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第二章 エロ菩薩誕生

 和彦の除霊に成功した丈二は、すぐに大覚に報告した。

「先生、やりました! 和彦に憑いていた色魔を九字で追い払ってやりました」

「そうか、よくやった。これでお前の級友も破滅の人生を送ることはあるまい」

「はい。友達を救うことができて、マジうれしいです」

「魂を磨けば、それによって得た霊力により人々を救えるのじゃ」

「はい。でも、この仙里村には救わねばならないような人はおりません」

「当たり前じゃ。仙里村は日々戒を守り、修行に邁進する清らかな人間の集まりじ

ゃからな。救わねばならないような者は一人もおらん」

「はい。だから、つまらないです」

「なんじゃ、それは」

「僕はもっと修行で得た霊力で人々を救いたいんです」

「なんじゃと? 人助けに明け暮れて命を縮めた前世を忘れたのか。またしても、

そのおせっかいのカルマを出して短命に終わりたいのか?」

「いえ……わずか三十三で死んだのはマジ無念です。今生はそんな人生は送りたく

ない」

「それだからこそ、そのカルマを脱却するために自己の修行に専念できるこの仙里

村に自ら望んで生まれたのだという事を忘れてはならんぞ」

「トシなのに長ゼリフを一息でおっしゃいましたね」

「ああ、修行により……ほっとけ」

「とにかく僕はせっかく獲得した霊力を、もっと人助けのために使いたいという願

望が抑えがたいのです」

「どうしても短命に終わった前世の二の舞をしたいというわけか」

「いえ、テキトーに休みながら人助けをして、長生きもしたいです」

「愚か者め。お前は人が好かったがゆえに、間断なく訪れる相談者を追い返せずに

応対をし続けてしまったのじゃ。今生も同じ立場になれば同じ状況になるに決まっ

ておる」

 確かに、突然の不幸に襲われ駆け込んできた人達の相談を断る自信はなかった。

丈二は眉を寄せて黙り込む。

「分かったようじゃな。前生の繰り返しをしたくなければ、皆と同じように村にと

どまり修行に専念することじゃ」

「嫌です! 僕は業想念うずまく都会に出て、多くの人々を救いたいんだ」

「これだけ言っても分からんか! それはお前のカルマから来る単なる衝動に過ぎ

ん」

「先生には僕の気持ちなんて分からないんだ。失礼します!」

 これ以上、老師の前にいると説得されてしまいそうで、丈二はあわてて席を立っ

た。

「ったく学習能力がない奴じゃ」

 大覚は若い弟子の行く末を案じてシワ深い顔を曇らせた。


 前世からのおせっかいに目覚めた丈二は、日曜の早朝から家を抜け出し、近くの

吊り橋にやってきていた。

 それは深い峡谷に架かった、幅が一メートルもない粗末な吊り橋だった。かつて

対岸に小さな集落があったのだが、今では空き家のみが点在している。実は『自殺

の名所』のリストに載っており、今まで何人もの人がここから身を投げていた。

 昨日の道場における瞑想時に、この吊り橋にたたずむ若い女性の姿を霊視したの

だ。地元民も滅多に使わない吊り橋である。自殺のために訪れた旅行客としか思え

なかった。

(これは助けねば)

 若い女性だから助けようと思ったわけではない。オバサンや野郎なら無視したと

いう事もない――たぶん。

 前生において何らかの因縁があったからこそ、その女性の危機をキャッチしたの

だ。そして、これが何か自分にとって人生の重要な転機をもたらすかもしれない、

と丈二は感じていた。

 丈二は緊張と同時に妙な期待感を抱きながら、吊り橋付近の茂みに身をひそめた。

 ところが二時間、三時間と経っても誰も現れない。自分の顔によく似たタヌキが

一匹通っただけである。ウンコ座りをしているうちに本当にウンコがしたくなって

きたが、我慢した。

 昼時を過ぎても人っ子一人現れず、腹が鳴り出した。忍耐の限界に近付いてきた

丈二は、疑念を抱き始めた。

 瞑想の際に観た女性の姿は、単なる妄想だったのだろうか。しかし、単に自分の

欲望が作り出した女性にしては、ジーンズに半袖のシャツといった全く色気のない

恰好だった。

(妄想の女性だったら水着かヌードのはずだ)

 丈二は和彦から無理やり見せられたエロ画像を思い出し、一人で嫌らしい笑みを

浮かべた。傍から見たら女性を待ち伏せする痴漢である。

「なんだと!? 俺は人助けのために何時間もこうして耐えているんだぞ」

 自分の考えに憤慨して一人で叫んだ。しかし、その抗議を聞くものは「バカァ」

と鳴きながらねぐらに帰るカラスぐらいだった。

 夕刻に近づき、腹は既に食物を要求する元気もなく静かになっていた。

 何度も帰りかけたが、その後で女性が来て身を投げたら――と思うとその場を去

ることはできなかった。

 こうやって前生は自分の命を縮めたのだ。老師の指摘通り、今生も短命に終わる

儚い人生になりそうだ。

 丈二が深い溜め息をついたその時。

 ついに瞑想の時に観た女性が現れた。

 ブルーのシャツにジーンズを履いた切れ長の目をした髪の長い女性だ。年はまだ

二十代の前半といったところ。ひさしのような付けまつ毛を付け、都会的な濃い化

粧をしている。どう見ても地元の人間ではない。しかし、旅行鞄などは持たず、シ

ョルダーバッグ一つの軽装だ。

 若い女性は生気のない足取りで吊り橋を渡り始めた。

 へたに声を掛けると、飛び下りる恐れがある。

 丈二は茂みから出ると、足音を忍ばせて近づいていった。

 急に空が曇り、夕日を隠した。

 冷たい風が峡谷から吹き上げる。

 それはあたかも冷たく暗い世界が若い女性を呼んでいるかのようだった。

 丈二は小刻みに震えながらも、霊感を研ぎ澄ましていった。

 数体の煙のような霊魂が、下を流れる川から上がってきて、女性を眺めている。

 すると、女性は引き寄せられるように橋から身を投げようとした。

「危ない!」

 丈二の声に女性はハッとして足を止め、振り向いた。そして「キャッ」と叫んで

突進してくる少年をかわした。

「うわっ」

 丈二はワイヤーの手すりの間から下に落ちた。

「危ない!」

 女性が叫ぶ。

 丈二は――床板に両手を掛け、ぶら下がっている。

「た……助けて」

 かすれた声で言った。

 女性は目を大きく見開いて何度もうなずき、丈二の右手首をつかんだ。吊り橋が

揺れ、彼女はビクッとして手を離した。

「助けて! 手を引っ張ってください」

 丈二は涙目で懇願する。

「だって、私も落ちそう」

「落ちるために来たんでしょっ」

「そうだけど」

「あなたを助けるために、こーゆー悲惨な状態になってるんですよ!」

「ごめん」

 女は座り込むと、こわごわ丈二の手首を握り、思い切り引っ張った。

 丈二は床板の上に這い上がると、安堵の溜め息をついた。

「もう少しで死ぬところだった……」

「ダメよ、まだ若いのに」

「それは僕のセリフです!」

「ごめんなさい」

「男に振られたぐらいで死んじゃダメです」

「失礼ね、就職が決まらなくて絶望したのよ」

「なんだ、そうですか」

「なんだとは何よ。私は何十回も面接を受けるうちに疲れきったの」

「あなたはまだ生きているじゃないですか! 寝たきりのお婆さんでもない。疲れ

きってるわけないです。おばさん達から見たら、うらやましいほどの若さに満ちて

いますよ」

「……」

「自分は若い! 自分はエナジーに満ちている! そう考えれば顔が輝いてきます。

そして面接官にアピールして、必ず採用されるはずです。あきらめずにトライし続

けてください」

 丈二はどさくさにまぎれて女性の手を握った。

 都会で一人暮らしをし、恋人も友人もいなかった女は人のぬくもりを感じて目に

涙を浮かべた。

「ありがとう……そう言って励ましてくれたのはあなただけよ。赤の他人なのに」

「いいえ、苦しみながら生きている同じ人間同士です」

「あなた、まだ中学生でしょ? 若いのに人間ができているわね。中学生に説教さ

れる私が幼稚なのかもしれないけど」

「僕は前世でも同じような事をしていたのです。それで若いうちから人助けができ

るんですよ」

「そうなの……助けてくれてありがとう。もう死んで楽になろうとは思わない」

「ここで死んでいたら地縛霊になってましたよ。ずーっとここに居続けることにな

ったのです」

「ずーっとここに……」

「そうです。テレビも映画も観られないし、おいしいスイーツを食べることもでき

ずに、ただずーっとここに居続けなければならないんです」

「怖い……頭がおかしくなるわ。死ななくて良かった」

「そうでしょう。だから辛いことがあっても死のうなんて思わないで、おいしいも

のを食べて映画でも観て忘れてください。明日になればまた新しいエナジーが湧い

てきますよ」

「うん……そうだね。これからはそうやって生きていく。坊や、ありがとう」

 最後のセリフが気に食わなかったが、丈二は前世からの趣味である人助けができ、

大満足だった。

 その日の夕食の時も、ニヤニヤが止められなかった。

「何笑ってるの。気味が悪いわね」

 母親の良子が半眼で丈二を見る。

「彼女でもできたの?」

「女なんてどこにいるんだよ」

「いるじゃないの、三人も」

「全部小学生だろっ。僕はロリコンじゃないんだ」

 泰造がキンピラをかじりながら言った。

「同じ年頃の女性がいたとしても、Hは禁じられている。結婚してもHは子供を作

る時だけに許されているんだ」

「知ってますけどー」

「最近、いちいち反抗的な言い方をするな。一体なんでニヤついていたんだ。まさ

か戒を犯したんじゃあるまいな」

「違うよ、さっき旅行客らしい若い女性を助けたんだ」

「なに、助けた?」

「そうだよ。その人が吊り橋から身を投げようとしたところを助けようとして橋か

ら落ちそうになったところを彼女に助けてもらった」

「一体なにを言ってるんだ」

「そういう事になるんだ……でも、僕は彼女を自殺から救ったんだ。もう二度とこ

んなまねはしないと誓ってくれたんだから」

「それが本当なら、大きな徳を積んだな」

「そうね。人の命を救うことは最高の徳よ」

「それじゃ、僕にも良いことがあるかな。宝くじで三億円当たるとか」

「そういうことは無いのよ」

「ちぇっ」

「徳と得とは違うのだ。魂の浄化を目指す者は現世の得ではなく、徳を積み、魂の

向上を求めるものだ。お前も仙里村に生まれたからには、徳を積む修行者として生

きねばならん」

「分かってるよ」

「しかしな、老師にも言われているだろうが、人助けにも執着してはいかんぞ。前

世の二の舞をして短命に終わったのでは、前世のカルマを繰り返したに過ぎない人

生になる」

「ああ、分かっているよ」

 丈二はそう言いながらも、女性から感謝の言葉を聞いた時の快感や達成感を忘れ

られなかった。


「先生、僕は悪霊の跋扈ばっこする都会の高校に進学したいです!」

 ずっこける大覚。

「バカモン! あれだけ言ったのに未だ分からんのか。悪霊との闘争に明け暮れて

短い人生を終わりたいのか」

「ヒーローは爺さんになるまで生きなくてもいいんじゃないかと思えるようになっ

たんです」

「わしがヒーローではないと言いたいのか」

「いえいえ、先生はカッコいいです」

「ふん、ウソをつけ。爺さんはカッコ悪いと思えばこそ、短命でいいと思っている

のじゃろう」

「すねないでください」

「すねてなどおらん! お前のような未熟者が都会に出ても悪霊に取り憑かれて堕

落するだけじゃ」

「いいえ、僕は負けません。清らかな心を保ち、必ず多くの人を救済します。昨日

みたいに」

「昨日みたいに? 誰か助けたのか」

「はい。自殺者の霊に引き寄せられるように吊り橋から身を投げようとした若い女

性を助けました。そして『坊や、ありがとう』と言ってもらいました」

「なんじゃ、それは」

「助けた彼女が言ったんです。僕はそれを聞いた時、全身に快感が走りました」

「それは性衝動と同じだぞ」

「いいえ、人々の幸福を願う僕の魂が感じた喜びです」

「きれい事を言いおって」

「信じてください! 性衝動などとは違います」

「助けた相手が婆さんだったとしても、快感を感じたと言うのじゃな?」

「それは……はい、そうです」

「少し間があったな」

「信じてください、僕の純真な心を!」

「分かった。お前のエロい菩薩心を」

「エロいだけ余計です」

「どうしても都会に行きたいと言うのだな?」

「はい、どうかお許しください」

「で、高校を卒業したら、ここに戻って修行に入るのだな?」

「はい。たぶん」

「なんじゃ、そのいい加減な返事は!」

「釈迦牟尼仏がおっしゃったように諸行無常ですから、僕としては卒業後にどうす

るといった断定的なことは言えないのです。でも、人生の実態が無常なのですから、

無常な人生に執着する無意味さを悟り、自由に生きられる――とも言えるのではな

いでしょうか」

「お前、口だけは達者だな」

「はい。この達者な口で悪霊や人々を救済したいのです」

 大覚はあきれたように口を閉じた。丈二は老師に指を突きつけ、

「やーい、折伏された」

「愚か者が、お前のような者は一度殺人に味をしめた男が次々と殺人を犯すように、

次々と人助けをするぞ」

「良いことじゃないでしょうか」

「そうだけど」

「ねっ、良いことなんだから許してください!」

 丈二は道場の冷たい床に額をすりつけた。

「そこまでして頼むのか……よろしい、これから一カ月間みっちりと修行をし、そ

の後わしのテストを受けよ。その結果、都会に出ても堕落せんと判断したら上京を

許す」

「ありがとうございます!」

「ただし、高校を卒業したら必ず仙里村に戻るという条件付きじゃ。その約束を守

るというなら、許そう」

「分かりました。僕がその約束を守らなかったら、僕の魂が地獄に落ちたことの証

です。地獄に落ちないためにも、必ず約束を守ります」

「よろしい。お前を信じよう。それでは瞑想せよ」

 丈二は結跏趺坐すると気息を整え瞑想に入ったが、昨日握った女性の手の感触が

甦り、顔面が紅潮してきた。

「何を考えておる」

「すいません。昨日助けたお姉さんの手の感触が残ってて」

 ウソをついてもバレるので、正直に言った。大覚は鼻先で笑い、

「そんなことでは欲と悪に染まった都会に出たら、すぐに堕落するな」

「いいえ、しません! こんな感触すぐに消してみせます」

 宣言したが、消そうと思えば思うほど消えなかった。顔がゆでダコのようになり、

頭頂から湯気が出てきた。大覚はニヤニヤしながら、つぶやく。

「母親以外の女性の手を握るのは初めてだったと見える。それを消すのに三日は掛

かるな」

「しょうがないじゃないですか、爺さんと違って思春期なんだからっ」

「なんじゃ、師に対してその言葉は!」

「すいません! 発情期で気が立ってるんです」

 大覚は大笑いしながら手を振り、

「こんなんじゃ、都会で一人暮らしなんぞ無理無理」

「先生、お願いです! 卒業後にこの村に閉じ籠る自信がありません。一生に一度

でいいから、汚れた場所に出て、人々を救う仕事がしたい。僕は必ず先生のテスト

に合格しますから」

「よろしい、それではすぐにその感触を消しなさい」

「はい」

 そう答えて三日後に丈二はようやく女性の手の感触を消した。

「ははは、わしの予言通りじゃ。三日も掛かるとは。こんな状態で汚れた都会に行

かせるのは考えものじゃな」

「先生、大丈夫です! テストを始めてください。かならずパスして見せます」

「ははは、三年後にか」

「さっさとやれよ、ジジイ!」

「師に対してジジイとは何じゃ、ジジイとは!」

「すいません! 発情期で気が立っているんで」

「またそれか」

 大覚は丈二の異様な必死さに疑念を持った。

「お前、発情期ゆえに女を求めて都会に行きたいのではあるまいな」

「違います、人助けがしたいんです! 女性には決して手を出しません。清い体の

まま帰省することをお誓いします」

「そうか。忠告しておくが、女性と一度でも関係を持ったら、お前はここに戻って

来んじゃろう」

「はい。自分でもそう感じます。だから、女性には細心の注意を払います。仙里村

の者として、『配偶者は村の者のみに限る』『婚前交渉をしてはならない』という

戒を守り抜きます」

「うむ。村外に住みながら仙里村の戒律を守ることは魔王を折伏する以上に難しい

ことじゃ。心して掛かれよ」

「はい!」

 今まで見たこともない師の厳しい顔に、丈二は喝を入れられたように背筋を伸ば

した。


 仙里村の目的は本来、超能力の獲得ではない。あくまで村民の魂の浄化、向上を

目指していた。

「しかし、生まれてこのかた清浄な村に育ったお前が、低波動の都会に行こうと言

うのだから、自分の身を守り、悪霊と戦う術が必要じゃろう。わしはそれを授けよ

うと思うが、修行期間もわずかしかない。体得にはよほど集中せんといかんが、覚

悟はいいな?」

「はい。いかなる厳しい修行もやりぬく覚悟です」

「よろしい。それでは滝行から始める」

「滝行……ですか?」

「そうじゃ。瞑想はただ座っておればよいが、滝行は冷たい水に打たれながら無心

になれねばならん。肉体の苦痛を感じながら無心になるという厳しい修行じゃ」

 丈二は後頭部に手をやり、

「できるかなあ」

「なんじゃ、そのリアクションは。いかなる厳しい修行もやりぬく覚悟ができてい

るのではないのか!」

「もちろんです! 正直なので思わず本音のリアクションが出てしまっただけです。

見逃してください」

「分かった。しかし、今度そういう弱音を吐いたら、即刻修行は打ち切り上京の話

は取りやめにするからな」

「分かりました! 二度と弱音は吐きません」

「よろしい。それでは『竜王の滝』にレッツゴーじゃ」

 竜王の滝というのは、地元でも有名な冷たい湧き水の滝で、昔は修験者が利用し

た時もあったらしい。

 寒さに弱い丈二は、大覚の後ろを歩きながらか細い声で聞いた。

「先生、竜王の滝って冷たいんですってね」

「ああ、氷なしでも濃縮ジュースがおいしく飲めるぞ」

「つーと、氷水に近い冷たさですか?」

「そうじゃ。冬に入ったら死ぬかもしれんが、夏場じゃから大丈夫じゃろう。たぶ

ん」

「たぶんって」

 暦の上では夏に入っているが、梅雨の真っ最中で気温は低かった。丈二は溜め息

が出そうになったが、消極的な態度を見せたら即刻修行はやめさせられる。出そう

とした息を吸い込み、にじんだ涙をそっと手で拭いた。

 森の中を歩いて一時間ほどで竜王の滝はその姿を現した。

 十メートルほどの高さから勢いよく水が落下するさまは、竜王の名に恥じない迫

力があった。

「どうじゃ、美しい滝であろう」

「はい。いつまでも見ていたいです」

「そうはいかん。これに着替えてさっさと滝壷に入るのじゃ」

 大覚は風呂敷を広げ、白い着物を出した。

「なんか死に装束みたいだ」

「さよう。滝行で命を落としたとしても、このまま棺桶に入れるぞ」

「先生、悪い冗談はやめてください」

「冗談ではない。修行は常に死と隣り合わせでやるものじゃ。それだけの気構えが

あってこそ、修行をやり通せるのじゃ」

「はい。死んだつもりでやります」

「ああ。ご両親も承諾しているから、そのつもりでやれ」

(薄情な奴らめ)

 丈二は心の中で両親に毒づきながら着替えた。

「わしはここで見ているから、さっさと入れ」

「ずるい!」

「ずるいとは何じゃ。修行はお前がするのだ。お前の心の内などここで観ていれば

分かる。ここで指導するから安心しろ。さあ、合掌して精神統一し、水に入れ」

 丈二は何でこんな事をやるはめになったのか、自分の軽率さに腹が立った。

「お前、心が揺れておるな。そんな精神状態での滝行は危険じゃ。やめたほうが」

「すいませんでした! これは自分が選んだ道です。もう迷いません。絶対やりま

す!」

「よろしい。それだけの信念があれば氷水にも耐えられるじゃろう」

「はい! 耐えます! 耐えて見せます!」

 少しでも躊躇したらとてもあの激しく落ちる水の下に入ろうなどという勇気は出

てこない。

 丈二は合掌すると一切の葛藤を捨て、無心になろうとした。

 大覚が満足げにうなずく。

「よし。そのまま静かに水に入れ」

 丈二は右足を水につけると、すぐに足を上げた。

「ちべたっ」

「そういうリアクションがいかんのじゃ! 無心になれ」

「はい」

 口答えをしたら即刻中止されるので、素直にうなずいた。

(冷たさに反応してはいけない。『冷たい』という想いを客観的に観るのだ)

 自分に言い聞かせ、丈二は再び右足を入れた。そして左足も入れるとジャンプし

て岸に戻った。あきれたように首を振る大覚。

「何やってんだ」

「すいません! どうしても体が反応してしまい」

「体の反応に翻弄されてどうする。体が女性に反応したら、そのまま飛びかかるの

か? そういうことなら年頃の女が溢れる都会に出たら、即刻堕落するな。この話

は無かったことに」

「やります! 体の反応なんかに負けません」

 丈二は深呼吸を繰り返すと、再び足を入れた。そしてそのままジャブジャブと音

を立てながら滝壷まで進んだ。もうヤケになっていた。

「おい、いきなり入ってはいかん。真言を唱えながら精神統一せよ」

 丈二はうなずき、合掌した。

 目の前で轟音を立てながら冷水が落ちている。これから死のうとしているかのよ

うな心境だった。

 死――誰もがたった一人で受け止めねばならない肉体機能の停止状態。

 若い盛りであるにもかかわらず、修行によって故意にその状態を作り出し、それ

を乗り越えねばならないのだ。それによって肉体を超越した能力を獲得するのであ

る。

 そうだ、その獲得した超能力によって多くの人々を救うのが自分の本願だ。

 師の言っていたエロ菩薩の本願――エロは余計だ。

 丈二は自分に活を入れ、真言を唱え始めた。

 そして「決して戻らない」と覚悟を決め、滝に入った。

 冷たい、と言うよりヤスリで削られたように痛かった。

 合掌しながら必死で真言を唱え続ける。

 何かを想う余裕もなかった。

 時間感覚も消え、無と永遠がそこにあった。

 誰かが自分の腕をつかみ、滝壷から出した。

 笑顔の老師だった。

「よくやったぞ」

 丈二は唇を震わせるだけで、何の言葉も出てこなかった。

 老師に引っ張られて水から上がるとようやく笑みを浮かべ、

「僕、滝行はマスターしたんですね」

「何を言っておる。これが第一日目であって、これから梅雨が明けるまで続ける」

 丈二は溜め息を飲み込み、

「やります! これで人助けの能力が得られるなら、年末までやってやる!」

「よろしい。それでこそエロ菩薩じゃ」

「それはやめてください」

 

 丈二はその日、夕食の席でくしゃみばかりしていた。

 父親は眉をひそめ、

「お前、滝行やってるんだってな。大丈夫か」

「大丈夫かぁ? 父さんも母さんも了承したんだろ、僕の滝行」

「だって、先生が丈二がどうしても都会に行って人助けをしたいって、聞く耳を持

たないっておっしゃるから」

「その通りだよ。僕は絶対に行く」

「天界のような仙里村から出て地獄のような都会に行くなんて、よくそんな気持ち

になったな」

「エロ菩薩……じゃない、菩薩心が抑えがたいんだよ」

「それは立派なことだが、人助けに忙殺されて自分の修行がおろそかになるぞ。覚

悟はできているのか」

「大丈夫、人助けはテキトーに休みながらやるから」

「テキトーに休めなかったから、前世で若死にしたんだろ?」

「三十三で死んだんですってね。若過ぎるわ。親より早死にするなんて最高の親不

孝じゃないかしら」

「大丈夫だって! 母さん達を悲しませるような事は絶対しない。絶対テキトーに

やって見せる!」

「変な言葉だな」

「丈二。あなたは私達のただ一人の子よ。どんなに大切に思っているか、分かって

いるわね。自己満足ばかり追求しないで、親の気持ちも考えてね」

「うん、心配しないでよ、母さん。今生は自分を大切にするから」

「そうだ。まず、自分を大切にしなければ修行だって続けられない。そこのところ

を自覚しなさい」

「分かりました。自分を大切にしてテキトーに人助けして、必ず帰ってきます」

「変な言葉だな」

「丈二の変な言葉を信じて待つしかないわね」

 両親は寂しげに笑い合った。


 丈二は何とか十日間の滝行を終えたが、次の日に風邪で寝込んでしまった。

 見舞いに来た大覚は、珍しく彼を誉めた。

「よくぞ命懸けの滝行をやり通した。風邪がひどいようじゃから、修行は一旦やめ

よう」

 薄目を開けて聞いていた丈二は驚いて飛び起き、

「大丈夫です! 今日はダメですが、明日はできますから、ご指導よろしくお願い

します」

「いや、無理はせんほうがいい。修行も上京もやめじゃ」

「やります! 僕はこの修行に命を懸けているんです。死んでも悔いはありません」

「そうか。そう言うと思ったが、一応お前の決心が聞きたくてのう。なにしろ次も

命懸けの修行じゃ」

「何でしょうか」

 丈二は恐る恐る聞いた。

「ああ、ようやく梅雨も明けた。明日から日差しも強くなるじゃろう。カイロを貼

ったシャツの上に半纏はんてんを着こみ、炎天下で瞑想をするのじゃ」

「バカですか?」

「なんじゃと」

「いえっ、すいません! 思わず口走ってしまいました」

「冷たい水に打たれる滝行も炎天下の瞑想も、一般人から見れば愚行以外の何物で

もないじゃろう。しかし、寒さも暑さも超越せねばならぬ我々にとって、大真面目

な修行なのじゃ」

「はいっ、そうですね。愚行なんてとんでもないです。一般人の方は決してまねを

しないでください的な行動ですが、修行者にとっては魂を向上させる上で大いに価

値ある行為です」

「分かっておればよいのじゃ。それでは明日から始める。今日はゆっくり休むがよ

い」

「はい……ありがとうございます」

 丈二は老師が部屋から出ると、仰向けに倒れた。

「明日死ぬかもしれねー。前生より短い人生だったな……来世は三歳で死ぬかも」

 修行にネガティブな姿勢は危険と知りつつ、どうしても悲観的になってしまうの

だった。

 

 翌日は気温が急上昇し、登校した丈二は担任から「熱中症に気を付けるように」

と注意された。「はい。炎天下で瞑想しながら注意します」とも言えず、丈二はこ

わばった顔に笑みを浮かべてうなずいた。

 目の前の教師はこれから自分がカイロを貼ったシャツの上に半纏を着こみ、炎天

下で瞑想をするなどという無謀な行為をするとは夢にも思っていないだろう。全く

一般人から見たら正気の沙汰とは思えない事をしている。

(しかし、それだからこそ常人を超えた能力が開発できるのだ)

 これも全て人助けのためだ。超能力で人を救った時の快感は一般人が味わってい

る肉体的快感をはるかに凌駕する魂の快感なのだ。エロ菩薩である自分はそれを希

求してやまないのだ。

「神から与えられた使命」などという受け身な姿勢とは全く違う。

「つまり、やりたくてしょーがねーんだよ」

 一人でつぶやく丈二に教師が聞いた。

「何が」

 生徒が目の前に二人しかいないので、いかなるつぶやきもキャッチされてしまう。

「あ、あの」

「Hだって」

 和彦が代わりに答えた。

「バ、バカッ、何言ってんだ、そんなんじゃねえっ」

「そうパニクるな。仙里村の君は禁欲を課せられているそうだが、考えるのは自由

だからな」

「別に考えてません!」

 スピリチュアルに感心のない教師は無表情な顔で「そうか。大したものだな」と

だけ言って授業を始めた。


 丈二は学校から戻ると、すぐに大覚の庵を訪ねた。

「先生、氷水ないですか」

 額の汗を拭きながら聞くと老師は顔をしかめて分厚い半纏を差し出した。

「何を甘えたことを言っておる。これからこれを着て直射日光を浴びながら瞑想す

るという、危険ですからまねをしないでください的修行をする覚悟はできているの

だろうな」

「分かってます。死ぬ前に冷たい水の一杯も飲みたいという、ささやかな願いを言

っただけですよ」

「喝! そのような後ろ向きの姿勢で臨んだら、本当に命を落とすぞ」

「すいません……」

「案ずるな。命が危ないと思ったら、わしが止める」

「お願いします……まだ死にたくないんです……前生より短命なんてひど過ぎる」

 丈二は嗚咽しながら大覚にすがりついた。

「よしよし、安心しろ。その若さで死なせるようなまねは絶対にさせん。さあ、半

纏の下にこれを着なさい」

 大覚は丈二の背中を優しくなでながら、使い捨てカイロが一面に貼ってある長袖

のTシャツを差し出した。

「先生は鬼ですか?」

「何を言っておる。これは暑さに耐えるための修行じゃ。人助けの霊力を獲得した

いとお前が自ら望んだのではないか」

(こんなひどい修行とは思わなかったよ)

 思わず毒づいた丈二の心の中を大覚は素早く見抜き、

「そうか。ひどいと思うなら、やめても良いぞ」

「いいえっ、やります! ここでやめたら、何のために苦労して滝行をやり終えた

のか、意味が無くなってしまいます」

「よろしい。それではさっさと着なさい。カイロ付きTシャツに半纏を」

「はいっ。あったかそうですね」

 無理に笑いながら着てみると、あったかいを通り越して地獄の暑さだった。丈二

の額にたちまち玉のような汗が浮かぶ。

「ははは、あったかい……てか、暑い」

「暑い暑いと言うな。肉体の感覚にとらわれんための修行をしているのだぞ」

「はいっ。めまいがしてきましたが、何でもないです」

「しゃんとせい! この程度で意識がもうろうとしているようでは、炎天下で瞑想

など不可能じゃ」

「いいえ、やります! やらせてください!」

「よし。それでは外に出なさい」

 大覚は丈二を庭に連れてくると、直射日光で熱くなった地面を指差した。

「ここに座りなさい」

「あっちに木陰がありますよ」

「ダメじゃ! 日がガンガンに照っているここが最適じゃ。さあ、結跏趺坐(けっ

かふざ)して瞑想に入りなさい」

 丈二は溜め息を飲み込み、覚悟を決めて熱した大地に尻を据えた。

(あちっ)

 思わず心の中で叫んだ。

「心の中でも叫んではいかんぞ」

「はい」

「いちいち返事をするな。瞑想に入れ」

 丈二は目を閉じると「暑い」を超越しようとしたが、顔はすでにゆでダコのよう

になり、汗が全身を流れ、意識が薄れてきた。体は正直に外界に反応する。しかし、

修行者の意識はそれを超越しなければならないのだ。

 直射日光が頭頂をジリジリと焼く。

(ハゲ頭だったら、頭頂で目玉焼きができるな)

「くだらんことを考えるな」

 大覚の叱声が飛ぶ。

(この修行のほうがくだらねーでしょ)

「返事をするな! 無になれ」

(なんでこんなこと)

「自分が望んだからだ」

(そうだった)

 原因と結果――無限に繰り返す、宇宙のシンプルな構図。

 言い訳はせずに受け止めよう。

 滝行の時と同じように、丈二の心は静止した。

 時間が消えた。

「よろしい、そこまで!」

 丈二は目を開けるとよろけながら立ち上がった。

「先生、氷水ください」

「さっきと変わっとらんな」

「いいえ、滝行と同じように無時間性に到達しました」

「よろしい。その無時間性の中に膨大なエナジーがある。サイキックが使うパワー

の源じゃ」

「そんなことより氷水ください」

「しつこいな。それでは中へ入れ」

「冷えたスイカもください」

「今まで何百人と弟子を指導したが、お前のように図々しい奴は初めてじゃ」

 大覚は首を振りながら踵を返し、丈二はその後ろを四つん這いでついていった。


 霊力の源を得た丈二は、老師の指導のもと変身の術、火炎放射の術、水上歩行の

術、飛行術など様々な術を体得していった。

 そして、夏休みも終わりに近づいた頃、老師によるテストが始まった。

 大覚は丈二をある町の豪邸に連れてきて言った。

「この家の主人は先日、わしに除霊の依頼をしてきたのじゃ。この仕事をわしの代

わりにやってもらうから、そこんとこよろしく」

「なんですって、僕が除霊をするんですか!?」

「そうじゃ、人助けがしたいお前には最適なテストであろう。こんな事もできんよ

うでは、悪霊渦巻く都会で生活など到底できん」

「……分かりました。全身全霊で悪霊と対決します」

「その意気じゃ」

 大覚がインターホンを鳴らすと、豪邸にふさわしい品のいい中年女性の声が聞こ

えてきた。

「先生ね? ちょっとお待ちになって」

 すぐに屋敷の中から主婦らしい女性が出てきて、門の鍵を開けた。

「いらっしゃいませ。お入りください」

 巨乳の美しいアラフォー女性だ。

 丈二は緊張が解けてだらしなく鼻の下を伸ばした。大覚はそれを半眼で見ながら、

「奥さん、これは弟子で相座輪丈二と言います。わしと仕事をしますので、よろし

く」

「まあ、こんな若い方が」

 丈二は頭を下げ、

「どうぞよろしくお願いします。奥さん、心配しないでください。僕は確かに若輩

者ですが、霊力はすでに大覚先生と同等の実力を有しています」

「言い過ぎじゃろう」

「だって、心配そうだから」

 巨乳アラフォー女性は美しい微笑を浮かべ、

「大覚先生のお弟子ですもの、素晴らしい霊力をお持ちになっているに違いありま

せんわ。きっと私達の抱える問題を解決してくださると信じております」

「ありがとうございます。若輩ながら全力を尽くして必ずお悩みを解決して御覧に

入れますので、御安心ください」

「頼もしいお言葉ね。さすがは大覚先生のお弟子だわ。さあ、お入りになって」

 三人はバラの咲き乱れる美しい庭を通って屋敷に入った。

 夫人は二人を応接間に通すと、アイスティーを出しながら言った。

「こんな遠くまでわざわざおいで戴いて、申し訳ございません。でも、うちの娘を

救うのは先生しかいらっしゃらないと思いまして」

「除霊するのは娘さんですか?」

 丈二が聞くと夫人はうなずき、

「五日前に友達と心霊スポットに行ってから、おかしいんです。目付きが険しくな

り、言う事が男の人みたいで、どう見てもいつもの明奈じゃありません」

「そうすると、心霊スポットで男性の霊に取り憑かれたんですね」

「はい。そうとしか思えません。なんとかお二人に除霊して戴きたいのです。どう

かよろしくお願いします」

 大覚はうなずくと、

「それではさっそく娘さんに会わせてください」

「どうぞ、こちらに」

 夫人は二人を二階の部屋に案内した。

「ここが明奈の部屋です」

「誰を連れてきやがった!?」

 扉の中から男のような怒鳴り声がした。

「カレシがいるんですか?」

 丈二が驚いて聞くと、

「いえ、あれは娘の声です」

「マジすか」

「はい」

 丈二はゴクッと唾を飲み、

「これは確実に取り憑かれています。男性の霊に」

 夫人は涙を浮かべ、

「はい。どう見てもあれは娘じゃありません。どうか……どうかお願いします。元

の明奈に戻してやってください」

 うなずいてドアノブを握った丈二を、大覚が制した。

「ドアに隠れて開けるのだ」

「はい」

 丈二が静かにドアを開けると、分厚い辞書が飛んできた。

「キャッ」

 夫人が悲鳴を上げる。

 アメリカの警察なら拳銃を構えて入り、いきなり発砲する場面だが、そんな事は

できない。

 辞書の次はバッグが飛んできた。金持ちのお嬢さんらしくブランド物だ。

「明奈! 五十万もするバッグを!」

「うるせえ! 俺にはそんなもん要らねえんだ」

 思い切って中に入った丈二の顔面にブラジャーが飛んできた。

「うわっ」

 床に落ちたピンクのブラを見て、丈二は思わずニヤリとした。顔を上げて娘を見

ると、ノーブラにTシャツと短パンを履き、ベッドにあぐらをかいている。

「何喜んでんだ! 俺にはそんなもん要らねえんだ。欲しいなら、てめえにくれて

やる」

 明奈はウチワで自分をあおぎながら、母親に言った。

「おい、オバはん。ビール持ってきてくんねえか」

「あなた、飲めないはずじゃないの」

「そんなこたねえ。俺はビールならジョッキで五、六杯いけるよ」

 大口を開けて笑う娘を見ながら、母親は泣き出した。

「絶対に……絶対にあれは明奈じゃありません! どうか助けてください。明奈を

元に戻して」

 大覚がおごそかに言った。

「今、この者が元に戻します」

「先生。軽く言わないでください。ここまでひどいと、すぐには祓えないかも」

「除霊の方法は教えたな。わしが娘を押さえているから、お前がやってみよ。成功

したらテストに合格じゃ」

「やります! 必ず悪霊を追い出してやる」

「なんだなんだ、何をしようってんだ」

 大覚に羽交い絞めにされた明奈はベッドの上でもがいた。

 丈二は彼女の額に手を当てて言った。

「お前は心霊スポットにいた地縛霊だな? さっさとこの娘から出ろ」

「嫌だ! やっとのことで波長の合う人間に巡り合ったんだ。俺は二十五の時、火

事で焼け死んだ。まだまだやりたい事がいっぱいあったのに……だから、この体を

借りてやり残した事をしたいんだ。結婚して子供を作るのが俺の夢なんだ」

「野郎と結婚するわけだな?」

「野郎と? そんなキモい事するか。俺にはそんな趣味ねえ」

「しかしお前が取り憑いている肉体は女性だから、野郎と結婚しないと子供は作れ

ないぞ」

「そうか……しかし霊媒体質なのはこの女だけだった。男もいたが、取り憑けなか

った」

「これは自分の体とは違うことを自覚しろ。さあ、この娘から出ていけ!」

「嫌だ! ここは居心地がいいんだ。飯もうまいし」

「奥さん。ごちそうを出しちゃいけません。明日から食事は毎回日の丸弁当にして

ください」

「分かりました」

「なんでそんな意地の悪いことをするんだ!」

「明日から飯はまずくなるんだから、さっさとここから去れ」

「嫌だ!」

 丈二は激しくもがく娘の額に手を当て、真言を唱え続けた。

 明奈のノーブラの胸が左右に揺れ、丈二は興奮しそうになったが、かろうじて自

分を抑えた。

「さあ、出ろ! キリストの力が汝を滅ぼす!」

「それは違うじゃろう」

「とにかく出ろ! 出ろったら! 出ろ出ろ出ろ出ろ、便秘にはゴーラック!」

「なんじゃ、その呪文は」

 丈二の放つ念に明奈は苦しげに身悶えていたが、やがてぐったりとなった。

「やった……」

 額の汗を拭く丈二を明奈は薄目を開けて見ている。

「やったって何を」

「おのれ、まだ出ていないのか!」

「そう簡単に出るか! 俺は憑依できるこの時を二十年も待ったんだ」

「なるほど、しつこいわけだ」

 しかし、ここで引き下がってはテストに不合格になり、上京の話も無になってし

まう。追い詰められた丈二は、目を据えて念を凝らした。黙って見ていた大覚は、

丈二の考えを見抜いて言った。

「念力で一時的に除霊しても、霊は再びこの娘に取り憑くじゃろう。そういう除霊

では合格とは言えん。そこんとこよろしく」

「そんな」

 仕方なく、丈二は力ではなく知恵を絞った。

(肉体が無いだけで、こいつは俺と同じ人間だ。同じ人間として語りかけよう)

「いいか、お前はこの娘の中にいても精神病患者という事になって、病院に入れら

れるだけなんだぞ」

「なにっ、病院なんぞ入りたくねえ。俺は可愛い娘を探して結婚したいんだ」

「それは無理だ。俺達みたいな霊能者に見せてもダメなら、精神科医に見せる事に

なって、結果、病院送りになるんだよ」

「待て待てっ、それじゃ俺は一生病院で暮らす事になるじゃねえか」

「そうだな。つまらんだろうな」

「それじゃあ、廃墟にいた頃と同じ生活になっちまうだろう!」

「そうなんだよ。他人に取り憑いても、そういうつまらない人生を送るしかなくな

るんだ」

「嫌だ! そんなつまらねえ暮らしをするために、こいつに憑依したわけじゃねえ」

「それだから、さっさと霊界に帰り、生まれ変わったほうが利口なんだよ」

「霊界に帰る……って、階段はどこだ?」

「んなもんあるか。自分で昇っていくんだよ」

「昇っていく? 俺は天使じゃねえ。羽なんか持ってねえぞ」

 丈二は困ったように口をつぐんだ。大覚は薄笑いを浮かべて見ているだけだ。

「先生、一体どうしたら」

「それを解決してこそ、テストの合否が決まるのじゃ。自分で考えよ」

「……」

 暴力のような念力の発動でこの憑依霊を外すのは簡単だ。しかし、それは一時的

な解決だ。この霊を浄化し、霊界に送ってこそ真にこの女性を救うことができる。

「よし。今からお前の波動を上げるべく、光を放射する。お前の幽体は軽くなり上

昇できるはずだ――たぶん」

「自信なさげだな」

「当たり前だ。まだ修行を始めたばかりの中学生だからな。お前を押さえている爺

さんとは年季が違う」

「爺さんとは何じゃ」

「すいません。お前を押さえている御年九十歳の大先生なら、一瞬でお前を霊界に

送れるだろうが、なにしろ僕はまだ十五歳の可愛い男の子だ」

「可愛いだけ余計じゃ。言っとくが、わしだって十五の頃は可愛かったぞ」

「余計なこと言わないでください」

 丈二は気息を整えると、真言を唱えながら明奈の額に向かって手の平を向けた。

「おお」

 大覚は思わず感嘆の声を漏らした。丈二の手の平からまばゆいばかりの光が放た

れ、明奈が恍惚の表情を浮かべ始めたのだ。やがて彼女は大きな息を吐くと、目を

開いた。

「私……どうしたの?」

「明奈! 元に戻ったのね!」

 夫人が娘に駆け寄り、すがりついて号泣した。

「もう大丈夫ですよ。あの霊は二度と戻ってきません」

 言いながら丈二は横目で老師を見た。大覚はうなずき、

「よろしい。合格じゃ」

「やった!」

 勝利の高笑いをしようとしたが、横で二人の女性が抱き合って泣いているのでや

めた。

「怖かった……自分の意志に反してノーブラになったり、あぐらをかいたり……で

も、自分を止められなかったの」

「廃墟にいた地縛霊が取り憑いていたんですって。このお二人が除霊してくださっ

たのよ」

 明奈は涙を拭くと、丈二と大覚に向かって深々と頭を下げた。

「ありがとうございました」

 お礼の言葉を聞いた瞬間、丈二の全身に快感が走った。

(これだからやめられねー)

 恍惚の表情を浮かべる丈二を見て、大覚は咳払いをすると明奈に言った。

「お嬢さん、あなたに取り憑いていた霊は強制的に外したのではなく、霊界に送り

ましたのじゃ。除霊と言うより浄霊ですな」

「私、見ていたのよ。この方の手の平から光が出て、すごかったわ」

 母親の賛辞を聞き、丈二に再び快感が走った。

「ありがとうございました」

 娘が何度も礼を言い、丈二に何度も快感が走った。

(もっと言って、もっと言って)

「何をしておる!」

 老師はバカみたいな顔をしている丈二の後頭部をはたいた。

「いってえー」

「さあ、日が暮れんうちに帰るのじゃ」

「先生、本当にありがとうございました。これはほんのお礼でございます」

 と言いながら、夫人は札束が入っているらしい分厚い封筒を差し出した。

「それは丈二に渡してください。これから東京の高校に進学しますのでな。学費の

足しにさせます」

「えっ、東京に行ってしまわれるんですか」

「はい。ここよりもっと僕の助けを必要とする人がいると思いますので」

「そうですか……これからも何かあったらご相談しようと思っていたのに残念です

わ」

「僕なんかより大覚先生のほうがよっぽど頼りになります。先生は必ず健康で長生

きされますから、安心してください」

「すまんな、わしの宣伝をしてもらって」

 明奈と母親は声を立てて笑った。


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