第1章 その1 夢見るゴーストたちの街
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ゴーストタウンを歩く。
週末の、あたしの暇つぶしだ。
死にながら夢を見る、亡者たちが住む、巨大な街。
いやどうかな。
向こうから見れば、あたしの方がゴーストなのかもしれない。
街を歩いて、生き生きと生活を営んでいる住民たちに出会ったところで、地球の管理者であって、つまりは暇にあかせて彼らを観察するしかないあたしは街にある何ものにも指先一つ触れられはしないのだから。
それでもあたしは、週末ごとの休日に他にしたいこともないので、ゴーストタウンへの出入りを性懲りも無く繰り返していた。
孤独が埋まるわけでもないのに。
街に足を降ろす。
青空に突き刺さるような、高層ビル群が目に飛び込んでくる。
良い感じに古びた石畳の道をピンヒールの踵で蹴って、あたしは歩き出す。
カシミヤのコートで、肩には毛皮のストールを纏って。
そのあたしの周りには、忙しそうな男女が溢れている。
地下鉄の出口に降りていく背広姿のビジネスマンたち。タクシー乗り場に並ぶ着飾った女性たち。
みんな楽しげだったり何かに苦悩していたり笑っていたり怒っていたり。ともかくもう生き生きと大通りを行き交っていて。
ここはマンハッタン島。
ニューヨーク州ニューヨーク市の一部、その中でもダウンタウンだ。
セントラルパークも好きだけど、大勢の人を見るのがもっと好きだから、あたしは、よく、ここ、ブルックリン橋の手前あたりに来てみる。幅が広くて長い、古い橋だけれど人も車も自転車も、数え切れないくらいに往来している。
騒がしいって、こういう感じなの?
人って、こんなにたくさん、いたんだ。
……そう、かつては。
活気に溢れた街を行く。
全然、元気のない、あたし。
これからどこへ行こう。
あたしは、あてどなく歩き出す。アップタウンへ向けて。
そうね、今日はリトルイタリーを通って行こうか。
空っ風が吹き抜けて、あたしの金色の髪を空へと巻き上げる。
寒い。
気がついたら、なんだか薄汚れた通りに迷い込んでいた。
いけない、いい加減に座標を動かしてしまっていた。
寂しい裏通りは、若い女性が一人歩きをするには、危険だったというのに。
もっともあたしには関係ないことだけど。
さっさと移動しようとしていた、あたしの耳に、人が言い争っている、緊迫したやりとりが聞こえてきた。
「ようよう、クリスタ、どこ行こうってんだよぅ」
粗野な男の声が、からかうように呼びかける。
「邪魔しないで。あたしはオーディションに行くんだから。それにあんたたちに、愛称で呼んで良いなんて許可した覚えはないんだけど?」
答えたのは、瑞々しい、張りのある少女の声だ。
「どうせ無理に決まってらあ」
「劇場が雇うのは身元のしっかりした娘だけだ。スラムから出て行けるわけねえだろ」
「うるさい。邪魔! さっさとどけなさいよ!」
ある意味、典型的な。
悪そうな男ふたりと、女の子が、もめていた。
「はぁ!? 口のききかたに気をつけな。殺すぞ?」
男がナイフを取り出した。もうひとりは拳銃を持っている。まだ女の子に向けてはいないけど。
長い黒髪の少女の前に二人の悪漢が立ちふさがり、武器を突きつける。
あっこれやばいんじゃない?
でもあたしにはどうにもできない。何も干渉できないのだ。まるで立体映画の中にいるようなものなんだもの。
だけど!
「やめて! その子に触らないで!」
あたしは思いっきり叫んでいた。
すると、男達は、振り返って、こちらを見た。
あたしを。
あれ?
今までこんなことなかったのに?
向こうが、こちらを認識するなんて。
システム的にありえないのに。
男たちは、にや~っと、笑った。
ものすごいイヤな感じ。
危険、危険! ビリビリ感じる。
あたしはほんの少し、後ずさる。だってなんだか今にもこっちにやって来そう。
ちょっと待って。
ここはゴーストタウン。夢見る死者たちの街。
ゴーストがあたしに触れられるわけは……ない、はずなんだけど。
「逃がすか! おい」
「ポリスでも呼ばれたら面倒だぜ」
やだやだ! こっち来ないで!
どうしたんだろう。あたし。
このマーキングポイントから移動すればいいだけなのに。
どうして動けないの?
すくんでる。
あからさまな悪意、害意、殺意に晒されて。
そんなバカな。
仮にもシステム管理官のあたしが、ただの人間なんかに怯えるなんて。
第一、どうして彼らに、ゴーストたちに、あたしの姿が認識できるの?
そうしている間にも彼らはどんどん駆けて近づいて来る。
今にもあたしに触れそうになった、そのときだった。
「※※※※※」
一つの音節が、空気を打った。
切り裂いた。
次の瞬間。
男たちの胸が弾けた。
鮮血が噴き出す。
声にならないうめきと共に、男たちの身体が崩れ落ちる。
どしゃっ、と、重い湿った音がした。
死体が、肉塊が、路面に堕ちた。
一連の出来事は、不思議に、ひどくゆっくりと見えた。
圧縮された、質量を持った「音」が、音の弾丸が、二人の暴漢の胸を打ち抜いたのだ。
そして、それを発したのは。
さっきまで男達と言い争っていた、少女だった。
真っ直ぐに肩に流れる、夜のような黒い髪と、小麦色の肌に、きらきらと勝ち気に輝く大きな黒い目が、あたしを、見た。
そのときあたしは、たまらなく、懐かしい感じを覚えた。
なぜ、なんだろう。
ずっと前にも、あたしたち、出会ったことが……ある?