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第1章 その5 ワシントン××××年


          5


「イリス、イリス。眠ってしまったの?」

 誰かの冷たくやさしい手が頬を撫でて、あたしはふっと眠りから覚める。

 ここはどこ?

 あたしはどうしたんだろう。

「お寝坊さん。モルグで眠ると怖い夢を見ちゃうわよ」

 クスクス笑って、ソファで眠り込んでいたあたしを覗き込む誰かの、黒く長い髪が額に触れる。横になっていたあたしを見下ろしている、亜麻色をした肌の中年女性の、いたずらっぽく輝く黒い瞳。

「アイーダ!」

 思わず叫んで、あたしは身を起こす。

「もっと眠っていてもよかったのよ。今は、あなたの休憩時間だもの」

「ううん。いいの。ちょっと深度酔いしちゃって」

「やっぱりまた潜っていたの? イリスはほんとに、このM地区が気に入ってるのね」

「うん。でもほどほどにしなくちゃね」

「そうよ、ほんとに気をつけてね。この前ジョルジョとキリコがトーキョーに潜ったきり戻ってこなかったでしょう」

 物憂げに、美しい眉をひそめる。

「もっとも、彼らは普通の職員だったし。特別顧問のあなたとは存在の重要度からして違うのだけどね」

「そんなに違いはないわよ」

 あなたとあたしにはね、アイーダ。

 でも彼女はかぶりを振る。

「特別製のイリスにはよくわからないかもしれない。わたしだって遠い昔に地上にいた誰かのコピーにコピーを重ねた個体だわ。管理局員に新しいDNAが加わることなんて絶対にないの。培養技術もとうに失われて、この先は櫛の歯が欠けるように人員が消えていくだけ。仮想世界で眠り続ける魂たちのデータを守ったところで、地球がなくなればしかたないのにね」

「アイーダ」

「知ってた? もう、ほんの少ししか生命は残っていないの。あとは箱船の移民団しかいないけど、彼らは地球を離れがたく未練たらしく周回しているわ。ほんとうに、地球に未来はないのか、判断できずに待っているんだわ。わたしたちが死に絶えるのを。ほんとうに予言のように災害で地球が滅亡するのかを」


 堰を切ったようにアイーダは吐き出し続ける。あたしには彼女にかける言葉なんか見つからなかった。


 西暦××××年。ワシントンD.C.

 滅亡に瀕した人類の生存管理ステーション。別名、『棺桶』で、自分たちは『墓守』だと、職員たちは自嘲する。


「……ごめんね。イリス。みんなが死んでも生き残らなくてはいけないのも、苦しいよね。悲しいよね。……ごめん、なさい……」

「気にしないで。それが、あたしの役目だもの。ぜんぶ吐きだしたらいいよ」

「ありがとう……」

 それから彼女はぽつりぽつりと語り始める。配偶者が『生命減退病』で死んだこと。管理局に息子を連れて行かれたこと。

「息子は、箱船にいるの。まだ凍結卵だけど」

「残念だわ。会いたかったな」

「もしもどこかで出会ったら、息子は絶対、あなたのこと好きになるわよ」

「さあそれは、どうかしら? あたしは人工生命だし」

「絶対よ。好きになる。あたしの息子だもの」


 彼女が笑う。少女の頃と同じ、なつかしい笑顔だ。


 ふたりで墓地モルグを離れて歩き出す。

 よく彼女とすごした、大広間へ向かう。

 うん、その実、ただのモニタールームだけどね。地上世界を見ることのできる、大きなモニターがたくさんある。


 他に誰もいないホールに佇みながら、あたしたちは笑い転げ、おしゃべりをして。

「ねえアイーダ。何か歌って」

「なんでもいいの?」

「あれが聞きたいな。アイーダの、いつもの」


 たくさんのモニターの前でアイーダは、歌い出す。

 彼女の歌は、すごい。

 オペラ歌手なみの4オクターブの声域を自在に操る、彼女が歌う。伴奏楽器はいらない。彼女の声さえあれば。


「わたしのオリジナルは歌手の人だったのもしれないわね。歌は好き。好きだけどわたしは全然ちゃんと歌えないもの、恥ずかしいけど」


「謙遜なんていらないわよアイーダ。他にはだれもいないのよ?」

「ん。それもそうね」

 アイーダは胸をはって堂々と歌う。


 昔から伝わっているのだという、滅びゆく地球への哀切をこめた、送りうた。


 本来なら伴奏が入るべき部分では(楽器もないしね)高く低く自在に声を操り震わせ様々な音色を模して、その見事さ、うつくしさに、あたしは聞き惚れる。


 この地球が、そう遠くない将来、いずれは終わるとしても。

 そのときは、アイーダの歌を……きっと、思い出すだろう。

 彼女が、目の前から、いなくなっていても。




なかなか進みません。じっくり書いています。次回こそはアウルおじさん(居候)登場で!

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