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「あれが魔術的特異点だ。『夜』君。あれが見えるかね?……おっと失礼。特務80(はちまる)に属しているのだから、見えるかどうかは不躾だったか!」
ルーベック教授が特異点を前にして。……そう、すっごく堂々と自信たっぷりげに尋ねてきたんだった。 確かに私は『夜』だけど、まだ『夜』じゃなかった。ただ与えられた命令を淡々とこなしていた時代。 あれは特務八〇の作戦開始時間が一三〇五、昼だった。やけに嫌な湿度を持った曇天。粘りつくように体を覆う大気。やけに静かな、しかし明確な何かを感じ取ることができた。あの組織に属していた頃と、今、どっちが鋭敏な感覚を持っているだろう? ――特務八〇、United Country Of New Inter Continent、新大陸間合衆国の狩猟犬 。第(N)一(I)帝国(C)の精鋭たち。集められた超人で構成される特殊部隊。そこに所属していた時代、私は『夜』という暗号で呼ばれていた。それは今を思えばどうでも良い。が、当時は名誉ある名前の一つでもあって。特殊な才能を持っている人間だけが、自然からの由来のコードネームを貰えたんだ。
「現段階の技術をフル動員しても、特殊な特異点としか分かっていないアレですね」
分からないものは、ただ「分からないもの」として扱う。科学の基本だった。私は、確かそんな風に、極真面目に答えていたはずだ。
「あっはっは。確かにそうだ。さて、君はあれを見て何を考えるね!?」
教授は、白いひげを何度も撫でては、目を丸くさせて聞いてきた。
「――希望です」
それは率直な意見だった。
「あぁっはっはっはっは! そうだ、その通りだ。だがしかし、そう答えたやつは一人もいなかった!」
ルーベック教授は腹を抱えて笑っていた。彼は、第(N)一(I)帝国(C)の上級技官だった。
「優秀な部隊故かなぁ。こんな意見が返ってくるのは。いやぁ、愉快愉快。では、こんな質問なんてどうだろうかな。君は未知の物と遭遇した場合の最適解はなんだと思うかね?」
私に向かって、確かこんな質問をしてきたんだ。
「離れる、逃げる、余裕があれば観察して得られるものを得る。こんなところでしょうか」
これはゲーム理論で考えた。
「そう、君は『よく調べて何かを得ること』を選んだんだ。さっきの問いにもな。進化できるタイプだなぁ」
ゲームや映画じゃあるまいし……ってこの時思ったっけ。
「教授、進化できるタイプとはどういうことですか?」
当然、私はそう尋ねた。進化できない人間はいない、長期的に見れば。だから自然と。
「原始人の中で、臆することなく火や石器を扱えたものは己の(フ)人生を最適化できた。ただ、そうそう、未知は危険でもある。避けようだの逃げようだという判断は間違いではないが、最適解ではない」
そんなことをルーベック教授は言っていた。ルーベック教授は特殊特異点の専門家としてオブザーバー参加していたはずだ。そこに割り込むのは、ゲーベル博士。博士は第三帝国の特異点の権威でもあった。今はどうか知らないけど。ああっ、知ってた、っていうより思い出したって感じ。――死んじゃったんだ、ゲーベル博士。
「ルーベック教授、危険か危険でないかは先に調査しなくてはならない。その上で決定するべきです!」
両手を使ったジェスチャーが激しいゲーベル博士。どうしても説得したいらしかった。
「ゲーベル君、恐れていては科学は発達しない」
堂々と構えるのはルーベック教授。
「私は無謀なことを考えているのならば、一度保留にしてほしいと言っているのです」
ゲーベル博士は返す刀でこう言っていた。科学者同士の口論は、正直、今でも苦手。論理にヒビが入っていても、それを隠して話さなくてはならない、論理屋の性。
「保留にするぅ?この展開された部隊のことか? それとも調査のことか? まさか両方か?」
さもありなんという顔をしていた。
「他に何が考えられる!? もし敵性を持った存在が出てきたらどうすのです? 戦うとでも言うのですか!?」
ゲーベル博士は真剣な顔だったはずだ。
「今、君が言った通りなんだよ。敵性を持った存在が出てきた時に部隊には戦ってもらう。
ゲーベル博士、あなたの脳はご機嫌斜めかね?」
「あなたはアステイン教授の名訓を知らないのか? 『もし宇宙人が攻めてきたとしよう、人類ができることは一つだ。祈るしかない』 つまり、人類は何もできない、未知に対しては祈るような姿勢で臨んでいいはずだっ! それになぜ『魔術的特異点』だなんて個人用語を皆に伝えたのだ?
ルーベック教授、もしかしたら……。 あなたの家に伝わる、あの胡散臭いオカルト本のせいですかっ!?」
「胡散臭くもオカルトでもカルトでもない。長年の戦争の最中では貴重な情報は失われる場合がある。




