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噂の女騎士は

10.18 貴族の名前を変更しました。

 主君との別れは唐突だった。


 白銀の鎧を身に纏い、バレッタで長い金髪を一纏めにした妙齢の女性――エルザ・ヴァーミリオンは数ヶ月前に起きた出来事に想いを馳せ、碧眼を仮の拠点としている宿の窓の外へ向ける。

 その容姿はよく整っており、一言で表すならクールビューティという言葉が相応しい。そんな彼女が見せる物憂げな表情は多くの男性の庇護欲をそそらせる。鎧姿でなければ、彼女は沢山の男から声をかけられていたはずだ。


 そんな彼女は以前、生涯をかけて仕えると心に決めた主君を大戦で失った。

 当時、エルザは天界の尖兵の対応を命じられていた。彼女の所属していた陣営の中で、彼女は雑兵程度の実力でしかなかったため、その事に文句はなかった。


 その時、主君は敵の総大将と鎬を削っていたらしい。主君の武芸は卓越され、騎士である自分も彼に勝てるなどと考えたことは一度もない。どころか、よく教えを請うた程だ。


 そんな彼が、戦友と同じ『祝福』を受け敗北したという。そして、最期に皆に礼の言葉を告げて息を引き取ったそうだ。


 その事を知ったのは、尖兵が退散し、本陣へと戻った時のことだった。

 目に入るは悲しみに暮れる異形の集団。皆沈痛な面持ちで表情を伏せ、重苦しい空気を放っていた。


 何が起こっているのか、最初は全く理解が及ばなかった。及ぶはずもなかった。自分の中で、主君以上の存在など考えられなかったから。


 一際声が上がっている箇所を見やる。

 そこには側室であり、最強魔王と謳われた人物がいた。普段はカラカラと気持ちのいい笑みを浮かべている男勝りな彼女が、今は泣き叫んで感情を露わにし、御子息は下唇を噛み、悔しそうに、堪え切れない小さな嗚咽が漏れていた。


「おう、戻ったか」


 不意に声をかけられ、呆然としながらも顔をそちらへと向けた。

 声の主は直属の上司である狼牙だった。その姿はボロボロで、堅固であるはずの肉体からは絶え間なく血が流れており、彼の服も破れていたり泥で汚れていることから凄惨な戦いを繰り広げたのだろうことは容易に想像できた。


 そんな彼は皆と違い、怪我を認識していないように飄然としながらエルザに笑いかけてきた。


「狼牙、様……。これはいったい……?」

「あん? んだよ、気づいてなかったのか。悪魔王さんが死んじまったんだよ」

「――っ!?」


 ハンマーで頭を殴りつけられたような衝撃だった。

 告げられた言葉は淡白としていて、だからこそそれが真実だということが伝わってきた。エルザはらしくもなく、呆然とその場にへたり込む。全身から力が抜け、遅れて身体が震え始めていく。


「ろ、ロードの最期は……」

「この場にいる全員が見送った。『祝福』をもらっちまってな」


 その死因は、彼の兄弟弟子と酷く酷似していた。唯一の違いといえば、悪魔王はその『祝福』によって息を引き取り、彼の兄弟弟子は自らの限界を超えた力を発揮し、自ら死を選んだことだ。


 そもそも、『祝福』というのは天界の名のある天使、神々が下界の人間に対して与える特殊な力であり、その効果は彼らの気分で定められるという。


 敵対者に付与する効果は当然呪詛の塊であり、高位の存在になればなるほどその効果は強くなる。相手が天界の総大将であったということは、即ち神々の王である者と対峙した事になる。裏を返せば、そんな存在の『祝福』の効果は最も強い事に他ならない。

 そうすると、悪魔王が時間をおかずに息を引き取ったというのも理解出来る話だ。


 だが、理解出来たとして、感情がそれを許さない。


 胸中を支配するのは後悔だった。自分がもっと強ければ、自分がその場にいれば――と起きることなどないイフばかりを考え、自らに罵倒を吐く。


 思っても仕方のない事だとわかっている。わかっているが、何かにぶつけなくては収まらず、かといって他人にそれをぶつけるのは違うと考える彼女の良心が働き、自らをとことん貶めようとしていた。


 そういった行動をエルザが取ることは理解していたのだろう。軽くため息を吐き、悔しげに歪められたその額に指を弾けさせた。


 思わぬ方向からの、思わぬ位置での衝撃。しかも、行った者は人間より、獣人よりも力が強い人物だ。その威力は、さながら拳銃の如く。強烈な衝撃は額を貫き、彼女の体は円を描いて宙を一回転したほど。


 唐突な痛みに悶え、涙目になりながら、キッと睨め付ける。いったいどういうつもりなのか、その真意を視線で問う。


 狼牙は呆れた表情を取り繕う事もせず、聞き分けのない子供に説きかけるように口を開いた。


「たられば、なんざ考えるだけ無駄だ。テメエもわかってんだろ。そんな意味もねえことを考える必要がどこにある? ねえだろ? なら、前向いて無様に吼えてる方が余程建設的だ」

「貴方は、ロードの死を悼む気持ちは無いのですかッ!」

「ねぇな。残念だ、とは思うが、それ以上じゃねえ」

「なっ!?」


 狼牙の声音は変わらず冷たく、淡白としている。

 今になって思えば、それは彼なりに辛いのを我慢するときの癖なのだろう。茨木童子が死んだ時も、短くはあったがその様子を見せていたのだ。


 しかし、この時のエルザはそのことに気づかなかった。その為、そんな彼の言葉に信じられないと声を荒げた。


「貴方は、ロードに受けた恩を忘れたのですか!」

「一宿一飯の恩か? それとも、戦の恩か? どちらでもいいが、受けた恩の分は働いた。これ以上は受ける恩もない。それに、野郎から『家系を支えよとは言わん。俺のみに尽くせ』と命じられている。つまり、約定はここに果たされたわけだ」


 それは、エルザにとっては信じられない言葉だった。

 彼女にとって、主君に仕えるのは当然であり、その死後も残った縁者にお仕えするのが当然であると考えている。要するに、主君が彼に宣った言葉とは真逆の考え方をしているのだ。


 エルザは人間ではない。しかし、それは今の状態であり、嘗ては歴とした人間だった。


 その頃からエルザは騎士としてとある国の王家に支え、王家を、国を守ろうと躍起になっていたものだ。メキメキと腕を上げ、主君に認められて親衛隊にも抜擢された。


 しかし、それは長くは続かなかった。


 その時も、エルザは当時の主君を失った。王には血の繋がった弟がいた。その弟が王位を手に入れようと画策し、街にいる強者たちの叛意を扇動して反乱を起こしたのだ。

 当時の王と王妃の夫妻は惨殺。一人娘であった王女は行方不明。弟派閥ではない兵士や貴族も皆殺しにされ、親衛隊であるエルザと同僚達も襲撃を受け、壊滅した。


 親衛隊はエルザ以外は皆亡き者となり、エルザ自身は様々な辱めを受けた。凌辱され、身体を切り刻まれ、四肢を斬り落とされ、鼻と耳を切り取られ、喉を焼かれ、目を抉り出され、口と局部をナイフでほじくり回されて傷だらけに。乳房を切断され、致命傷にはならないような場所に風穴を開けられ……これだけでもまだ一部だ。

 とにかく、人間の所業とは思えないことをやられた。

 その後、捨て台詞として「兄に仕えるからそうなる」という言葉を最後に、奴隷商に売られた。


 日に日に意識が遠のくのを感じ、その状態の酷さから売れるわけもなく、他の奴隷達からも敬遠されていた。その間に、国に対する忠誠心など微塵もなくなり、復讐心が胸中を支配していた。唯一の心残りといえば、まだ十歳にも満たない行方不明になった王女の存在だっただろうか。


 そんな中、現在の主君である悪魔王が数人の部下を引き連れて現れたのだ。自分はその時の護法である茨木童子の目に留まり、買われた。


 それが、エルザと主君の出会いである。


 その後、エルザは時間を戻したように傷を癒され、凌辱された痕は跡形もなくなった。逆に戻り過ぎてアレも戻ったが、それは余談だ。

 唯一の懸念だった王女は主君が保護していたことによって解決し、国に対する忠誠心が無くなっていた身として、自らの命を救ってくれた悪魔王に忠義を示すことを心に誓ったのだ。例えそれが、彼の興が乗った事だとしても、救われたことに変わりはないのだから。


 そんな経験から、死した後も主君に誠意を示すのは当然という思いをぶつけずにはいられない。彼自身の考え方と違うのは百も承知だが、爆発した感情が止まるところを知らなかったのだ。


 堰を切ったように溢れ出る言葉を、狼牙は煩わしそうにしながらも全てを聞き届けていた。

 しかし、聞き届けたとて考えを変えるはずがない。何より彼は鬼だ。戦と酒を愛し、嘘を嫌う流浪人。約定が果たされた今、彼はまた生前のように流れていくはず――


「――だったんだがなぁ……」

「……なんです。もしや、考えを改められる、と?」

「んな訳あるかよ。先刻はあぁ口にしたが、約定は未だ果たされていないってこった」

「……どういうことです?」

回路(パス)が繋がったままだ。これがどういうことか、四大(しだい)と契約して加護を与えられてるテメエならわかんだろ?」

「……それはっ」


 主人とその使い魔、又は式神には彼らを繋ぐための回路というものが存在する。それは、主人の魔力や呪力を糧として能力を向上させたり、魔力や呪力が尽きるまで霊体や高位精神体に仮初めの肉体を付与する力がある。

 悪魔王と狼牙の関係性としては、肉体は別の手段で与えられることで、無駄な魔力、呪力の消費を削減し、能力の向上のみに力を割いている関係性だった。


 どちらかが死んだり、消滅したりすればその回路も無くなる。それが、今尚存在しているということはつまり……。


「そんなわけだ。それ込みの話で、お前を待っていたわけだ。ついてきな」

「どちらへ?」

「魂に精通してる奴が呼んでる」

「魂に……なるほど」


 そうして向かった先でサリエルという死を司る天使に会い、その場にいたアスタロトという悪魔の力でこの世界へと飛ばされた。


 転移が完了した時にはぐれてしまった人物がいたが、今はそれよりも主君を探すことが何よりも先決だった。





 なのだが、自分はいったい何をしているのだろう。


「どうかしましたか、騎士様?」

「……いえ、なんでもありませんよ」


 エルザの顔を覗き込み、不安そうに声をかけてきた少女に優しい笑みを見せてやる。少女はそれを見て安心したように息をこぼした。


 その少女は獣人ではない。薄緑色の髪、未だ幼い顔立ちに、百四十にも満たない矮躯。プニプニと子供らしい肌の所々に覗く傷痕。

 初めは人間のように見えた彼女は、実は鬼人族という数少ない種族であるという。

 初めて見た時はその種族がわからず、聞いてからもはっきりと認識しているわけではない。エルザも狼牙も、わからないけどアイツ(ロード)ならわかるだろう、といった考え方であまり深くは考えていなかった。


 なにせ博識な主君だ。それも、こういった種族などの生物に関連することは歴史や神話と同じく特に知識を持っている。王として君臨するために覚えた、と言っていたため、その考えは間違いではないだろう。


 本来なら、エルザも狼牙のように街中をあちこち動き回り、主君を探しに行きたい。いなかったのなら、すぐにこの街を離れて他の街へ探しに行きたい。


 エルザ達は、主君の魂を過去に飛ばした、とだけしか聞いていない。しかも、小さく誤差が生じるだろう、とも聞いていたため、いったいいつ頃主君が現れるのか認識していないのだ。既に現れているのかもしれないし、現れていないのかもしれない。その辺りは定かではなくとも、とにかく捜索したいと考えるのは当然のことだった。


 だが、この少女の存在がそれを許さなかった。


 遡ること三ヶ月前。アスタロトに狼牙と共に飛ばされた頃のことだ。


 飛ばされたのは今いるルーミラの街外れ。周りは木々に囲まれ、時折吹く風がどことなく不気味に耳に残る。ガサガサ、と揺れる枝と葉の擦れる音がその感覚を助長させた。天を仰げば、丸い大きな月が輝き、枝葉の隙間からエルザと狼牙の二人を照らしていた。


 飛ばされた先で、先ずは周囲の警戒。そして、現在地の軽い調査、持ち物の確認をとった。


 軍資金として決して少なくない量のお金も渡されていたし、生活必需品もサリエルが部下に命じて用意してくれていたおかげで困ることはなかった。

 装備は身に纏っている白銀の鎧と腰に差した剣と、簡素な造りのナイフを数本程度。狼牙の基本の装備は常に手元にあり、腰にてその存在を主張する独特な形状をした片刃の長剣のみだ。


 周囲の索敵は自分よりも狼牙の方が優れているため、彼にお願いする。その間に、主君がよく行っていた地形の把握を行っていた。


 その時、月明かりに照らされてルーミラを囲む外壁を認識。当時は街の名前は知らなかったが、街の近くであることに内心安堵していたのを覚えている。


 それを彼に伝えた時、狼牙の探知網に動く存在を捉えた。

 少し離れた場所。速さから馬か魔獣が数匹。そして、それに追われる者が四人。それだけならまだしも、速度的に子供だろうと宣った。


 なぜこのような場所に、それもこんな夜中に子供が外を出歩いているのか不思議に思った。


 ――取り敢えず、救出して叱らないと。


 そう考えて、狼牙にそちらへ連れて行ってもらうよう頼んだ。


 その日、もしくはその前日は雨でも降っていたのだろう。ところによってはぬかるんだ泥が跳ねた。ビシャッ、という音を耳にする度に、主君が召喚する異形を思い出してしまい、ぶるりと身を震わせる。


 月明かりしかなく薄暗い森の中だからか、やはり視界はよくない。足下もぬかるんでいるとなれば、より注意して行動する必要がある。


 周辺には魔物の気配はなく、代わりに小動物のものらしい小さな気配がぼんやりと感じられた。


 不意に狼牙が立ち止まった。つられて立ち止まると、蹄の音のようなものが小さく耳に届く。そして、それに被せるように下卑た笑い声が木霊した。


「あそこ、ですか」


 ぼんやりとだが、木々の隙間から影が見えた。それは明らかに人を背に乗せた馬のようだ。


「詳しいことはわかりますか?」

「そこまでオレにやらせんのかよ」

「申し訳ありません。ですが、相手が高度な技術を持った魔術師であれば、大精霊の力をお借りした際に気付かれる懸念がありますので」

「ならお前自身で探りゃいいだろうが」

「それが出来るなら私は今よりも上の部隊にでも入っていたことでしょう」

「自分で言うのな。ったく。……今度酒でも奢れ」

「もちろんです」


 二人の間に、飛ばされる前のいがみ合いでの気まずさは全くと言っていいほどなかった。

 というのも、二人がいた場所では軽いトラブルなど日常茶飯事で、どこでも軽い衝突が起こっていたほど。融通の利かない性格であるエルザは、自由奔放な行動をとる狼牙とも頻繁に衝突したものだ。


 そんな経験から、二人の間では多少怒鳴りあったくらいでは意に介さない。それはきっと、二人の種族としての影響もあるのだろう……。


 狼牙は睨むように前方の人影のある位置を見据える。エルザには使えず、呪術をある程度会得している者のみが扱えるという"遠視"だろう。

 それは姿を鮮明に見るのではなく、陰と陽のふたつの気や瘴気といった特殊な判別法で視認する技法。


「……バラバラに散らばった小せえ気。陰ひとつに陽三つ。だが、どれも何か混ざって……いや、だがこの感覚は生成りじゃねえな。となりゃ、獣人か。それなら、何やってんのか察せるわな」

「えぇ。それ以上はもう充分です。ありがとうございました」


 彼の言葉を噛み砕くと、少年が三人と少女が一人バラバラになっているという。その全員が獣人である。

 そうなれば、導き出される答えは自然と絞られる。その中でも現在の様子を俯瞰してみれば、自ずと答えは導き出された。


「救い出しますよ。ここで見逃したのであれば、ロードに合わせる顔がありません」

「もし、野郎が遅え、遅えと苛立っていたらどうすんだ?」

「潔く罰則は受けるつもりです。ですが、ロードは慈悲深い御方。きっと最後には笑って許してくださるでしょう」

「流石は狂信者メイドに次ぐ狂信者だな精霊騎士」

「褒め言葉として受け取ります」


 むしろ面映いと思う自分は何も間違っていないと思う。


 こりゃもうダメだ、と言いたげな顔で肩を竦める狼牙に全員の位置を教わる。そのうちの遠くにいる三人をお願いした。


「上司より人数少ねえんだが?」

「日頃働いていないので、良い塩梅でしょう」


 言って、弾丸の如く疾駆する。その走りは力強く、鎧など身につけていないような速度で駆け抜ける。


 茂みを越え、不規則に立ち並ぶ木々の隙間を抜けると、一人の少年が尻餅をついて恐怖の表情で顔を上げていた。頭部には確かに獣の耳があり、ピクピクと動いていた。


 その視線の先には、馬に跨り、矢を番えた弓を少年に向けている小太りの男がいた。頭は薄く、脂の乗った不健康そうな男だった。


「ははっ! そうら、一匹目ぇっ!!」

「いいえ。外れです」


 少年を脇に抱え、射線から大きく逃れるように跳ぶ。空中で身を翻し、地面に華麗に着地を果たす。


「何者だ!」


 誰何の声とともに放たれる矢。狙いはしっかりと自分を追っていたようで、着地したエルザに向けて飛来した。


 エルザはそれを涼しい顔で掴み止め、強く握りしめることで中程でへし折り、それを無造作に放った。


「名乗るほどのものでは。通りがかりに非道を行う輩が目に入り、止めに入った次第です」

「ふんっ。見たところ、お前は騎士か。私を誰かわかった上での狼藉だろうな?」

「いいえ? 貴殿がいかなる身の者か、当方はてんで認知しておりません。そして、する気もございません」

「私を知らんと? そうなると、貴様はルーミラの騎士ではないなっ? どこの国の者か!」


 この時に、初めてここがルーミラ近郊だと認識した。彼の国はどのような場所かはわかっていたため、すぐに脳内で簡易的な地図が出来上がる。


「今の私には、仕える国はありません。しかし、それは今だけのこと。いずれ必ず、我が王が新たな国を建国なされるだろう。彼の王より、直々に許可を賜られたならば――」


 それは、エルザの妄想なのかもしれない。自分が勝手にそう願っているだけの事柄であり、主君はもう王など望んではいないかもしれない。

 それならそれで構わない。主君がいるならば、その身を今度こそ守り通すと心に誓ったから。


 エルザの言い回しに少し理解を要したようだったが、


「つまり、今の貴様は騎士ではないと?」

「騎士であるか、そうでないかは今は関係ない。問題なのは、貴殿の所業。罪もない幼子に、どうしてそのような物騒なものを向けているのか。ご説明願いましょう」


 少年をゆっくりと地に下ろし、手で身を隠すように指示をする。しかし、腰が抜けているようで動こうとしなかった。仕方なく、自らを盾にするように佇んだ。


 男はそれを聞き、鼻で笑う。馬鹿にしたような笑いは、おそらくここでの当然だという考えが今回の行動に繋がっているから。


 即ち――


「亜人は皆聖敵! 何をしても許され、むしろ称賛される! ストレスの解消にはもってこいな存在だからだ。獣人(ケダモノ)はその中では小間使いとして利用してやっているが、減ったところで問題などあるまい?」

「なるほど。よくわかりました」


 この男がどれだけ下種なのか。彼らの信仰する女神教がどれだけ愚かな宗教なのかよくわかるというものだ。


 この場に主君がいなくて内心安堵する。もし、主君が今の言葉を聞いていれば、間違いなく怒りに身を任せて暴れ出しただろうから。


 しかし、主君の考えも分からなくもない。エルザは寧ろ共感していた。


 悪魔王の主君の臣下として轡を並べた場所は、間違いなく外道の巣窟だろう。なにせ、悪魔や非人間の化物が治める土地だ。人間に対し、大した思い入れもなく、悪行も趣味と断じたり、退屈凌ぎであったりするからだ。


 その中でも良心を残した者は少なからず存在し、虐げられる者をなかなか見過ごせない人物も稀にいる。特に、異種族に対しては顕著だ。


 エルザもその一人であり、人間も好きではないが嫌いでもない。そんな微妙な位置で存在する。主君が敵であると定めない限り、エルザはその手を汚すことを良しとはしない。


 その為、この男の所業を許せないと憤る。表情に出すという未熟はしないが、内側では静かに怒気を増幅させていった。


 チラリ、と背後の少年を横目に見やる。


 少年は悔しそうに歯を食いしばり、男を睨み殺さんとばかりに凝視していた。

 彼にとっても、この行いは許せないのだろう。当然だ。


「その亜人をこちらへ渡せ。そうすれば、先の不敬は不問にしてやろう」


 いやらしく笑いながら男は命令する。それを守るつもりもないことは目を見れば一目瞭然だった。


「お断りします。貴殿のような下郎に、この少年を引き渡すほど堕ちたつもりはない」

「どうしても、か?」

「くどい。すぐに兵を引かせてはいかがか。何をもって勝ちを確信しているのかはわかりませんが、正直不快です。迅速に失せていただけると、ありがたいのですが」

「……どこまでもふざけた女だ。見逃してやろうと言うのに。いいだろう、そこまで言うのならここで亜人諸共死ね!」


 言って、男は矢を番える。


 その動作を見据えていると、不意に足に触れられる感触があった。見ると、少年が自分の足に手を伸ばして震えているのがわかった。


 ――脱出が先決、ですか。


「狼牙様。現状の程は」

『あー、ウゼェ騎士がいんだろ? あれを二匹黙らせてガキを回収した。聖敵だなんだとうるせえったらねえぜ』


 念話で語りかけると、鬱陶しそうな声が帰ってくる。どうやら、もう手を出してしまったようだ。


「何をしてるんですか、貴方は。子供は全員回収しましたか?」

『終わってるっつってんだろ! 二度聞くな!』

「申し訳ありません。細かいところが伝わらなかったので」

『お前、オレが上司ってわかってっか?』

「もちろんですよ、何をおっしゃるかと思えば。私はまだボケるほど歳は食ってないつもりです」

『じゃあ、舐めてんのか。ふざけんなテメェ食い殺すぞ』

「それはともかく、報告を――」


 しようとしたところに男が矢を放った。


 ギュッ、と少年が目を瞑るが、エルザは意に介さず飛来する矢を掴み取り、拾って再使用できないように折り捨てた。


「なにっ?」

「先程、矢が効かないところを確認しませんでしたか、お間抜けさん」


 驚愕に目を瞠る男に挑発を返しておき、念話を再開した。


「――報告は後にさせていただきます。見える位置にあるあの街で合流しましょう」

『構わんが、細かい場所はどうするつもりだ』

「後でまたご連絡させていただきます。ではまた、後ほど」

『のんびり来ていいからな。オレものんびりする』


 そんな声を最後に、念話を切る。


 狼牙は態度や素行こそ問題だが、実績に関してはあまり不安視していない。そうでなければ、主君より直々に蘇生させられないし、直接護法になれと命じられるはずもない。

 戦闘力。この一点に関してだけは、エルザも彼を信頼していた。


「ええい、ならばこれはどうだ!」


 男は腰に手をやりそこから小型のマスケット銃のようなものを取り出した。


 この世界の歴史については一通り目を通してある。その記憶の中からその形状に似通い、流通していたものといえば――


「物騒なおもちゃを持ち出しているものですね」

「ふんっ。これが何かわかっているのは褒めてやろう」

「特に嬉しくないので、丁重にお返しします」


 男の手に持っている物は、恐らく魔銃。使用者の魔力を注ぐと、注いだ属性の弾丸が発射される代物だ。


 確かにそれは危険な道具だろう。指に少しでも力を加えるだけで、人間などあっさりと殺せる。だからこそ、使用者には相応の責任が問われる。


 それを、目の前の男のような下郎が持っているのは、酷く腹立たしくてならなかった。


 銃口をこちらに向け、指に力を込める。刹那、周囲に轟く乾いた発砲音。発射された弾丸には乱回転した風が纏っており、加速度的に速度と貫通力を跳ねあげていた。


 だが、エルザは涼しい顔を崩さず、やおら手を伸ばす。そして、迫る弾丸を側面から軽く払い飛ばした。一瞬だけ眩く火花が弾け、弾丸は明後日の方向へ飛んでいく。


 それを見た男は瞠目する。


「馬鹿なっ!?」


 驚愕の声を漏らし、何度も連続して発砲。その全てを籠手に守られた手の甲で弾き逸らしていく。甲高い金属音が連続して響き、火花がエルザの姿を彩る。


「そんな、ありえない……! か、風魔銃だぞ! なんで生きてる!?」

「この鎧は特別製でしてね。そんなおもちゃでは貫通することはありません。殺したいなら、守りの薄い場所を狙うのが道理でしょう。まぁ……」


 発砲音。次いで響く金属音。


「真正面から撃ったところで、馬鹿正直に当たってはやりませんがね」


 エルザには飛来する弾丸が視認出来ていた。目で見え、反応できる速度であるならエルザが被弾する道理はない。


「くそっ! 誰か、その女を叩っ斬れ!」


 どうやら、己の手に負えないと判断したらしい。大声をあげて招集の命令を下した。

 少しして、遠くから蹄の音が近づいてきた。


「モルド様! 大変です! 亜人共が突如現れた男に全て奪われてしまいました!」

「そんなことはどうでもいい! 他の者はどうした!!」

「そ、その男に挑みかかり、返り討ちに」

「ええい、役立たずめが! まぁいい。お前、その女を叩っ斬れ!」

「ははっ!」


 現れたのはどうやら男の兵士らしい。男と同じく馬に跨り、全身を鎧で覆った男だ。腰には剣を差し、モルドと呼ばれた男に報告していた。

 内容は、間違いなく狼牙のことだろう。それ以外に考えられない。


 男は兵士の言葉を聞き、それ以上の怒りを持ってエルザに向き直らせた。


 命を受けると、男は手綱を操り馬をエルザに差し向ける。


 その直後、馬が動かなくなった。兵士は不思議そうに手綱を操り、腹を蹴りつけたりと躍起になって動かそうとするが、一向に動こうとしなかった。


 ――馬の方がよほど賢いようだ。


 あの馬はおそらく命の危険を感じたのだろう。エルザがどの程度の実力者なのかを即座に認識して、動いた瞬間にどうなるかを直感したのだ。


 兵士は苛だたしそうに舌打ちし、下馬する。

 一歩、一歩と詰めてくるたびに、自分に向けられる殺気が強くなる。

 だが、主君の放つものに比べれば、赤子に等しく、恐怖心を抱くほどのものではなかった。


「少年。動けますか?」


 背中越しに声をかけると、ビクッと身動ぎした後、おずおずと頷いたのがわかった。


「では、合図をしたら後ろに向けて走り出してください。目の前の兵士を撃退したら後を追います」

「で、でも……」

「お友達のことは心配いりません。私の上司が既に保護してるからね。後は、貴方を連れてここを離れればいいだけ。会ったばかりで信用出来ないかもしれないけど、信じてほしい」


 心からの言葉を少年に投げかける。走り出したところを後ろにいるモルドが狙ってくるかもしれない。

 だが、それに対して手はある。故に、五体満足でここから逃がしてやることは可能だと判断した。


 そして、剣を構え、ゆっくりとこちらへ歩み寄る兵士。奴に関して、エルザの敵ではない。別に殺す必要はなく、撃退し逃走の時間を引き伸ばせばいいだけだ。

 それだけなら剣を使う必要もない。


「主人の命令故、そのお命頂戴する」

「おや。やっていることは外道でも、心持ちは紳士のようだ」

「ハッ。何が外道だ。寧ろ我々からすれば、貴殿の行いの方が外道だ。亜人を助けてなんとする?」

「救える命を見捨てるのは、騎士の風上にも置けません。なにより、彼はまだ子供。罪なき命を救う事は騎士の誉れであり、彼ら異種族を守る事は我が主君からの主命である」


 言い終えると、騎士は鼻で笑った。表情は見えないが、全身から嘲りの感情がひしひしと感じられた。


 そして、決して言ってはならない事を口走ってしまう。


「亜人を助けるのは主命? 馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが、それはどうやら貴殿の主君とやらもそうだったようだな。いや、それを部下に命じている時点でそれ以上か! 余程のイカレ野郎だな! 同情しちまうぜ!」

「――ほう」


 低く押し殺した声が辺りに届く。自分でもこんな声が出たのかと思うような殺意に満ちた声音に、騎士はビクッと身を竦ませる。


 怒涛の如く周囲に充満する圧力。濁流の如く押し寄せる凄絶な殺気に、騎士どころかその後方にいたモルドすらも気圧される。双眸は極限まで凍てつき、氷点すらも下回る絶対零度の視線に、騎士の全身に鳥肌が立つ。この場にいる誰もが感じたことのない圧倒的な殺気を天から降り注ぐように浴びせられ、皆自分の感じる重力が増したように錯覚した。


 もしこの場に狼牙が残っていたら、クツクツ、と肩を震わせて笑った事だろう。そして、「自殺志願者が出やがった」と嘲りの言葉と共に嘲笑したはずだ。


 それだけ、エルザの前で主君への罵倒は悪手なのだ。


 誰しも、己の主君を罵倒されれば憤る。だが、エルザやメリーナといった、狼牙が『狂信者』と揶揄する者達は皆、普通以上に怒り狂う。

 これまでにも似た理由で主君を罵倒し、怒りを買った者は多い。


 そんな人物達の末路は、共通して――


「……予定変更としましょう」


 紡がれる、地獄への片道切符。


「貴様はここで――」


 見る者を畏怖させる死神の微笑。


 そして、下される――


「――殺していきます」


 死刑宣告。




 それからの記憶は途切れ途切れでしかない。


 覚えている事は、手に伝わる硬い感触。悲鳴を上げながら許しを懇願する無様な男の声。

 そして、胸中を支配する怒りという感情のみだった。


 気がついた時には、脇に少年を抱えてルーミラの街中を駆け抜けていた。そんな少年もどこか怯えている様子だったのを覚えている。


 その後、狼牙と合流を果たし、事細かに何が起こったか、その時にわかっていた事柄を報告した。

 彼は何か悟ったような顔をしていたのがひどく印象に残っている。


 日を跨ぎ、朝になると保護した子供達を親御さんの下へ連れて行った。

 彼らは皆心から安堵し、両親に泣きついていたのが忘れられない。


 その中のひとつの家族が西区の宿を経営しており、良ければ、と部屋を貸してもらえた。それが現在拠点としている場所だ。


 問題となるのは、モルドと呼ばれていた男だ。最後の方は記憶が曖昧だが、彼の言い分を思い返せば、この街に住む貴族だと推測出来た。

 そうなると、報復として兵を寄越してくることは容易に考えられた。


 その考えは正しく、その日のうちに西区に兵を何人も寄越してきた。


 狼牙と協力して撃退しようとした。元はと言えば、彼が先に兵士を返り討ちにしていたのだ。自分はその後から激怒させられ、うっかり殴殺してしまっただけだ。


 それなら、彼も手を貸す必要があるのは当然だった。


 その筈なのだが……。


「は? 嫌。面倒」


 と一蹴されてしまった。


 そこで彼と少しばかり口論になったが、結局、逃げるように姿を隠してしまい、一人で対応することになった。


 とはいえ、天界との大戦で尖兵の対処を命じられていた身。そこで生き残った人物であるエルザにとって、彼らは取るに足りない相手でしかなかった。


 十人ほどの軍団で現れた甲冑姿の男達を、たった一人で薙ぎ倒した。


 その次の日、倍ほどに増えた甲冑姿の男達を蹴散らした。


 その次の日、また次の日と日が経ち、エルザは一人で敵を圧倒してしまった。一人ぐらいは手応えのある相手はいないかと思ったが、やはり自分と対等に戦える人物は現れなかった。

 終始、剣を抜かずに体術のみで敵を吹き飛ばした事には、よく鍛錬の相手になってくれた主君に感謝の念しか浮かばなかった。


 そんな生活が続き、西区の住人達からも評価が上がり、とある少女と引き合わされた。


 それが鬼人族の少女だった。

 エルザは知らないが、鬼人族はその数がとても少ない種族らしく、奴隷商人達の間でもレア物だ、と言われているという。

 獣人の中にも珍しい種族はいるが、鬼人族は世界で彼女ともう一人しかいないのだといわれているらしい。


 とはいえ、そんなことは露とも知らないエルザと狼牙は、誰この子、という感情しか湧かなかった。


 彼女が見つかると、間違いなく人攫いに攫われると伝えられ、彼女を守るように頼まれてしまったのだ。


 その為、主君を探そうにもここを離れられず、この街を出ようにも動くことも出来なかった。狼牙も狼牙で好きに動き回っているため、探しているのかすら分からなかった。


 今も、自分の正面に座る少女の相手になってやっている。この子を無碍にしようとすれば、最悪見限られてしまうかもしれない。


 とはいえ、別に相手をすることが嫌だというわけではない。彼女の相手をするのは退屈というわけではないのだ。


 普段は彼女に勉強を教えている。物覚えの良い少女だということもあり、次々と教えたことを覚えてしまう。それがどこか面白くて、毎日拙いながらも色々と教えてやっていた。

 最近は、近所の子供も勉強を教わりに来ており、結構賑やかな毎日を過ごしていた。

 近所のカフェやお店などに一緒に向かうことも多く、沢山の子供達や大人達に見守られて毎日を送っている。


 今日もまた、勉強を教えている。今日教えているのは、算数だ。その少女以外に今日は誰もおらず、マンツーマンでの指導だ。


 その時、突然部屋のドアが開かれた。


 入ってきたのは、三ヶ月前に助けた少年の父親だった。

 彼は息も絶え絶えにして入ってくると、慌てたように口を開いた。


「大変だ、エルザさん! モルドの奴、また来やがった!」

「またですか。今日は何人ですか?」

「十人だ。でも、それだけじゃなくて……」

「……何かありましたか?」

「モルドも来たみたいで」

「なんですって?」


 あの男は部下を送ってくるだけで、これまで一度も本人が来たことはなかった。

 最近は、冒険者も頻繁にやってくることが多いが、基本何もせずに立ち去ってくれるため、あまり重視していなかったりする。


「わかりました。この子をよろしくお願いします」

「わかってるよ。奴自身来たんじゃ、この子を連れて歩くことはできないからね」

「本当なら連れて歩かない方がいいでしょうが、それでは息が詰まりますから。この子もストレスを溜めてしまうでしょう。では、お願いします」


 エルザは立ち上がると、少女の頭を一度撫でてから宿屋から出て行く。


 今の日々にこれといった不満はないが、唯一挙げるとするなら、主君に目通りしたい。その気持ちが胸を支配していた。


 先日、この街で主君の気配のようなものを一瞬感じた気がした。もしあれが勘違いでなければ、今すぐにでも会いたかった。


 ――狼牙様は、ロードを探しているのでしょうか?


 帰ってくることも少ない神出鬼没の上司が、きちんと仕事をしているのか。それがとても心配だった。

 いや、きっと彼も探してくれているはず。もしかしたら、既に出会っているのかもしれない。

 それならいいな、と乾いた笑みを浮かべながら思った。


 ――今は、連中を追い返すことが大事ですね。


 エルザはそう一人で納得することにして、モルド達の下へと急いだのだった。

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