雪の降る週末に、お風呂に浸かる話
マッサージじゃないです。
お風呂に入るだけ。
寒い季節になると、湯が恋しくなります。
雪路を果てしなく歩いている時。駅で待ちぼうけを食らっているとき。外でタバコを吸っているとき。
寒くて手を擦り合わせても温かくなるのは一瞬です。
新雪を蹴散らして家路につく頃には、この冷たいものは自分の体なのか、はたまた外の空気なのか、わからなくなるほどになっています。
感覚のあまり残ってない指で、ポケットのこれまた凍てついた鍵を取り出します。
がちゃん、という鍵の開く音は、思ったよりも響きません。敷き詰められた雪が音を吸うからです。
薄暗い部屋に入ると、アロマランプが目につくのでそれを点けます。
カモミールとベルガモットに本の少しパチュリーを混ぜてるので、春の湿った土に落ちた、柑橘類の臭いがします。
バスルーム、及びリビングには床暖房がついているので、それをつけます。静かな部屋に、給湯のアナウンスが響きます。バスタブは毎日洗っているので、軽く流して栓をし、お湯を溜めます。
昨日のラベンダーの湯の残り香が、僅かに香ってきます。
キッチンのコーヒーメーカーをつけておきます。部屋を軽く片付け、エアコンをつけ、あとはくつろぐだけにします。
足の短いテーブルと、通販で買ったふわふわの背もたれつきチェアの位置を整え、ランチマットを置きます。
開いたカーテンからは深々降り積む雪が見えるので、そのままにします。冷蔵庫にはよく冷えた優秀な白ワインと、パテがあります。
コーヒーメーカーが立ち上がったので、カプチーノを淹れます。とたんにコーヒーの香りが漂います。
リラックス効果がありますから、それまで知らず知らず緊張していた体のあちこちが、緩んでいきます。
湯船がたまるまで、カプチーノをすすりながら待ちます。
その頃には、床暖房が仕事をしてますので、感覚のなくなって久しい足裏にも、じんわり温もりが帰ってきます。
血の巡ってくような、細胞がほぐれてくような、その感覚に少し身震いします。
続いて、熱いカプチーノが喉を降りていって、胃の中に暑い液体が留まってることがはっきりとわかります。
胃が暖まると、途端に眠気が襲ってきます。抗いがたい眠気に、まぶたが降りてきて、危ないのでカプチーノはテーブルに置きます。
あわや寝てしまう、と言う時に、恭しくアナウンスが流れます。
そう、湯張りのアナウンスです。
緩慢な動作で、バスルームへと向かいます。
よく暖まった前室の、チェストの上に寝巻きとバスタオルを置きます。
戸棚から、今日は檜のウッドブロックを取り出します。
湯船に浮かべれば、たちまち素晴らしい檜の香りがします。
それを両手で5つほど持ち、静かに湯船に浮かべます。
檜の香りをよく吸い込みながら、今日の出来事を思い返します。
掛け湯を二回、まだ帰って来て間もないですから、体の冷えた部分には少し熱く感じられます。
本当は湯船に浸かる前に体を洗いたいところですが、今日のところはよいでしょう。そろりと足首までを湯船に入れると、たちまち鳥肌が襲います。
それは湯に触れた部分から徐々に侵略し、頭のてっぺんまで僅かなタイムラグを持ってして届きます。
思わず唸って、ゆっくりと他の部分を沈めます。膝、腰、お腹、肩、と順に沈め、立ち上り香る蒸気を目一杯吸い込みますと、うっとりと目を閉じます。
ちゃぷ、と湯の踊る音だけが聞こえます。
ふぅ、と息をつくと、一気に緊張がほぐれて湯の暖かさにまどろみます。
ゆっくり浸かって、のぼせる寸前まで体を暖めます。湯船を出て、ざっと体を洗って、また少し湯に浸かります。
うろ覚えの鼻唄などを途切れ途切れに歌いながら、また湯中り手前までゆっくり浸かります。
足を出すと、長く浸かれます。
そして、本日の酒と、肴を思い浮かべ、空腹を思い出します。
週末で疲れたので、湯船を洗うのは明日にします。
湯船を出てバスタオルで体を拭きます。
パジャマに着替え、冷蔵庫から白ワインとパテを取り出します。
バケットを切り、オーブンで暖めます。
準備ができたら、テーブルに品よく並べます。素晴らしい焼き加減のバケットに、たっぷりとパテを盛り付けます。
窓の外に降り続ける雪が、いっそうの静寂を演出していますが、暖かな部屋から眺めるとなかなか乙なものです。
白ワインをよく空気を含ますように継ぎ、グラスを目の高さまで掲げます。
それでは、今週よく頑張った自分に、乾杯。