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やっとボックスの中から出てきたのは、今と口調がほんの少しだけ違うモナだった。これが私たちの邂逅。さて、私は瞑っていた目を開いた。瞑想からの脱却。深呼吸。半眼。そして……。刮目。眼下に広がるのは、これよりマシな世界であってほしい。つまり弱い敵? 否、愉しめる敵。モナの作ったシート。モナの体の一部をそっと撫でる。あの日以来、ずっと仲の良い、最高の相棒でいる。――空の上でも。魔術的特異点の前であっても。 ええと、さっき止めておいた話をしようか。完全に瞑想が覚める前に自分に言い聞かせてみよう。戦いの思い出から、追体験を十分にさせてもらった。予言の書とルーベック教授が読んでいた本には、いつくかの宗教(確か、技術的特異点を迎えていない、時代の古くて強い迷信のこと)の絶対的な公理集になっている、聖句のような形式で予言がなされていた。今となっては死んだルーベック教授以外の誰も読むことができない。その文字は、現代使われていないもので書かれているからだ。しかし、彼がしたかったことは分かる。彼は、この時代の宗教を作った男なのだ。信者数は今のところ彼一人。私は信じきれないでいる。これは幸か不幸か。その予言の書には、最初に予言の書を持っている人間が飛蝗に喰まれる句がある。飛蝗は、時に、群がる骸骨を意味することもある。「創聖の(ヴァ)書」にその注釈が載っている。預言は成就されたのか? 予言が教授によって達成されてしまったのか? その後、私たちは痛いほど知ることになる。さて、あの日の答えは、つまるところは二択。――ゲーベル博士に任せて、魔術的特異点は放棄すべきだった。――ルーベック教授に任せて、魔術的特異点を調査すべきだった。という訳ではない。私があの予言書を一部信じているのは、ゲーベル博士のジークムント・エフェクトとルーベック教授の予言書の両方がないと、今回の結果は生まれたなかったということ。聖句は成就するためにあるということ。ゲーベル博士とルーベック教授は、第(N)一(I)帝国(C)と第三帝国の大きな力に負けた。または第四帝国……。4つの力が働いていた可能性がある。『力が働いていて、なお調和している』昔流行したという、『新興宗教の勧誘の手口』にあった文言だ。確かに、何か運命めいた、奇跡めいた印象を与える文言でもある。私は、未だに最終的に結論づけられていない。創造主はいるのか? 運命はあるのか? 果たしてそれは? 切り開くもの? 手を伸ばすもの? 無条件で信じ抜くもの? 刈り取られる? 弾き返される? それとも――。瞑想は時に衒学的な思考を生み出す。たとえそれが、有意義だろうが無意味だろうが。




