第4章 その16 アウルのとんでもない宣言(修正)
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「あのバカ! なんで出てくるんだよ」
エステリオ・アウルが予定にない登場をしたことでティーレは焦っていた。
「いざという時のために子供部屋の前に仕掛けておいた転移陣の存在もバレちゃったじゃないか!」
「だいじょうぶよ。あの爺さん、気がついてないわ。アウルの挑発に気を取られてる。だいたい、以前に会ってるのに、わたしたちの顔も覚えてないし」
リドラとティーレは、エステリオ・アウルの誘拐事件を担当したのだ。調査しているときヒューゴー老の事情聴取もしている。
「それにしてもアウルったら。せっかく陰でいろいろ工作できるように姿を隠していたのにねえ」
リドラは肩をすくめた。
「でもアウルってほんと、バカだけど可愛いわ。アイリスちゃんを護りたくて出てきちゃうなんて、乙女心が胸キュンだわ~」
「リドラが乙女って自称するの違和感あるわ……だいたい実年齢いくつだよ」
彼女が前世では36歳の独身男性だったのを知っているだけに。
「実年齢の話はやめようよ。お互い痛い話題だし」
「……そうだね」
ヒューゴー老は食い下がる。
「招待されたから来たのではない。初孫が無事に六歳になったお披露目会にくるのに許可がいるというのか。別居して以来おまえにも会えなくなった哀れな老人に、かわいそうとは思」
「見るな触るな。減る」
アウルは老人の言葉をみなまで言わせず遮り、きっぱりと断った。
「ほほう」
ヒューゴー老は面白いものを見たように、にやりと笑い、幾度も頷いた。
「懸命だな。まるで自分の女を護るかのようではないか」
ふと、何かに気づいたように。
「なんだ、もう手をつけていたのか。さすがわしの息子だな」
さも楽しげに笑うのだった。
アイリスが怯えたように身を震わせ、ローサにしがみついた。
「ローサ、あのひとだれ。てをつけていたってなに」
「お嬢さまには関係の無いことです」
顔色を変え、立ち尽くすローサの声に憤りがこもる。
いきなり何を言うのだ。先代は。
ローサは不愉快だった。いかに困った先代でも、ローサはラゼル家の使用人なので口答えなど許されない。それにしても。
アウル様がアイリスお嬢さまに何かしたかのような……まったく根拠のない言いがかり、誹謗中傷としか思えない言動だ。老人の戯言だ。
しかし。
エステリオ・アウルは、ヒューゴー老の決めつけを、否定しなかった。
「アイリスは、わたしのものです。今後一切、手を出さないでいただきたい」
ヒューゴー老に正面から向かい、背後のアイリスを庇う。
アイリスの胸が、きゅっと締めつけられる。
その強い感情の揺れを感じて、イリス・マクギリスは狼狽えた。
(あっやばい! 今のは有栖の感情だ。引きずられそうになったわ)
「いいから、わしにも初孫を抱かせてくれんかのう」
「普通のおじいちゃんみたいなことを言っても信用できません。アイリスに近づかないでください」
アウルは拒絶し続ける。
が、ヒューゴー老は、再び、にやっと、人の悪い笑みを浮かべた。
「だが考えてみれば、真面目で気の弱いおまえに、何もできるわけがない。わしを近づけまいと、牽制するために言っただけだろう? おい、わしの孫を抱いているメイド。おまえは、ラゼル家の家長たる、わしの命令に従わなければならんはずだ。アイリスを、よこせ」
猛禽類の爪のような、手をのばす。
ローサは緊張で身体を硬くした。膝が、がくがく震えていた。
「いやです。お嬢さまは渡しません」
そう答えながら、足が、老人に引き寄せられるように動こうとする。
主従関係の契約呪文だと、ティーレは判断した。
雇用するときに主人側が万が一の場合を考慮し、身を守るために交わすものだが、主人に近い血筋の者は、契約を利用することも可能である。
おそらく命令系統を強める魔術補助具を持っているのかもしれない。
ティーレとリドラは目配せを交わした。
アイリスをヒューゴー老に渡すという選択肢はあり得ない。
二人がかりで老人を攻撃。拘束するか。実力行使もやむを得ない。
瞬時に判断した二人が行動を起こそうとしたときだった。
ふわりと風が動いた。
アウルが身を翻して、ローサの腕からアイリスを奪い取る。
そのままお尻の下を手で支え、抱きしめて、顔を寄せる。
「疑うなら、証明する」
そう言って、アイリスの唇に、口づけた。
最初は、軽く唇が触れ合うだけ。
次第にそれは、深く、激しくなった。
「んっ! ん……」
一瞬だけアイリスは抵抗を見せたが、それはすぐに消えた。
やがて自分からアウルの首に小さな腕を回してすがりつく。
互いに求め合うような口づけは、情熱的に繰り返された。
何度も、何度も。
長い口づけが終わる。
アイリスは泣きそうになってアウルに抱きついた。
「おじさま!きっと、来てくれるって思ってた」
(なにこれ! こんなはずではっ!)
イリス・マクギリスはパニックになっていた。
アイリスの意識は、この瞬間、月宮有栖に、みごとに取って代わられてしまっていたのだ。
いざとなったら自分が老人に精霊達の魔法をぶつけるか、ぴしゃりとキツいことを言ってやろうと決意していたのにだ。
「もういいわい」
ヒューゴー老は、顔を歪めた。
よく見れば、笑っているのだった。
「確かにおまえは、わしの息子だな……」
くっくっ、と笑いながら、その場を離れていった。
「では、午後の茶会でな。そこには招待されているのだ、追い出さんだろう?」
「先代様!」
「お待ちいただくのはこちらへ」
そこへ、使用人達が駆けつける。
屈強な男性ばかりである。ヒューゴー老を押さえるために選ばれた者たちだった。
「こちらへ、先代様」
言葉だけは丁重だが、左右から脇をがっちりと固め、逃げられないように先導するのだった。
水鏡で見ていたエルナトは、盛大に噴いた。
「ヒューゴー老の姿を見るなり飛び出して行って何をするかと思えば……どれだけ多くの魔法使いたちが、今、この場面を見ているか知っているはずなのに」
エルナトもまた、腹を抱えて笑い続けていた。
ヒューゴー老が立ち去ると、アウルは、
「すまなかった。有栖」
抱きしめたまま、アイリスの耳もとで囁いた。
「あの老人は無垢な魔力が好きなのだ。誰かのものなら魅力が薄れるらしい。だから、防波堤として……失敬な疑惑だが、今は利用させてもらおうと」
「いやあ、言い訳はいいから。アウル」
ぷっと笑いをもらすティーレ。
「やぁ~だ、もう。お姉さんたち、いいもの見せてもらったから、いいわ。許す!」
笑いを隠すこともしないリドラである。
「えっ」
虚をつかれるアウル。
「けど、これだけは言っとく」
ティーレは前置きをし、まっすぐにアウルの目を見た。
「この場に魔法使いが三十人いるって、知ってるよね。目と耳だけ寄越してるのも入れたら五十人体制だ。みんな目撃しちゃったからさ。言い逃れはやめな。アイリスちゃんが、かわいそうでしょ。誕生日のお披露目で、大好きなおじさまにキスされたのに『実は違うんだ、ふりだけなんだ』なんて言われたらどれだけ傷つくと思う? 今更、逃げるな。自分の気持ちに正直になりな。大先輩のあたしらからの忠告だよ」
「……肝に銘じます」
アウルは耳まで真っ赤になった。
だがアイリスを抱いた腕は、離さない。アイリス(有栖)もまた、アウルにすがりついた手を離そうとはしなかった。
「おじさま」
「大丈夫だよ。誰にもきみを渡さない」
「アウル坊ちゃま。申し訳ございません。わたくしが至りませんでした。坊ちゃまが助けてくださらなかったら、みすみす、先代様に、お嬢さまを……」
うつむいたローサの声がとぎれた。
悔し涙が、足下に落ちた。
「大丈夫だ。雇用契約の呪文は、わたしが解除して、改めて条件を書き直そう。先代には、この館の者に指一本触れさせないように。きみたちの、誰一人として、意志に反した命令に従わなくて良いように」
「ありがとうございます、坊ちゃま」
尊敬するメイド長のトリアがアウルを呼ぶときの「坊ちゃま」という言葉が、ローサの心を落ち着かせていく。
この家は、当代のラゼル家のもの。先代が、以前はいかに権勢を誇っていたとしても。今は、違うのだと、ローサは自らに言い聞かせていた。
ヒューゴー老のアウルへの失礼な言いがかりについては、ローサにとっては、どうでもいいことだった。アイリスが赤ん坊のときから、アウルがいつも気に掛けて護ってきたのを知っている。アイリスお嬢さまを傷つけることなど、アウル坊ちゃまは絶対にしないと信じている。
その肩を、ぽん、と叩いたのは、ティーレだ。
「ローサ。あたしらも反応が遅れたのは申し訳なかった。今度は、遠慮はしない。相手がやる気なら、怪我くらいさせちゃってもいいよね? うっかり殺しちゃうかもって思ってセーブしちゃったんだが。次は、側にも寄らせないよ」
リドラも言い添える。
「第二ラウンドといきますか。本番の、茶会でね」
(え、第二ラウンド?)
こんなときだがアイリスはなんだかおかしくて、笑ってしまった。
リドラが口にした言葉の意味を知るのは、彼女の他にはティーレとアウル、アイリス、前世の記憶を持つ『先祖還り』である者たちだけだった。
(やれやれ。大人のつもりだった、あたし(イリス)が、まだ子供だと思ってた有栖に振り回されるとはね)
イリス・マクギリスは、リベンジを誓っていた。
みんな、あのくそじじいのせいなのである。
心の内で「次は、殺す」
はなはだ物騒なことを誓うイリス・マクギリスだった。




