第3章 その21 これから始まること
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セレナンの女神スゥエさまの投影していた姿が消えたのち、館に舞っていた精霊火もすべて消えた。
それから間もなく、アイリスは意識を失い、倒れ込んだ。
この事態を予想してではなかったが、あらかじめヴィー先生がアイリスをソファに横たえておいたので、突然床に倒れて怪我をするということにはならなかった。
「また意識が交代するのかもしれないな、アウル」
「そうなのだろうか?」
「うむ。アイリス嬢の幼い身体に、成人女性であるイリス・マクギリス嬢の精神がずっと表に出ているのは負担がかかるのかもしれない」
※
「イーリス!? 大丈夫か?」
心配そうなエステリオ叔父さんの声がする。
『気がついた!』
ジオの声が。
『アイリスアイリス!』
シルルとイルミナが飛んでくる。
『うわぁん、アイリスぅ! よかったぁ』
ディーネはちょっと泣き虫ね。
そしてあたし、有栖は目覚めた。
たぶん、本当の意味で。
何回か、記憶が飛んでいたときに、あたしのもう一つの前世であるイリス・マクギリスの意識が覚醒していたのだということを、今は、はっきりと理解している。
それに先ほどイリス・マクギリスが表に出ていたときの記憶もあるのだ。これはあたし、有栖にとって初めてのことだった。
目覚めたらベッドに寝かされていたので、ちょっと驚いた。
あれ? もしかしてもう夜なの?
どのくらいの間、意識がなかったんだろう。
天蓋付きのベッド。天蓋から垂らしてあるレースは、たくしあげてあり、天蓋の内側に守護妖精たちが集まって、キラキラ輝きながら飛び回っているのが、見えた。
「ああ、イーリス! よかった、気がついたんだね。なかなか目が覚めないから、心配で心配で」
エステリオ叔父さんの情けない顔ったら。
いつも思う。雨に濡れた子犬みたいだって。なんでかな。あたし、前世でそんな子犬を飼ってたとか、見たことがあったのかな……。
「おじさま。わたし、だいじょうぶよ。ずいぶん長く眠っていたの? 今は夜? お母さまは? エルナトさんは?」
「エルナトはアイリアーナ夫人の診察を終えて、今はアウルの部屋で薬を調合している。ローサといったか、黒髪のかわいい小間使いくんは、その手伝いをしている。安静にしたほうがいいと言っておいた。誰も近づけないように」
エステリオ叔父さんの後ろに佇んでいたらしいヴィー先生が、あたしの側に近づいてきた。
ヴィー先生の髪色は、今は赤い。魔法で色を変えたりできるのかな? なんて、とりとめのないことを考える。
ふと、ヴィー先生の肩の上に、深紅の閃きが見えた。
ああ。あれは、ヴィー先生の守護精霊ね。
セラニスのとは違って、鮮やかな赤い髪をしている。
炎の精霊かな?
『そうだよ。初めまして、アイリスお嬢さん。ヴィーのことをヨロシクね』
こちらこそ。
お世話になるのは、あたしのほうよ。
これからよろしくお願いします。炎の精霊、サラ。(……サラマンダー……?)
「ありがとうございます。ヴィー先生」
「落ち着いたか。今は、アイリスのようだね。それとも、ありす、と呼んだほうがいいのかな」
「アイリスでお願いします。今の人生も大事にしたいんです」
まだ三年と数ヶ月しか生きていないけど。この世界に生まれて経験してきたことも紛れもなく、あたしの人生なのだ。
有栖は死んで、ママにはもう会えないし、謝ることもできない。
あたしは、アイリス・リデル・ティス・ラゼルとして生きていくのだ。今、周りにいる人たちとの縁も大切にしたい。
「うん、そうだね。大事なことだ」
ヴィー先生も頷いてくれた。
「アイリス、さっきイリス・マクギリス嬢だったことは、覚えているかい?」
「ええ、ヴィー先生。実は初めてなんです。イリス・マクギリスという前世のことを、有栖とは別の意識として自覚したのは」
「ふむ。実に興味深い現象だな。ぜひ今後とも、そばで観察したい……いや、こんなことを言うと怒られるな」
「だいじょうぶです。事情をよく知っている人がそばにいてくれたらって、思っていたの。お父さまにも、お母さまにも、話せないし」
うっかりヴィー先生にそう言ったら、「わたしではだめなのか」と、エステリオ叔父さんが落ち込む。
あ。なんか、ごめんなさい。
「拗ねるな面倒くさいヤツだ。アイリス嬢だって、男性のアウルには相談できないこともあるだろう。それにアウルは老師の研究所に所属しているんだから。いつも彼女の側には居てやれないだろう?」
「そうだけど」
そうだけどって。子供みたいなエステリオ叔父さん。
「ところで最初は、ヴィー先生の話し方、もっと女性っぽかったですよね?」
「ああそれか。せっかく得た家庭教師としての職場。しっかりやろうと気負っていたからな。私も猫を被っていたのさ。だけど、私には無理だったなぁ」
先生は豪快に笑った。
「素に戻るのが早すぎるだろ!」
「ふん。おまえだってアイリスの前では大人っぽく振る舞おうとしているじゃないか」
美人家庭教師、ヴィー先生がやってきて、楽しい生活になりそうです。
※
「それにしてもスゥエさまは可愛かった! 私の理想の美少女だ! もう、他の女性には目がいかないよ。今の私は、彼女一筋だと誓う!」
「……へ~。そうなんですか……」
他にどう応えればいいのか。
その後も先生は、触れることもできない女神である美少女に至高の愛を捧げることへのロマンを蕩々と語ってくれました。
「もう他の女性に浮気はしない! スゥエさま!」
「……ともかく、アイリスの身の安全は守られそうだな」
いったい何を言ってるんでしょうか、エステリオ叔父さんは。
ヴィー先生は、我が家に住み込みという条件で来てくれた。
勉強や、魔法の使い方も教えてくれるの。
嬉しい!
「ところでアイリス。最初に教えておくことがある。自分の魔力を身体に満たすことだ。今までは心臓につかえがあって、無意識に自分で制限していたはずだ」
「は、はい。そういえば……そうかも。無理して倒れたこともあったし……」
「もうそんな心配は無い。試してごらん。最初の授業だ」
魔力を満たす。循環させる。
「血液が身体をめぐるようなものでしょうか?」
「そんなようなものだ」
ベッドに横たわったまま、イメージしてみる。
「風が吹くだろう。水も世界を循環しているだろう。考えてみるんだ。水や、光や、風になったように……。そして、きみの心臓でもいい、どこでもいいが、身体の中に泉があると思うんだ。魔力は次々に湧き出してくる。尽きることはない」
魔力が身体をめぐる。自分の身体を満たす。
思い返すと、イリス・マクギリスは、それを心得ていた気がする。魔力もすごく多くて、強かった。大人の意識だからだったのかな。
「そうだ。精神力が魔力に関連する。もっとも、いくら精神的に強くても、それだけでは魔力に恵まれるというわけでもない。要は、素質だ。アイリスには、それがある」
それは女神さまから頂いた恩寵によるものなんだよね。ヴィー先生は褒めてくれるけど、ちょっぴり後ろめたい気もします。
「持って生まれた才能は、ギフトだ。活かさなければもったいないよ」
優しく導いてくれる、ヴィー先生。
来てくれたのが、ヴィー先生で、よかった。
このときから、あたしの、本当の意味での、新しい人生が始まったのです。
あと数ヶ月で、あたしは、四歳になる。
あたし、生き延びられるかな。
もしかしたら、生きられたら、また、彼女に会える?
アイーダに。
と、イリス・マクギリスは思う。
相田紗耶香に。
と、あたしは思う。
セレナンの女神さまたち。
いつも守護してくれる精霊たちに助けられて。
あたしは四歳まで生き延びて、成長して、ずっと後に……五十年後に遭遇するはずの、ラト・ナ・ルアの事件を防げるだろうか。
昏い血の獣、セラニス・アレム・ダルのことを思う。または赤い魔女セラニス。
彼は(彼女は)何を目的にしているの。何をしようとしているの。
負けない。
まだ、先は長いけれど。
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(続く!)
まだ終わってないですので、よろしくね!
(第3章は、今回で終わりです。次話からは四歳になったアイリスが活躍します。
その予定です。毎日こつこつ書いてます。
どうぞお楽しみに。今後とも、どうか、よろしくお願いします!)




