事後処理
年内最後の投稿になります。
いやぁ、間に合ってよかった……。
合図と同時に、双方が動いた。
「限界突破! 能力促進! 敏捷向上! 筋力増加!」
ヴェルグが扱うは肉体に課せられた無意識なリミッターを強制的に外し、身体能力を倍以上に跳ね上げる秘術。
ひとつひとつ口にする度に、ヴェルグの体が脈動するかのような錯覚を受ける。
「風の大精霊よ。我が身に加護を!」
エルザは小さく唱える。すると、どこからともなく風が吹き、エルザの全身を囲むように留まった。
風はエルザの動きを阻害せず、その敏捷性を底上げしているようだった。
疾風の如くその間合いを瞬く間に詰めると、エルザは幾重の剣線を繰り出した。目にも留まらぬ神速の斬撃。ただの一瞬で、十を超える連線を放ってみせたのだ。
ヴェルグはそれを見るや、大剣の腹を相手に向け、そこで受けた。盾の代わりにして攻撃を防ぐ。
しかし、その表情は苦悶に歪んでいた。
その速度もさることながら、受けてみればまたも強烈な重みが乗った剣だった。今まで幾度となく繰り広げてきた剣での邂逅も、ここ三度――スケアの関係者と対峙するにあたっては、始めの一太刀で相手との力量を直感してしまう。
「ぐぅっ――!」
小さく声が漏れる。
スケアに意図的に見せられた狂気の所為で受けた気怠さや、締め付けるかのような圧迫感も、戦いが始まってしまえばすぐに嘘のように引いていった。
それでも、やはり万全とは言い難い。先日のメリーナにやられた傷は、ポーションでも治りきれなかったのだ。
「ぬぅおおおおおぉぉおぉおおっ!!」
旋風が巻き起こる。通常なら考えられない速度で大剣が振り回される。
薙ぎ払う力が旋風なら、振り下ろす力は瀑布の如し。まともに受ければ、いくらスケアであろうと致命傷は免れないだろう。
それを正面から、怯むことなく悉くを弾き返すエルザ。
彼女に求められるのは、冷静に、かつ大胆に戦術を組み立て、手数を増やしていくこと。
絶え間ない剣戟の音。
間合いが違う。
地力が違う。
個人の技量が違い過ぎる。
ヴェルグに許されるのは、強化した自身の渾身の力を持って、強引に、一気呵成に攻め立てることで攻撃する余裕を奪うことのみ。
しかし、白銀の騎士はそれをも容易く打ち払う。鎧姿であることからどれほど鍛えているのかはわからない。だが、漠然とヴェルグのような筋肉を沢山つけているようには感じられない。
線は細く、力でぶつかり合うような人物には傍目からは見えなかった。
ヴェルグを喩えるなら、それは壊れた削岩機だ。四方八方に回転する刃物は、近づくモノ全てを容赦なく粉砕する。
少しでも手を伸ばせば、それで終わりだ。
逃げることなどできず、刃物の回転に巻き込まれて砂利のように微塵になるだろう。
ヴェルグは戦いが始まる前から、以前戦ったドラゴンを相手取る心算で挑んでいた。これまでの二人が両者共にドラゴンなど霞むような圧力、一方的な暴力の嵐を見せつけてくれた。
その関係者である以上、エルザもまた同程度の猛者だと決めてかかったのだ。
そして、それは間違いではなかった。
対し、エルザは磁石である。
尻込みするような強大な圧力を前に、その暴力の回転の内に身を滑り込ませ、引くことなどせず磁石のS極とN極のように、鏡写しのように引き寄せ合い、同程度の力で弾き返していく。
彼女は常に、一秒後には即死しかねない渦に身を置いて、自身を焦らせることなく的確に対処してみせていた。
「――――」
誰かが息を呑んだ。
気づけば、周囲に人だかりが出来ていた。
そのどれもは西区に住む獣人のようで、いつも危険の最前線に立ち守ってくれた恩人の勇姿を見にきていた。
スケアも紫煙を燻らせながら余興に視線を戻す。
そう、余興だ。少しでも対処が遅れれば死んでしまう危険な余興である。
ヴェルグは本気で戦っている。その結果、殺してしまうかもしれないほどに全力で挑んでいる。
エルザはそうでもなかった。
スケアが敢えて詳しく説明しなかったからか、眼前にて身の丈以上もある大剣を振り回す男を敵対する者と判断していた。
そして、確実に倒せるよう見定める戦法を取っている。
防戦一方なのがその証拠。
彼女がヴェルグの全力を読みきった時、戦局は変わることだろう。
「おぉおおぉおぉおおおぉぉおおぉぉっっ!!」
雄叫びが大地を揺らす。
ヴェルグの旋風は大気を裂き、受け流すエルザを弾き飛ばす。
その度に洗練された歩法で瞬く間に何事もなかったかのように暴虐の嵐に勇猛に突進していく。
時には右に左にと躱し、タイミングがずれれば自ら攻勢に移って自らをその戦場の中心にしていく。
斬撃。
一撃を受け流すエルザの足が、踝まで地面に沈む。返す刃は疾く重く。
頭上に踊った大剣が落とされる。
それを読んでいたように、紙一重で地を断つ剛剣を避ける。
転瞬、肩口から突進。突き飛ばすようにしてヴェルグとの距離を開け、
「――風よ!」
風の刃を五つ放つ。真空波の刃だ。
「――ッ!」
ギリ、と歯ぎしりする音が聞こえた。
咄嗟に身をひねって薄皮一枚のみ裂く結果に終わるが、息を吐く間も無く今度はエルザが肉迫した。
攻守が入れ替わる。武器の重みを用いての体重移動。流れる動作で立ち位置を入れ替え、防御の薄い箇所を幾度となく斬りつける。
ヴェルグは軽口を口にできないほどに追い詰められていた。
スケアとの戦闘は、場所が場所だけに課せられたルールで興が削がれたスケアによって一方的に嬲られた。しかし、始まる直前までは軽口はよく出てきた。
メリーナとの戦闘でも、始まる前に軽口を交わし、始まった後も度々軽口は出てきた。
だが、そのどれも命までは取られない、ということがわかっていたからだ。それがわかっていれば、多少とはいえ心に余裕が出てくる。
今回は違う。エルザは本気でその命を取りに来ている。自らの主が求めた。ならば、それに応えようとするのは当然だ。
それでは心に余裕などできようはずもなく、ヴェルグは必死に対応するしかなかった。
ヴェルグの体が弾け飛ぶ。
剣を弾いたままの動作でその腹をエルザの回し蹴りが捉えたのだ。
たたらを踏むヴェルグ。
痺れる指に力を込め、咳き込みながらもエルザへと向き直る。
そのヴェルグがようやく見せた隙を、エルザが見逃すはずもない。
エルザの猛攻に、苛烈さが加わる。
「大凡はわかりました」
剣を交えながら、エルザが不意に言葉をこぼす。
「なるほど、貴殿は確かにロードがお認めになるほどの方だ」
「ぐっ、ぬぅうっ!!」
どうやら、ヴェルグには言葉を返す余裕はないようだ。
「その術理、体捌き、判断の速さに反応速度。人間にしては強大な力だ。そんな貴殿には心からの言葉を送りたい。――見事です」
徐々にペースが上がる。剣が火花を散らす回数が増えていく。
変わらず、ヴェルグは言葉が返せない。ペースが上がっていく毎に、まだ上があるのかと言いたげに猛々しく笑う。
その表情に、わずかに喜色ばんだ色が窺えた。
直後、ヴェルグの体が弾け飛ぶ。エルザが防御する大剣ごと吹き飛ばしたのだ。
ぜぇ、はぁ、と息も絶え絶えになったヴェルグはなんとか受け身を取り、構え直す。
その姿を見送り、手にした剣を頭上に掲げた。
「ですが、そんな貴殿とも別れの時間が来た。――火の大精霊よ、我が身に加護を!」
すると、エルザを覆っていた風が止む。代わりに灼熱の業火がエルザを中心に吹き荒れる。
強烈な熱風が周囲を吹き、あまりもの熱量に、その場にいた皆が等しく顔を背ける。
「決まりましたね」
「んだな。まっ、いい線いったと思うぜ?」
スケアの両隣からも、静観していた二人が声を上げる。
あれはエルザが攻撃に更に威力を上げる際に多く使われるもの。
火の大精霊であるイフリートの加護を宿し、日中には身体能力が何倍にも膨れ上がる秘術。本来であれば条件などは存在しないモノなのだが、彼女に加護を与える大精霊を召喚していないので必要になってくるのだ。
大精霊本人を召喚していれば起こるはずもないのだが、本人を召喚しようとすれば多少時間を要するため、召喚魔術を戦闘と同時進行することが出来ないエルザは危険が付きまとうことになる。
そのため、時間に余裕があるときしか行わないのだ。
本来、大精霊の加護は大精霊自身から直接気に入られた者が与えられるもの。召喚せず大精霊の力を行使できる代わりに、その威力は少し弱体化、または軽い制約が付与されるようになる。
今の彼女の状態は制約がかかった状態であり、しかしその恐ろしさは主であるスケアもよく理解していた。
スケアなら即座に解除させることも出来るが、そうも出来ない者であれば絶望感が相当なものである。
事実、戦場で彼女があの状態になった時、敗北する姿を滅多に見ない。
時折敗北するが、それはスケアのような常人離れした芸当を行える、または発動した後に解除する方法を持ち合わせている者か、辛くもあの状態の発動条件がなくなるまで凌いだ者かに分かれる。
ちなみに、メリーナは後者で、狼牙は前者である。
「覚悟」
「……ふ、ふふ。まったく、お前らは本当に強い。ここ数年で、ここまで負け越したことはなかったのだがなぁ」
ヴェルグの口からは、どこか吹っ切れたような呼吸が漏れる。
冒険者のSランクとはいえ、それだけが世界の全てと思い込んでいる者がいれば、その成長限界は知れてくる。
今回、ヴェルグは壁にぶつかった。
これからは、更に強くなろうと躍起になることだろう。彼は強くなる。何故か、本気でそう思えた。
エルザは構える。火炎はその動きに合わせて更に広く燃え広がる。
猛々しく暴れ回る。
ヴェルグは決心した表情になった。
指に更に力を込める。もう殆ど感覚もないだろうに、それでも気合いで力を込めた。
両者共に地面を蹴る。彼我の距離が一瞬で潰される。
激突。同時に周囲に広がる衝撃。大地を揺るがす強烈な力同士がぶつかり合い、周囲から悲鳴が上がる。
旋風が巻き起こる。火花が散り、紅蓮の軌跡が奔る。幾重にも重なる軌跡は互角なようでいて、もう勝負は決していた。
やはり、始まった当初のような力はもうヴェルグには残っていなかった。全身に傷と火傷を負いながら、執念でエルザの猛攻に食らいついているだけにすぎない。
敗北するなどわかっていた。負けるなら、可能な限りその技術は盗んで散りたい。
散っては駄目だろう、という指摘は今は誰も持ち合わせていなかった。
騎士と戦士の剣戟は、見る者に感嘆の声を漏れさせた。意地汚く縋り付くその様を、無様だと笑う者はここにはいない。
その勇姿を目に焼き付けようと、誰もが戦闘を見届ける。
そして、遂に決着の時が来た。
がきんっ、と一際強く甲高い音が轟き、遅れてヴェルグの後方に大剣が突き刺さる。ヴェルグは尻餅をついた状態でエルザを見上げていた。その手はぶるぶると震え、もう握力は残っているようには見えなかった。
「さらばだ」
「――けっ。技術を盗めれば良いが、死んじまえば元も子もねえやなぁ」
今更それに気づいたか、とスケアは思った。
だがしかし、それが無用な心配ということも気づいていた。
エルザは頭上に掲げた灼熱の剣を、振り下ろす。その瞬間、金属音が響き渡った。
「――」
「……む?」
二人の反応は対照的であった。
ヴェルグは死を覚悟したが、その瞬間が来ないことに間抜けな声を上げた。
エルザは乱入者に鋭い視線を向け、悪鬼の如く睨みつけた。
「双方、そこまで!! これ以上の騒動は俺が許さん!」
凶刃を阻んだのは、ギルドマスターだった。彼は豪奢な彫りの入った二本の短剣でエルザの一撃を受け止めたのだ。
しかし、その威力は彼の予想を大きく上回っていたようで、表情は苦悶に歪められていた。
「何者か?」
「この街で、冒険者ギルドのギルドマスターを務めている者だ」
「邪魔立てするか」
「これ以上はもう無用だ。更に暴れるようなら、貴様を捕縛し、出るとこに出て貰う必要がある!」
両者共に引こうとしない。
エルザとしては主君の命を遂行せんと剣に力を込める。
対し、ギルドマスターも押し負けないように必死に抵抗する。
――ここまでだな。
「良い。そこまでだ、我が騎士よ。その剣を収めよ」
「はっ。……申し訳ございません。彼奴の首、献上する事が叶いませんでした」
「構わぬ。元より、私は此奴を殺すつもりなどない。死ねばその程度と切り捨てはするが、此度は良い方向に転がったまでよ」
スケアが命じれば、エルザは即座に反応する。
納刀すると片膝立ちになり、申し訳なさそうに目を伏せた。
その時になってギルドマスターもこちらに気づいたらしく、またこいつらか、と言いたげに微妙な表情になった。
「スケア。これはどういう事か、説明してもらえるか?」
「なに、阿呆が儂の仲間に手を出した故抗ったまで。そして、行き過ぎた行動になる前にヴェルグが止めに入った次第よ」
「仲間、だと? その女騎士がか?」
「然様。後にその男と共に冒険者登録させ、パーティ申請をするつもりだ。受理せよ」
「……問題がないのならな。それで、そのあほう、ってのは?」
「あぁ、其奴よ」
そう言って、幻術を解いて放心しているモルドを顎で指し示した。
その姿は悲惨で、貴族らしい豪華な服は砂にまみれ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしており、頻繁に痙攣を起こしては奇怪な悲鳴のような絶叫を度々上げていた。
「――って、おいおい……モルドじゃねえかっ!?」
「あァっ? 俺が戦っている間に何があった!?」
「うひゃあ、怖え。完全にキまってるぜ。ガンギマリってやつだな」
「ヤク中患者のようですね。これはこの街の貴族の首を変えた方がいいのでは?」
狼牙が可笑しそうに声を偲ばせて嗤い、メリーナは感情のこもらない淡白な声音で告げた。
ギルドマスターは急ぎ引き連れてきた冒険者にモルドの容態を確認させる。
その状態がよくない事は火を見るより明らかだ。肉体的には傷ひとつないが、彼の精神はもう死んでいるようなものだ。
モルドに見せた幻術は特別性で、スケアが生前見て、聞き、その身を蝕んできた呪詛の塊を疑似的に体験させるもの。常人には決して耐えられない生き地獄。それがあったからこそ、今のスケアを形作るひとつの要因であり、心を壊したひとつのきっかけ。
端的に言えば、光を飲み込む巨大な狂気の塊である。
スケアは白々しく、さも不思議そうに小首を傾げる。
「これでは業務もままならんな。何故其奴はそうも壊れておるのだ? 解せぬな。儂らは途中から何もしておらんというに」
「まったくです。あ、今の運命共同体のように聞こえませんでしたかっ?」
「ええ。まったくその通りですね」
「んなわけあるか、このうつけども!」
いついかなる時でも雑談は忘れない。
場違いも甚だしいことはよく理解している。しかし、これはもう日課といっても差し支えない。表現は悪いかもしれないが、習性といっても間違いではないだろう。
ヴェルグもギルドマスターも苦い顔になる。
「とにかく、一度俺の部屋に来い」
「伽か? 殺すぞ」
「わかってて言ってんだろ。ほれ、お前の女中さんが睨んできやがる。たしなめてくれよ。ビビッて小便が漏れそうだ。それに、お前みたいな女は好みじゃねえ」
「主様のどこが不満だというのですかっ!!」
「どう言えば正解なんだよ!?」
「オレァ鬼だが、テメエの気持ちはよくわかるぜ」
「おぉ……わかってくれるか」
よくわからないが、狼牙とギルドマスターが意気投合して固い握手を交わした。その顔はやけに疲れているように感じた。
しかも、いつの間にか狼牙の空いた手には酒がなみなみと注がれた木製のジョッキが握られている。匂いを嗅ぐと、どうやらこれはエールらしい。
「おい、お主。いつの間に酒を得て来た? またツケではなかろうな?」
「案ずるな。これは知己からのサービスだ。伊達にここに暮らしていたわけじゃねえってこった」
そう言って、親指を明後日の方向へ向ける。
見れば、人の好さそうな犬の獣人が酒の入ったジョッキをスケアに突き出してきた。
「……お前さんにくれてやるわい」
「おや、それはすまんな。ありがたくいただこう」
「あいつらから救ってくれたんだ。これは、わし達からのお礼のつもりじゃ。それに、まだ無事な者達の治療をしてくれたのは、おそらくお前さんじゃろう。あ奴らから微かにお前さんと同じ臭いが臭ったからの」
「なに、礼を言われるようなことではない。貰えるのなら、受け取るがな?」
肩を竦め、飾らない態度でそのジョッキを受け取る。視界の端ではメリーナとエルザの二人にもジョッキを持っていく者がいたが、二人は気持ちだけ、と受け取ろうとしなかった。
エルザはそこまで酒に弱いわけではないが、まだ仕事がある、といった理由で断っているのだろう。相変わらず、真面目な女だ。
ちらりとギルドマスター達に視線をやる。
もう既にモルドの姿は無くなっており、西区の入り口付近まで離れているギルドマスターが家屋の柱に背を預け、軽く息を吐いた。
どうやら、終わるまで待っているつもりらしい。
エールを口に運ぶ。口いっぱいに広がる柑橘系の風味に、シュワシュワとした軽めの炭酸が体に染み渡るようだ。なかなか悪くない味だ。この酒はそれほど強くないメリーナでも楽しんで飲めそうである。
「ひとつ聞かせてくれんか」
「む?」
「お前さんは、なぜわし達を助けてくれたんじゃ?」
その眼差しは真剣で、嘘は許さないと言いたげに老練の圧力を向けている。
しかし、その程度の問いならば、スケアは即答できる。
「理由はふたつ。ひとつ、我が騎士の浅慮を正すため。ひとつ、異種族は儂の中では手を取り合うべき友だと思っている。それ故、儂は助けを求める異種族には等しく手を伸ばす。獣人も然り。それだけのことよ」
「……少なくとも、嘘をついている様子はないか」
「無論だ。そこな儂の護法は嘘を嫌う奴でな。少なくとも其奴の前では嘘など口にせんよ」
「……あの騎士にしてこの主あり、か。お前さん達は本当に変わりものじゃな」
彼はそう言って、屈託のない笑みを浮かべたのだった。
場所は移り、ギルドマスターの執務室。
あの後、スケア達は西区の住人から慕われ、いつでも来てほしい、とありがたい言葉をもらった。
どうせなら、拠点を西区の宿へ移すのもいいかもしれない。
そして、今はギルドマスターと対峙する形でソファに腰を下ろし、聴取のようなものを取られていた。ソファにはスケアと狼牙が座り、その背後にメリーナ達が控えるように立っている。
ちなみに、ヴェルグは治療室に叩き込まれ、絶対安静を言い渡されている。
もうそろそろ二時間は経つ。それまで聴取を取られ続ければ、流石に苛立ちは募ってくる。それを表にするようなことはしないが、内心では早く終わらないものかと思っていた。
「――確かに奴には悪い噂もあるが、さすがに今回はまずいだろ。相手はこの街の統治を任された貴族だぞ!?」
「そこの姉ちゃん。酒のお替り頼むわ。なんなら樽で」
「む、ならば儂の分も頼もうか。樽をふたつ」
「お前ら自分の状況わかってるかっ!?」
流石はスケア達というか、威圧感が凄まじいギルドマスターの前で涼しげな顔で酒を要求するのだ。しかも、これで十杯目である。これにはギルドマスターもため息を隠せない。
スケアはそんな彼を見てからころと笑う。
「そう肩肘張ることもあるまい。そう眉間に皺を寄せていては将来禿げる……すまんな。既に禿げておった。笑って赦せ。粋なジョークというやつよ」
「さすがは主様。面白過ぎてお腹がよじれそうです!」
「話が進まねえんだよ!!」
ギルドマスターの顔には既に疲労の色が浮かんでいる。
始まって一時間はスケア達も真面目に聴取を受けていた。しかし、そこからスケアと狼牙の苛立ちが募り始め、息抜きとは名ばかりの飲み会を始めてしまったのだ。
とはいえ、ふざけた態度を取っていても話は真面目に聞いている。故に策は考えている。
「なに、何ら問題はあるまい。首を挿げ替えれば話はそこで終わり、世は事もなしだ」
「あほか。そう簡単に変えられるんならこっちも苦労はしねえ。噂はあっても物的証拠がなければ上申したところで不敬罪まっしぐらだ」
「つまり、物的証拠があればよいのだな?」
「……まあな。なんだかんだあっても、結局それがなければ鼻で笑われるだけだ」
ギルドマスターの双眸が訝しげに細められる。
それに、自分でも悪い顔をしていると思う顔で、笑った。
「確か話では、女神教信者からの信頼は厚いが、そうでないものは違う、という話だったな?」
「まあ、そうだが」
「黒い噂がある者は等しく弱点がある。それを使うだけよ」
「だから、どうやってだよ。まさか、脅迫でもするつもりか? んなことすれば、まず間違いなく潰されるぞ」
「まさか。そのような事をすると思うたか」
今一度ニヒルな冷笑を浮かべると、パチン、と指を鳴らす。
その動作にどのような意味があるのか、ギルドマスターはすぐにわからなかった。
しかし、他の面々は違ったらしい。メリーナは酒をかっくらう鬼に視線をやり、エルザはいつでも動けるように心掛けてギルドマスターを見据える。スケアは酒の匂いのする煙管を取り出し、一度口をつける。
「んあ? 何だよ。何見てんだ?」
「お主、どうせ見つけておるのだろう?」
「何を……ああ! それなら……ほれ、こいつだろ」
そう言って、懐から取り出したのは複数の書類だった。それを無造作にギルドマスターに放ると、また興味が失せたのか酒に手を伸ばした。
ギルドマスターはその書類を流し読み、それが何か理解できたらしい。驚愕の表情でこちらに視線を寄越した。
「こいつは、まさか……」
「モルドの不正の書類だ。これを国王に送り付ければ後は向こうでどうにかするであろう。なにせ、今のあ奴は碌に業務も儘ならん状態なのだからな。邪魔をする者はいまい。それに、会話も出来ん輩をこのまま置いておけば国王も邪魔であろうからな」
モルドの状態は最悪といってもいいだろう。頻繁に絶叫を上げてはうわ言のように何かを口にしているらしい。
誰から見ても正常とは思えなかった。
彼が元に戻れるのかは本人次第だが、スケアの目で見てみると、ほぼ不可能だろうと考えている。
それを利用して、首を挿げ替えようというわけだ。
「悪い奴だ。どこで見つけた?」
「なに、落とし物を拾っただけ。それ以上でも以下でもない」
「……まあいい。確かに、これなら国王も対応せざるを得ない。よし、これならあいつの現状も書いて送ってみよう」
どうやら、ギルドマスターはモルドに不満を持つ側らしい。意外といきいきとしている気がする。
聞くところによると、冒険者のほとんどからあの男は不満を持たれていたらしい。今回の彼の被った出来事を、ざまあみろ、と酒の肴にして笑い合っているようだ。
彼を嫌う理由は普段の態度の悪さもあるが、彼は冒険者を目の敵にしている人物だったらしく、役立たずだ、とよく罵ってくれたという。
それでヘイトが冒険者たちの中でかなり溜まっていたところに件の依頼だ。
初めは制限などなかったらしいそれだった。新人は躍起になって依頼を頑張ったらしいが、エルザの圧倒的な強さに断念。後々に今のようにBランク以上に制限をつけられたらしいが、それほどの冒険者となれば皆モルドの蔑みの被害を受けていた。結果、受ける人物はほとんどおらず、実害もそうないことからほとんど放っておかれていたらしい。
実に人徳のなさが浮き彫りになる話である。
まあ、そんなことはどうでもいい。
当初の目的はまだ終わっていないのだ。面倒な話が終わったのならそちらに移らせてもらおう。
「では、そろそろこちらの目的を果たさせてもらおう」
「……冒険者登録か。本当にするのか?」
「当然であろう」
あまり乗り気ではなさそうなギルドマスターだが、一睨みすれば降参だと言いたげに両手を挙げた。
「わかった、わかった。だからそう睨むな。……ほれ、俺が直接手続きしてやる。ステータスプレートを出しな」
「儂らの時は必要なかったはずだが?」
「確かに必要ないが、あったらいくつかの手順をすっ飛ばせるんだよ。こっちはその方が楽だし、お前らも前みたいに時間はかからない。どうだ、悪くないだろう?」
確かに悪くない。問題があるとすれば、こちらのステータスが直接露見することだ。
――力ずくで黙らせておくか。
「もしこちらの情報を流してみよ。その時は、自ら死を求める生き地獄を味合わせてやろう」
「するものか。俺だってまだ死にたくないんだからな。ほれ、さっさと出しな」
催促する彼に一度忠告のために威圧を飛ばしておき、二人に頷いてやる。
彼らは頷き返すと、ステータスプレートを投げ渡した。
飛来するそれらを危なげなくキャッチすると、書類を執務机の引き出しから取り出し、さあ、書こうと目を通し、
「――ブゥッ!?」
盛大に噴出した。
「な、なんだこいつは!?」
「どうした。鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をしておるぞ?」
「テメエ、こいつはからかってんのか!」
そう言って、ふたつのステータスプレートが投げ返された。
────────────────────────
エルザ・ヴァーミリオン 41歳 女 鬼
レベル UNKNOWN
体力:??????
魔力:98500
呪力:25000
膂力:??????
敏捷:390000
耐久:??????
スキル 魔術(B) 魔力操作(A-) 召喚術(B) 呪術(D) 状態異常耐性(C++) 縮地(A) 体術(A) 剣術(A) 槍術(B) 弓術(A) 気配探知(B) 空間把握(D) 憤怒(E) 見切り(A++) 騎乗(EX) 無窮の武練(A--) 勇士(A) 伝道師(E) 大精霊の加護(EX) 忠心(EX) 救われしもの(EX) 不老不死(E)
────────────────────────
正直、スケアからしてみれば普通だろうとしか思わなかった。
まあ、ステータスに関してはまだまだ精進が必要だが、明記されているスキルは総合的に見れば高い部類に入る。流石、悪魔王の軍勢に身を置いていただけはあるといったところだろう。
────────────────────────
ロウガ・ハイバラ 1237歳 男 鬼
レベル UNKNOWN
体力:??????
呪力:??????
膂力:??????
敏捷:??????
耐久:??????
スキル 呪術(EX) 縮地(EX) 体術(B) 剣術(EX) 投擲(EX) 気配遮断(EX) 気配探知(EX) 空間把握(EX) 見切り(EX) 騎乗(A) 変化(A+) 鬼神化(EX) 怪力無双(EX) 酒豪伝説(EX) 一騎当千(A-) 横道無し(A++) 鬼の首領(EX) 伝説の鬼(EX) 日本三大妖怪(EX) 不老(B)
────────────────────────
こいつの方が普通におかしかった。
確かにこの男には自らの護法を任せた。任せるだけのことはあったが、久しく見ると流石のスケアもこれには度肝を抜かれてしまう。
身に着けているスキルの多くが規格外での表記だ。
彼は長く戦いに明け暮れていたが、それにしてもこれには見事と言わずにはいられない。素直に拍手モノである。
とはいえ、スケア達はギルドマスターをからかうつもりはない。なにもいじらずにこの表記なのだから仕方がないだろう。
「これで何ら間違いはない。このまま進めよ」
「嘘だろ……」
これには、ギルドマスターでも驚きを隠しきれないらしい。
彼らの常識を打ち砕く自覚はあるが、ここまで化物を見る目で見られては頭にくるというものだ。
結局、諸々の手続きが終えるのはそれから一時間後だった。
あ奴、そう時間はかからないとか言いながらかなり時間がたったのだが。あいつ嘘ついた、と狼牙に伝えて暴れさせるか。
などと冗談にもならなさそうなことを考えたが、後始末を考えると億劫になり、やめておいた。
その後、スケア達は宿を移した。
宿の娘には少し愚図られたが、何とか言い聞かせることができた。移動先にはすでにエルザが話を通してくれたらしく、何事もなく歓迎してもらえた。
現在、スケアはとある一室の前にいる。宿につき、荷物は全てエルザとメリーナの二人が運び終えてくれており、まだ彼女に会っていなかったのだ。これから、初お目見えである。
メリーナは荷物を運ぶ際に顔を合わせ、面通りを終わらせたようだ。今は背後で静かに控えている。
ドアノブに触れ、ゆっくりと押し開ける。
目に入ってくるのは奇麗に片付いた室内。その中で、まばらに見受けられる生活の跡。窓際にエルザの甲冑が置かれ、そのそばには彼女の荷物なのだろう道具袋が転がっている。
部屋の中にはベットがふたつ置かれ、そのひとつのベットの傍らに独特な形状の太刀が立てかけられている。どうやらそこが狼牙のベットらしい。
そして、視線を正面に向ける。
そこにはテーブルがあり、その上には何か書き殴られている紙が散らばり、鉛筆のようなものが隅の方に転がっている。
その傍らの椅子に、こちらを見据える一人の幼い少女が座っており、隣には少女を安心させるためか、甲冑を脱ぎ――脱いで楽な格好になるように命じた――少女の手を握るエルザの姿があった。対面には狼牙が腰を下ろし、やっぱり酒を飲んでいた。
一応こちらにも意識は向けているようで、ニヤニヤとスケア達を視界に捉えている。
スケアは優しい表情を心掛け、少女の前まで歩み寄る。そのまま目線の高さを少女に合わせる。
「初めまして、だな。儂の名はスケア・シュクレアンという。お主はなんというのか、教えてもらってもよいかな?」
「……シュノン」
「そうか、シュノンと言うのか。良い名だ」
そう言ってやれば、緊張していた少女の顔が少し和らいだ。
「シュノン。この御方は、私の主君なのですよ」
「そうなの? じゃあ、ロウガおじさんも?」
「――ぶはっ!!」
しまった。聞き慣れない呼び名に思わず笑ってしまった。
どうやらメリーナも同じらしく、時折背後から堪えるような声が小さく聞こえてくる。
少女は不思議そうに小首を傾げたが、すぐにエルザに向き直った。
「ええ。狼牙様も、そちらのメリーナ殿もそうですよ」
「じゃあ、みんないなくなっちゃうの?」
「ならんよ。少なくとも、儂らはお主を一人にするつもりはない。確約はできんが、先のことはその時決めればよい」
「雑いんだよなァ、相変わらずよォ」
「やかましい。果たせぬ約束を口にするよりはよかろうが」
「ん、まあな」
それで狼牙も納得したのか、再び酒を呷り始めた。
「さて、シュノンよ。儂が少し遊んでやろう。何かしたいことはあるか?」
「えっと……」
やはり突然過ぎただろうか。シュノンは少し困惑気味になった。
そこに、彼女に一番懐かれているエルザが助け舟を出してくれる。
「折角のご厚意ですし、なんでも言ってみなさい。ロードはお優しいですから、可能なことはなんでもしてくれますよ」
「じゃあ、スケアさま。わたしに文字を教えてください!」
「……スケア様とは固いのぅ。それに……えぇ、勉強するの? 熱心で感心だが、この年頃で勉強がしたいとか真面目過ぎる気がしてならんのだが……?」
「オレも初めは思った」
「であろう? この娘はちと真面目過ぎるな?」
そう狼牙と言い合っていると、すくそばから今にも泣き出しそうな声が。
「ダメ、ですか……?」
「何から教わりたい!? この儂がなんでも教えてやろう!」
この時ほど、こんな事を言うんじゃなかった、と思わずにいられなかった。
その後、五時間はぶっ通しで勉強を教える羽目になるのだから。
まったく、子供の半泣き声はズルい……。
「ロード、奥方様より預かっているものがございます」
シュノンが寝静まった頃、自らの道具袋を漁っていたエルザが恭しく頭をたれながら言ってきた。
流石に疲れたが、嫁から荷物を預かっていると言うのならもう少しの間は真剣にならなければならないだろう。なにより、エルザ自身が真剣な表情なのだ。重大なことだとすぐに判断するというものである。
ちなみに狼牙は既に大きないびきを挙げて眠っており、メリーナはスケアの眠る部屋の掃除をするらしい。
なんでも、確認してみれば埃がまだ残っていたのだとか。本当にそういうことには手を抜かない女だ。
「どの者からか」
「リィンナーデ様にございます」
「奴が?」
「こちらにございます」
そう言って、取り出したものを見た瞬間にスケアの目は凍てつき、鋭くなる。
それは鍵だった。それはどこか奇妙なアラベスク模様に表面を覆われ、約十三センチメートルほどの大きな銀の鍵である。
生前のスケアの最終手段ともいえる奥の手を発動する条件のひとつであり、深淵に到達した際にいつの間にか手にしていたモノだった。
「それは……ッ!」
「奥様より、言伝も預かっております。
『それを使えんのはお前だけだ。いずれ必要になるかもしれない。だから、これをエルザに渡す。使わないことが何よりだけど、いざとなったら必ず使え!』
以上にございます」
「……まったく。あのうつけめ。これは、条件のひとつだというに。――御苦労。確かに受け取った。」
「もったいないお言葉」
鍵を受け取る。すると、気のせいか不気味な空気が周囲に漂い始めた。妙な寒気がその場にいる者を襲い、名状しがたい気配が忍び寄ってくると錯覚させ思わずエルザが身構える。
――身構えたところで意味はないのに。
他人事のようにスケアは思った。
それは常にそばでこちらを窺っているのだから。
しかし、それを馬鹿正直に伝えてやれば、エルザが休めなくなる。それは主君として、防いでやらないと。
「落ち着け。それは錯覚だ。呼吸を整えよ。我が声に耳を傾け……そう。息を吸って……吐いて……」
「すう……ふう……お、お手を煩わせてしまい申し訳ありません!」
「よい。なんなら、我が鼓動の音でも聞いて気を落ち着けるか?」
「い、いえ! も、もう大丈夫ですので!」
エルザは顔を少し赤らめ、テンパりながらも断りの言葉を告げた。
クックッと肩をゆすって笑い、内心彼女の気持ちが落ち着いてきたことに安堵する。
あれは意識しすぎて気持ちが平常でなければすぐに好きなように弄んでくるモノ達なのだから。
エルザは今一度深呼吸をすると、表情を正す。
「ロード。もうひとつ、お伝えしなければならないことがあります」
「ほう? 述べてみよ」
「ハッ。実は――」
そこで伝えられたことは、この世界に飛ばされた者はもう一人いるということだった。
その者の名を聞くと、スケアは、心配無用、とだけ口にした。その人物は接近戦ではスケアが生前勝ったためしのない人物だったからだ。それ故、それほど心配はしていなかった。
いずれ無事に会えることを信じていたから――
如何だったでしょうか。今回の話で、第一章は終了となります。
次の投稿は来月中にはしたい……する……出来たら、いいなぁ……。
それでは、皆様。良いお年を。