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依頼をこなそう・後編

大変長らくお待たせいたしました。とは言っても、ストーリーはあまり進んでおりませんが……。

『店の手伝いをして欲しい』  報酬、大銅貨一枚


 

「いらっしゃいませ! ご注文はいかが致しましょう?」


 昼を過ぎ、本来なら客足が引いていくだろう時間帯にありながらも止まることのないそれを捌いていく快活な声が店内で響き渡る。


「ん~、そうだな~。どれがオススメとかってあるかい?」

「そうですね。このルルーの唐揚げなんて美味しいですよ! カリッとした食感に、噛んだ瞬間に口の中に広がる肉汁! 適度にまぶされた塩にお食事の手が止まらなくなりますよ!」


 中年の男は妙に鼻の下を伸ばしながらウェイトレスの少女にお勧めの品を尋ね、その返答に応じるように腹の虫を鳴らした。


「そうなのかい?じゃあ、それを頼もうかな」

「は~い、ルルーの唐揚げですね! ご一緒に、リコルサラダはいかがですか? これがまたルルーの唐揚げと合うんです! もう、エールが欲しくなってしまう美味しさです!」

「エールが欲しくなるのか……でもまだ仕事があるしなぁ」

「そうですか……それは、無理を強いるわけにはいきませんね……」


 男の返答にシュンとなるウェイトレス。その仕草に男の保護欲がそそられ、仕方ないと言いたげに口を開いた。


「わかったよ。じゃあ、それも頼もうか」

「ぱぁっ! ありがとうございます!」


 満面の笑顔で礼を述べるウェイトレス。その後、注文の確認をし、注文の品を厨房に伝えるために駆けていく。


「ルルーの唐揚げとリコルサラダひとつずつだ。ほれ、早くせぬか」

「なんで今日に限ってこんなにお客さんが多いんだ! あと、ずっと思ってたんだけどギャップが凄すぎるわ、こっちでも猫被っててくれる?」

「貴様如きに何故儂があのような恥辱を行わなくてはならんのだ。すぐに首と胴体を別れさせるか注文に取りかかるか選べ」

「作ります! 作りますぅー! だから、そのどっから取り出したのかわからないナイフを戻してくれませんかねぇ!?」


 一気に人となりを変えたウェイトレス──スケアに依頼主である店長がげんなりとしながら言葉を交わした。


 スケアは昼に突入する少し前からこの店に顔を出し、頼まれた依頼をこなす冒険者であることを伝えた。

 人の口に戸は立てられぬという言葉の通り、店主や他の店員達はスケアのことを知っていた。


 彼らはスケアのことを、『竜殺し』を圧倒した冷酷な女だという話を聞いていたらしい。あながち間違いでもない為に取り繕いはしなかったが、それで仕事に影響を及ぼされるのはたまったものではない。

 その為、初めに仕事中は猫を被ることは伝えた。


 それと共に、『変化』のスキルでその容姿をまだ成人(15さい)したばかりの幼さを残した顔立ちの少女に姿を変えたのだ。もちろん、いきなりそんなことをすれば驚かれる。なので、幻術である、と嘘をついて誤魔化しておいた。

 そして、着付けの手伝いを一人頼み、終えてから仕事を始めた。


 次に店の者達を驚かせたのは、彼らと対峙していたときと、客の応対をするときの態度である。


 スケアは生前ウェイトレス等の仕事をした経験は無い。だが、戦友であり好敵手でもあった『剣神』と謳われた女性が様々な職をバイトとして経験していた様子を見ていたため、どのようなことをすればいいかは少しは知っていた。

 なるべく笑顔を作り、明るくハキハキとしていればいいというのは万国共通だろう。


 あとはそれを続ければ良いだけ。元々演技は得意だったため、今日一日くらいなら耐えられないこともない。


 ──早く終わってくれないものか……。


 というのが本心ではあるのだが。


 もうここで働いて三時間にもなるが、客足は途絶えることを知らない。皆の様子を見れば、普段ならあり得ないことだと言うのはわかる。

 だが、スケアは知っている。なにせ、その原因はスケアにあるのだから。


 新しく入ったらしいウェイトレスがとびきりの美少女で、明るくて話していて楽しい人だ、という風聞が流れに流れて興味本位で足を運んだ、と言う人物が主だろうが、それだけではなかった。


 ──今日も権能は調子がよいな。


 実はスケアは現在、『色欲』の権能を使用中なのだ。

 スケアの持つ権能は幾つかあるが、主に扱うものは七つ。ところによっては、それらを総称して『大罪スキル』と言われているらしい。


 スケアが現在使っている『色欲』の権能は、他者の目を引き付けるという力に関して最適な効果を発揮する。もちろん、本来の用途とは違うが、広義的に見れば効果のうちに入っているために使用した次第だ。

 本来の用途は自身の虜にさせ、それらを信者化させることによって自身を強化するもの。副次効果として、信者と化した者達を傀儡として好きに操ることができる。


 まあ、スケアはこの能力をよく使う。今回のように用途から外れることが多いが、使用頻度が昔から多かったためにスキルの表記もA++という規格外(EX)一歩手前の表記になっているのだろう。


「よし、ルルーの唐揚げお待ち!」

「サラダも出来たよぉ!」

「なぜサラダと唐揚げが同時にできておるのだ……」


 生前、サラダは初めに出ていた記憶を思い出しつつ、完成した料理を持って注文した客のもとへ向かった。


「はーい。お待たせしました~ご注文のルルーの唐揚げとリコルサラダで~す!」


 猫を被ることも忘れない。

 もう既に別のウェイトレスがエールを持ってきていたようで、先ほどの客はエール片手にスケアを迎え入れた。


「いや〜、ありがとう! 確かに美味しそうだ。君もどうだい?」

「お仕事中なので結構です〜。それに、それはお客様である貴方のためにご用意したもの。食べてくれなきゃ、泣いちゃいますぅ」


  よよよ、と泣いたフリをする。直後、男に向けられる殺気の数。店中の客から向けられる敵意ある視線は物理的な圧力を生じさせ、男を大きく萎縮させた。


  ――それにしても、効果覿面よな。


  男に眼を飛ばす者は皆、スケアの信者と化した者達である。

  一度信者となった者は、スケアが解除しない限り信者であり続け、本人達にもそれを不思議だと思うこともないタチの悪い能力だ。


  実を言うと、本人は少し後悔していたりする。

  なんで人間を呼び寄せて本来なら既に終えているはずの作業を大忙しにしていたりするのだろう、と。せっかくこの私が来たのだから少しは売り上げをよくしてやろう、とらしくないことを考えるものではないと痛感した。


  結局仕事は夜に入っても続き、流石に今日の仕事量では報酬金には見合わないだろうという店長の粋な計らいによって、大銅貨を六枚増やしてもらったのだった。

  ブラックな労働環境が横行していた時代で生活していたスケアにとっては、今時――三百年以上も先の話だが――これほど労働者に優しい世界とは珍しいものである。この時代、この世界の生活水準からしても、尚更そう思うのであった。




『俺と模擬戦をしろ!』 報酬、要相談



「来たな。待ちわびたぞ」

「次の依頼を受けようとした時に直接依頼がある、と言われて来てみれば……女騎士と剣を交えるのではなかったのですか?」

「おぉっ、交えるぞ! お前の後だが」


  二十四時間に満たないうちにまたこの男に会うとは思ってもいなかった。しかも、場所も先日と同じ修練場だ。


  確か、FランクからEランクに上がる際、この場でギルドから選ばれた冒険者を相手に模擬戦をするはず。


  しかし、今回はそんな生易しいものではないだろう。なにせ、かの『竜殺し』とそれを圧倒したスケアの従者だ。

  ヴェルグ自身ドラゴンを相手に大立ち回りし、たった一人で討伐したという話があるSランク冒険者。手加減されていたとはいえ、スケアの猛攻を辛くも防いでいたことから実力は確かだ。

  対し、メリーナの具体的な実力は知られていない。大勢の人の前で戦うということが今までなかったからだ。一度、世話になっていた村で盗賊を撃退したが、村民が村から出て来ることも少ない以上、その実力は知られていない。


  メリーナは呆れ混じりにため息を吐き、眼前に仁王立ちするヴェルグをジト目で睨む。


「わたくしと戦ったところで貴方の益にはなり得ないと思いますが……」

「ガッハッハッ! それを決めるのはお前さんではなくオレだ」

「それはそうでしょうが、少なくともこちらの益になり得ません。そちらはどうお考えで?」

「その為の報酬金の要相談だ。始める前に、ある程度金額を決めておかなくてはな。お前さんの良い値段に一歩でも近づけられたら良しだ」


  なるほど、と思った。


  少しはこちらのことを考えていたらしい。

  ただ戦うだけでは彼自身に利益はあってもこちらには何ひとつない。メリーナ自身は主のように戦闘狂ではなく、主を守るために、少しでも力になるべく鍛え上げたにすぎない。


  生前にいた場所ではメリーナ自身自分を強いと思ったことは少ない。とにかく強さの水準が高過ぎるのだ。

  その為、正直な気持ちではそこまで強くない自分と戦ったところで利益にすらならないだろうと考えてもいる。


  だが、主が自分を認め、評価している事実がある手前、自分のその気持ちを態度に出せば主への侮辱となる。

  ならば、それに見合う立ち振る舞いをするべきだろう。

  そう思い、本音はおくびにも出さない毎日だ。


「左様ですか。では、お聞きしますがおいくらほど出されるのか、ご予定をお伺いしても?」

「ふむ、そうだな……。金貨三枚ならどうだ?」

「少ないですね。金貨二十枚はいただかないと」


  口ではそう言ったが、内心では少し驚いていた。

  この世界では金貨は相当の大金だ。余程名の知れた冒険者か貴族以上でないと、まずお目にかかれないもの。金貨三枚あれば小さな家が買えるぐらいである。


  だが、自分はスケアの従者だ。スケアの負担を可能な限り軽減させ、快適な日常を送らせることが使命。

  故に、法外な値段であろうと交渉するつもりだ。


  ヴェルグはメリーナの要求に渋い顔を作った。


「金貨二十!? それは無理だ。こっちにも生活があるんだ! せめて、金貨五枚!」

「Sランク冒険者なのでしょう? それなら、相応のお金は持ち合わせているでしょう。金貨十八枚」

「流石のオレもそんな大金をポンと出せるほどの持ち合わせはない! 金貨八枚」

「おやおや、それでもSランク冒険者ですか? わたくしの知る冒険者はなんの利益にもならない筈の人助けに金貨三十枚以上もポンとお出しくださったというのに……金貨十六枚」

「なんだそいつは!? そんなの初耳だぞ! 誰のことだ!!」

「さて、個人情報ですのでこれ以上は」


  思わぬメリーナの発言に瞠目するヴェルグ。


  彼は知らない様子だが、追及の言葉をすげなく突っぱねた。なにせ、彼は知るはずがないのだ。その人物はその時はまだSランク冒険者ではなく、加えてまだ先の未来の話なのだから。


  ヴェルグは聞きたそうにしていたが、メリーナの様子から話すことはないだろうと考えたのか、仕方なく交渉を続けた。


「仕方あるまい。だが、それはそれ、これはこれだ。こちらにもこちらの生活がある。金貨十枚!」

「金貨十三枚。これ以上はまかりません。そちらにも生活があるように、こちらにもこちらの生活があるので。……それに、どうせ今のうちに稼いでおかねば、すぐにお金を底に着かせる男が合流するでしょうし」


  ぼそっ、と付け足した声は聞こえなかったらしく、腕を組み、悩ましげに唸っていた。


  彼をしてそれだけの金を使わせる価値が自分にあるのかはわからない。だが、ここで逃せば簡単に大金を手に入れる手段を逃してしまう。

  メリーナとしては、それは避けたい。

  だからと言って、要求を覆すつもりは微塵もなかったが。


  唸り始めて十分後、覚悟が決まったのかこちらに視線をやり、嘆息を吐きつつ頷いた。


「……いいだろう。元々、そちらにとっていい値段と言ってしまっていたからな」

「では、先に報酬の方をいただけますか? 戦闘を終えた後、貴方は指一本動かせないでしょうから」

「いや、報酬は終えてからだ。あの御仁の従者だから無いだろうが、金だけ持ち逃げされてはいけないからな」

「確かに。――いいでしょう。始めましょうか」


  ヴェルグの言葉は正論だ。それならメリーナに否やはない。


  宣言と同時にメリーナは距離を取る。構えは取らず、普段の自然体で間合いを開けた。対し、ヴェルグは背負っていた大剣を手に取り、構えた。

  呼吸を変え、体を落ち着かせる。脱力を心がけるようにして、対峙する人間の挙動に意識を向ける。


  先日にも一度見ているとはいえ、彼の構えは実に見事だ。生前、恐ろしく強い人物達に囲まれていた為に実感はないが、それでも見てきた人間の中では上位に組み込まれるほどには実力者だとわかる。


「ハハハァッ! 一目見た時から戦って見たかったんだ!」

「奇遇ですね。わたくしは一目見た時から関わり合いになりたくないと思っておりました」

「それは奇遇とは言わないだろう」

「何を仰いますか。見るからにガサツ、低脳、暑苦しい。このような三拍子が揃った人物と関わりたいなど思いましょうか? いえ、思いませんね」

「低脳は低脳なりに考えるものだぞぅ?」


  お互いに軽口を叩き合いながら臨戦態勢を整えていく。


  メリーナの目からして、ヴェルグは生前のスケアの仲間、『天眼』と呼ばれた男を彷彿とさせた。

  充満する彼の戦意に押し潰されそうになる。並の冒険者なら対峙しただけで尻込みし、戦意を消失させるだろう。


  しかし、『天眼』と比べればやはり物足りなさを感じた。スケアも感じたように、メリーナ自身も少しばかり不満の残る程度の圧力でしかないのだ。


  全身に――主に比べれば拙いながら――魔力を練り上げる。体内の魔力回路をフルに稼働させ、隅々へと循環させる。


  メリーナは魔力を使って身体能力を向上させる戦法をよく取る。それは、彼女が初めて連れられた悪魔王の領地へと足を踏み入れてから感じていた身体能力差を埋めるために身体強化の魔術を行なっていた名残だ。

  獣人は人間を大きく超える身体能力を持つとされる。そのことに間違いはなく、確かに脚力、膂力などは人間に勝る。男女や老若男女に細かな差はあれど、物心ついた頃から同年代の人間を上回る筋力を備える。今のメリーナであれば、人間の男性よりも――ましてや、獣人の男性すらも追随を許さない程だろう。


  そんな種族特性も、かの領地では意味を成さなかった。


  それは何故か。そこは実力至上主義であり、強くなくてはいけないという理念があるからだ。加えて、そこで名を挙げる人物は、皆純粋な身体能力は常識を上回り、各々身体能力以外の能力をも有していた。


  スケアを例として上げてみよう。


  スケアの身体能力は悪魔王との契約以降人間を超越し、悪魔王の能力をも扱えるようになった。その名残として呪術を呆れるような精密さで行い、魔術回路を強引にこじ開けて魔術すらも昇華し、深淵到達者となって第六位階魔術――魔法を扱えるようになった。更には毒の沼や呪いの沼に浸かって遊んできた過去から毒物や呪いに完全耐性を得た。果てには高名な悪魔達のそれぞれから、彼らの扱う権能を授けられている。

  これが生前悪魔王の器として生きた彼女の力。細かく言えば他にもあるが割愛しよう。


  それに比べ、メリーナ自身当時は自分の身体能力以外の力はなく、まだ当時は七歳だった為身体能力も年相応の平均的なものでしかなく、ましてや獣人という種族柄、魔術がうまく扱えなかった。

  今でこそ素の身体能力だけでも人智を超えた存在となっているが、それでも相手によっては強化魔術で自身を強化することは変わらない。


  メリーナは動きやすさを重視し、深くスリットの入っているスカートを一度翻す。そこからスラリと細く、見惚れるような脚を大胆に露出させる。


  以前、スケアは動きにくくないか、と尋ねてきたが、そんなことはない。かの城にいたメイド達は皆、各々のスタイルに合わせた改造をメイド服に施してあるのだ。メリーナの場合はこのスリット。

  これがあるだけで動きやすさは雲泥の差だった。


「見事なものだ。よくここまで鍛え上げたな」

「主様のお力になる為、必要であっただけのこと。その努力を怠ったことは一日としてございません」

「なるほど。奴はいい部下に恵まれたものだ」


  しみじみと嘯くヴェルグに、少々気恥ずかしい気持ちになる。誤魔化すように空咳をひとつ。


「では、参りますよ」

「おぉっ、来い!」


  宣言をすれば、ヴェルグは肉食獣のような笑みを浮かべて応える。その姿が、主と脳筋近衛隊長の模擬戦中の姿に重なり、少し笑ってしまいそうだった。


  暫し睨み合う。どうやら、ヴェルグは待ちの姿勢を崩さず、様子見から入るつもりのようだ。こちらの一挙手一投足に意識をやり、常に最善の動きを取れるように心掛けている。


「来ないのですか? では、こちらから参りますよ」

「なんだ、さっきお前が言ったから待ち構えていたというに」

「おや、それは悪い事をいたしました。では、お詫びとしてひとついいことをお教えしましょうか」

「いいこと? まさか、次にどこを狙う、なんてつまらん話じゃないだろうな?」


  言って、ヴェルグは少し忌々しげに表情を歪めた。これまで戦って来た中で、そのようなことをしてのけた者がいるようだ。

  だが、もちろんメリーナはそんなことをするつもりはない。


「それこそまさかです。主様より、それをするのは相手が戦うに値しない愚か者だけにしておけ、と言われておりますので」

「うーむ。つまり相手によってはするというわけか。まぁ、お前さんは戦士ではないからな。それも仕方ないか」

「主様も時折行いますよ?」

「……そ、そうか。それで……」

「あぁ、いいことですね。――わたくしは主様からとある御言葉を賜っております」

「――っ!」


  ただ一言。まだ重要な部分は語っていない。だが、長年培ってきた第六感と言うべきか、続く言葉が身を大きく危険に晒す事であると即座に認識し、気を引き締め直した。

  相当な重量である筈の大剣を正眼に構え、足を前後に。双眸をギラつかせて全身から戦意をみなぎらせていく。


  緊張した声音で、ヴェルグは続きの言葉を促した。


「それで、なんと言われたんだ?」

「はい。お互い強化魔術を使わない素の身体能力において、わたくしは――」


  地面を蹴る。目にも留まらぬ早業。意識を逸らしていないにも関わらず、その視界の外へ――認識の外側へと逃れていた。

  移動した先は死角のひとつである背後。メリーナレベルでは隙だらけにしか見えないその背中にそっと近付き、


「――主様以上の速さ、との事です」

「ッ――!!」


  咄嗟に背後に振り返り、その遠心力を利用した薙ぎ払い。空気を切り裂き迫る一撃はメリーナには届かず、身軽な動きで軌道上から逃れた。


「ぬぅあああああっ!!」


  追撃。薙ぎ払った動きに合わせて一歩、二歩と詰め、大上段からの重い圧力を伴った一撃。

  しかし、焦る事なく後方へと跳んだ。悠々と肉迫する凶刃を躱し、眼前で空気を裂く鈍い音と、大地に叩きつけられたことで生じる轟音が修練場内で木霊した。

  転瞬、一歩踏み出し眼前にて僅かに地面にめり込んだ大剣を踏みつけ、それをさらに地面に沈み込ませた。


「むぅ!?」


  ――これで武器はもう使えませんね。


  内心そう思った。地面に半分以上埋まった武器など使えるはずもなく、わざわざ引き抜こうとすれば敵に対して隙を見せることになる。ヴェルグほどの男であれば、その辺りの判断はできる筈。


  そう思っていた束の間、思わぬ事態が生じた。

  にやり、とヴェルグがほくそ笑むのと同時に、柄を握る手に更に力を込めたのがわかった。


「これで俺を止めたつもりか?」

「……まさか」

「そのまさかだっ!」


  吼え、持ち得る力をフルに使い、メリーナが乗ったままの大剣を真上へと振り払った。咄嗟に跳び、思わぬヴェルグの怪力に壁際に降り立つことになった。


  人間にしては力が強い。筋肉質な見た目をしているが、ここまで人間離れした怪力を発揮出来るのはこの世界の特徴といっても過言ではないだろう。それは、この世界の出身であるメリーナはよくわかっていた。


「呆れた力をお持ちですね」

「お前こそ、呆れたバランス感覚だな。普通ならあそこでバランスを崩すぞ」

「不安定な足場には慣れておりますので」

「なるほど、それはお見それした――なぁ!!」


  言って、ヴェルグが駆ける。鈍重そうな見た目とは裏腹に俊敏な動きで弾丸の如く距離を詰めてくる。その速度も、一歩、一歩と近づく度に速くなっている。


「"限界突破"! "能力促進"! "敏捷向上"! "筋力増加"!」


  それは魔術ではなく、意識的に肉体のリミッターを解除し、自身の能力を向上させる秘技。スケアと戦った際は"限界突破"だけだったが、今回はそれ以外にも三種の秘技を発動したらしい。


「その力は肉体に無理な負担をかけるものと聞いておりますが……なるほど。確かに随分と強化されているようですね」

「喰らえぇええっ!!」


  裂帛の気合を乗せた猛攻。両手で扱うような武器を、時に片手で、通常では考えられない速度で振り回す。突き、薙ぎ払い、上段、側面を使った殴打。時に混ざる蹴り足。無慈悲で暴力的な暴風が襲いかかる。

  練り上げられ、培われた技術を遺憾なく発揮する姿には、確かにSランクと謳われるほどだと納得できる。


  しかし、


「まだ鈍いですよ」


  メリーナには当たらない。生前はもっと速く動く人物はいくらでもいた。なにより、かの大戦ではこの程度の技量ではすぐに殺されて終わるほど。悪魔王の城に働くメイド達でも、もっと強く、もっと恐ろしいのだ。

  そんな存在と戦っていたメリーナにしてみれば、息をつく余裕すらあった。


  迫る連撃を全て紙一重で避け、ゆっくりと前進する。


「くっ……馬鹿な……っ!」

「普段とは違う戦い方ではありますが、それにしても少し攻めづらいです。貴方はとても手強いですね。――人間にしては、ね」


  言い終えるや否や、メリーナの地面が爆ぜる。次の瞬間にはヴェルグの殺傷圏内から逃れ、眼前に唖然とした彼の姿があった。


「しまっ――」


  抜けられると思ってはいたらしいが、まだ意識が足りない。突き出す拳。狙いは右肩。空気中に小さな障害を感じつつも放たれた一撃に、慣れ親しんだ感覚。しかし、拳に感じた衝撃。肉を打つ感触に僅かな違和感を感じた。


「……主様のようにはいきませんか」


  殴られた箇所を押さえ、呻きつつも後方へと逃れる。その際にも必死に柄を握りしめて武器を手放さないようにしていた。その点は、スケアから高評価を受けるだろう。


「ぐぅ……これほどの一撃を放っておきながら、何をいうか」

「言いますよ。主様ならば、今の一撃であなたは動けなくなりますので」

「なんだと?」

「主様はお若い頃――もちろん、今もお若いですが――十代半ばの頃から様々な体術を学んで参られました」


  魔術だけではいけないと判断したスケアは数多の体術を身につけ、相手取り、そうして様々な技術を体得してきた。その中には中国武術もいくつか身につけている。


  例えば太極拳。それは太極思想という東洋哲学の重要概念を取り入れた中国武術のひとつであり、スケアが育ての親より教わった暗殺術の三つあるベースのうちのひとつだ。


  そして、先日のヴェルグとの模擬戦で見せた八極拳。八極――八方の極遠まで達する威力で、相手の門――即ち、相手の防御を破ると言う理念を持った武術であり、数多ある中国武術の中でも屈指の破壊力を持った武術である。

  スケアはこの八極拳を中国武術の中で特に好んで用いており、生前の環境と比較して足りないと感じていた破壊力を補う目的で扱っていたのだ。


  そして、中国武術では点穴と呼ばれる技術が存在する。点穴とは、人体に備わっている数多くの経穴を衝き、身体の気の流れを堰き止め、体の自由を奪う技法のことだ。

  メリーナが行おうとしたのもそうだ。狙ったのは肩井(けんせい)穴と呼ばれる経穴で、そこを突けば全身を脱力させて自由を奪う効果があるのだ。結果は失敗したわけだが、スケアであれば今ので戦いは終わっていた。


「――つまり、ケイケツ? とやらを突こうとしたが、お前は失敗した。だが、スケアは今のを失敗せず一撃で俺は動けなくなる、と?」

「はい」

「うむむ……いまいち実感が湧かんが、確かに腕が痺れている。これがそうというわけか」

「いえ、それは単に打たれた箇所が痺れているだけかと」


  正直、筋力という面も、単純な数値は実はスケアよりもメリーナの方が高い。生前の数値が確認できた当時からそれは変わらなかったのだ。だが、痛みを生じさせるのはスケアの方だった。緻密な体重移動に呆れるほど卓越された彼女の技術が合わさり、身につけた技術を操り立ち塞がる相手をなぎ倒して来た。

  それに比べれば、単純な体重移動を伴った一撃であれば同等。技術で挑めば彼女よりもダメージは少ないのが現実だった。


  今回のヴェルグを捉えた一撃は、ただの体重を乗せただけの攻撃。痺れはしてもそれ以上はならないもの。少し経てば支障は無くなるはずだった。


  打たれた周辺の腕を揉みほぐし、少しは回復したらしいヴェルグは仕切り直すように構えた。


「いまいち凄さがわからんが、続けようじゃないか! 俺を動けなくさせるのだろう!」

「では、お言葉に甘えて――」


  言い終えるや否や、目にも留まらぬ速さでヴェルグの総身に衝撃が走る。弾丸の如く疾駆したメリーナが懐に潜り込み、一瞬だけ溜めた拳を放ったのだ。


  村でスケアに再会した時に盗賊に繰り出したものと同じもの。力を溜め、繰り出した一撃にて生じる衝撃を体内で暴れ回らせ、肉体を内側から暴発させるメリーナ独自の技法。

  今回は溜めの時間が短かったため、爆発するには至らなかった。

  しかし、例え少しの溜めであっても殺傷力は高く、相手は苦しそうに呻き声を上げた。


「なん、だ……今、のは……ぁっ!?」

「呆けている時間はありませんよ」


  追撃が速い。ヴェルグは息つく暇もなく肉薄する蹴撃に慌てて横っ跳んだ。間合いが開かれても関係ないというように、流れる動作でその後を追う。


  横っ跳び、受け身を取ってからの行動は速かった。すぐに起き上がり、向かってくる相手を迎撃せしめんと大剣を振るう。通常では考えられない速度で応戦するも、やはりメリーナを捉えることができない。迫る刃を潜り抜け、幾重にも織り成す剣線を体捌きで躱し続ける。


「お前も、機動力を主体とした輩かっ!」

「舌を噛みますよ」


  ヴェルグの絶叫に答えず、次の瞬間には懐に潜り込み、ガラ空きの腹部に強烈な前蹴りが深く突き刺さった。


「ぁ、が――っ!?」


  内臓を傷つけたのか、口の端から血のあぶくが零れ落ちる。


  しかし、そんなものは戦いにおいて関係ない。メリーナは止まることなく、拳を放ち続ける。

  とにかく距離を開けて戦況を有利に進めたいヴェルグが遮二無二捌き、逃れようとするも容易くいなしてしまう。肩口からぶつかっていけば、その肩に手をつき、逆さの体勢から空中で身を捻っての蹴撃。逃れたと思っても追い縋るメリーナになかなか体勢を落ち着かせられない。


「――くそ!」

「そろそろ、終わらせましょうか」


  直後、メリーナは更に速度を上げる。その速度は先日のスケアを確かに追い越し、ヴェルグの視界から完全に消え失せてしまっていた。


  そしてそれが、その日のヴェルグの最後の光景だった。


  軽くメイド服についた埃を払い、眼前にて倒れるヴェルグの道具袋から、当初の取り決めであった金貨十三枚を貰って宿へと戻ったのだった。

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