第3章 その19 女神さまにお願い!
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ヴィー先生ことヴィーア・マルファのぶつけた問いの激しさに、イリス・マクギリスは息を呑んだ。
「もちろん、すべてお話しするわ。少し、お待ちいただけますか」
大きく息を吐いたイリス・マクギリスは、周囲を見回し、
「守護精霊たち! みんなの主はアイリスだけど、あたし、イリス・マクギリスにも力を貸して。あたしたちは身体と魂を共有しているんだから」
シルルとイルミナ、ディーネとジオを、自分のまわりに呼び集める。
「セレナンの女神さまに、ヴィー先生にすべてを話していいか、おたずねして、お許しをいただきたいの」
彼女の呼びかけに、守護精霊として、まずジオが姿を現す。
『アイリスそれ本気で言ってる?』
ジオは驚いたが、途中で、思い直す。
『いやイリス・マクギリス。きみは『先祖還り』なんだね。うすうす気づいていたけど、今日、きみからはっきり聞いて、なんかいろいろ納得したよ。アイリスの願いは叶えてあげたい。でも精霊に課せられた制約があるのは知っているよね。世界の根幹に関わることは教えられない』
「あなたたちに、教えて欲しいとは言わない。女神さまにお願いを伝えるのを、助けて欲しいの」
「イリス、本気で、まさか!? 女神さまに、会えるように願うのか?」
エステリオ・アウルはイリスの行動に驚きを隠せない。
「ヴィー先生に約束したから教えてあげたいけど世界のことも女神さまのことも、あたしが言ったって本当のことはきっと伝えきれない。誤解は避けたいの。それに」
イリスは窓のほうに目をやった。
窓は広く設けてあるがレースのカーテンが引かれており、外からは何者も部屋の中を窺い知ることはできない。そのはずだ。
「赤い魔女の目がどこにあるかわからないでしょ。ヴィー先生にこれ以上の秘密を打ち明けるところを魔女に知られたくないの」
「つまり、精霊火を呼びたいということか」
先日、館の内部に大量の精霊火が出現したことは、エステリオの記憶にも新しい。
『そうだね。女神さまに、心からお願いしてみたらいい。アイリスが願えば、世界に届くよ。女神様は、そういう約束をしてくださったのだから』
ジオの表情は、優しかった。
「そうだったわ。困ったことがあったら、守護精霊と女神さまに頼っていいって、言ってくださったんだわ」
『そのとおり』
ジオの傍らに次々と精霊たちが集まった。
その中に、ヴィーア・マルファの守護精霊であるサラも加わっていた。
『女神さまにお会いできるなら、精霊としては望外の幸せ。このさい、あたしも立ち会わせてもらっていいかい』
軽いノリでお願いするサラに、ジオは呆れたように、
『断っても、立ち去るつもりないよね?』
『はははっ! バレたか』
『もう、しょうが無いから、いいよ。邪魔しないでくれれば』
※
精霊達に見守られながら、イリスは両手を組んでうつむいた。
心の内を覗き込む。
アイリスの小さな身体に、月宮有栖と、イリス・マクギリスの自我。システム・イリスの擬似自我と膨大なデータベースが宿る。
彼女の経てきた数限りない前世の中で、自覚でき、掌握できたのは、数多の記憶の砂粒の中から手のひらに残った、これだけだった。
「どれもが、あたし。有栖もアイリスも二人のイリスも」
つぶやくイリスを、エステリオとヴィー先生は見守った。
「大丈夫なのか、マクギリス嬢は」
「ええ。わたしより、ずっとね」
イリスは自分の心に向き合う。
「女神さま。お願い、もう一度、お会いしたいです」
だが、こうも思う。
自分は本当に女神に会いたいのだろうか。
願うことは正義とはほど遠い。
自分の生存を願うだけ。
たとえば有栖は、ずっと、ラト・ナ・ルアを、死ぬ運命から助けたいと本気で思っている。その術はまだ見つけられないけど。有栖はずっと努力を続けることだろう。
では、自分、イリス・マクギリスは?
その願いは、精霊たちが有栖に見いだしているような、きれいなものでは、決してないと、誰よりもイリスはわかっていた。
この世に生まれ出た使命は、きっと、50年後に人間に殺されるラト・ナ・ルアの運命を変えることなのに。彼女が殺されたら、人間の世界は、終わる。
「あたしたち、今は分裂しているけど、魂は同じ。いつか溶け合うことがあるのかしら。アイリスが成長したら? でも、魂が溶け合ってもあたし、イリスは消えたくないの。まるで現実みたいなこの素敵な夢から、覚めたくないの。今度こそ死んでしまうような気がするんだもの……」
『そんなことはありません、イリス、アイリス』
胸に響く美しい声に、イリスは顔をあげた。
部屋の中に銀色の靄が満ちている。
幼女の前に、その存在は、いた。
「あなたに何か困ったことがあったらいつでも呼びなさいと言ったでしょう」
腰まで届く、青みを帯びた銀髪が、自ら光り輝く。色の白い、線の細い面差しに、柔らかに映える微笑をたたえた美少女。
年の頃は十歳ほどであろうか。水精石を思わせる淡い青に輝く瞳が、ひどく印象的だ。
「うわああああ!」
突然、絶叫があがった。
「なんだこれは! ななななな!」
「あ。ヴィー先生だわ」
「しまった! 心の準備をしといてもらうように言うのを忘れてた……」
「あら、きっとだいじょうぶ。先生は、美少女がお好きだもの! そりゃ喜んでいただけるわ。絶対、誰より美しいのだもの」
「……そんなことで納得するかなぁ?」
エステリオ・アウルの心配は、杞憂だった。
「なんて美しい! おお、このお方が女神さまなのか!? これほどの美少女を見たのは生まれて初めてだっっ!」
女神の前に跪き、心の底から嬉しそうな笑みをあふれさせるヴィー先生に、イリスとエステリオ叔父さんは、さすがヴィー先生だと、感嘆するばかりだった。




