第3章 その10 美人家庭教師ヴィーア・マルファ
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エルナトさんはかなり夜遅くまで我が家にいて、お父さまやエステリオ叔父さんと、長い間、話し込んでいた。
あたしもがんばって寝たふりをしながら起きていて聞き耳を立てていた。あたしの守護精霊である風の精霊シルルが、お父さまたちの話を中継して伝えてくれるのだ。
お父さまはエステリオ叔父さんが『先祖還り』だと知っていた。
けれど、エルナトさんや、あたしも同じだとは知らないみたい。エルナトさんも、そのことはお父さまに言わなかった。
エステリオ叔父さんは、生まれた時から神童だと評判が高かった。
最初から数学の暗算もできたし難しい理論も教わる前から知っていたり、石鹸を作ってクリスティンお婆さまの家事仕事を楽にするものを造り上げたりした。
叔父さま、うっかりミスしたわね。
どうも最初は自分でも『先祖還り』だってわかってなかったらしくて、自然に思いつくままに、前世の知識で、いろいろやらかしていた、というわけ。
名門ラゼル家の当主で大商人として有名だったヒューゴ・ラゼル、つまりあたしのお爺さまは、優秀なのは我が家の血筋と自慢して、どこにでも連れ回していた。
公共の場に出る。
それは、目をつけられる機会があったことになる。
エステリオ叔父さんの前世の知識か発明の才かに利用価値を認めた者たちがいたのだ。そのために、5歳のとき誘拐されそうになったの。
おじいさまの館に皆が住んでいたときのことだったとか。
当時の、エステリオ叔父さんの乳母が手引きをした。
犯人を突き止めるまでに至らなかったのは、誘拐が失敗した時点で、その乳母が、おそらく口封じのために殺されたから。
あたしのアイリアーナお母さまは当時はまだ、マウリシオお父さまと出会っていなかったこともあり、エステリオ叔父さんの誘拐未遂事件のことを知らないようだ。
エルナトさんはお父さまに忠告をしてくれた。
お母さまの静養が必要なこと。
お父さまご自慢の中庭はとってもすてきだけど、アイリスを遊ばせるなら、屋根のある屋内のほうがいいこと。理由は、身体が丈夫じゃないからと、おっしゃってた。
それなら両親も納得してくれるだろう。
この世界の至る所に『赤い魔女セレ二ア』の放つ情報収集装置『魔天の瞳』が放たれているなんて、まさか言えない。言っても不安をあおるだけだから。
お父さまは、この二つを了承した。
そしてもう一つ、エルナトさんは重要な提案をしたのだった。
あたしに、学校に通う年齢になるまで、家庭教師をつけるべきだと。
※
翌日、あたしは寝過ごしてしまった。
おかげで、明け方に見られる、精霊火が街中を流れる、光の大河を見損ねてしまった。
もっとも精霊火スーリーファの大群なら、昨日の夜、もう当分見なくてもいいくらい、我が家にいっぱい集まってきたから、満足ではあるけど。
「おはおようございます、お嬢さま」
メイドさんたちがやってくる。
髪を念入りに梳かしてもらって、お着替えして。
朝食の席に向かう。
いつものようにお父さまとお母さま、エステリオ叔父さん、あたし。家族四人が揃っているのを見て、ほっとした。
「アイリス。エルナトさまから、お薬をいただいているわ。トリアに煎じてもらったから、ちゃんと飲むのですよ。まず薬を飲んでから、お食事です」
「はい、おかあさま」
あたしの心臓にたまりやすい魔力の塊、魔力栓を溶かすための薬だ。苦い煎じ薬だけど、がまんして飲まなくちゃ。
「アイリス。おまえは以前から、勉強したいと言っていたね。だが学校へ通うには、まだ早い。エルナトさんが、よい先生をご紹介くださった。我が家に家庭教師に来ていただくことにした」
「ほんとう、おとうさま! うれしい!」
「よかったわね、アイリス」
家庭教師の人は、まだ若くて優秀で、公国立学院を卒業した人。。
勉強も魔法も、体力作りも、教えてくれる。
女性の家庭教師なのだって。
すごく嬉しい!
※
そして二日後。
先生が、やってきた!
「先生、こちらが我が家の一人娘、アイリスです。お恥ずかしいことに溺愛してしまっておりまして。アイリス、家庭教師にきてくださる先生だよ。エルナト様のご紹介だ」
お父さまが、とても嬉しそうに紹介してくださるの。
「すてき。とっても、きれいなかた!」
驚いた!
こんな美女、前世の世界でも、めったに見たことないわ。
背が高くて、スタイルが良くて。
背中に垂れている燃えるような赤毛が、柔らかく、風になびいている。
日に焼けた精悍な顔が、とても凜々しいの。よく見ると上腕とか、かなり筋肉なの。
ハンサムウーマンだわ!
「はじめましてアイリス。噂どおりね、なんて可愛いお嬢さんなの! これからよろしくね。わたしは、ヴィーア・マルファ・アンティグア」
「アンティグア? もしかしてエルナトさまの、ご家族のかたですか?」
すると、彼女はにっこり微笑んで、
「さま、だって! いいのよ、エルナトなんか呼び捨てで」
「そんな。あの、せんせい」
「私のことはヴィーと呼んでね」
「はい。ヴィーせんせい」
なんてきれいな人なんだろう!
「こちらこそ、どうぞよろしくおねがいします。アイリスです」
「お噂はかねがね。アイリス・リデル・ティス・ラゼル嬢」
見るからにクールな美貌の、妙齢の女性。
あたしの手を取って、握手した。
初日なので、お父さまもお母さまも、エステリオ叔父さんも立ち会ってくれている。
「よかった。これで私たちも安心だよ」
お父さまはお仕事。お母さまは、もうじきエルナトさんが往診に来てくださるというので、お部屋に戻ることになった。執事さんとメイドさんたちも、お母さまの部屋へ移動する。いつもならローサはあたしの部屋に残るのだけど、エルナトさんの診察に立ち会うことになったのだ。
その場には、エステリオ叔父さんと、あたしと、ヴィーア・マルファさんだけが残された。
「それにしても、エリーにも聞いたけど、噂以上の、可愛い子ちゃんじゃない!」
ヴィーさんは、満面の笑み。
「えりー?」
「ああ。エルナトのことよ。私とエリーは双子の姉弟なの。もちろん私が姉だから」
「えええええ!」
あたしの驚く顔を見て、満足そうなヴィーさん。
「相変わらず人が悪いなヴィー」
エステリオ叔父さんは、不機嫌そうだ。
「うっふふふふふふ! ところで、と」
ヴィー先生は、あたしを、ひょい、と抱き上げた。
ほっぺに、ちゅー。
も一つ、ちゅー。
唇にも、軽く、ちゅー!
「あわわわわ!」
ヴィー先生って、ちゅー魔神ですか!?
「ん~っ、かっわいい~! お人形みたい! こんな美少女レアだわ!」
ほっぺをすりすり。
満面の笑みです。楽しそうです。
そして、そのまま。
ヴィー先生は、あたしの耳に口元を寄せて、囁いた。
「かわいいアイリス。あなた『先祖還り』ね。前世では何歳まで生きたのかしら?」
「えっ!?」
「なんでそんなこと聞くんだよ、ヴィー!」
憤慨しているエステリオ叔父さん。少し、彼女のいない青少年だった魂の姿に引きずられているみたいです。
「エステリオ・アウル。彼女いない歴イコール年齢。黙ってて」
「なっ、ななななな!」
エステリオ叔父さんが真っ赤になってる!
「聞かせて、アイリス。何歳だったの? つまり、あなたの精神年齢は、何歳なのかな?」
「え、えっと、あたし、覚えているのはいつも女だったりします。十六歳になる前の日に死んだり。それから、二十歳で死んだり。それから。あと、年齢がよくわからないのとか、いっぱいあって」
「へえ。そうなの、面白いわね。あなたの覚えている前世の記憶は、一つだけじゃないってことかぁ。うっふふふふ~」
ヴィー先生の笑顔がちょっと怖いです!
「もしやヴィー先生もですか!?」
ほんの少し期待してみる。
「ああ、私はそうじゃないけど。とっても興味深い現象だと思っているわ」
「……そう、ですね」
「それより。二十歳の女の子だったの? じゃあ……」
ヴィー先生は、あたしを強く抱きしめて、もふもふして、再び、耳元で囁いた。
背中がぞくぞくするような、ハスキーな声で。
「私と、大人のキスをしても、いいよね?」




