第4章 その38 コマラパ老師、登場(修正)
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「困った師匠じゃのう、カルナックも」
少しばかり笑いを含んだ声がして、ふしぎだけど急に、ほっとした。
ちっとも困ってなさそうに言ったのは、深緑のコマラパ老師と呼ばれている人。
確かあたしが生まれて間もない頃、魔力が多いのが気に入って弟子にしたいって言ってた人だよね? エステリオ叔父さまの研究室の室長だ。
実際に会ってよく見たら、それほどお年寄りではなかった。
外見の年齢は、六十歳過ぎくらいかな。
真っ白な顎髭がびっしりと口の周りを覆って顎の下までのびて。
……ケンタ……サンタのおじいさん?
「コマラパ老師はあたしらの大先輩なんだから。師匠に何か言えるのは老師くらいじゃないですか。行って呼んできてくださいよ!」
ティーレは完全にパニックだ。
戦闘だとか荒事なら得意そうなんだけど。
以前イリス・マクギリスが言ってた。ティーレもリドラも女子力ゼロだって。その意味は、あたし、有栖にはよくわからないけど。
そして、だんだんわかってきた。
カルナック師が魔法使いの長で、弟子達で遊んでいて、コマラパ老師が副長で、師を支えて、組織がうまく回ってるんだなってことが。
「まあ見ててごらんティーレ。カルナックが面白そうなことをやっとる。しかし、あいつの悪い病気が出たな。あの子どもに関わりすぎだ」
コマラパ老師が、熊みたいに、低く唸った。
「マクシミリアンのことですか。老師」
ティーレはマクシミリアンのテーブルから目を離さないで、尋ねる。
「……カルナックとマクシミリアンの魔力の質を、走査してみなさい。これは少しまずい」
老師に言われてカルナックとマクシミリアンを走査したティーレは、
「ぎゃっ」
蛙を踏んづけたような声を上げた。
「ま、ま、まずいって……これ、まずいっすよ老師! これじゃ……お師匠は。魔力核を移植するって、こういうこと!?」
あたし、アイリスはお母さまとお父さま、エステリオ叔父さまと並んで席についていて、ティーレの方を見ることはできないけれど、風の精霊シルルが運んでくれるやりとりから、いま、ティーレがひどく慌てていること、きっとものすごく顔色が青くなっているだろうという想像がついた。
「あれがカルナックの唯一の弱点だ。人間で遊ぶくせに、人間が不幸になるのが嫌なのだ。そのためには自分の身も省みないことがある。知っているだろう。カルナックの血族は皆、死に絶えている」
あたしも言われた。冗談みたいな口調で、血族全てが死に絶えているから、面倒を避けるための許婚としては自分は理想的だよなんて。
「師匠が冗談めかしてよく言いますから。でもあれ、本当だったんすか」
ティーレは半信半疑だ。
「ああ。もう、遠い昔の話だがな」
深い息を吐いて、コマラパ老師は、話題を変えた。
「あの地方商人達、何かあるな。洗い直せ。それにマクシミリアンには魔法耐性があるということだが、ダンテという父親もだ。カルナックの魔法攻撃を軽減できるのかもしれん。誰か武術方面にも長けている者を数名、あれの側に付けておけ」
老師の指令を受けて、マクシミリアンくんたちの側に、数人の魔法使いが移動した。
「さて、では、こっちはゆっくりと準備を進めよう。婚約の承認をする刻限を告知しているわけではないしな」
「そういうものなんですか?」
あたしは思わず聞いてしまう。サンタのおじいさん、さっき怖い顔もしていたけれど、なんだか親しみがあって話しやすいんだもの。
「六歳のお披露目会と許婚との公式な婚約承認を同時にやるのは前例がない。今後はラゼル家のお披露目が、首都での新しい流行になるじゃろうな」
だから今回は自由にやっていいのだと。
「アイリス。叔父さまも逃げないし、わたしたちも、ずっとそばにいる。婚約を承認しても、生活はこれまでと変わらないのよ」
「はい、お母さま。あんしんしました。だだをこねて、はずかしいです」
さっき広間に出る前に、あたしは急になにもかも怖くなって、ずっとおうちにいたいとか学校も行きたくないとか言っちゃったの。
「いや、私たちは嬉しかったよ。仕事にかまけて、親子らしいことを、ちゃんとできていなかったと反省していたんだ」
「お父さま、お母さま、大好き」
嬉しそうに笑っている二人と、手を握りあう。
「えーと、わたしは?」
エステリオ叔父さまったら。ちょっぴり寂しそう。
「おまえは我が家に住んでいるんだからいいじゃないか。そのうち結婚するといっても、アイリスが大人になってからだし、焦ることはないだろう」
「そうですが。アイリスが学校に入ったら、歳の近い友人もできるでしょうし……向こうから近づいてくるだろうし!」
ああ、また叔父さまがこじらせてる。
「だいじょうぶよ。エステリオ叔父さまのことも、だいすきだから!」
「も?」
「あ~うざい! エステリオ・アウル。許婚になったくせに、何ようじうじと。いいかげんにしないと、アイリスちゃんに嫌われちゃうよ。いい大人なんだからさぁ。どーんと構えてられないの?」
ついにティーレの教育的指導が入りました。サンタさん…じゃなかった、コマラパ老師は大笑いしてます。
よかった、少し空気が和らいだ。
老師の采配で、乾杯が何度も行われています。
招待客の皆さんが、順番にやってきて、挨拶してくださるけれど、用心のため、あたしには、手を伸ばしても触れられないくらい、距離を取っています。
みんな、何かを警戒してる。
きっと、十数年前、当主がお爺さまだった頃に起こった事件が再現されるのを恐れているのだ。
アイリスには、わからないこと。
あたし、アイリスの中にいる月宮有栖には、少しだけ想像できること。
そういえば、お爺さまはどうしているのだろう。
捕縛されて連行されていったのは、ほんとに、お爺さまだったの?
ヒューゴーお爺さまは、簡単に捕まるようなことをするかしら?
いやな予感がしてならない。
考え事をしていたら、お客さまがご挨拶にいらした。
活発そうなお嬢さんを連れている。あたしと同じ歳くらいかな。
茶髪で、くりくりした大きな藍色の目は、しっかりとあたしを捉えて、にこっと笑った。
「このたびは、おめでとうございます。こちらは我が家の長女で、ナタリーと申します。お嬢さまと同い年で、半年前にお披露目を終えましたものです」
優しそうなお父さんが、お辞儀をして。
「よいお披露目でしたこと。アイリスはまだ外に出られませんでしたから、お招きを受けましたのに出席できなくて、残念でしたわ」
「はじめまして。アイリスさん、あなた公立学院に入るでしょう。約束よ、あたしとお友達になってね」
はきはきした声で言う。
魔力は中くらいね。今日たくさんの人に出会って、人間の持つ魔力の平均値というものを、あたしはようやく確認できるようになった。
「こちらこそよろしくね、ナタリー」
「よろしく、アイリス!」
にっこりと、あたしたちは笑顔をかわした。
こういう出会いはうれしい。ぜひ、お友達になってほしいな。
でも、たいていは、おじさんやおばさんたちで、ラゼル商会との繋がりを求めてくる人がほとんど。
ひっきりなしにお客さまがくるから、あたしたちは飲食もしにくい。
ローサやリドラさんが差し入れてくれるお茶や、カナッペや小さなサンドイッチをつまむくらい。
ときどき、あたしのところに小さな紙包みをエステリオ叔父さまがお父さまを通じて渡してよこして、笑いかけてくれる。
包みの中は、叔父さまの好きなスミレの花の砂糖漬け。
叔父さまが得意な回復魔法が施してあって。ちょっと、反則よね。こんなのもらったら、うれしくなるに決まってる。
だからあたしも、笑顔を返すの。
お客さまだらけ。
あたしはただ黙って笑顔で頷くだけ。
これは結構時間がかかりそう。
カルナックさま、早く帰ってきて。
あたしとエステリオ・アウルの婚約の承認に立ち会って!
でも、なんだか不穏なのよね。
ティーレはずっと、難しい顔をしてるし。リドラが、ふいに、すごく怖い顔をすることがあるの。何が起ころうとしているの?
※
会場の片隅に佇むしなやかな人影は、なぜか誰の目にも映らない。
動脈を流れる血のように赤い髪と、静脈を流れる血のように暗い赤の瞳をした青年…それとも少女は、始終、楽しげに、ひとり笑っていた。
「カルナックが力を分けた。命を削った。愚かな人間みたいに。わからない。どうして自分の力を弱めるようなことを望んでやるんだろう。今度は僕と遊んでくれるかな。ここには……器も、あるし……あれ、まだ使えるかなあ……メンテしてないし」
その目は、昏い狂気に沈んでいた。




