当たる感触に違和感を感じつつも思考を続けていく。
そして、思いついた名前が、恐ろしく不吉だった。
「死人。紛れ込んだ死人だ」
それは悪魔王の統治する魔界での彼らの言語で意味する名前だ。これで、自分は一回死んでるんです、と彼らに伝えられる。
考えてみて、少し不吉であることを自覚するも、他に思いつかないし仕方がない。
そんなわけで、自分の名前はスケア・シュクレアンに決まった。
「……口調も変えるか」
スケアはものを考えていないようで考えているようでそこまで考えていません。そして、親しい人物相手には軽い調子で応対する人物です。