第4章 その9 エステリオ・アウルの再生(直しました)
9
四歳の誕生日に誘拐されたエステリオ叔父さんを助け出してくれた賞金稼ぎのティーレさんとリドラさん。
ふたりに、あたしは心からお礼を言った。
そうしたらなぜか、涙が出てきて。
「あ、アイリスちゃん!?」
「泣かせちゃった!?」
ティーレさんとリドラさんが慌てているけど。自分ではどうしようもないの。
一度こぼれたら、涙が止まらなくなって。
泣いて泣いて。
「こっちおいで! アイリスちゃん」
ティーレさんが、あたしを、ぎゅっと抱きしめる。
あ。
あったかい。
とっても心地良い、きれいな魔力が、ティーレさんの中をゆっくりと大きく巡っているのがわかる。
それに、お胸がふかふかで。お母さまに抱かれているときに似てる。
「あっティーレったらいいな~、アイリスちゃん、わたしは? わたしには?」
どんと来なさい、というふうに手招きをするリドラさんだけど。前世は男性だったんですよね? しかも三十六歳て。微妙です。
「下心見えとるわ! もうええから、あんたは黙っとれ!」
ティーレさんが怒る。
あ、日本語だ。
ほっとする。ティーレさんの温もりに包まれて。あたしは、涙をぬぐう。
やっと、心が静まってきた。
「あっごめん、あたし、日本語喋ってた? 興奮すると未だに出ることがあって。困ってるんだけどね」
「ううん。懐かしかったです。ありがとうございます」
「アイリスちゃんは、良い子だなあ。でも、つらいことがあったら、我慢なんかしなくていいんだからね」
ティーレさんが頭を撫でてくれる。
あたしは素直に頷く。それがなんだか安らぐ。
「そろそろ、落ち着いてきたかな」
はい、と、あたしは答えて、
「わたしがメイドさんたちから聞いていた噂と、ずいぶん違います」
ティーレさんとリドラさんは顔を見合わせて、うなずき合う。
「ああそれね。国ぐるみで、捏造した噂を流しといたから」
「むちゃくちゃやばいから、捜査記録も抹消するし、かなりの人数の記憶を改ざんしたよ。面倒だったあ~」
「エステリオおじさまの記憶も?」
「もちろん。誘拐は未遂。気の毒だけど死んだ乳母に、責任がいっちゃって。でもまあ、彼女が手引きをしたのは事実だったんだけどね。誘拐事件そのものが、何もなかった、ってことにした。ごまかしきれなかったんで未遂、ってところまでは世間に公開することになったんだ」
見た目では十五歳くらいの美少女ティーレさんが上司。
年齢不詳のセクシー美女、リドラさんのほうが前世ではティーレさんの部下で男性だった。今もコンビを組んで賞金稼ぎと呼ばれるフリーで動く魔法使いをやっていても、力関係は前世と同じらしい。
「それに、家族の記憶もね。わたしがさっきアイリスちゃんに『そういうことになってるのね』って聞いたのは、ちゃんと情報操作がされていたかどうかの確認だったの」
ラゼル家の使用人がほとんど、古い人がごっそりやめて新しく雇われた人たちに入れ替わったのも、国からの勧告で行われたことで。実は、事件が原因だった。
館も全面的な改装が行われて、以前の面影はまったくないという。
「そうだったんですか」
「それでも」
ティーレさんは、まだ、あたしを抱きかかえたまま、静かに話し出す。
「エステリオ・アウルという子供は、変わった。記憶には残ってないはずなのに、何かを感じていたのだろう。いつも、感情を表に出さず、無表情で。大人の男性も女性も避けていた。暴力には、それと知られないように努力していたが、ひどく怯えていた。人を疑うこともなく輝いていた、善意の魔力を周囲に放っていた天使は、いなくなった」
「医師の助手をしていたエルナト・アンティグアが、幼なじみということにしてエステリオ・アウルの側についていて常に気を配っていたけれど。エステリオという子供は、いつも怯えて、まるで別人になってしまったんだ」
「そんな……そんなのって!」
聞いているあたしの身体がこわばる。
ティーレさんが、優しく、髪を撫でてくれる。
この時点で、あたしは気づいていた。
どんなにむごい事件の真実を語っても、エステリオ・アウルに実際に加えられた虐待の内容については、二人とも決して触れていないということに。
「エステリオ・アウルは自分で魔力に蓋をし閉じこもっていた。学院に入学することになっても、ひたすら影に、目立たない位置にいるように心がけていた。……彼に転機が訪れたのは、彼をいつも庇護していた兄のもとに、アイリスちゃんが生まれたことだ」
「わたし?」
「そうだよ。エルナトから聞いている。人を恐れ、誰にも関わろうとしなかったアウルが、大っぴらに姪のアイリスが可愛い、兄夫婦に幸運の虹がやってきたなどと周囲に公言して。別人のように穏やかで安定した人格になった。いや、ようやく本来の人格に戻ったというべきか」
信じがたい内容だった。
あたしの知っているエステリオ叔父さんは、いつも、いつも優しくて。
「おじさまは、わたしが覚えていないくらい小さい頃から、怖い夢を見て泣いていると必ず来てくれて。眠る前には絵本を読んでくれたの」
ティーレさんの穏やかな胸の鼓動を、あたしは感じ続けている。
ひな鳥を抱くような、この腕の中から、出て行きたくない。
「これは、あたしの推測だけど。エステリオ・アウルは、記憶にはまったく残っていないはずの、虐待された過去の自分を、無意識下では覚えている。そんな彼が、まだ幼く、前世の破滅的な死にまつわる記憶に怯えるアイリスを護り、助けることで、幼い日の自分を、救い出そうとしているのだろう」
ああ。
また、涙があふれる。
「わたしを護ることで、おじさまは自分を救えるの?」
ティーレさんの、安全な胸の中にいたあたしは、顔をあげた。
ちゃんと目を開けて聞いておかなくては、いけない気がした。
ティーレさんは、わかってくれた。たぶん。
慈愛に満ちた笑みをたたえて。
「そうだね。代償行為、いや、昇華か。何にしても、純粋な、献身的行為に違いない。過去のエステリオ・アウルは、いったん死んだ。アイリス、きみを護ることで、ようやく、ふたたび現実を生き始めたんだ」




