19.獺祭の罠、かかるアル中
連れて来られたのは、ボロいビルだった。住宅街やら、他のオフィスなんかもあるなんでもない場所なんだけど、さらに奥に入った陰気臭い感じの場所で、ここだけ空気が淀んでいる気がしなくもない。ビルの前で車が止まり、つばやさんたちは揃って車から降りる。慌ててついて降りる。
外付けの階段を上った3階の、「金融 バチ」と書かれたドアから中に入ると、それほど広くはない事務所の中央に、デスクが6ほど固められている。その奥に少し整った感じの社長室。もうここまで来ると察しざるをえない。
ヤクザの事務所じゃねぇか!!
「………つばやさん、わたしおうちに帰りたいです」
「まァまァ、適当にどっか………あ、応接間?があったな、そこにでも座っとけ」
デスクの後側には、まあ普通に簡易のキッチンのようなものがあったり、その隣に確かに応接間っぽいのはある。デスクを挟んだ2つのソファ。なんかもう血の気が引きそうだ。ここでどれだけの人間が今まで血を流したんだよ。
ソファに座っていると、アゴじゃない方がコーヒーを持ってきた。あれだけビールを飲んだのに、いろんな意味で酔いが冷めたわたしは、ぺこりと頭を下げる。
「あの、わざわざ来てくれてありがとうございました。申し遅れましたが、阪奈みかるといいます。つばやさんをお嫁にもらう予定の者です」
「いえいえ、とんでもない。俺は西田といいます。…………副社長を嫁にもらうって正気っすか」
「多分正気だと思うんだけど……」
ゴクリ、と乾いた喉にコーヒーを流す。薄いインスタントの味。ああ、帰りたい………。それに今更、擦り傷やら切り傷、打たれた頬とかがジンジン痛み始めた。アドレナリンがジャンジャンバリバリ出て、痛みを今まで感じていなかったらしいけれどこれは普通に痛い。絆創膏貼りたい。
「つばやさん、どこいきました?」
間が持たなくて聞くと、西田さんは少し困ったように言う。
「ちょっとやることがあるとかで……。多分すぐ戻ると思うんですが、多分聞かないほうがいいかと」
「あ、はい」
察したわ。あの陰険ジジイとなんとか玲奈にキッツイ報復の準備でもしてるんだろう。そこまでしなくてもいいんだけど、聞いてくれる人じゃないと思う……。言うだけ言ってみようか、ううん。
「…………朝熊さんは?」
「いるよーん☆」
ひょっこりと顔を出した。出やがったな、朝熊。……と、悪態をつくのは心の中にしまいこんで、
「朝熊さんもありがとうございました」
改めてお礼を言う。朝熊さんはけらけらと笑いだした。
「みかるちゃん、シラフだとしおらしいね〜」
「や、やめてください、気にしてるんです!」
「シラフでも頭おかしそうだけどね」
「もう、あんなに今日ビール飲んだのに……お酒がほしいです」
「みかるちゃんの肝臓、売れないだろうねえ」
「朝熊さんまでヤクザジョークやめてくれませんか!なんか場所が場所だし、冗談に聞こえないんですけど!」
にっこり笑う顔も裏がありそうで怖い。俳優みたいな顔しやがって。ああ帰りたい帰りたい帰りたい、お酒飲みたい、帰りたい。
コーヒーはいつの間にか空になってて、今って何時だろうと取り出そうとしたスマートフォンは無残にも破壊されたことを思い出した。また萎えた。スマホ壊されたんだ……もうあの組ごと壊されちまえ、わたしのスマホのように。一瞬気の毒に思ったのが嘘みたいにイライラしてきた。
朝熊さんが、「あ、鍔夜いつの間にどこに行ってたんだよ」と口を尖らせる。戻ってきたつばやさんを見て、ちょっとびっくりした。あの時はアドレナリンのせいで気づかなかったけど、つばやさんも大概な感じでボロボロなのだ。高そうなジャケットは破れてるし、なんか銃弾のような穴まで空いてるし、顔も身体も返り血なのかそうじゃないのか、とりあえず血まみれでぎょっとしてしまった。
擦り傷、切り傷ぐらいで泣き言を言ってた自分が恥ずかしくなる。
「……つばやさん、怪我」
「あ? 大したことねぇよこのくらい。ほとんど返り血だ」
「い、生きてる? ゾンビじゃない?」
「ピンピンしてるわ。ゾンビはむしろこれから殺す。楽しい楽しいバイオハザードだ」
ゾンビってあのジジイのことだろうか。バイオハザードとか、やめてあげてほしい。ようするにフルボッコじゃないか。
そうだよなー、と見上げて思う。つばやさんは別に、なんとか玲奈が言うような、完璧男前イケメンヤクザなんかじゃない。平気でこんな、おちゃめな冗談も言う、しょうもない人なのだ。
………やっぱり、つばやさんの権力だとか、美貌?とか、それ目当てなら、私に譲って欲しいと思う。もったいない、こんな面白い人を、そんな視点で見ちゃうのは。
「………つばやさん、すきだよ」
シラフのまま、真面目に言ってみる。朝熊さんがにんまりし、西田さんはなぜか恐怖で怯えた。つばやさんは、ニッコリ笑う。でも、そのニッコリにドス黒いのが見え隠れするのは気のせいでしょうか。
「俺も、みかるが好きだ。むしろ愛している。だーいすきだ」
「なんか、嬉しいのに嬉しくないのはなぜでしょうか!」
「俺のこと、好きだな。いまそう言ったな」
嫌な予感がする。血だらけの齋藤鍔夜、こんどの笑みは真っ黒だった。
「なら、俺と住んでもらうことに異論はねぇな」
「は…………………?」
冷汗か、変な汗がダラダラでる。私の目が泳いだのを、獣は見逃さなかった。
「………アパートを解約した。部下に引越し作業やらせてある。ちょーっと、みかるちゃんに聞きたいことが山ほどあんだよ。お風呂に入ってキレイにするのは、それ終わってからな?」
「ま、まって! せ、せめて引っ越しは自分でさせてください、え、いや、というか、やめてください! いやです! わ、わたしあのボロアパートが結構気に入ってて!」
「もう遅いんだよ。お前の顔、ヤクザに割れてんだよ。あのままボロアパートにいたら、お前ぶっ殺されてたぜ?」
「うそじゃそんなの! 今まで、なんとか玲奈以外に襲われたことないよ!」
「そォだなァ、だって俺が全部片付けてたもんな。お前に近づこうとする奴は」
「………?? ん? どういうこと?」
「そのまま言った通り、兆候のある奴ら及び、お前の半径何百とかに近づく奴は殺した」
「………? ん? 半径?」
「それはこっちの話だ。今まで俺は、ちゃーんとお前を守ってやってたんだが、でかい組織が動いた以上、そこまで手が回らねぇんだよ俺も。だから、俺のセキュリティ抜群のマンションに来てもらう方が助かる」
煙草をふかす、つばやさん。こいつ、何を言ってるんだよ!
めちゃくちゃ言いやがって!
「なあ、『みかるのために俺はこーんなにやってやったんだぜ』みたいな顔して話してるけど、全部つばやさんがヤクザなせいじゃん!」
「仕方ねぇだろそれは。腹括れお前もいい加減」
「………………いや、なんでわたしが怒られないといけないんだ!」
納得できるか!
部屋までガサ入れされてよぉ!
ふざけんなよこのヤクザ!
怒ってプリプリした私に、つばやさんは「仕方ねぇな」とため息をつく。
「脇山、あれを持ってこい」
「へい」
脇山さん(アゴさん)が、何かを持って入ってきた。
なんだよ、物で釣ろうったって、そうは行かねぇぞ!
と、睨んだのに、目にした瞬間、その美しくまばゆい光に目が眩み「アアアア!」と顔を覆う。だって、入ってきた瞬間、脇山さんの持って入ってきた、桐の箱!!パァァァと後光が指したのだ!筆で記された文字が、光って見えないよ!!恐る恐る、眩しい光で眩んだ目を、手で覆いながら、少しずつ目を開ける。
『純米大吟醸 獺祭』
「齋藤鍔夜様」
「なんだ、阪奈みかる」
「ふつつか者ですが、以後よろしくお願いします」
三つ指をついて頭を下げた。
つばやさん。
獺祭はアカンよ。
のんでみたいなぁ。獺祭。