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 先日の依頼をこなして二日が経った。メリーナが思った以上に稼いできてくれたことから、一気に潤沢な資金を得られ、しばらくの路銀には困らなさそうだった。


 メリーナにはもちろん報酬として毛繕いをしてやった。


 獣人にとって、毛繕いとは色々な意味を持つ。表面的な毛艶をよくするなどの理由以外に、他者からの毛繕いは、親愛、愛情の証という意味がある。

 主に、同性の親友、同性の家族、夫婦、忠誠を誓う相手のみにしか触れることは許されない。耳を突き出すような所作をすれば、それは当人が触れることを許している合図になる。


 メリーナが自身の耳を触れることを許したのは、スケアだけ。他の者達は彼女との肉体的接触を許した者もひどく少なかった。

 それだけ、幼い頃の出来事は彼女にとってトラウマなのだろう。


 そんなメリーナは艶々とした顔で笑みを浮かべており、尻尾を高速で揺らしながら傍らで立っている。


「聞けば、奴らも面白い状態になっていた様だな」

「エルザが子供のお守りですか……。どうしてでしょう。意外と想像出来てしまいます」

「融通は利かないが、面倒見はよい女故であろう。儂の子らも、奴には懐いておった」

「えぇ、そうでございましたね。わたくしにもとてもよく懐いていただけました。えぇ、わたくしにも!」

「強調せんでよいわ、たわけ」


 実は先日、狼牙がスケアの下を訪ねてきた。手には酒の入った瓶があり、生前に見た姿と全く変わりない男だった。


 彼が現れたことに、メリーナが露骨に嫌そうな顔をしたが、渋々と室内の椅子を促していた。


 二人で酒を飲みながら、他愛ない話から始まった。メリーナにも勧めてはみたが、遠慮して一杯だけに抑えていた。彼女はそこまで強い訳ではないため、醜態を晒すことを嫌がったのだろう。


 酒が進むにつれ、二人の話は近況の報告になった。

 二人は三ヶ月前からこちらの世界に降り立ち、活動を開始しようとしたらしい。だが、獣人が襲われているところを発見し、エルザが救出に動いたという。


 どうやら、予想通り噂の二人組はエルザと狼牙だった様だ。

 噂との相違点としては、憂さ晴らしで拉致しようとしたのではなく、憂さ晴らしで獣人狩りをしていたというところか。


 古の日本の貴族が犬を的に見立て、走り回るそれを動く馬上から弓で射抜くという催しは行われていた。


 この世界の人間にとって、彼らの行いはそれと同じ考えのものでしかない。喩え獣人達がどれほど声を張り上げようと、どれだけ反抗しようと、それは変わることはないだろう。

 女神教という国教が存在する限り、永遠に変わることはないのだ。


 情報の擦り合わせで判明しなかったのは、なぜモルドという男はエルザに執拗にアプローチするのかということだ。

 噂では、モルドがエルザにアプローチするのは気があるからだ、という話だった。それはメリーナも、軽く情報収集したスケアも確かに耳にした。


 しかし、当の本人達にはその理由は認知されていなかった。

 エルザ本人から何が起こったかを訊いた狼牙に噂を伝えてやると、腹を抱えて笑っていた。目の前で部下を殴り殺された野郎が、それを見て懸想したのなら余程の変態だ、と。

 全くもって同意見である。


 狼牙は昨晩のうちに出て行き、どこかへと去っていった。お互いの位置は、回路を通じて大雑把には把握している。それを辿れば西区に近い場所にいることはわかったが、そこが彼の拠点なのかどうかまではわかっていない。


「本日はどうなされますか?」

「ふむ。優秀なメイドが予想以上に稼いできた故余裕はある。少し予定を繰り上げて、西区に向かうことにしようか」

「畏まりました」


 メリーナの問いに、上機嫌に振舞って予定を告げる。


 当初の考えでは、ある程度依頼をこなして金を稼ぎ、資金に余裕が出来てから西区に確認に向かう予定だった。


 だが、メリーナが思っていた以上に稼いできたため、懐に余裕が出来てしまったのだ。彼女の性格から、幾らか高めの金を得るだろうと思っていたが、まさか金貨を十枚以上稼いでくるなど考えてもいなかった。

 自分も少しだけイロをつけてもらってはいたが、それこそ小遣いか何かだとでも言える程度のものでしかない。

 少しばかり、主としての威厳が損なわれた気分である。


 二人は準備を終え、宿を出る。どうしてか宿の娘に気に入られたようで、少し会話してから出た。


 中央広場からは各街区へと繋がる道がまっすぐ伸び、そちらへまっすぐ進んでいけば自然とそこへたどり着くようになっている。


 西区への道を進み、しばらくすると見覚えのある後ろ姿が目に入った。


 メリーナの資金源となった勇士は、聞いたところ全身を痛めつけたと聞いていたが、どうやらそんなことはなさそうだった。おそらく、ポーションか何かでも使ったのだろう。


「むぅ、なにやら視線が。――っ! だ、誰かと思えばスケア殿とメリーナ殿ではないか」

「三日ぶりだな。その後、どうだ?」

「カッカッカッ! お前の従者にボコボコにされて、意識を完全に飛ばされていたわ」

「その後不調がなさそうでなにより」


 一瞬、ヴェルグの顔が恐怖に歪んだように見えた。だが、次の瞬間には普段通りの快活な笑顔を顔面に貼り付けて声をかけてきた。


 それを見ただけで、スケアにとっては彼の状態を完全に見極めていた。


 先の戦闘で、終盤に出てはならないものが姿を見せた。深淵を覗き、辿り着いたものが抱える禍々しい狂気を、あろうことか覗き込んでしまったのだ。そうすれば、彼の異形の目に映ってしまうのも致し方ない。

 幸いなのは、アレはこの男への興味が既になくなっていることか。正直、興味を失っていなければスケアにはもうどうすることもできない。

 喩えスケアであろうと、御せるものではないのだ。


 観察していると、どうやら意識的にそのことを考えないようにしているようだ。そういったものの知識があるのか知らないが、最善と思われることを彼は行なっている。


 忘れてしまえば、苦しまずに済む。なるべく早く、彼が忘れてしまうことを祈っておこう。忘れられるかどうかは、別としてだが。


「お主はこれからどうするつもりだ?」

「俺か? 俺はこれから西区に向かって、件の女騎士に挑むつもりだ」


 どうやら、先日言っていた予定を今日行うようだ。


「あれはなかなかに強敵だぞ」

「なんだ。知っているのか?」

「あぁ。先日確証を得た故伝えるが、あれは儂の部下でな。儂が直々に、鍛えてやったこともある」

「なんだと!? 参考までに聞かせてくれ。女騎士とメリーナ殿なら、どちらの方が強い?」

「わたくしです。とはいえ、わたくしと彼女にはそこまで大きな差はないでしょう」


 ヴェルグの問いに、メリーナが即答する。


 彼女の言う通り、メリーナとエルザの間にそれほど大きな差はない。今はメリーナの方が強いが、エルザはいつでも彼女を超えられる地力がある。加えて、彼女自身が受けている加護も要因のひとつに入るだろう。


「ほお。てことは、強いのは確実か」

「恐らく、奴が剣を抜かずとも、今のお主では太刀打ち出来まい。それでもやるか?」

「もちろん。出来るだけ、女騎士の技術を盗んでみせるぜ」

「ふっ。愚問であったか。つまらぬ問いをしてしまったな。赦せ」


 謝罪の言葉を口にして、三人は再び歩き始める。お互いの目的地が同じなため、自然とこうなった。

 初めは彼もなぜついてくるのか不思議そうにしていたが、自分達も西区に向かっていると伝えれば、なるほどと納得したようだった。


 西区に近づくほど、スケアの目はこれまでの道との違いを認識し始める。


「人間が減ってきたな」

「ん? あぁ、異種族を嫌う人間は多いからな。その影響で、西区に近い場所に住む奴は減ってくるんだ。それに、異種族に対して悪い印象を持っていない奴も、そういった印象を持った奴との兼ね合いもあって、距離を取ろうとするのだ」

「なるほど。斯様に空き家が多いのはそういったことか」


 人通りは減り、まばらに獣人が姿を見せるようになった。

 しかし、周囲に佇む家屋には使われた形跡もなく、雑草も伸び放題で荒れた光景が広がっている。中には窓が割れた家もあり、そこから見える薄暗い空間が酷く不気味に感じられた。


「ん?」


 不意にヴェルグが足を止めた。


「どうした?」


 彼の視線は足下に向けられている。

 そんな彼の唐突な行動に、スケアも訝しげに問いかけた。


「いや、少し面倒なことが起こってるようだからな」

「ふむ? ……む。なるほど、確かに」

「おや。これは……確かに面倒そうでございますね。出直しますか?」

「いや。尚更行く必要が出来た。奴がどう対処し、どのように行動するのかをこの目で見てやろう」

「お望みとなる行動を取れるか、見ものでございますね。出来なければ、私の手で処断いたしましょう」

「お主、いつからそれほどまでに凶暴に……?」

「主様への愛故です」

「……いつの間に儂の周囲にはメンヘラが多くなったのだ」

「昔からでございます」

「ウッソマジで?」

「なんだろうか。やたらとお前たちが黒く見えるぞ……」

「気のせいであろう。黒いのは此奴のみだ。その筈だ……」

「……苦労しているようだ。今度酒でも奢ろう」


 三人が目にしたのは、地面に数多く残る足跡だった。

 足跡の大きさから、その多くは大人の男だろう。中には女性も含まれているかもしれないが、そのどれも甲冑を身につけているようだ。

 足跡はいくつも重なり合うようになって、判別が難しいが、およそ十人前後はいるようだ。そして、その足跡に囲まれるようにして西区へとまっすぐ伸びるふたつの線――おそらく、車輪の跡だろう。そして、そのふたつの線の中心に点々と連なる蹄の跡。


 これらの事から、甲冑姿の者達が馬車を守護するようにして西区へと赴いたことがわかる。この街の地面は整備も特にされていない寂れた地面で、表面の砂もサラサラとしている。

 こういった砂は、少し風に吹かれただけでもすぐに飛ばされ、跡もすぐにかき消されてしまうようなものだ。


 それが残っているという事は、その者達がこの場所を通ってまださほど時間が経っていないことがわかる。


「ヴェルグよ。ひとつ訊くが、この街で西区に向かうような貴族は在るか?」

「……いや、いないな。辺境の都市だからここに住む貴族はひとつしかない。その家も代々敬虔な女神教徒だからな。自ら足を踏み入れるなんて奴じゃない」


 この街に住む貴族はひとつしかない、というヴェルグの言葉に、スケアの双眸は自然と細められた。


 そうなると、スケアの脳裏にはとある男の名が浮かんでくる。この街にいて、スケアの見聞きした貴族の名はひとつしかない。


「ふむ。重ねて問うが、貴族の名はモルドか?」

「そうだ。モルド・リッツ・ルーミラ公爵という」

「評判は?」

「過激な女神教徒からの信頼は厚いな。だが、悪い噂もよく耳にされる」

「如何なるものか」

「己の考えを認める者は優遇するが、そうでない者は過度に税を課すらしい。他にも、この街から追い出された家族もいくつかいるのだそうだ」

「独裁制といったところか。国の対応は?」

「何もない。うまくもみ消しているのだろうな。少なくとも、王家からの信頼は得ているといったところか」

「認知はされているというわけか」

「? まぁ、そりゃあな」


 スケアの双眸から生気がどんどんと失われていく。代わりに表面に滲み出す凶々しい不気味な気配。肌にねっとりとまとわりつくような、粘着質な気配がその場にいる皆を襲う。


 先日、一度それを感じたヴェルグは身を硬直させ、大粒の汗が止まらなくなる。

 メリーナは何も感じていないように反応をしない。普段からこのようなものであるとでも言いたげに涼しい顔で、主の思考を妨げないように黙りこくっていた。


 スケアはそのまま顎に手をやる。

 しばらくそのままでいたかと思うと、不意に視線を西区の方角へと向けた。


「――いずれ」


 小さくそうこぼした。その声を、言葉をメリーナの耳はしっかりと聞き入れ、その言葉の意味を即座に理解した。


 スケアにしては、特に指示をするつもりで言ったことではない。単に、思った事を言葉にしただけ。それも一部のみをだ。

 だが、生粋の狂信者メイドと狼牙から揶揄される彼女にとって、その言葉だけでも前後をあらかた読み取る事を可能としていたのだ。


「では、行くか。ヴェルグよ。お主はどうする?」

「聞かなくてもわかってんだろ?」

「ふっ、そうだったな」

「何か不快にお思いになられた際は、一言御命令を」

「降りかかる火の粉を払え。此度における儂の命令は、それのみだ。良いな?」

「御意」


 簡潔でありつつも、広義的に解釈できるような言い回しで命令を出す。それにメリーナは恭しく頭を下げ、先を歩くスケアを追う。

 その様子を、ヴェルグは見定めるように凝視していた。




 馬車を引き連れた騎士達が、西区に入るや周囲にいた獣人達に襲いかかっている。


 エルザは目的地へと向かう間に、その情報を得ていた。彼女の契約する風の大精霊、シルフがそのように教えてくれたのだ。


 それを聞き、苛立たしげに舌打ちをした。


 彼らがそのようにするのは別に初めてではない。これまで撃退した全てで彼らは暴力の手を止めようとしない。

 そのくせ、エルザが現れれば付いて来い、と宣う。招きたければそれなりの誠意を示せ、と思ったが、以前見たときの態度から、そんなことはありはしないだろうとすぐに断じられた。


 ――愚か者どもめ!


 エルザにとって、彼らは愚者でしかない。癇癪を起こした子供のように暴れまわり、強引に己の主張を飲ませようとする在り方には怒りしか湧き上がらなかった。

 嘗ての主君の弟を彷彿とさせるその在り方が許せなかった。


 悪魔王の城でもそういう輩は多かったが、主君を立てる者が大半で、なにより、主君本人が部下や自国の民に比較的優しい人物だったため、そこまで気になるほどではなかった。もちろん、手遅れだと断じれば即座に見限る残酷性を持ち合わせた王ではあった。しかしそれも最後の手段で、滅多な事ではその手段を選ばない実に優しい御仁だったのだ。


 それを思うと、愚かな主君には愚かな部下が揃うようだ。類は友を呼ぶ、というものだろう。

 自分は、良い主君に出会えて本当に良かったとしみじみ思う。


 西区の入口とされる場所に近づいていく。

 それぞれの街区には識別するための境界はない。だが、そこに住む人々が漠然と定めた境界は存在しており、その境界を超えると途端に目にする人の種族が変化するのだ。


 そこに近づけば、エルザの耳には数多の悲鳴が届いてくる。

 エルザの目は普通の人間よりも良く、少しぐらい離れた程度の距離なら全て目に入るほど。

 その目がしっかりと、騎士達が武器を手に取り獣人達を襲っている姿を捉えた。


 背丈は大小様々な騎士が十人。そして、それに巻き込まれないよう離れた位置に停まっている馬車。おそらく、そこにモルドがいるのだろう。


「そこまでだ!」


 彼我の距離を駆け抜け、声を張り上げた。

 その声に反応し、騎士達は何事かと手を止め、無事な獣人達はホッと安堵したように表情が和らぐ。


 周囲に視線をやる。この辺りは民家が建ち並ぶ地域で、人の良い獣人達が暮らしている場所だった。

 そんな家々の扉を破壊し、騎士達は中へと侵入していたようだ。彼らの足下には血にまみれた獣人達が転がっており、浅く呼吸する者もいれば、ピクリとも動かない者も多くいた。

 被害者は垣根が無く、老若男女が少なく見積もって二十人程度が倒れていた。


「下衆共めっ! 貴様らはそこまで堕ちたか!」

「ふん。貴殿が公爵様の招集に答えぬからよ。おい、公爵をお呼びしろ」

「はっ」


 騎士の一人がエルザの言葉に応じ、部下なのだろう騎士に指示を出した。

 その騎士は馬車の傍に近付き、その戸を叩き、中へと声を掛ける。すると、中から見覚えのある脂ぎってでっぷりとした男が傲然と出てきた。


 格好だけは立派で貴族らしい服装をしているが、いかんせん着ている本人に威厳がないため、服に着られている感が否めない。


 間違いない。三ヶ月前、獣人の子供達を襲っていたあの男だ。


「やぁ、三ヶ月ぶりだな。女騎士」

「そうですね。度々寄越される挨拶にはほとほと困り果てました。公爵のお仕事はそれほどまでに退屈なのですか? あぁ、だからそのようにだらしない腹を見せているのですね。おや? 以前お見かけした時よりも随分肥えられたようだ。それほど退屈なら運動などしてみては如何です?」

「会って早々毒を吐くか。それも、恐ろしく畳み掛けてきおって。随分と嫌われたものだな」

「好かれる要因はひとつもないでしょう。それで、此度は如何なる用向きでしょうか?」


 エルザの対応は冷たく、聞いているものの背筋を凍てつかせるほどだった。実際、彼の部下のうち何人かはぶるりと身を震わせた者も少なくない。


 モルドは曲がりなりにも貴族というところか、舌戦においては耐性がありそうだ。目に見える形で怯えた様子はない。


 彼はおかしそうに肩を揺すると、


「招集に応じてもらえないため、こちらから出向かせてもらった。正直、このような薄汚れた場所には来たくなかったのだがね」

「ならば、早々に立ち去るのが良いかと。お帰りは後ろです」

「まあ待て。話は最後まで聞くものだ」

「聞く義理などありはしないが、聞くまで立ち去ろうともしなさそうですね。いいでしょう。お聞きします」

「それはなにより。私もここに来ただけの甲斐はあった」


 モルドはわざとらしく安堵の表情を見せた。その行動のひとつひとつがエルザを刺激する為の演技のように思えてならない。何が目的かは知らないが、この男は自分を怒らせる事を目的としているようにしか見えない。


「用というのは他でもない。お前を、我が家で騎士として働かせてやろうと思ってね」

「……ほう?」


 彼の切り出しに、エルザはピクリと反応を示した。それを見て、脈ありと感じたのか、ニヤリと不敵に笑う。


「以前、お前は言ったな。『今は仕える国は無い』と。だが、お前は騎士の格好を手放そうとしない。それはつまり、騎士である事を忘れられないという事だろう? それだけ騎士でいたいというのなら、この私の元で働かせてやろうという心遣いだ。当然、受けてくれるな?」


 随分と傲慢な態度だ。

 貴族は確かに傲慢な態度を見せることは多いが、それは様になっている者であるからこそ許されることであり、目の前の(ブタ)には許されざる行為だろう。


「当方は、既にそちらの騎士を一名殴殺しておりますが?」

「そんなことは私の力でどうにでもなる。それに、あの男は役立たずでね。近々解雇を言い渡すつもりだったのだよ。その手間が省けて助かった。その事については、礼を言わねばならんな」

「つまり、先の出来事は不問にし、何かしら問題があった際は権力の力で黙らせると、そう仰せか?」

「話が早くて助かる。なあ、良い話だろう? もちろん、給金は弾もう。私直々の勧誘なのだから当然だな」


 彼の目は勝利を確信した目をしている。これまでの短いやり取りの中で、エルザが心惹かれるであろう事を言ってやった、と思っているらしい。

 しかも、モルドの様子を観察してみると、どうやらまだ切れる手札はあるようだ。


 とはいえ、彼の言葉はハッキリ言って筋違いもいいところだ。エルザ自身、今は主君以外に支える気もなく、主君以外に従う気もない。


 以前からの上司である狼牙とは指示を出されれば従うが、基本的に奔放な彼は滅多な事で命令をしてくることはない。逆に、エルザが指示を出さねば何もしないまである。浴びるように酒を飲み干し、気ままに自由を謳歌するだけの日々を送っていくだけだ。

 彼自身、主君からの命令のみに従い、それ以外の一切合切は気分次第の扱いにくい人物なのだ。


 確かに、そんな上司の下で働くのは気苦労が多い。それは自他共に認める事だ。それから解放されることはありがたいと思うまである。


 それでも、今ではその生活が心地いいと感じている。柄にもなく、楽しいと思っているのだ。

 それが無くなってしまえば、後に残るのは空虚だけ。ただでさえ物足りなさを感じているのだ。主君なき生活はとても退屈で、満たされない。胸の裡に芽生えるこの想いを、以前まで満たされていたはずの渇きが、満たされるまで、いったいどれほどかかるのだろう。


 少なくとも、今目の前にいる男の下では、満たされることがないのは断言出来た。


 故にこそ、憤りを可能な限り抑えつつ、はっきりと口にしてやる。


「謹んで、お断り申し上げます。外見、種族で差別し、虐げる愚者の下にいて、満足のいく生活などない。即刻、この場より立ち去られよ」


 モルドの顔がグッと歪む。手応えを感じていたようだが、それは幻でしかない。自らの心は、既に彼の王のみに向けられているのだから。


「ど、どうしてもか? 我が元へと来れば、給金どころかあらゆる面においても優先してやる。だというのに――」

「――くどい!」


 エルザの返答は頑なだ。これだけ拒否されれば身を引くのが利口だろう。


 だが、目の前の男は引く素振りを見せない。ギリギリと歯軋りしながら、苛立たしげにこちらを睨みつけていた。


「下手に出てやれば図に乗りおって!!」

「あれが下手と? 貴公は先ず己の行動を省みるのが良いでしょうな」

「ふん! 口の減らぬ女だ。今ならまだ間に合う。考え直すなら今だぞ」

「どれほど懇願されようと、どれほど金を積まれようと、我が忠義は覆らない。私が剣を捧げるは後にも先にも彼の方のみだ。断じて、貴公などではない」


 双方の間に剣呑な空気が充満する。

 エルザは無表情に、モルドは相手を睨み殺さんばかりに睨め付ける。物理的な圧力は無いものの、互いに見えない刃を首筋へと突きつけているように周りからは見えた。


 エルザは甚だ不思議で仕方がなかった。何故、あの男は自分なんかを勧誘しようと言うのだろうか? 自分にとって彼の印象が最悪なように、彼にとっても自分の評価は最悪か、少なくとも低くなっているのが普通だ。


 とはいえ、不思議に思っても彼の気持ちはどうでもよく、自分は嫌だから話は蹴り続ける心持ちであった。


 いったいどれほど睨み合っていただろうか。五分にも十分にも感じられる長い時間が経った頃。突如割って入る声がその場に響き渡った。



「――話しているところすまんが、少しいいか?」



 新手か、とエルザはそちらへ視線をやる。


 それは屈強な男だった。鍛え上げられた筋肉を惜しげもなく外気に晒し、腰には荷物を入れているのだろう小さい袋がいくつも装着されている。身体にはまるで鉤爪で抉ったかのような痛々しい傷痕があり、他にも所々に痣になっている箇所がいくつか目に入った。

 何よりも目を引くのは、その背に負う立派な大剣だった。それが何の素材を使われているのか詳しくはわからない。少なくとも、エルザには判別がつかないが、とても希少だろうと漠然と感じる程度のものだ。


 男はピリピリとした空気など臆面も気にせず、好戦的な笑みを浮かべてエルザを真っ直ぐ見据えていた。


 ――狙いは私か。


 賊の類だろうか。いや、こんな街中で、それも騎士を目の前にしてわざわざ乱入するような愚か者はいない。

 そうなると、彼は冒険者だろう。少なくとも、彼のような男が騎士というのはありえない。騎士鎧を身につけていないというのは当然だが、彼の佇まいからは騎士という印象は全く感じなかった。


「何者か」

「貴様は、まさか『竜殺し』か!?」


 エルザとモルドの反応は対照的だった。


 当然、エルザは彼と面識はなく、必然的に誰何の声を上げざるを得ない。だが、モルドは彼を見知っているらしく、気になる単語を口にした。


 男は頭を掻きつつ、


「公爵さんが言った通り、巷では『竜殺し』で通っている。ヴェルグと言う者だ」

「これはご丁寧に。私はエルザと申します。とある御方の近衛騎士を務めております。お見知り置きを」

「――なんだとっ!? 口からでまかせをぬかしおって!」

「公爵さんは黙ってな」


 挨拶され、モルドに比べれば比較的丁寧に感じられる紹介に、こちらも礼儀として返した。

 当然、そんなことは認めようとしないモルドは口を挟むが、それをヴェルグが黙らせた。


 その口調は貴族に対するものではないが、それだけで彼がモルドをどのように見ているのか少しわかった気がした。


「貴様、それが公爵様に向ける態度か!」

「よい。なんにせよ、いいところに来たな。依頼を見てきたのだろう? つまり貴様はその女を私の前につれてくるために来たということだ。今までの役立たずとは違うと言うことを、しょうめ――」

「――黙ってろと、俺は言ったはずだ」


 モルドの言葉を阻むようにして、ヴェルグは怒気をあらわにする。

 モルドはぽかんとしていた。彼が何を言っているのか、理解に苦しんでいるのだろう。


 それでも、彼が黙ったことに変わりはない。

 その隙を逃すかとばかりにヴェルグはこちらへと声をかけてきた。


「話の途中に割り込んですまんな。先に謝っておこう」

「構いません。正直、不快なだけなので。それで、どのような用向きで?」

「おぉ、そうだったそうだった。奴が黙っているうちに話しておかねばな」


 ヴェルグはそう言うと、居住まいを正し、圧力の篭った鋭い眼差しでエルザを睨んだ。


「女騎士――いや、エルザ殿。噂に名高きお前と、一戦交えたい。どうか、一度考えてはくれないか?」


 それは模擬戦の誘いだった。


 予想外である、といえば嘘になる。なぜなら、彼の目はとても見覚えがあったからだ。


 戦を求める修羅の目。悪魔王の城に数多く存在するその目は、戦闘狂によく見られる目。一番身近な人物を言えば、狼牙だ。他にも、主君もそうだった。


 だが、見覚えのある目だからと言って、その申し出を受けるかは別問題である。


「申し訳ないが、その話は受けられない」

「……そうか。それは残念だ」

「誠に申し訳ない」

「いや、良いんだ。強制はできんからな」


 彼はあっさりと引き下がった。見た目と違い、引き際はよく弁えているようだ。欲を言えば、頼み事のタイミングもよく考えてもらいたかったということぐらいだろう。


 ヴェルグは残念そうに肩を落としつつ、その場から離れていく。どうやら、本当にそれだけしか用事はないらしい。

 邪魔にならないようにしてもらえるのは実にありがたい。


 ふと、周囲に倒れていた獣人の数に違和感を覚えた。気の所為か、先程よりも数が減っているように感じたのだ。


 ――気のせいか……?


「待て! ヴェルグ、貴様何しにきたと言うのだ!」

「はぁ? そんなもん、勝負ふっかけに来たに決まってんでしょ。断られたならもう用はない」

「ええい、貴様もそこいらの役立たずどもと同じか!!」


 硬直からようやく戻ってきたらしいモルドはヴェルグに問いただすも、素っ気ない態度で吐き捨てられただけだった。それに苛立たしげに吐き捨てた。


 その言い分に気にした様子は見せないヴェルグは離れた位置に立ち、こちらの様子を静観する構えをとった。

 手を貸しはしないが、手を出すこともしないという意思表示なのだろうとすぐに察すると、エルザはモルドへと向き直った。


 モルドは苛立たしげにヴェルグを睨みつけていたが、ふん、と鼻を鳴らすと、こちらへと視線を戻す。


「あのような役立たずなど今はどうでもいい。今はお前だ。――改めて聞く。我が騎士となれ!」

「何度問われようと、私の答えは変わらない。断る!」

「……では、これならどうかな?」


 サッ、とモルドは合図を出す。

 すると、一人の騎士は泣き喚く幼い子供の首を掴んで引きずってきた。そして、その細い首筋に手にした剣の刃を突きつけた。


 それを目にし、ざわ、と一帯が騒然となる。ヴェルグまでも目を剥き、呆然とその様子を凝視していた。


「貴様っ!!」

「大人しく私の騎士にならんからこうなるのだ。そら、このガキの命が惜しくば、我が騎士となれ!」

「元より、私に選択肢を与えるつもりはなかったということかっ」

「当然だ。私が欲しいと思ったのなら、必ず手に入れる。そうでなければならないのだからな」


 モルドは癇に触る高笑いを上げる。

 やはりこの男は、愚か者だ。それも、貴族の中でも特にその愚かしさが際立っている。やり口も汚く、己の思うようにならなければ気が済まない最悪な人種であることは疑いようもなかった。


「外道め……っ!」

「ふん、好きに吠えるが良い。その分、このガキが代わりに苦しむだけだからな。――おっと、このガキだけじゃない。他にも、そこら中に転がっているな?」


 激昂し、動こうとすればモルドは騎士に迷わず指示を出すことだろう。彼らにとって、獣人を殺すことは罪ではないのだ。


 だが、エルザにとってはそうではない。エルザは獣人に対しても分け隔てなく接し、それらを自らとは異なるひとつの種であると正しく認識し、その上で礼節を持って接している。

 それは彼女自身、異種族に対する悪感情を持っていないという事と、理由もなしに彼らと敵対せず、罪も無き彼らの命を可能な限り守るよう主命を――初めて会った時の主君から受けているのだ。


 その為、現在の状況は自らの不始末により関係のない異種族の幼子が人質にとられた形になる。エルザがモルドの要求を拒めば、罪なき獣人の命がここで散り、反対に要求を飲めば、それは主君に対する裏切りになる。

 主君に剣を捧げた以上、それ以外の者に頭を垂れるつもりはない。それをした場合、忠義が嘘になってしまうから。


「……おのれっ」

「私とて心苦しいよ。これは最後の手段だったのだがな。素直に頷かないお前が悪いのだよ?」

「公爵! 貴公は、こんなことが許されると思っているのか!」

「部外者は黙っているがいい、『竜殺し』よ」


 静観の姿勢だったヴェルグも見過ごせないと感じたらしく、怒号を投げかけるも、モルドは意に介さず不敵に笑うのみだった。


「さぁ、大人しく我が騎士となれ!」


 一際強く、モルドは声を張り上げる。それは、勝利を確信しているからこそできるものだろう。


 確かに、選択肢はひとつしかない。獣人の命がどうなっても構わないなら拒否すればいいだけだ。だが、それはエルザにはご法度である。選ぶわけにはいかない。

 では、彼の騎士となるかといえば、やはりそれも許されない。


 では、どうするのか。


 エルザが辿り着いた答えは、ひとつだけだった。


 ふっと肩から力が抜ける。はぁ、と小さく溜息を吐き、側から見れば観念したようにしか見えない。

 モルドもそのように感じたらしく、より一層笑みを深めていく。


 だが、次の瞬間、その場にいた皆が瞠目した。


 エルザはあろうことか、持っているナイフを手に取り、自らの喉に突きつけたのだ。

 これなら、獣人が無駄に命を奪われる事もないだろうし、主君を裏切り愚者の騎士になる事もない。

 主君を探すためにこちらへと来たのにもかかわらず、それが出来ずに、会うことすらできずに命を捨てることは苦渋の決断でしかない。


 なかなか吹っ飛んだ思考ではあるが、それだけ主君の顔に泥を塗りたくないという気持ちを如実に表した行動はないだろう。少なくとも、自分はそう考える。


「き、貴様! いったい何をっ!?」

「考えた故の行動と考えられよ。私は、剣を捧げるのはただ一人のみ。此度の貴公の話に乗ってしまえば、我が主君に対する裏切りとなる。

 何が貴公を引き付けたかは知らないが、元々の原因は私が現れたからこそ。であるならば、綺麗に解決するためには私が消えれば良いだけのこと。ロードにお会いできないことが唯一心残りではありますが、きっと狼牙様が最後には見つけ出してくださるでしょう」


 エルザの様子から本気であることを悟ったのだろう。慌てた様子で必死に止めようとする。


「ま、待て! 早まるな!」

「ロードよ。我らが王よ。御身にお仕えできて、私は誠に幸せ者にございました。そして、ひとつ謝罪を。御身の捜索も満足に出来ず志半ばで迎える最期を、どうかお許しください」

「ええい! 者共、急ぎ奴を止めろ! 奴は我が騎士とするのだ! ここでみすみす逃してなるものかっ!」


 命じられ、唖然としていた騎士達も慌ててエルザへ向けて疾駆してくる。


 だが、どうしても間に合わない。エルザは突きつけているナイフに、あと少し力を加えれば良いだけなのだから。間に合うはずがなかった。


「おさらばです――」

「やめろぉおおおおっ!!」


 目を閉じ、エルザの手に力が篭る。

 一度決心してしまえば、あとはもう躊躇わない。躊躇う理由などない。

 ナイフの作りは簡易だが、使われている素材はとても稀少性の高い鉱石だ。その鉱石から作られたナイフは数多を切り裂き、狼牙の皮膚ですら貫いてみせる鋭利さを備えていた。


 (きっさき)が喉の表面を傷つけ、ちくりとした痛みに続き、つう、と赤い液体が一筋流れ落ちる。

 後は押し込むだけだ。


 その時、脳裏に様々な記憶が過った。以前仕えた主君、その娘君。そして、若かりし頃の悪魔王との思い出。とても辛く、それ以上に楽しかった記憶。

 それに身を任せて潔く散ろうとしたその時――


 不意に、喉を貫く力に抗う力が生じた。まるで万力の如き力で、ナイフをその皮膚から引き離そうとしているようだった。


「――浅慮である。貴様の行いは、その一言に尽きるぞ、エルザ・ヴァーミリオン」


 その音色は天上の調べであった。それでいて厳かで、聞く者を圧倒する尊大な響きがあった。

 冷水をぶちまけられた気がした。物理的に行われたわけではない。だが、自らの決心を上塗りするその王気に、本能的に崇敬の念を抱いた。


 目を開く。傍に立ち、突きつけたナイフに伸びた細くしなやかな手が、その白刃を無造作に掴み、自害しようとするのを阻んでいた。

 その手の持ち主は漆黒な戦装束に身を包んでいた。両肩にはルーン文字が彫られた鈍色に光る肩当てが輝き、それにはめるようにして左肩から伸びる風に煽られてわずかに揺れる外套。透き通るような金髪は足まで伸び、真紅に染まる双眸は針のように細められ、エルザを見下ろしていた。

 その人物はとても美しい顔立ちをしていた。しかも、以前にも見たことのあるような整った容貌。


 まさか、この人物は――


「貴女様は、まさか……」

「だが、死して尚その忠義を示す心意気、我が主命を守らんとする忠信。誠に大義である」

「ろ、ロード……!!」


 それを直感した時、涙が溢れ出て止まらなかった。


 死を目前にした時、焦がれた主君との再会を遂に果たすことができたのだ。

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