第4章 その35 息子マクシミリアンが生まれ変わった件(修正)
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エルレーン公国随一の大商会、ラゼル家の一人娘アイリス嬢、六歳のお披露目。
アイリスの『生まれたときから定められている許婚』が皆に公開された午後の茶会での興奮が、まだ館中を覆っている。
アイリスに許婚がいたということは、今日初めて知られた情報である。
これで少なくとも、自分の息子と娶せようという者は、望みがないことを知ることになった。後は、娘を連れてきた者たちと同様に、アイリスお嬢さまのご学友に、という方向転換くらいしかない。
もっとも彼らの狙いとは、アイリスの父親、ラゼル商会当主との顔見せなのだろうから、それほどの失望が広がっているわけでもなかった。
先ほどから、待合にいた招待客たちが、ラゼル家の使用人達に案内されて、晩餐会の会場となった、大広間へと移動を始める。
この時点での招待客は、百名を越えていただろう。
招待客達がそれぞれ、家族、息子や娘、それに身の回りの世話をさせる従者を引き連れてきていたためだ。
対するラゼル家の方も、明らかに通常より多い使用人たちが立ち働いている。
中には接客に不慣れな者までいるようだった。今日のお披露目会のために、臨時で雇われたのだろう。
(実はこの、不慣れな者たちとは、エルレーン公国で事故や事件の捜査活動にまで関わる魔法使いたちの潜入している姿であった。人手不足のため学生まで駆り出されていたのだから無理からぬことだった)
大広間に着いてみれば、確かに、だだっ広い。
白いクロスのかかった幾つものテーブルが並べられている。一つのテーブルには六人か八人が座ればいっぱいになるだろう。
楽器の演奏が始まった。古風な伝統楽器であるハープシコードや竪琴を使った、上品な室内楽だ。
客を招く宴会で、どのような趣向を凝らした料理を出せるか、腕のいい楽士を呼べるかどうかも、主催者側の力を推し量るポイントだ。
演奏が続く中、客達は整然と席に就く。
飲み物が配られる。夕刻から始まる晩餐会なので、昼間と違って酒は出されているが、軽いものばかりだ。
ふいにざわめきが起こり、大きくなる。
演奏を続ける楽団の後ろを通って厳かに現れたのは、ラゼル家の、若き現当主夫妻であった。夫妻は愛娘アイリスの手をひいていた。
夫妻の両脇を二人のメイドが歩いている。そのまた後ろから数人の使用人たち。
さらに、よく見れば魔法使いたちが、十人以上はいるだろう、会場のそこかしこに佇んでいる。
「ほほ~。ありゃあ、ただのメイドじゃねえな」
ダンテ・エドモントは、目を見張った。
メイドとは名ばかりだ。
特に、膝丈の短いスカートをはいた銀髪のメイドは、動きに全く隙がなかった。もう一人、黒い髪にリネン色の肌をしたエキゾチックな容貌をしたメイドは、武器を隠し持っているような危い雰囲気だった。
精鋭の護衛と魔法使いたちに囲まれて、当主夫妻と娘アイリスは中央、最深奥のテーブルに着く。
当主が立って、挨拶をする。
誕生日を無事に迎えられた喜び。神々への感謝。
「メイドのふりした護衛か。おもしれえや」
ダンテはまだ席にはついていない。しかしながら回ってきた給仕からはしっかりと、夜会のカクテル、シャンパーニュを受け取っている。
一口飲んだ、ときだった。
くすっ。
微かな笑い声がした。
「まったく懲りていませんね、ダンテどの」
慌てて背後を振り返る。
部屋の隅の暗がりが、さらに一色、濃くなったと感じた。
影の中から、漆黒のローブを纏った、背の高い人物が、ふらりと姿を現した。
闇を切り取ったような黒く長い髪は腰まで届き、空にかかる#真月__まなづき__#の光を思わせる透き通ったように白い肌が、麗しく輝く。
瞳は#水精石__アクアラ__#の強い輝き。
エルレーン公国、魔法使いの長カルナック、その人だ。
「お待たせした、エドモント商会の」
ふわりと笑う。
その笑みを見て、ふとダンテは、違和感を覚えた。
こいつは本当に、さっきオレを脅した、危険指定と名高い『黒の魔法使い』か?
雰囲気がずいぶん柔らかいような?
「待ちかねたよ。息子は、どうだ? 無事か」
ダンテは大きく腕をひろげた。
「もちろん。この私を誰だと思っている」
カルナックは、さらに背後に佇んでいる、小さな人影を、手招きした。
「おいで」
声に従って、一人の子どもが、あゆみ出た。
八歳にしては身体は小さくはない。
すらりとバランスの整った、どちらかといえば将来美男子になる可能性も、ないこともない、健康な子どもだ。
エドモント商会の当主ダンテの長男。マクシミリアン。
「ほらこのとおり! どこをとっても健康体だよ」
ニコニコして紹介するカルナック。
「マック! すまんな。父さんのせいで」
酒を持ち込んだことには、あえて触れない。このような公の場ではどこで誰が見聞きしていてもおかしくないのだ。
「ううん。おれが不注意だったんだ。ごめんなさい」
「これからは気をつけるんだよ」
気遣うように、カルナックがマクシミリアンの頭を撫でた。
そのとき、ダンテは気づいた。
カルナックが、マクシミリアンに向ける眼差しの、優しさに。
「?」
ダンテは首をひねる。その様子に、カルナックは薄く微笑む。
「ところで、例の話も考えておいてくれましたよね」
「ん? ああ! しかし息子の魔力は」
「あなたは『診る』こともできるのでしょう?」
これはもちろん『診ろ』ということだ。
大勢の人の喧噪にまぎれてよくわからなかった。あらためて息子の身体を走査するように『診』て、ダンテは、非常な驚きに、息を呑んだ。
「なんだこれは……!」
マクシミリアンの身体を、透明な膜のように覆い、魔力の炎が立ち上る。
陽炎のように。
「いつのまに魔力が、こんなに増えて! それに……おまえ、懐に、何を持ってる」
「あ、これ? カルナックさんに、もらったんだ」
マクシミリアンは、懐に持っていた、一振りの短剣を取り出す。
それは息子の肘の長さほどの短剣だった。
魔力で『診れば』、宿っている存在がある。
炎だ。
これは、炎の精霊が宿る剣なのだ!
「こ、これを、あんたが、息子に?」
ダンテの喉が渇いて、ひりひりしてきそうだった。
「この剣は、私の魔力で造ったんだけど、持ち主の成長と共に育つ。そのうち長剣になるよ。先が楽しみだね」
ものすごいことをさらっと言い放ち、にっこり、満面の笑みを浮かべる。
「はい。おれがんばります!」
嬉しそうに応える、マクシミリアン。
「とんでもない贈り物をもらったな……マック」
マクシミリアンの将来の道は、すでに決まっている。
通常の人間には想像もできないほど大きな魔力を持つ者となり、それに相応しい人生を歩む者となるのだ。
自分が持ち込んだ酒のせいで、こんなことになっているのだから、ダンテには異議を唱えることもできない。だが、マクシミリアン自身は、それをどうやら心から受け入れ、喜んでいるようだった。
そういえばこの『黒の魔法使いカルナック』は、ただの人間で遊ぶことが好きな老魔法使いではなかった。学院で自分の講座を持ち、多くの門下生を指導し育てているのだ。そんな側面もある人なのだ。……そう思わなければ、不安でしかたない。
ゆえにダンテの結論は、こうなる。
「……いろいろ言いたいこともあったんだが。本人が幸せなら、まぁ、いっか!」
「ではそういうことで! 席に就きましょう、ダンテ。晩餐会の食事は、いいものが出ますから。ぜひ堪能していってください。マクシミリアン。きみも沢山食べないと。育ち盛りだからね」
「はい!」
マクシミリアンがカルナックを見上げる顔ときたら。
嬉しさが、外に漏れ出すかのような笑顔なのだった。
ダンテは思わず、唸ってしまった。
こいつは犬か? すると主人は誰なのか?
「先が思いやられる……」