第3章 その15 イリスの証言
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「うふふふ! ビンゴ! よくできました!」
上機嫌な幼女がはしゃぐ。
エステリオ・アウルは、ますます困惑の度合いを深める。
「イリス・マクギリス。やめてくれないか。うちのイーリスには似合わない。同じ顔で、そんなことを言わないでくれ」
「何よ、その、イヤそうな顔は。本体は同じアイリスなんだから、いいじゃない。それに自称だなんて失礼しちゃうわ。あたしは正真正銘、ニューヨーカー。マンハッタンで生まれ育ったんですぅ! キャリアウーマンなんだから」
つんと唇を尖らせる。
「そういう問題じゃないっ!」
エステリオは真っ赤になっていた。
「ふんっ。せっかく人が助けてあげようっていうのに」
マンハッタン生まれのイリスは、エステリオを軽く睨む。
「ほんとはすっごくめんどくさいんだからね! 有栖とアイリスがあんたたちに言えなかった心の傷のことを、誰かに話して楽にしてあげられるのは、大人のいい女である、このイリスさんしかいないでしょ?」
「それは、ありがたいですが……」
エステリオは、まだ釈然としない様子だ。
「不満そうな顔しないの。それよりなんでキスが上手になってるのよ。どこかで練習してきたの? 女の人のいるお店とかで」
「してないです! これでも2度目だから……あ、いや、その」
「つまり2度目だからファーストキスより上手くなってると言いたいのね。あらっ、耳まで赤くなって、かっわいい!」
イリスの上機嫌は続いていた。
「……やめろ! ヴィー先生、助けてくれ」
ついにエステリオは音を上げた。
「アイリスと同じ姿なのにどうしてこうなる」
「おや、やっと私を師と仰ぐ決心がついたのかなアウル。コマラパ老師もお認めになられた、この私を存分に敬うがよい! 何しろ君は保有魔力は多いのに守護精霊もつかない運の悪い男だからな。助け船を出してやろう」
ヴィー先生ことヴィーア・マルファが進み出る。
「イリス・マクギリス嬢。先ほどからアウルが失礼を。この青年は我が愚弟の親友なれば彼も我が弟のようなもの。至らぬところは私が代わってお詫び致します。お許しを」
うやうやしくアイリスの手を取り、甲に口づける。
「……なるほど、エルナトさまも、ヴィー先生も、高貴な血筋の御方でしたわね」
つぶやいたアイリス(中身はイリスである)は、機嫌を直したようだった。
「さきほどのお話しの続きを、お聞かせ願いたいのです」
あくまで礼を尽くすヴィーア・マルファに対し、イリス・マクギリスも、真顔になり、エステリオの腕に抱かれたままであるが、真摯な答えを返す。
「わかりました。いつまでもふざけて逃げてもいられませんわね。有栖とアイリスのことですが……」
イリス・マクギリスは背筋をのばして、話し出した。
魔力栓治療を終えた後、身体が弱いアイリスは、治療疲れのために眠りに落ちた。
本来なら夢も見ない熟睡のはずだった。
「ところが、その夢の中に侵入したものがいた。あたしはまだ確かな意識として覚醒していなかったから、思い出して話すことも耐えられるのだと思うわ。そのときは、十五歳の有栖の意識を持った三歳のアイリスだった。あれに、『赤い魔女セラニア』であり、『昏い血の獣、セラニス・アレム・ダル』である存在に対峙したのは」
「セラニス? その名前は、アイリスに代わって地の精霊ジオが教えてくれた。いつからなのか、わからないが、ずっと以前からアイリスに目をつけていたモノだといって」
エステリオがそう言ったとき、アイリスの周囲に、守護精霊たちが集まってきた。
『『『『アイリスが危険だって、セレナンの女神さまから、わたしたちは聞かされていたの。いつも、わたしたちが側にいたの。でも、こんなに早く、アイリスの記憶を読んで入り込んでくるなんて! あいつ許さないんだから!』』』』
人間たちの胸に直接、精霊たちの悔しさが伝わってきた。
イリスは精霊達の光に手をのばして、触れ、撫でるような仕草をした。
「そのときすでに有栖には自分の身に起こったことを口に出すことができなくなっていたの。具体的に何を体験したのか、彼女は、言った?」
エステリオは記憶をたどり考え込む。
「いや。寒くて、心臓が凍りそうだというだけだ。ジオも、守護精霊であってもセレナンの制約が課せられているから、人間に対して教えることはできないと」
『『『『ごめんなさい。例外はあるだろうけど、わたしたちには、人間に言っていいことかどうか、判別できないの』』』』
すまなそうに精霊たちは口々に言う。
イリスは精霊たちに、微笑んだ。
「精霊はセレナンじゃないもの。しかたないわ。でもジオはあそこに来てくれた。嬉しかったわ。……続きはあたしが言ってあげる。エステリオ。有栖は、アイリスは、とても苦しそうだったでしょ? 泣いていたでしょ?」
エステリオはそのときのことを思い起こし、何度も頷いた。
「アイリスは、寒いと、温めてくれと、身体が凍りそうだと言っていた。実際に、彼女を抱き上げたら、氷のように冷たくなっていた」
「まったく、ひどい悪夢だったわよ。以前に一緒に降りていったことのある、魂の底。実はそうじゃなかったんだと後でわかったけど。あいつは、エステリオ・アウルの、21世紀の東京に生きていた前世……黒髪で黒い目の、十代の青年、その姿を借りて、有栖を欺そうとしたの。親しげに月宮有栖の名前を呼んで信じさせて近づいて、それから……有栖を、捕まえた」
なめらかだったイリス・マクギリスの言葉が、とぎれた。
「アイリス嬢?」
急かすような口調ではないが、ヴィーア・マルファ・アンティグアは、幼女の様子の変化を察して、気遣う。本音を言えば彼女は自分の腕にアイリスを引き取りたいところだが、エステリオ・アウルが権利を譲らないのだった。
「あまり言いたくないけど」
気が進まないふうにイリスは小さく言った。
「あいつは、有栖を捕まえて、キスをしたの。いいこと、ここ重要なのよ。エステリオより先に有栖のファーストキスを奪ったの。もちろん夢の中で、だけど」
「…なん、だって」
エステリオは声を荒げはしなかったが、アイリスを抱いた腕に力がこもった。
背中に手を添え、お尻の下に腕を入れて抱っこし、支えているのだ
「ちょっと、痛いから、アウル。夢の中でだって言ったでしょ。落ち着いてよ」
「こんなことを聞いて、落ち着いていられるわけがない」
「アイリスには、このエステリオ叔父さんが本物じゃないってことが、やっとわかった。逃げようとしたけど逃げられなくて」
イリスは深いため息をついた。
「強引にキスされたとき、心臓に鋭い氷柱がいっぱい刺さった。そう感じたの。氷はどんどん広がっていって、身体全体が凍ってしまうかと思った。そして、あいつ、セラニス・アレム・ダルは、それは楽しそうに言ったの」
「アイリスを氷づけにして永遠に自分のそばに置きたい」




