第一章 修行者の里
丈二の住む仙里村は、木曽山脈の麓にある歴史の浅い集落だ。
人口は百名足らず、五十年前に今も存命の無明堂大覚という霊能者が、東京から
弟子達を引き連れて移住し、造った村だった。従って、村というよりアシュラム
(精神的な修行をする場)に近かった。彼らは魂の向上を第一の目的とし、農作業
をしながら厳しい戒律を守り、ストイックな生活を送っていた。
「申し訳ございません」
丈二の父親は師である大覚に向かって両手を突き、頭を下げる。
ニュース番組のみが見ることを許されている彼らの村において、エロ番組を見る
など外道に堕ちたに等しい悪行だった。丈二は父親の横でうなだれている。
大覚は炯々(けいけい)と光る目を丈二に向けた。白髪をポニーテールにし、長
い白髭をたくわえた仙人然とした老人である。
「息子が戒を犯したのか?」
大覚は威厳のある声で泰造に尋ねる。
「はい。申し訳ございません。ニュース以外の番組を見てしまいまして」
「丈二よ。ニュース以外の番組とは、どんな番組じゃ」
「えっと……」
大覚は丈二が心にイメージした映像を読み取った。
「なんじゃ、その胸の大きい女達は」
「巨乳ギャルです」
「巨乳ギャ……喝!」
「申し訳ございません!」
父親の泰造が焦って頭を下げる。
「お前が謝ってもしょうがない。丈二。どこでそのような卑猥な言葉を覚えたのじ
ゃ」
「……」
丈二は黙っていたが、クラスメートの和彦の顔が脳裏に浮かんでしまった。
「誰じゃ、それは。学友か」
「はい」
親以上にウソが通じないので、正直に答えるしかない。
「その者に教わったのは『巨乳ギャル』だけか」
「いいえ、他にも『爆乳』とか『スイカップ』とか」
正直に言うしかない。隣で父親が顔を赤くしている。なにしろ仙里村に生まれて
四十六年もの間、戒律を破ったことのない潔癖な修行者である。
大覚は白く長い眉を寄せ、
「実に汚らわしい言葉じゃ。丈二よ、友達は選ばんといかんぞ」
「三年は彼と二人しかいないんです」
「そうだったな」
「彼のお陰で僕はいつもクラスのトップです」
「そういう卑猥なことをお前に吹き込んで、トップから蹴落とそうという魂胆では
ないのか」
「いえ、そこまで考えてないと思います。和彦はただスケベなだけで」
「そうか。とにかく悪友にそそのかされて堕落してはいかん。今後もその級友が卑
猥な情報を与えるのであれば、交友を絶つことだ」
「でも、友人は彼しかいないんです」
「喝! 魂磨きの道は孤独なのじゃ。友を求めてはならん」
丈二は太めの一文字眉を寄せて黙り込んだ。反抗心もあらわに大長老を睨んでい
るのだが、どことなくタヌキに似た顔なので全然怖くない。
「先生に向かってその顔はなんだ。失礼じゃないか」
泰造は焦って息子をたしなめたが、丈二は薄笑いを浮かべ、
「これでもクラス一のイケメンなんだけどね」
「サルづらの和彦よりマシってだけの事だろう」
「ほっといてよ」
大覚は破顔一笑し、
「いや、わしを睨みつけるとは良い根性だ」
「申し訳ございません!」
泰造が平伏する。丈二は軽蔑の眼差しで父親を見ながら言った。
「やめろよ、親父」
さすがに大覚はムッとして、
「かなり思い上がっておるな。反抗期じゃから仕方がないとはいえ、自分の代わり
に謝る親をたしなめるとは行き過ぎであろう。何をそんなにとがっておるのじゃ」
「戒律が多過ぎるんですよ。毎日生きるのが息苦しいんです」
「もちろん、仙里村の住人は一般人とは異なる厳しい戒律を守りながら生きておる。
しかし、それは魂を向上させるために戒律が必要だからじゃ。お前もそれを承知で
この村に生まれたはず」
「全然覚えがありません」
「それは現世に生まれた際に忘れてしまっただけの話。思い出したければ、わしが
思い出させてやるぞ」
「えっ。どーやって」
大覚はニヤリとし、人差し指をクイクイと曲げた。
「カモーン」
(アホか)
「早く行け!」
泰造が息子の後頭部をはたく。丈二は仕方なく大覚に近づき、正面に座った。
「わしの手の平を良く見よ」
丈二は突き出された大覚の骨ばった手を凝視して寄り目になった。
老師は何やら呪文を唱えている。それを聞いているうちに丈二は眠くなり、半眼
になった。
「喝!」
気合いと共に大覚の手の平から光線が放たれ、丈二は気を失って仰向けに倒れた。
「丈二!」
泰造が驚いて駆け寄る。
「大丈夫じゃ。彼の意識を前世に飛ばした」
「前世に……」
「さよう。わしが何だかんだ説教しても丈二は信じないであろう。ゆえに自ら前世
を体験してもらう事にしたのじゃ」
「前世の記憶は瞑想修行を始めてから思い出しました」
「さよう、大方の者はそうじゃ。義務教育を終え、本格的な修行に入ってからな。
そのように自発的に思い出すほうが良いのだが、丈二の場合はそれまでに道を外す
恐れがある。荒療治だが、この方法をとった」
「ありがとうございます。自ら望んでこの仙里村に生まれたことを思い出せば、息
子の感じている窮屈さも解消すると思います。そして卒業後はスムーズに修行生活
に入れるでしょう」
大覚は微笑んでうなずく。
「前世から戻ったら、立派な仙里村の一員になっておるぞ」
「はい。丈二が危うい時期を乗り越え、修行者の道に入れることは、親として心か
らうれしく思います。これも全て先生のお陰です」
泰造は涙声で深く頭を垂れた。
丈二の意識は前世で過ごした地――産業革命以前のイギリスに飛んでいた。
両親を幼いころ亡くしたジョン(丈二の前世の名前)は、叔父と叔母に育てられ、
十五の歳に魔法使いに弟子入りした。そして十年の厳しい修業を経て独立し、ロン
ドンの外れに相談所を開いたのだった。
仕事は思いのほかハードで、連日多くの客が詰めかけ、ジョンは休む暇もなかっ
た。しかし、子供のころから苦労して育ったジョンは、人々が苦しんでいるのを見
ると自分のことのように感じ、何としてでも助けたくなるのだった。それで開業し
て以来、助手は毎週休みを取っているにもかかわらず、自分は無休で仕事に明け暮
れていた。
ジョンのやつれた顔を見て、助手のメアリーはいつも心配していた。
「先生、昨日はまたお休みにならなかったんですか」
ジョンは目の下にクマのできた顔で笑い、
「ああ、男の子がやってきて、『パパが突然暴れ出した』って言うんだよ。私がさ
っそく水晶を使って霊視したら、悪霊に取り憑かれているのが観えた。それですぐ
に男の子の家に行って、除霊してやった。貧しそうな家だったから、無料でね」
「先生。人が好いにも程がありますわ。そんな事をなさっていたら、命を縮めてし
まいます」
「ははは、大丈夫さ。私はまだ三十三歳だからね」
「いいえ、大丈夫じゃありません。激務が祟ってだいぶハゲてしまわれたじゃあり
ませんか」
「ははは、それを言わんでくれ」
ジョンはツルツルの頭頂を自嘲気味に撫でた。
「先生、ご存知? ジャパンという島国には頭頂がハゲたカッパという妖怪がいる
んです。先生はカッパにそっくりよ」
「失敬だな」
「私が来た時はもっとハンサムでブロンドの巻き毛が美しくて、エンジェルのよう
だったのに、今ではカッパ」
「いい加減にしろ」
「先生、これ以上やつれてしまったらマジでカッパになってしまいます。休日ぐら
いお仕事はお断りになってください」
「そんな事はできん! あの貧しい少年は、かつての私そのものだ。貧しい上に稼
ぎ手の父親を失ったら、どうなる? それを考えたら、助けないではいられなかっ
たのだ」
「先生。そんな無理を重ねていらっしゃると、カッパどころかゾンビになってしま
いますよ」
「実に失敬だな、君は。私は休みを取らないぐらいで死んだりしない。今日も朝か
ら卵を三個にパンを五切れも食べた」
「疲れているから、体が食べ物で補おうとしているんですよ」
「疲れてなどおらん! それよりメアリー。マイケルの散歩を頼む」
マイケルとは庭で飼っているドーベルマンである。さっきから散歩を催促して、
うるさく鳴いていた。
「マイケルの散歩は先生のお仕事じゃありませんか」
「ちょっと疲れていて」
「ほら御覧なさい」
「昨日の除霊がハードだったのだ。なにしろしつこい霊で、なかなか親父の体から
出ていこうとしなかった」
メアリーは溜め息をつきながら頭を振り、
「分かりました。散歩に行ってる間に死なないでくださいね」
「縁起でもない事を言うな」
ゾンビのように生気のないジョンの笑顔を見て、メアリーは背中に悪寒が走った。
「マジ死なないでくださいよ」
「分かってるよっ」
助手が出ていくと、ジョンは頬杖を突き、「疲れた」とつぶやいた。その姿はど
う見ても還暦を過ぎた老人のようだった。
「遅いな、メアリー」
いつもなら三十分ぐらいで帰れるコースであるにもかかわらず、四十分過ぎても
戻らず、とうとう開業時間になってしまい、相談者がどっと詰めかけた。
「先生! 助けてください」
「私! 私が先よ。先生、助けて!」
「はいはい、マダム。お座りください。ミスター、あなたは控室でお待ちください」
「なんでだ!? 俺のほうが先にこの屋敷に入ったんだぞ」
「ああ、そうですか。それではあなたが先だ」
「先生! 私は毎日来ているお得意じゃないの。優先してよ」
この中年女性はジョンに惚れ込んでおり、大した悩み事もないのに朝一番に来る
のだった。
「マダム。あなたの腹痛や頭痛は悪霊によるものではありません。大方は気のせい
によるものです」
「そうだ、そうだ。あんたは医者に行ったほうがいいんだよ」
「うるさいわね、医者に私は治せないわ。現に先生にひとことアドバイスを戴いた
だけで気分が晴れて元気になるのよ」
「あんたは後回しにしたって死にゃしねえよ! 俺は昨日、酔った勢いで墓に小便
を引っかけちまって、それ以来頭が割れるように痛いんだ。これは絶対に祟りだ。
早く先生に何とかしてもらわねえと呪い殺されちまう」
ジョンは顔を引きしめてうなずく。
「それは確かに祟りです」
「ほれ見ろ! 俺が先にやってもらう」
「ずるいわ! 私のほうが先にこの部屋に入ったのに」
「マダム。どうかここは譲って差し上げてください。でないと、この方は控室で待
っている間に悪霊にコントロールされ、帰ってしまう恐れがあります」
ジョンの言葉が終わらないうちに、男は口の端から泡を吹き出した。
「どうしました」
男は目を充血させ、ジョンを睨みつける。
「俺は絶対にこいつを呪い殺す……邪魔するな!」
「出たな、悪霊」
「キャーッ」
「マダム! 助手がいないんです。手伝って戴けませんか」
「手伝うって、何を」
「一緒にこの男を押さえつけてください」
「無理無理」
「そうだ、無理だ」
男は夫人に向かって悪魔のような笑みを浮かべた。
「キャーッ」
彼女は悲鳴を上げながら部屋から出ていった。
「はははは、逃げよった」
「おのれ、お前ごときの悪霊、私一人で何とかなる」
ジョンは後ろから男を羽交い絞めにしたが、ものすごい力で暴れ出した。
「おい、メアリー! っていないんだった」
彼女はジョンよりも体格が良く、男を押さえつけるぐらい簡単にやっていたのだ。
「離せ、離せーっ」
「あ、暴れるな! ったく、メアリーのやつ何してんだ」
そのころメアリーはロングスカートの裾をたくし上げ、必死の形相でマイケルを
追っていた。
発情期のマイケルが、メスの野良犬を追い駆けていってしまったのだ。ドーベル
マンに全力で引っ張られ、さすがのメアリーも手を離してしまった。普通の女性な
らなすすべもなく見送っただろうが、健脚のメアリーは隣町まで追っていったのだ
った。そして、ついに犬を捕まえた時には、ジョンの身の上に大変なことが起きて
いた。
男に突き飛ばされ、机に後頭部をぶつけて昏倒してしまったのだ。
薄れゆく意識の中、ジョンは死を覚悟した。
まだ三十三なのに、もう死ぬのか。
五年前に独立して、相談所を開いたばかりだと言うのに。
(こんな人生、失敗だ……)
ジョンが地上を去る時の想いは、これだった。
丈二は額に脂汗を浮かべ、目を開いた。
後頭部には机にぶつけた時の痛みが残っていた。
「どうじゃ、前世で自分が何を考え、何ゆえ自分の修行に専念できるこの村を選ん
だか分かったであろう」
大覚がおごそかに告げると、丈二は起き上がって頭を下げた。
「はい……分かりました。休みも取らずに人助けに奔走した結果、若死にしてしま
ったのです」
大覚は深くうなずく。
「僕は上手に休みを取らなかったので、人助けを短期間しか行えず、悔いが残った
のです」
丈二の意外な言葉に大覚は眉を寄せ、
「反省点が違うぞ。人助けにかまけて自分の人生が無くなったのじゃ。それゆえ、
自分の修行に専念できるこの仙里村を自ら生まれ変わりの地に選んだのじゃ。人助
けの願望を浄化するためにな」
「僕は人助けをたったの五年しかできなかったんです」
「なにっ、それでは今生も前世のような生き方をして短命に終わりたいと言うのか」
「それは……」
「そうであろう、嫌であろう? 困っている人を見ると我を忘れて助けたくなる―
―このおせっかいのカルマを超越するために」
「今生で超越しなければダメでしょうか」
「それでは今生も人助けのために私生活も皆無な人生を送りたいと言うのか」
「それは……嫌です」
「一体どっちなんじゃ」
丈二はうなだれ、
「自分でも分からなくなりました」
「先生、丈二はまだ若いので、いろいろ心も揺れ動くものと思います。しばらく本
人に考えさせるというのはどうでしょう」
見かねた泰造が口を出した。
「しかし、本人に考えさせるうちに『巨乳』や『スイカップ』の世界に行ってしま
う恐れがあるぞ」
「いえ、私が絶対にそんなまねは許しません。深夜のエロ番組も見られないように、
夜はテレビに紙袋を被せます。取ろうとすれば音を立てますから、隣室にいてもす
ぐに分かります」
「うまいこと考えるなあ」
「いいだろう。いつも身近にいるお前が監視するのであれば、大きく道を踏み外す
こともあるまい。丈二は父親であるお前に任せよう」
「ありがとうございます。必ず丈二を戒律に則った正しい道に乗せ、仙里村の立派
な一員にして見せます」
「お前は良き父親を持って幸せじゃな」
丈二は鼻をほじくっている。
「こら! 何をしておる」
丈二は鼻クソの付いた人差し指を立て、
「ティッシュください」
「馬鹿者!」
「申し訳ございません!」
泰造は息子の襟を引っつかむと、長老の庵を後にした。
前世の記憶を取り戻してからの丈二は、毎日考え込むようになっていた。
深夜のエロ番組を見ようという試みは二度としなかったが、父親が期待していた
『危うい時期を乗り越えた』ようにも見えなかった。かえって思春期のウツ状態が
深まったようにも感じられ、勉強にも身が入らないほど精神不安定になっていた。
「丈二よ。お前、何を考えているんだ」
夕食時に泰造は尋ねた。
「……」
丈二は心を読まれまいと、巨乳ギャルの踊りを思い浮かべた。
「またそんな事を考えているのか」
泰造は顔を赤らめ、眉間にシワを寄せる。なにしろ「女性の裸を見てはいけない」
という戒律があるため、妻の裸身も見たことがないのだ。
「父さんはウブだな。和彦の親は一緒に風呂に入るんだってよ」
「まー」
今度は母親の良子が顔を赤くする。
「照れることはないよ、母さん。僕達のほうがおかしいんだ。夫婦は裸でいちゃつ
くのが普通なんだって」
「丈二! そういう卑猥な言葉を使ってはならないという戒律があるだろう」
「一般人から見て、私達の戒律が厳し過ぎるって事は分かっているわよ。でも、私
達には一般人とは違う『魂の浄化』という目的があるんだから、納得して戒律を守
っているの。丈二だって、前世を思い出して、その点を納得したんじゃないの?」
丈二は険しい顔で黙り込んだ。
「なんだ、その顔は。納得していないのか」
「納得したけど、それを受け入れるかどうかは別だ」
「どういう事だ、それは」
「自分でも分からないよ!」
丈二は箸を置いて居間から出ていった。
「おい! 『食事は残さず食べる』という戒律があったろう! 『食後は合掌して
ごちそう様』はどうした」
丈二は父親の言葉を右から左に受け流し、自分の部屋に入ると大きな音を立てて
障子を閉めた。
木曽にも本格的な春が訪れ、水も空気もすっかり温んでいた。
丈二は通学路である畑の畦道を注意深く歩く。別に都会の道と違って暴走するク
ルマが突っ込んでくる心配などはない。殺生戒を犯さないように、虫を踏まないよ
うに歩かねばならないのだ。
「やべっ、何か踏んだ」
丈二が足をどけると、小さな黒い虫がペチャンコになっていた。蟻だった。
丈二は合掌して念仏を唱えると、蟻の死骸を畦道の脇に埋めた。
「朝っぱらから殺生をしてしまった……」
暗い気持ちで校門をくぐると、前を唯一のクラスメートである和彦が校舎に入ろ
うとしていた。
(あいつ、今日もスケベなことを言ってくるんじゃ)
なぜか最近、性欲を亢進させるような卑猥な言葉を執拗に投げかけてくるように
なったのだ。丈二の悟り澄ましたような心境がウザいのかもしれない。
恐らく丈二と違ってスケベな動画が見放題の環境にあるため、四六時中Hなこと
しか考えてないのだろう。そして、丈二も自分と同じ世界に引きずり込みたいのだ。
教室に入ると、丈二は身構えながら和彦に声を掛けた。
「おはよう」
和彦は笑顔で手を上げ、
「巨乳!」
「なんでちゃんと挨拶できねーんだ!」
「見たんだろ?」
和彦は手でエア巨乳を作る。
「ああ。好奇心に負けて見てしまった。お陰で老師の前に引きずり出されて叱られ
た。今後は二度と見ないつもりだ」
「お前は可哀相だな。テレビがダメなら、これ見ろよ」
和彦がスマホの画面を向けると、丈二は素早く天井を見た。
「絶対見ねえぞ」
「なんで。きゃわゆい仔猫の写真だ。お前好きだろ?」
「なに?」
丈二が思わず和彦の向けたスマホを見ると、女性のヌード写真だった。
「うわっ」
椅子からずり落ちる丈二。
「大げさだな。こんなのHな部類に入らねー。これなんかもっと」
「いい加減にしろ! 悪霊退散!」
丈二は目を閉じながら九字を切った。
「臨兵闘者皆陳裂在前!」
和彦は眉を寄せ、
「俺を悪霊扱いするのか? そういうお前の聖人ぶったところがムカつくんだ」
「俺が聖人を目指す仙里村の人間だって事は知ってるだろ。なんで今さらそれにム
カつくんだ」
「唯一の友達だから、もっと打ち解けたいってだけさ。それにはお前に『聖人を目
指す』ってのをやめてもらわねえとな」
「やめる? そんな事できるわけないだろう。戒律を破ったら、そのつど罰せられ
るんだ」
「罰せられるのが嫌だから戒律を守っているだけで、本当は見たいんだ。これ」
和彦がスマホを突きつけるより一瞬早く丈二は目を閉じた。
「見たくねーよ!」
「可哀相な奴だな」
「可哀相なのはお前のほうだ! 色魔にでも取り憑かれたんじゃないのか」
「なんだ、色魔とは」
「それはな、『もっとHがしたい』っていう未練を残して死んだ不成仏霊のことだ。
こういうのは現界人の体を借りて、Hを楽しもうとする」
「そんなもん取り憑いてねえよ!」
「いや、お前は最近おかしい。大覚先生のお祓いを受けたほうがいいぞ」
「俺は正常だ! 一般の男から見たら、お前のほうが異常だからな」
「おい、朝から何を騒いでいるんだ」
担任の男性教師が入ってくると、和彦は素早くスマホを机の中に隠した。
「高乃辺君が変なものを見せるんです」
「変なものとは何だ」
「これです」
和彦はシラッとした顔でスマホを見せた。仔猫の画像だった。
「きゃわゆいではないか」
「でしょ。高乃辺は猫が嫌いなんですよ」
丈二は和彦を睨みつけたが、それ以上何も言わなかった。唯一の友人とこれ以上
険悪な仲になりたくない。
丈二としては色魔に取り憑かれている和彦が気の毒で仕方がなかった。なんとし
ても彼を淫乱地獄から救わなくてはならない。
放課後、二人だけになった教室で丈二は和彦に向かって頭を下げた。
「頼む。大覚先生の除霊を受けてくれ。君とはこれからも友達でいたいんだ」
和彦は顔を赤くして鼻の穴をピクつかせる。
「俺は正常だと言ったろ! 除霊なんて受ける必要はないっ」
和彦は椅子を蹴って立ち上がる。
「おい、帰ろうってのか! 掃除は!」
丈二は教室から出ようとする和彦に向かって叫ぶ。
「お前がやっとけ!」
「正体を現したな!? 色魔に取り憑かれると怠け者になるんだ」
「てめえ」
和彦が振り向いた。眉を逆立てたその顔に向かって丈二は九字を切った。
「悪霊退散!」
必死の祈りも虚しく丈二の顔面に和彦の拳がめり込んだ。
「ぐっ」
鼻血を出して倒れる丈二。
「掃除、やっといてくれや」
和彦は笑いながら去っていく。
丈二にはそれが悪魔の高笑いに聞こえ、全身を震わせた。
家に帰った丈二は、鞄を置くとすぐに大覚の庵を訪ねた。
「丈二か。その後エロ番組は見ておらんだろうな」
大覚は白髭をしごきながら大様に笑う。丈二は恐縮して頭を下げ、
「はい、見ておりません。でも、クラスメートの和彦が見せようとします」
「どういう事じゃな」
「はい。和彦には色魔が憑いていて、僕に卑猥な写真を見せて堕落させようとして
いるんです」
「なるほど。修行者を堕落させるのは色魔の目的の一つじゃからな」
「先生の除霊を受けたほうがいいと勧めたのですが、和彦は自分は正常だと言い張
って受けようとしないんです。僕は和彦を救おうと思って九字を切ったんですが、
失敗しました。自分の力の無さで友達を救えないのが悔しいです」
「それは仕方がない。なにしろお前はまだ修行など始めておらんのだからな。友人
を救いたくても、除霊などできんじゃろう」
「でも先生! このまま和彦を放っておいていいんでしょうか。夜道で女性を襲う
ようなまねをするんじゃないかと心配なんです」
「ここいらは夜道を歩いておるのはタヌキぐらいじゃろう」
「それもそうですが……でも」
「和彦もそのうち精神的に大人になるのではないか。今はまだ大人になりつつある
体に精神が追いつけんのじゃろう」
「先生、毎日エロ動画や写真を見せられる僕の身にもなってください。僕は早くこ
うした奴の行為をやめさせたいんです」
「うむ、その気持ちは分かる。毎日戒を犯させようとする色魔に攻撃されるのは、
しんどいじゃろう」
「そうなんです。だから、僕は自分の力で奴の除霊をしたいんです」
「なに? もう修行を始めたいと言うのか」
「はい。是非お願いします。先生に除霊の力を授けて戴き、このひどい状況から自
分も和彦も救いたいのです」
「皆より一年早く修行に入りたいと言うのか。修行はそう簡単なものではないぞ。
覚悟はできているのか」
「はい。友達を救うためなら、どんなことにも耐えられます」
「そうか。前世でも自分の命をすり減らしてまで人助けをしたお前のことじゃ。そ
の大いなる愛の心があれば、耐えられるかもしれんな」
「はい。先生、どうかよろしくお願いします」
「分かった。それでは明日、学校が終わったら来なさい。さっそく瞑想修行を始め
よう」
「ありがとうございます」
翌日、丈二は余裕の表情で登校した。
和彦は相変わらずエロ写真を見せようとしたり、卑猥な冗談を投げかけたりした
が、丈二は笑って受け流した。
(色魔め。好きなことを言っていられるのも今のうちだ。そのうち除霊の法を体得
して、和彦から追い払ってやるから見てろ)
丈二があからさまな侮蔑の表情を見せなかったため、和彦はつまらなそうにスマ
ホをしまった。
意外な反応に丈二は驚き、(自分が取り合わなければ、やめるのか)と内心安堵
した。
和彦自身が反省してくれれば色魔も離れるだろうし、除霊の必要も無くなるのだ。
(修行は必要ないかも)
良かった良かったと喜びながら丈二は和彦と教室の掃除をしていた。
「和彦。エロ画像見せるのやめてくれて、ありがとう。ゴミは俺が捨ててくるから、
帰っていいぞ」
「ありがとう。お礼にこれ見せてやる」
和彦は丈二の目の前にスマホを持っていった。
丈二はしっかり見てしまった――マタを開いたヌード写真を。
「ギャッ」
「ギャッとはなんだ。礼を言えよ」
和彦はスマホを上着のポケットにしまうと、笑いながら去っていった。
「やられた……色魔に……だまされた!」
丈二は全身を震わせながら大覚の庵に駆け込んだ。
「どうしたんじゃ。何を取り乱しておる」
「すいません! 最も見てはならないものを見てしまいました。和彦に……和彦に
見せられてしまったんです!」
「愚か者が。油断するからじゃ」
「だって、反省しているように見えたんですよ! もうやめたんだと思ったんです。
そしたらいきなり目の前にアレを」
「見てしまったのか、アレを」
「先生は見たことがあるのですか」
「ああ、遠い昔にモノホンを見たことがある」
「ずるい!」
「ずるいとは何じゃ。わしが本格的な修行を始めたのは三十の年じゃ。それまでは
占い師として一般人と同じ生活をしておった。泰子ちゃんという恋人もおってな。
しかし、霊的修行のために泣く泣く別れたのじゃ……あれはまだ春の浅い頃じゃっ
た。都会の公園にはまだ昨晩降った雪が残っておった。わしが切り出した突然の別
れ話に泰子は細い肩を震わせ」
「なに一人で思い出に浸ってるんですか! 爺さんの昔話なんて聞きたくないっ」
「失敬な」
「そんなことより弟子である僕を何とかしてください! アレの形状が頭にこびり
ついて離れないんです」
「そうか……それは困ったな。これから瞑想修行に入ろうという時に、そういう強
烈な映像を脳裏に焼き付けてしまったという事は。瞑想するたびにソレが出てくる
だろう」
「どうしたらいいんですか!」
「残念ながら脳裏の記憶を消す消しゴムはないのじゃ。瞑想の中で自然とソレが消
え去る時を待つしかない」
「それじゃあ、色魔との戦い以前にアレとの戦いになるじゃないですか!」
大覚は気の毒そうにうなずき、
「ソレじゃな、いや、そうじゃな。少し基礎的な修行に時間が掛かるかもしれん」
丈二はがっくりと肩を落とした。
瞑想――その最終ゴールは自己の魂が無限の大宇宙と一体化することだが、その
間に魂はあらゆる想念と孤独な戦いをしなければならないのだ。
「よいか。しかもその戦いに勝つ魔法剣など無いのじゃ。ひたすら消えるのを待つ
以外にない」
大覚は丈二を板張りの道場に座らせると、「いかなる映像が浮かぼうと、ソレに
とらわれないように」と言い渡した。
丈二はうなずき、目を閉じる。
さっそく和彦に見せられたアレが眼前に浮かんだ。
ビクッとして丈二の肩が震える。
「反応してはいかん。消そうと思ってもいかん。ただ客観的に見るのじゃ」
丈二の顔が真っ赤になってきた。それと同時にこんなものを見せた和彦に対する
怒りが込み上げてきた。
「余計な感情を抱いてはいかん。お前はひたすら眼前のビジョンを眺めるだけでよ
い」
しかし、ソレを見ているうちに次第に興奮してしまい、丈二は思わず目を開けた。
「こら、何をしておる。瞑想を続けよ」
「できません! これ以上アレを見ていると体が反応してしまいます」
「それを超越せよ」
「簡単に言わないでください。僕は先生と違って若いんです」
「さよう、わしはもう何を見ても立たな……ほっとけ! さあ、瞑想を続けるのじ
ゃ」
「先生! 目を閉じるのが怖いんです」
「何をそんなに怖がる必要がある。別にアレは食いついてこんぞ」
「そうじゃなくて、自分の反応が怖いんです。これ以上できません」
「なにっ? 瞑想もできんで、除霊ができるようなレベルになれると思っているの
か。和彦を助けたいのではないのか?」
「だいたい僕がこんなに苦しむはめになったのは奴のせいなんだ。和彦なんか色魔
に取り憑かれて死ねばいい」
「喝! お前は自分の苦しみに負けて悪心を抱いておるぞ。それこそ堕落への道で
はないか。己に負けてはいかん。苦しみから逃げるな。友達を救うためなら、どん
な事にも耐えられると言ったではないか」
「記憶に無いです」
「喝! 賄賂をもらった政治家のようなことを言うな。地獄に落ちるぞ」
「地獄に落ちる? 僕はたったいま地獄にいますよ」
丈二は自嘲気味に笑った。
「バカモン! そういう斜に構えた態度がいかんのだ。泣いてもよい、苦しんでも
よい、そんな至らない己と真摯に向き合うのじゃ」
「……分かりました」
丈二は覚悟を決め、目を閉じた。
アレから解放されるのに丈二は一カ月もの期間を要した。
何度も瞑想をやめて道場から逃げ出したくなる衝動に駆られたが、そのつど大覚
に一喝され、思いとどまった。
学校に行けば自分に屈辱を味わわせた和彦に対する憎しみを抑えるのに苦労した。
修行者の道がこんなに苦しいとは思ってもいなかった丈二は、自分の居場所が無
くなったように感じ、精神が崩壊していくような恐怖を味わった。
しかし、老師は一向に動じなかった。
自分も年を重ねれば、あのような不動心に行きつけるのだろうか――丈二は初め
て老いる事への憧れのようなものを抱いた。
「さよう、わしのようなカッコいい老人になりたければ、己の魂を錬磨せよ」
カッコいいとまでは思っていなかったが、アレぐらいの映像で長い間精神が乱れ
まくっている自分があまりに見っともなかったので、丈二は素直に「はい」と答え、
瞑想を続けた。
そして、ようやくアレの映像が出てこなくなった。
「よろしい。何事も消える時が来るものじゃ。喜びも怒りも悲しみも命さえもな。
修行者はあらゆる感情を……限りのある命さえも超越し、時間の無い永遠と合体す
るのじゃ」
丈二はそんな難しい理屈はどうでもよく、ただアレから逃れられたことが素直に
うれしかった。
「ははは」
腑抜けたように笑う丈二を見て大覚は顔をしかめる。
「ようやくアレが消滅して喜びたいのは分かるが、その喜びや達成感にもとらわれ
てはならんぞ。次の段階に進まねばな」
「まだやるんですか? もう疲れきっちゃったんですが」
「何を言っておる。とらわれていた映像を一つ消しただけの話ではないか。その程
度で人が救えると思うか」
「それはそうですけどね、僕みたいに青春真っ盛りの若者がエロ画像を消すのがど
れほど大変か、爺さんのあなたには分からないと思いますね」
「失敬な」
「どれほど……どれほど大変だったことか……後から後からいろいろな想いが出て
きて……死にたくなるぐらい苦しかったんだ」
丈二は肩を震わせながら嗚咽した。大覚はさすがに気の毒になり、
「分かった、分かった。まだ十五の年でよく厳しい修行に耐えた。それでは今日は
これまでにしよう。家に帰って休みなさい」
「ありがとうございます」
丈二はとたんに笑顔になり、鼻歌を歌いながら大覚の道場を後にした。
今日一日は自分の勝利を祝いたい。長いアレとの戦いから、ようやく解放された
のだ。大喜びして何が悪い。
丈二は勝利の喜びに浸りながら眠りについた。
翌日――。
丈二が満面に笑みを浮かべて教室に入ると、和彦はつまらなそうに数学の教科書
とノートを出して宿題をやっていた。なにしろ二人しか生徒がいないため、確実に
当てられる。
「なんだい、やってないのか宿題」
「ああ、アレを見るので忙しいんでね」
「いい加減にしたほうがいいぞ」
「うるせえ。お前も見たいなら見せてやるぞ」
「いや、結構だ」
丈二は素早く横を向く。最近はスマホを向けても丈二のかわし方が早いため、見
せる事ができなくなっていた。それでもうエロ画像を見せるのは半ばあきらめてい
たのだ。
「エロ画像ばかり見ていないで、勉強しなきゃダメだぞ」
「お前のそういう聖人ぶったところがムカつくんだよ」
「なにしろ聖人を目指しているんでね。いま修行中なんだ」
「お偉いことだ。まだ十五だってのにな」
「いや、仙里村の住人は十六から修行に入るから、一年早いだけの話さ」
「あーあ、つっまんねーな。ここには彼女にできる子もいねーし」
「ああ。なにしろ一年二年も男子ばかりでしかも一人ずつだ」
「なんでこんなところに来ちまったんだろ」
「それはお前の親父が脱サラして農業を始めたからだろう」
「お前が説明すんなよ。東京にいたころはクラスに女子がいっぱいいて楽しかった。
彼女はできなかったから、中学に入ったら作ろうと思っていたのに、女の子がいな
いところに来ちまった」
「仙里村には女の子は三人いるけど、みんな小学生だ」
「俺のタイプは巨乳のグラマーなんだ。いないかな、そういう人」
「巨乳のおばさんなら仙里村にもいるよ」
「いい」
和彦は鼻にシワを寄せて手を振る。
「お前、だべってないで宿題やれよ。もうじき先生来るぞ」
「もう間に合わねー。ちょっと教えてくれよ、この問題」
「いいよ。どれだ」
人の好い丈二は笑顔で応じると和彦のノートをのぞき込んだ。
和彦は素早くノートをどけた。
そこにはスマホの画面があった。
「ギャッ」
「ははははははは」
悪魔のような高笑いをする和彦。瞑想で霊感が磨かれた丈二は、彼の背後で一緒
に笑う黒い影をはっきりと捉えた。
丈二は仙里村に帰ると、転げるようにして大覚の庵に飛び込んだ。
「先生! またまたまた……マタを見てしまいましたっっ」
「なんじゃ、マタやられたのか。迂闊じゃのう」
「マタだけじゃありません! 和彦に取り憑いている悪霊まで見てしまいました」
「そうか……十代ですでに魔に取り憑かれるとはな。今後よからぬ事ばかり考え、
成績も下がるじゃろう」
「和彦を救うどころか再び悪霊の罠にはまり、悔しいです」
「また振り出しに戻ったか」
「はい……しかも前回よりもっとすごいマタでした」
「すごいマタとは?」
「赤ん坊が出ているマタです」
「出産シーンではないか。それはエロ画像とは違うぞ」
「でもっ……でもでもっ! 僕もあんな風に生まれたと思うとキモくて」
「それは偏見じゃろう。生き物が産道を通って出てくるのは自然なことであって、
エロではない」
「いいですよね、見なかった先生は! 僕はまたハッキリ脳裏に焼きついちゃった
んですよっ。それで今度は瞑想中に赤ん坊付きマタが出てくるんです」
「仕方がない。地道に消えるのを待つことじゃ。しかし和彦の悪霊を霊視したこと
は、お前の能力が進化している証拠じゃ。喜んでいいぞ」
「全然うれしくないです!」
「落ち着いて座るのじゃ! 失敗を繰り返しながら進歩するのが修行であろう」
「はい」
再び丈二のマタとの戦いが始まり、それは二十日ほどでようやく終わりを告げた。
マタとの壮絶な戦いを制し、丈二は自分の霊力が一段と強化されているのを感じ
た。
前回に九字を切った時は、全く効き目がなかったが、今度は多少なりとも効力を
発揮するだろうという自信があった。
昼食後、丈二は隣の席でスマホを見ながらニヤついている和彦を霊視した。
彼の姿と重なって、黒い影が嫌らしい笑みを浮かべながらエロ画像に見入ってい
る。
丈二の視線を感じた和彦は、上目遣いで彼を見た。
「俺さあ、家出てこういう可愛い子がいっぱいいる町に行こうと思ってるんだ」
「なんだって? 中学生の身で家出しようってのか」
「年をゴマ化せば働き口なんかどこにでもあるよ」
「やめるんだ! ご両親が心配するじゃないか」
「そんなこと知らねーよ」
和彦は依存心が強い上に用心深いたちで、家出などの危険を冒すような少年では
なかった。明らかに悪霊にコントロールされているのだ。
「おい、しっかりするんだ。それはお前の考えじゃない」
「誰の考えだってんだ」
「それはな」
丈二は立ち上がると和彦に人差し指を突きつけた。
「お前に取り憑いている悪霊の考えだ!」
見破られた悪霊は完全に和彦の体を支配し、憎悪の表情で立ち上がった。
「こいつに何だかんだ意見するのはやめろ」
「そうはいかない。和彦は俺の唯一の友人だ。お前の自由にはさせないぞ。悪霊!」
和彦は悪鬼のように犬歯をむき出しにすると、丈二に襲いかかってきた。
丈二は体をかわすと、和彦に向かって素早く九字を切った。
「ギャッ」
和彦は悲鳴を上げながらのけぞると、気を失って倒れた。
「おい、和彦! しっかりしろっ」
目を開けた和彦は夢から覚めたような顔で聞いた。
「あれっ、俺どうしたんだ」
「家出するって言ってたぞ」
「まさか。生きていけねーよ。進学する予定だしな」
丈二は安堵の溜め息をついた。
悪霊は去り、親友は元に戻ったのだ。




