第4章 その40 今のうちに指輪を交わしておきなさい(修正)
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あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルは、六歳の誕生日を迎えたお祝いの、お披露目会にのぞんでいるところ。
このエルレーン公国固有の習慣なのか、子どもは生後一ヶ月で、持って生まれた魔力を、正規の魔導師に『診て』もらう、『魔力診』というものを受ける。
エルレーン公国では特に、魔力を多く持っているかどうかが、社会的成功を左右する大きな要素なのだ。
ただ、魔力が多すぎたら、決して良いことばかりではない。
あたしは、魔力に恵まれすぎた。
ごく普通の暮らしはできない。魔法使いになるしかないほどだったと、エステリオ叔父さまが教えてくれた。
そういう場合、大抵は、あたしみたいに『先祖還り』だという。そしてエルレーン公国では、結構、数が多いのだ。
あたしは身体が虚弱だから三歳になっても館の外へは出られなかった。それは本当だけど、事実の一部分だ。
今日、魔法使いの長カルナックさまが教えてくれたことだ。
魔力が多い子女は、狙われる。
将来の結婚相手として。または攫われてどこかへ売られたり囲われたり。つまり、魔力の多い子供を欲しがる者が、買う。
たいていの場合、一般市民だと、たまに『先祖還り』が生まれても、それほどには魔力は多くないらしい。
あたしはなぜこんなに魔力が多いのかと不思議がられたために、前世でいえば『戸籍』みたいな、公式記録にも掲載されてしまった。
今ならわかる。コマラパ老師が、何度も、あたしを弟子に欲しいと申し出てきたのは、手許に置いて見守るためでもあったのだろう。
「アイリス。誓いの指輪をしておきなさい」
「どうしてですか」
急にコマラパ老師が言ったので、あたしはいぶかしんだ。
カルナック師とコマラパ老師が揃って、婚約の承認をしてくれるときに、指輪を交わす予定だったから。
「誓いの言葉も儀式も済ませていると聞いたよ。なら婚約指輪も今からしておきなさい。いやな予感がするのだ。なに、客達は、そういうものだと思うさ」
コマラパ老師の指示を受けたエステリオ叔父さまが、立ち上がって、あたしのそばに近づいた。小さな宝石箱を出して、蓋を開けて。中の指輪を見せた。
「……きみの誕生石だよね、有栖」
耳元に口を寄せて、ささやく。
「……っ」
反則だ。あたし、月宮有栖は、耳元でエステリオ叔父さまに名前を呼ばれると、ちょっと変な感じがしてきて、困るんだから。
プラチナの繊細な土台に、きれいな明るい緑色をした小粒のエメラルドが一つ。可愛い指輪だ。
叔父さまったら。
誕生石だなんて、前世の知識だよね。
「アイリス、指を」
エステリオ叔父さまはあたしの指を持って。そっと、左手の薬指にはめてくれた。
婚約指輪の習慣って、『先祖還り』が広めたものじゃないかしら?
「ぴったりだわ。きれい」
「きみが大きくなったら、指輪も小さくなるね。心配しなくても、毎年、次の指輪を贈るから」
すてきなことを言ってくれるのだけど、あたしは、ぞくぞくと身体が震えてきて、答えられなかった。胸が、ぎゅっと掴まれるみたいに苦しい。
もしかして、これは。さっきも感じた。アウルの魔力に縛られる感覚?
「アイリスも、指輪をエステリオ・アウルに渡しなさい」
見届け人の一人であるエルナトさんが教えてくれた。
そうすることで完成される魔法があるのだって。
お父さまが用意してくれていた指輪を差し出す。
こちらの指輪には石はついていなくて、ただシンプルな銀色の指輪。プラチナだわ。
結婚指輪みたいじゃない?
なんて考えたら、顔がほてってきた。
きっと今、あたしは赤面しているかも。
そっと受けとって。あたしも叔父さまを守りたいと思いながら、魔力を指輪に流し込むようにイメージする。
「おじさま、すこし、しゃがんで」
「こ、こうかな?」
身を屈めたエステリオ叔父さまの、左手の薬指に、指輪をはめる。
とたんに叔父さまは、満面の笑みになった。
「これで落ち着いたよ」
まだ心配してたのかしら。あたしが、同年代の子供に気を取られるなんて?
お客さまたちは気づいているかどうかわからないけど。
あたしとエステリオ叔父さまは、このときやっと、本当の意味で婚約者になった。
後でコマラパ老師とカルナック師に、婚約を承認してもらえたら、公式の場でもすっかり整ったことになる。お互いの指輪も、そのときにお客さまに見えるように手を掲げるのだって。
すごく恥ずかしいような気がするけど、公式に、お披露目をすることに意味があるのだものね。
ところでカルナック師はというと。
マクシミリアンくんのテーブルに、まだいます。
ティーレとリドラが視線は向こうにくぎづけ。
「ぶっ!」
突然、ティーレが、なんとも形容しがたい声で、うめいた。ティーレは唇の動きで、遠くに居る人が何を言っているのかわかるのだそう。
「師匠が口説かれてる……!」
「え?」
だってマクシミリアンくんのテーブルには、彼と、お父さんしかいないよ?
カルナックさまを口説いてるって……
え?
え?
誰が? 誰を??
理解が追いつかない。
『アイリス。カルナック師は、マクシミリアンくんのお父さんに、告白されてるのよ』
あたしの守護精霊の、風の精霊シルルが、教えてくれた。
『怖い物知らずだなあ、あのおやじ。こう言ったんだ。「オレのじょ」……』
『バカね! 有栖にそんなこと教えちゃだめだわよジオ!』
ジオはイルミナに怒られて、言いかけたことを、途中でやめた。
よけい気になるんですけど。
『アイリスが望むなら、わたしが、あのおじさんに水を浴びせて頭を冷やしてあげるけど。どうするぅ』
いつもはおとなしい水の精霊ディーネまで。マクシミリアンくんのお父さん、よっぽど精霊達を怒らせるようなことを言ったのかな。
「大丈夫。もちろん師匠、きっぱり断ってるから。おかしいよ。『だが断る』だって!」
くくく、とティーレが笑う。
「でも危ないわ。なんか臭う。あのおじさん。顔はちょっといいのに」
リドラは眉をひそめた。
彼女は闇の魔法の臭いを感じ取るのだ。
この会場には、いくつか、闇魔法の痕跡や、魔道具の存在が認められるという。
その直後。
突然、騒ぎが起こった。
カルナック師のいる、マクシミリアンくんのテーブルの方からだった。
5月の誕生石はエメラルド。彼女もいなかったエステリオ・アウルは、なぜ知っていたのか。
きっとリドラの入れ知恵だな。
エルナトかも。




