第4章 その29 午後のお茶会(修正)
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お父さまご自慢の中庭で行われている、盛大な、午後のお茶会。
廊下に敷いてある赤い絨毯の上を歩く。
両側にはお父さまとお母さまが、あたしの手を握って。
一歩遅れて、護衛をしてくれているメイド姿のティーレさんとリドラさんが後方を警戒しながらついてくる。
長い廊下の両側にはラゼル家に仕える使用人たちがずらっと並んでいる。
その間に、ときどき魔法使いが交じっている。
魔力を見ようとして目をこらせば、保有する魔力が桁違いに大きいので、わかる。
護衛のためだ。みんなメイドさんや侍従たちの制服を着ているので、お客たちにはうちの使用人との違いなど、わからないだろう。
ときどき、さっきあたしの子ども部屋で見かけた顔に出会い、目配せをすると、魔法使いたちは、いたずらっぽく笑う。
大丈夫、何も案ずることはないのだと勇気づけられているようで、心強い。
廊下の先にある、会場へ。
一歩、足を踏み入れると、突然、わあっという歓声があがった。
なに? どうかしたの?
「みなさんはアイリスのことを待っていてくださったんだよ」
「えっ? あたしを?」
こんなにたくさんの人を見たのは初めて。
前世で21世紀の東京に住んでいた、月宮有栖は、新宿や渋谷、吉祥寺も知ってるから、あれと比べたらそれほどでもないかなって思うけど。
アイリスの記憶では、一度に大勢の人間を見たことはない。だから驚いて困惑しても、怖がっても、おかしくないよね?
「お父さま、お母さま、なんだか怖いです。手を離さないでください」
こうお願いしたら、二人ともすごく嬉しそうに笑って。
「わたしたちはすぐ側に居るからね」
「手をつないでいましょうね」
両親に手をひかれ、中庭の中央に敷かれた細長い赤い絨毯でできた道を歩く。
道の両脇にはぎっしりの人垣ができていた。
口々に何か言っているけど賑やかで聞き取れない。時々、絨毯の上に出てこようとする人がいて、警備の人に止められている。
どこまで歩くの?
中庭の中央、池の畔に、ひな壇のようなものが設えられ、小さな椅子が乗っていた。
きっとそこで挨拶をして、あの椅子に座るのだろう。
あたしはお母さまに連れられ、壇にのぼって、会釈をした。
これがお嬢さまかと、ざわめきが聞こえる。
アイリスが人前に出たのは初めてだから、興味があるのだろう。
あたしはすぐに、椅子に座る。お客さまにご挨拶するのはお父さまの役目。アイリスは座っていればいいだけだと、お母さまが囁いた。
椅子に腰掛けてまわりを見る。ぎっしりのお客。怖いけど、両脇にはリドラとティーレ。他にも魔法使い達が集まってきていて、エルナトさんとヴィーア・マルファ先生、それに、エステリオ・アウルがいた。やっと彼の姿を見て、あたしは、ほっとした。
注目されているので目配せもできないけど。
「皆様、今日の良き日に、お集まり頂きましてありがとうございます。我が家の一人娘、アイリスは、無事に六歳の誕生日を迎えることができました。本日のお披露目に、ささやかな祝宴をご用意致します。まずは午後の茶会から、休憩を挟みまして夕刻より晩餐会をもうけます。どうぞごゆるりとお楽しみください。ラゼル家一同、心よりおもてなしさせて頂きます」
お父さまが壇上からご挨拶すると、観客から盛大な拍手が巻き起こる。
集まった招待客たちは、ラゼル商会の顧客や取引先、銀行の方たち。
皆、どちらかと言えばアイリス本人より当主であるお父さまとよしみを結びたくていらしているのだ。
そう思うと少し気が楽。
次々と、一人ずつやってきて、会釈してお父さまと手を握って、祝いの言葉をのべて人垣の間に戻っていく。
中にはこんな人も居た。
「お母上そっくりの、実にお美しいお嬢さまだ。もう許婚がいらっしゃるそうで。めでたいことです。我が家の愚息など、紹介するもおこがましいですわい」
息子さんを連れてきていたのかな。
「これからもよろしくお引き立てのほど、お願い致します」
お父さまはさらりと受け流す。
あらかじめ、アイリスには既に許婚がいると、招待客たちに情報を流しておいたようだ。その方が、面倒が起こらなそう。さすがお父さま。
「許婚はどのような方でいらっしゃるので? どの家の、お幾つぐらいの方ですかな」
食い下がって情報を引き出そうとする人もいる。目がぎらぎらしてて、ちょっとイヤ。ヒューゴーお爺さまと同類な感じ。
「のちほど紹介いたしますので、お席につかれてお待ちください」
許婚に対して微妙に敬語を控えめにするあたりで、身内だと、わかる人にはわかるかな。
果てしがないように思えた、顔見せの人たちが、ようやく終わった。
お爺さまは来なかった。プライドが高そうだったし、今さら招待客と同列に挨拶に来るわけもないかも。
ここでシャンパンみたいに発泡している飲み物のグラスが配られ、乾杯。お酒は出さないってティーレが言ってたから、きっとお酒ではなくペリエみたいなものかな。
乾杯が終わると拍手。
そして、再びお父さまは壇上から、「アイリスの許婚を紹介させて頂きます」と言う。
客達の視線が集まる。
進み出た人物が、『覚者』の白いローブを纏った魔法使いだったことに、驚きと、納得したような声とが混じる。
「許婚は成人の魔法使いか。残念だ。相手が同年代の子どもなら、我が家のつけいる隙もあったのに」
誰かの独り言を、風の精霊シルルが拾って、あたしの耳に届けてくれた。
こう考える人が多いだろうとカルナック師が提案し、彼らへの牽制として、この婚約を計らってくれたのだ。
あたしにとっては、むしろ喜ばしいことだった。
おかげで、ずっと大好きだったエステリオ・アウルと許婚になれたのだもの。
「アイリスが生まれた時からの許婚、エステリオ・アウル」
お父さまが言う。
声を張り上げる必要はなかった。この時には客達はしんと静まりかえっていたのだ。
進み出たエステリオ・アウルは、一同に頭を垂れる。言葉は述べない。
魔法使いは寡黙なもの。それは誰でも心得ている共通認識らしい。
「ふん、茶番だわい!」
ふいに声があがって、一同はそちらを向く。
ああ、お爺さまだ。やっぱりね。
お爺さまが何も仕掛けてこないわけがなかった。
「生まれた時からの許婚? どうせ魔法使いどもの入れ知恵だろうが」
お爺さま、それ当たってます。魔法使いの長カルナック様の取り計らいです。
「当人達の意思はどうなのだ」
お爺さまがこれを言い出すのはちょっと不思議。貴族や、大きな家では、本人の意思と関係なく婚約が結ばれたりするものではなかったかしら。
ところがそれに対して「そうだ本人の意思は」「まだ六歳なのだから」と、尻馬に乗るような発言が続いた。ひそひそと、表だって声を上げはしないが。
雰囲気が悪い。こんなのイヤだ。
せっかくエステリオ・アウルとあたしは許婚になれたのに。
あたしはうつむいてしまう。
「アイリス。お顔を上げて」
お母さまの声に、あたしは上を向く。
「アイリス」
すぐそばに、エステリオ・アウルの顔があって、あたしは驚いた。
「わたしはアイリスの許婚だ。きみを護ることを誓う」
え?
これは後で、晩餐会のときにカルナック師とコマラパ老師の前で誓うはずだった言葉では?
驚くあたしに、エステリオ・アウルは、顔を寄せて。
あっ。
アウルの指が、あたしの唇を、なぞって。
身体が震える。
彼は微笑んで、指先を唇から離して。
あたしの頬にキスをした。
そのときあたしは悟った。
もう、離れられない。
あたし、月宮有栖は。エステリオ・アウルに捕らわれた。
「あのバカ!」
「普通にキスするよりエロいわボケ!」
ティーレとリドラの心の声は、幸い、誰にも聞こえなかった。




