第4章 その18 カルナックの提案(修正)
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窓も分厚い遮光カーテンも、その内側の、レースの白いカーテンも閉め切った、アイリスの子供部屋には、大勢の魔法使いたちがぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態で、思い思いに話をしていた。
彼らの話題は主に、堅物で知られていたエステリオ・アウルが初めて恋の告白をしたことを祝うものだったが、それを聞いているアウルの顔色は、どんどん青くなっていくのだった。
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魔法使いの長カルナック・プーマは言った。
「エステリオ・アウル。きみ、アイリス嬢の『許婚』に、なりたまえ」
「はい!?」
呆然としたのはアウル。
「ちょっと待って! カルナックなんだっけ? 何言ってんの!」
まだアウルの腕の中にいたアイリスは叫ぶ。
「頭どうかしてるの? いきなり『許婚』になれだなんて! アウルはあたしの叔父さんで、あたしは姪なんですけど!」
カルナックは楽しげな笑みを浮かべ、怒りに燃えるアイリスを見た。
「やっと出てきたね。アイリス嬢の、もう一つの前世。ニューヨーク生まれのイリス・マクギリス嬢。きみはカトリックかな? アウルも前世の道徳観で躊躇っているようだが、このエルレーン公国やレギオン王国では、生まれ持つ魔力が多いかどうかが最重要だから、血縁の忌避は関係ないのだ。まあ、親子や祖父母とは、さすがに認められないがね」
アイリス(イリス・マクギリス)は露骨にイヤな顔をした。
「もしかして、あたしを呼び出すために、わざとそんなことを言ってみたわけ?」
対するカルナックは、楽しげだ。
「エルナトから聞いていた通りだな。桁外れの魔力と気の強さ。きみは面白いな。実のところ許婚は誰でもいいのだ、きみを狙う各方面の有力者に対する抑止力だから。どうかな、私では?」
「カルナック師匠。研究心をそそられるからといって、幼い子供に求婚するのはやめてください」
その場に、エルナトが現れた。
輝くような、まっすぐな長い金髪をなびかせ、灰緑の目は、心配事がありそうに憂えている。
しかし、彼の足下に影はない。
よくよく見れば、その場に集まった魔法使いたちのほぼ全員には、足下に影が落ちていなかった。彼らの実体は、ここにはないのだ。
「おやエルナト。目と耳では飽き足らず影を飛ばしてきたか」
「黙って見守るだけでは我慢できませんよ。お師匠がとんでもないことを言い出すかと思うと、はらはらして」
困惑しきった様子のエルナトの苦言を、もちろん彼らの師であるカルナックは、聞いていなかった。
「まあ、『許婚』の役はエルナトでもいいが、アンティグア家では大貴族すぎて他の面倒が生じるからな。エステリオは立ち位置もちょうどいいのだ。もちろん私も、自分で言うのもなんだが優良物件だよ。何しろ、面倒くさい血縁はとうの昔に死に絶えているからね」
「ダメです! 誰にもあげませんから。たとえお師匠さまでも」
エステリオ・アウルはアイリスを更に固く抱き寄せた。
が、今は精神の中身がイリス・マクギリス嬢であるので、アイリスは居心地悪そうに足をばたばたさせた。
「くるしいってば、エステリオ・アウル」
くくく、とカルナックは笑う。
「冗談に決まっているのに。若い者は頭が固いなあ」
「笑えませんよ!」
「同感です」
エステリオ・アウルとエルナトが同時に言った。
「いい加減にして! こんな大事なことを、冗談だなんて」
叫んだのはアイリス。
彼女の周囲に、キラキラと輝く光と、水と、土つぶてが渦巻く。高速で回転する小さな竜巻が、カルナックに向かって放たれる。
だが、アイリス、イリス・マクギリスの放った渾身の四精霊混合の竜巻は、カルナックまで届かなかった。
到達する前に、ほどけて消滅してしまったのだ。
「あれっ。ティーレとリドラには効いたのに」
カルナックは楽しげに笑う。
「この私に精霊魔法で攻撃? 五百年早いよ。これで六歳の幼児だからなあ。面白いな。きみは本当に面白い。学院に入ったら、私の講座を取りなさい。人気だから予約で満杯だけど、なんなら今すぐにでも、特別に入学させてあげるよ?」
「お師匠さま、無茶すぎです」
「むだよエステリオ・アウル。このひと聞いてやしないわ」
慌てるアウルの胸中から、アイリスは勢いよく足を振り上げ、飛び出して床に降りた。
顔を上げ、挑戦的な目でカルナックを睨み付ける。抑えきれずこぼれ出る魔力のために、瞳は凄みを帯びた水精石の青に輝いている。
「それはどうも、お誘いありがとう。あたしまだ六歳になったばかりだから、ゆっくり考えさせていただきます。でも、エステリオ・アウルの研究室のナントカ老師っていう人にもロックオンされてるの。そちらを、どうにかしてくださる?」
「ああ、コマラパか。だよねー。その話は、また後でするとして」
その話題は華麗にスルーされた。
「さて、冗談なんかじゃない。この話はアイリス嬢のご両親にもしてある。きみはご両親が思っているより遙かに危険に晒されているのだ」
カルナックが合図をすると、部屋に詰めかけていた魔法使いたちが、一人、二人と姿を消していく。『目』と『耳』だけを残して投映像を消したのだ。
後にはエステリオ・アウル、ティーレとリドラ、カルナック、そして投映像の中ではエルナトだけが残った。もちろんローサはアイリスのすぐ側にいる。
もともと、ここにいた魔法使いたちは、子供部屋に入りきる人数ではなかったのだが。
「誘拐のこと?」
覗き見や盗聴を危惧し、窓の遮光カーテンとレースのカーテンが両方ともきちんと閉まっていることを確認して、イリス・マクギリスはカルナックに問いかけた。
「誘拐も確かに懸念しているが、それだけではない。この国は魔力優先社会なのだ。魔力さえ豊富なら下層民でも出世はあり得る。だからどんな有力者でも、常に、魔力を高める方法を求めている。きみは貴族ではないのに強大な魔力持ちで、魅力的な女性。狙われない理由のほうが考えられない。まともなところで、貴族や財界関係の、後継者の嫁とか……側室とか」
「まともでなければ?」
「子供には聞かせたくないな。私のポリシーだ」
先刻まで軽口を叩いていたとは思えない真摯な顔で、カルナックは立っていた。
「アイリス嬢、ともかくきみは多方面から狙われている。誘拐事件と全く関係ないだろう有力者たちからも、刈り取るべき獲物と思われているのだ。それを防止するには、予約済みの札を付けておくのがいい」
「え~っ。あたしには恋愛の自由はないってこと?」
「たとえ今日のお披露目会で誘拐されなくても、いつかどこかの権力者のベッドに連れ込まれたくはないだろう?」
「そんなのいやに決まってるでしょ!」
子供に聞かせたくないと言っておきながら、忌まわしい想像をさせるようなことをカルナックは示唆する。
「だから、予約済みにするんだよ。今日のお披露目では、きみと『許婚』の両方を公開する。それで問題はほぼ片付く。そのためにもアイリス嬢の『許婚』は、権力闘争と無縁の、我々、魔法使いが望ましい。いずれきみも学院に入り将来は魔法使いになることで、彼らの手から完璧に逃れられる」
アイリスは黙っていた。
カルナックの提案には抵抗があるけれど、何もしなければ、悲惨な未来が待っているようで、ぞっとする。
「#魔法使いの長カルナックさま! そうすればお嬢さまは、誰の手からも護られるのですね!」
アイリスの代わりに答えたのは、小間使いのローサだった。
今まで、エステリオ・アウルとアイリスの傍らに付き添っていて、魔法使いの登場には大いに驚き、言われたことを懸命に考えて考え抜いた末に、答えを出した。
(やっぱりアウル坊ちゃまは信頼できる人だった!)
「ありがとうございます。お嬢さまをお護りすることを考えてくださって……わたしも、がんばります。先代様には負けません!」
「ラゼル商会の先代会長か。気持ち悪い相手だが。その問題も、許婚を公開すれば案ずることもなくなるだろう。では、ローサ。今日はよろしく。これからが、お披露目会の本番だからね」
「おたずねしてもいいかしら」
最後にイリス・マクギリスはきく。
「カルナックさまは『先祖還り』なの? セレナンの女神さまを知っているの?」
それには、カルナックは答えなかったが、ふふ、と、薄く、唇に微笑みを浮かべた。
「四百年ぶりに聞いたね。その名前を。いまさら私には誰も問わなかったのでね」
「では、どの女神さまが?」
「それは、内緒だよ」
いたずらっぽくウィンクした。
そのときだった。
長い銀色の髪をなびかせた、十代半ばくらいの美しい少女が幻のようにカルナックの傍らに佇んでいたのを、イリス・マクギリスは、見たような気がした。




