第4章 その28 女神さまの忠告(修正)
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魔法陣で転移する瞬間は、きっとごく短いのだろうけど、あたしにはひどく長く感じた。エステリオ・アウルの姿が消えていくのを見たときの怖さは、たとえようがない。
銀色の靄に包まれる。
あたしをしっかり抱いていてくれるティーレ、側に居たはずのリドラの姿も見えなくて。
『その不安は理由のないものではないわ』
ふいに、懐かしい、優しい声が胸に響いて、あたしは周囲を見渡した。
「女神さま! スゥエさまなの?」
『ええ。ここは通常ではない異質な空間だから。やっと声を届けられるわ。首都イル・リリヤには大勢の魔法使いがいて、守護のための強力な魔法を展開していて、魔力が干渉しあって連絡できなかったの。これだけ言っておくわ。あなたが六歳の誕生日を無事に迎えた祝いの席はめでたいこと、けれど慶事には隙が生じるもの。あなたには守護精霊たちがいるから大丈夫だけど……エステリオ・アウルに、気を配ってあげて』
「スゥエさま? どういうこと?」
『ターゲットは……昔と同じ』
それきり、スゥエさまの声はとぎれ、あたしは通常の空間に戻ってきた。
「アイリス!」
「アイリスや!」
ここは、知ってる。お父様の書斎だ。
お父さまとお母さまがいる。
リドラとティーレに手をひかれたあたしが魔法陣の上に姿を現したのを見て、二人とも急いで駆け寄ってきた。
「お母さま! お父さま!」
「よかった。離れていた間は、とても心配だったのよ」
お母さまは、あたしのお支度を見て、嬉しそうに、目を細める。
「とてもいいわ。そのドレスにして、よかった」
「そのティアラもよく似合う。アイリアーナの夜会デビューの時を思い出すなあ。そのとき出会って……一目惚れだった」
お父さまとお母さまの出会い、初めて聞きました。
「もっとよく姿を見せて」
お母さまは、あたしを抱き上げ、頬を寄せた。
「……あら? あなたの髪から、エステリオ叔父様の香りが……それに、これは、叔父様の魔力……?」
あっ! やばい展開!
以前にもこんなことがあった!
お母さまは魔力の質の違いが感じ取れる人だった。
それで叔父様があたしに何か口では言えないようなことをしたのではと疑いをかけたことが、あったのだ。
「それは私の指示ですよ」
転移の魔法陣が再び銀色に光って、カルナック師が姿を現した。
「ああ、カルナック様」
険しくなりそうだったお母さまの声が、急に力が抜け、柔らかくなった。
「このたびはアイリスのためにいろいろとお骨折りを頂きましてありがとうございます。あの、あなた様のご指示というのは?」
「招待客の中には、あなたのように魔力の質の違いを検知できる者もいることでしょう。彼らは、きっとこう命じられています。許婚と公表されている相手はどこの誰か、名目だけの許婚ではないかと。そこに付け入る隙があるか、探れと。隙があれば自分たちの息のかかった者を代わりの婚約者にと推挙するつもりだ。アイリス嬢は、それほどの魅力がある存在なのです。ですから我々、魔導師協会が、今日の警備について協力させていただいている」
「まあ! 恐ろしい!」
「そのようなわけで、名目だけではなく、実際に親しい間柄だと、皆に周知するために。隠し部屋にいる間、エステリオ・アウルには、お嬢様を膝に乗せて、護っているようにと申し渡したのですよ。二人とも強い魔力を持っていますからね。近くにいるだけでも互いの魔力が干渉しあうのです」
「そうでしたの」
と良いながら、お母さまは、あたしのドレスを調べ始めた。
「そうね……不自然な皺は、ないわね」
危ないところだった!
カルナック師とリドラが、念入りにあたしのドレスの皺を取って、ティアラや髪も整えてくれたから、お母さまの疑いも晴れたみたい。
言えない。
今日初めて許婚に決まったエステリオ・アウルともうキスしてるなんて、お母さまには言えない!
「さすが師匠。ごまかしがうまい」
「亀の甲より年の功だよね」
ティーレとリドラが日本語で会話している。
まるで暗号文みたい。
「アイリス。いらっしゃい。もうエステリオ叔父様は先にお茶会に出ているわ。最後に、主役のあなたが登場するの。素敵だわ」
うっとりしたように、お母さまが頬を染める。
「わたしの実家は、小さな商家だったから、お披露目は簡単に済ませたのよ。あなたには、素敵なお披露目会をしてあげたかったの」
「我が家のお姫さま。お手をどうぞ」
お父さまの差し出した手を、あたしは握った。
茶会が行われている、お父さまご自慢の、中庭へ。
お父さまに誘われ、あたしはゆっくりと歩く。
隣にはお母さまがいて。
嬉しくて、だけど、ふいに、あたしは泣きそうになる。
アイリアーナお母さまは、前世のあたし、21世紀の東京に住んでいた、月宮有栖のママに、雰囲気が似ているから。
あたしはママより先に十五歳で死ぬなんて親不孝をしてしまったことを思い出す。前世のパパは早くに死んで、顔も覚えていないけれど。
ママ。ごめんなさい。
あたしは、ここで、異世界で、生きているよ。
伝えられたらいいのに。
「どうしたのアイリス。不安なことは何もないのよ」
「ううん、お母さま。うれしいからなの」
笑顔で、そう答えて。
今のお母さまとお父さまには、うんと親孝行をするんだ。
あたしは決意を新たに、茶会の席へと足を踏み出す。
エステリオ・アウル叔父様も……あたしの、大切な許婚も、そこで待っていてくれる。
けれど、ふと不安がよぎる。
あのスゥエさまの忠告。
『ターゲットは……昔と同じ』
どういうことだろう?
館の廊下を、お父さまとお母さまに挟まれ、後ろにティーレとリドラがいるのを感じてゆっくりと歩きながら、あたしは、考えていた。
この時点では、よくわかっていなかった。
もっとよく考えておかなくちゃいけないことだったのだと、あたしは、後に、痛感することになる。




