第4章 その36 晩餐会には一家で参加します(修正)
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晩餐会は乾杯で始まったらしい。
あたしたち、アイリスと許婚のエステリオ・アウルは、隠し部屋から出て、控えの間でお母さまやお父さまと合流していた。
さっきまであたしは隠し部屋で熱を出して寝込んでいた。
お母さまはそのことをご存じないはずだけど、あたしの顔を見るなり、
「まあ。アイリス。疲れたのね。熱が出たの?」
とおっしゃった。
「はい、お母さま。ちょっとだけ、つかれました」
あたしはお母さまに抱きついた。
お父さまがあたしを抱き上げて、お膝に乗せてくれる。
「喉が渇いているだろう。だれか!」
「はい、こちらに」
ローサが持ってきてくれた冷たい飲み物を、あたしは少しだけ口にする。
のどは乾いているけど、うまく飲みこめない。
お茶会の最後で公開した、許婚のこと。
晩餐会の最初の方で行うはずの、婚約の承認式のこと。
考えると頭が熱くなる。
「おとうさま、おかあさま。アイリスは……まだ、すこしだけ、こわいです」
正直な気持ちを、口にした。
二人とも、驚いてる。
「エステリオおじさまのことだいすきだけど。ずっといっしょにいられたら、すごく、うれしいけど。でも……まだ、おうちにいたい。学校にも、いきたくない……!」
ほんとは、そうなの。
なんだかめまぐるしく、どんどんいろんなことが起こって。どうしたらいいか、わからなかったの。
「いいんだアイリス! うちにいていいんだ。アイリスはまだ四歳なんだから」
お父さまはあたしをしっかり抱きしめた。
「アイリス! お母さまのところにも!」
お母さまも、あたしを抱っこしたいと主張をはじめて。
とても、あたたかくて。
もうしばらく、こうしていたい。
「やれやれ、エステリオ・アウルも気の毒に。アイリス嬢、まだ両親の抱っこのほうが良いってさ」
「やっと許婚になれたのにね~。相手がまだ六歳じゃ……」
「これが本来の姿じゃん!」
好き勝手なことを言い合うアウルの同僚たちであった。
「うう。いいんだ。わたしはアイリスが幸せなら、それで」
「おーい、誰か、アウルがまたこじらせてるよ~」
まだアイリスたち一家はお披露目の晩餐会会場に出ていない。
ようすを伺って、そろそろ出て行く頃合いだと判断した。
張り切るメイド長トリアがみずから、アイリスの身支度を念入りに整える。
「ところでさあ」
ティーレがふと、視線を、会場に向けた。
「あの入り口近くのテーブル席って、マクシミリアンくんの一家だよね?」
「……ティーレ。わたし、白昼夢でも見てるのかしら」
リドラも言う。
「奇遇だね。実は、あたしも、さっきから何か妙なものが見えてしょうがないんだ」
ティーレの呟きに応えたのは、
「僕らにも見えるんだけど」
同僚の、青年魔法使いだ。
同じ方向を見て、言った。
「まさか……まさか、ねぇ」
「あそこのテーブル席にいるの、師匠じゃないよね?」
※
乾杯の後は好き勝手に互いのテーブルを行き来できるわけではない。
まず、順番に席を立って主催者へ挨拶に行く。
一度は昼に行ったのだが、各人とゆっくり話すことができていない。
たいていの客は、午後の茶会の時から来て居続けているが、中には晩餐会から参加した客もいないではない。
「皆様、お手元にまもなく料理が届きます。どうぞご堪能ください」
執事バルドルの美声が響く。
すぐさま若手の給仕達が続々と、会場に数カ所置かれた大テーブルに料理を運んでくる。
前菜、スープ、肉、魚。冷たい水菓子や焼き菓子、山盛りのクリーム。
首都で長く暮らしている者たちでも、このお披露目会ほど多種多様の料理を一度に目にしたことのある者は多くはないだろう。
なにしろ、この一晩のために消費してしまうものなのだ。
そのために莫大な財を惜しみなく投じることのできる商家なのである。ラゼル家とは。
「さあマクシミリアン。何してる。来ないか。早く取らないと食いっぱぐれるぞ」
カルナックはうきうきと弟子になりたてのマクシミリアンの手を引いて、食事を取りに大テーブルに出て行く。
長身の美女の登場に、周囲の招待客たちは思わず道を開けて退き、くだんの美女を、まじまじと凝視することになるのだった。
子連れである。
家族席には子どもの父親らしき男が座っている。
となれば推測される答えは一つ。
(ははあ。家族連れか)
(惜しいな。一人なら……)
しかし、美女が一人なら声をかけるというのだろうか。
ここは合同お見合いパーティー会場ではないのである。
しかも居並ぶ客達は、ほぼ全員が家族持ちか家族連れの商人たち。息子の結婚相手を探すとしても相手に想定できるのは幼い者同士だ。商人たちも、大人の女に目を引きつけられている暇はないはず。
(やっぱり男はバカばかりだな)
自分に集まる衆目を、一見『美女』にしか見えないカルナックは、充分に心得ており、楽しんでさえいたのである。
くすくすと妖艶に微笑んで、カルナックは、給仕の用意してくれた盆に、山ほどの料理を取って、マクシミリアンと、意気揚々と席に引き上げる。
ダンテはあきれ顔で、数種類のカクテルを前にして待っていた。
カルナックはダンテのために料理を確保してきたわけではなかったのだが。
「最初は二種類のスープ、イモを裏ごしした冷たいのと、温かいサラ・ラワ。これはサラという植物の穂に実る粒を茹でて潰した粥のようなもの。どちらかを好みで。次は温野菜のサラダ。焼いた紫イモと玉葱、ズッキーニ、ベーコンも入っていて。紫の野菜色素は身体に良いんだ。次はメインの焼き物……魚と肉とどちらも出るから。まだまだ料理は追加で出るから慌てなくていいよ」
カルナックはマクシミリアンに料理の説明をしながら、
「これとこれは必ず食べて。こちらは食べなくても」などと細かく指示を出す。素直に頷いて従うマクシミリアン。
まるで親子のように、微笑ましい。
「え~とお嬢さん? おれには? 何かないのかなあ」
ダンテが拗ねたように声をかける。
しかしカルナックはダンテの方を見向きもしない。
「はて? お嬢さんなんて、ここにはいないぞ。お年で目も悪いのかな、マクシミリアンのお父さんは」
「スミマセン調子に乗りました。美女と食事したくて」
ダンテは告白し、テーブルに頭をつけた。
「おれにも料理を取ってください」
「ふむ。まあ、。同じテーブルに着いているのだからな。ダンテ、ローストチキンだ。これなら食べていい。脂っこいものはそろそろ控えておきなさい。中年太りはみっともないだろう」
「あんた女房より細かいな!」
「当たり前だ。私はマクシミリアンの師匠だからな」
「おれのレィディです! 父上! この人に変なことしようとしたり考えたりしないでください。身内として恥ずかしいです」
※
「師匠なんでエドモント商会のテーブルに座ってるんですかね」
「あれじゃ親子っていうか仲の良い家族みたい」
席に座ってあれこれと、大きなトレイにぶんどってきた料理の説明をしながら、かいがいしく取り分けてやる、黒髪の美女、にしか見えない。
「確かにマクシミリアンの母親は、長い黒髪と黒い目よ。体調不良で今回の旅には加わっていない。師匠なら、奥さんに見えなくもない……しかし本物の家族みたいに見えるね。両親と息子って設定で何かやってるのかな?」
少し冷静になったリドラは、こう分析した。
「師匠、幻術かけてるよ……」
ティーレは見抜く。それで見た目が魔法使いではなく一般人に見えるのだと、皆は納得した。
「もしかして、潜入捜査の一環なのでは」
「あの師匠が、何の魂胆もなく、ただ食事を一緒にしてるなんて、ありえないもんな」
「きっとあのまわりの商人たちの身辺を調べるんだ」
「よし、僕たちも師匠を手伝おう。地方商人たちを調査しておこう」
門下生達は勝手に盛り上がっていた。
もちろんカルナックには、何の魂胆もなかった。
ただ新しく門下生(の予約)になったマクシミリアンの健康のことは、優先的に気に掛かる問題だった。
それだけだったのだが。




