第3章 その5 先祖還りの秘密
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「女神さま。お願い、あたしどうしたらいいの?」
一心不乱にあたしは祈った。
気がつくと、真っ白な霧に包まれた空間に、いた。
ああ、なつかしい気持ちさえする。
女神さま、スゥエさまやラト・ナ・ルアと、エイリス、またの名をエイリアス女神さまと、出会ったのは、ここだ。
どこへ向かえばいいのかもわからないままに、あたしは走り出す。
じっと待ってなんていられない。
すると行く手の方から、銀の鈴を振るようなきれいな声がした。
「よく来ましたね、イリス、アイリス。あなたの方から求めてやってくるなんて、よほどのことですね」
「スゥエさま!」
あたしを待っていてくださったのは、スゥエさまだった。
青みを帯びた銀髪は、柔らかそうな頬やほっそりとした顔、首、肩を包み、光の滝のように足下まで流れ落ちて輝いている。
水精石色の、淡い青の瞳。抜けるように白い肌。あどけない、可愛らしさ。
どう見ても十歳くらいなのに、歳に似合わないほど穏やかで慈愛に満ちた、月宮有栖の前世の記憶にある、聖母マリアさまの絵姿のように優しいお顔。
手に触れることもはばかられるほど至高の、聖なる存在。
「そんなことはありませんよイリス・アイリス。実は、わたし、かなり欲ばりなんです」
「え?」
何をおっしゃっておられるの?
女神さまの「欲ばり」って、何なんだろう?
「うふふふふふ。わたしの望みは、魂たちがみんな幸せになることなのです。それはとっても、欲が深いことなの。すごく、難しいのですもの。わたしにできそうなのは、せめて、お気に入りの子たちだけでも救おうとする試みだけだわ」
悲しそうなスゥエさま。
胸が痛む。
「スゥエさま。あたしは、本当によくしていただいてます」
感謝を伝えると、けれどスゥエさまは、首を横に振る。
「いいえ、わたしの力の及ぶところなど限られています。現に、今、アイリスはとても困っているでしょう?」
「まだ何も申し上げていないのに。ご存じなのですか、スゥエさま」
「ええ、もちろん」
女神さまが白い空間の一部を指さす。そこにふわふわと柔らかい銀色のもやが集まっていって、鏡のようになった。
「ごらんなさい。あなたの母親アイリアーナに近づくものがいたの」
映し出されたのは、園遊会の場面なのだった。
とても広い庭園のそこかしこに設えられたテーブルや椅子は、有栖にはよくわからないけど最高級品に違いない。
テーブル席の間を漂う、着飾った女性たち。
すっごいゴージャスな、高そうなドレスを着た、髪をアップに結って羽根飾りのついた帽子を被ってる。
ほんとね、社交場なんだわ。ルールがあるみたい。
前世で読んだ漫画にあったわ。身分の高い人には、低いほうから話しかけてはいけない。お声を掛けていただくのを待つのだって。
テーブルに並ぶのも、何十種類もの見たこともない美味しそうな料理やお菓子。とても食べきれるとは思えないくらい。でも、あまり、ぱくぱく食べる人はいないのね。
「あ、お母さまだ! お母さま!」
思わず手を振ってしまったけど、お母さまは気づかないみたい。
「それは無理よアイリス。記録映像だもの」
「あっそうか。これは、もう起こったことなんですね。かなりはっきり見えます」
有栖の前世の時代、21世紀の防犯カメラの映像みたいなのか。あれけっこう解像度が高くて、犯人の顔とかバッチリわかっちゃってたな~。
「よく見ていて。女性達にグループがあるのはわかる?」
「あ、はい。なんとなくは」
「貴族は貴族、商人や荘園主。貴族でも上級とか下級とか分かれているようね。わたしには、よくわからないけど」
「お母さま、泣いてたんです。誰かがいじめたの?」
「この日、大貴族の当主の評判を聞いたせいかも。悪い男よ。領地の民を搾取して、法律も曲げて、道徳的に許されないことを続けているの」
「その男が、お母さまに何か!?」
「いいえ。その男を引き合いに出して、あなたの家を貶した人たちが……一人ではないの、グループがあるのだけど。彼女たちはいろいろ画策しているのよ。問題は、エステリオ・アウルを利用したくて、あなたの家から引き離そうとする勢力がいくつかあること」
「そんな! だって、エステリオ叔父さんは、魔法使いには上下はない、つまり出世には縁が無いって自分で」
「そう思っているのは魔法使いたちだけ。エルナトはわかっている。力を持つ者には利用価値があるということを。魔法使いとしても。そして、『先祖還り』としても」
先祖還り……エステリオ叔父さんやエルナトさんがそうだと、女神さまは今、認めたということになる。そんな重要なこと、あたしに話していいの?
「そしてもう一つ。この世界には、セレナンに反する勢力があるの。あなたも出会ったでしょう。赤い魔女セレ二ア、または赤の魔術師セラニス・アレム・ダルと呼ばれる、夜と死の支配者よ」
「はい。出会いました。あたし、それですっごく悔しくて!」
「ごめんなさい、アイリス。精霊たちを遣わしたのは赤い魔女セラニスに手を出させないようにするためだったの。でも、セラニスは、あなたの生命の根底に忍び込んだ」
「ジオを、あそこに遣わしてくださったのは、スゥエさまだったんですね」
「彼は、人を幸せにしたくないの。人に近づいては不和を吹き込み、争いを引き起こさせ、操り、それを楽しむの。あれの母親は、子どもを諫めようとはするけれど、最終的には、我が子可愛さに堕ちてしまうのよ。赤い魔女の抑止力にはならない。あなたは、わたしたちセレナンの寵愛するもの。人の不幸を望む、あちら側には渡しはしません」
「……? 女神さま? どうして、そんなに詳しく話してくださるんです。精霊たちは、人間には話せないことがあると」
「それは彼らが精霊だから。セレナンの制約を受ける身だからよ。でも、わたしは違う。世界の、セレナンの意志を現す代行者」
「女神さまだから、ということですか?」
「ええ。それに、あなたには謝らなければいけないことがあるの」
スゥエさまは、あたしに近づいて、そっと手をとった。不思議な、物体と雲か霞の間のような、頼りない感触がある。
物体ではない。高エネルギーの凝縮したものだ。みるみる、魔力栓の治療で弱っていたあたしの体力が回復していくのが、わかる。
「あなたをこの世界に転生させてあげると言ったのは、うそなの」
「え? え? なにをおっしゃってるんですか? じゃあ、あたしはこの世界に転生してないの? 白昼夢でも見ているの? この世界の人間じゃないの?」
「いいえ。逆よ。あなたはもう、ずっと前に転生していたの。前世の記憶は目覚めなかったけれどね」
「先祖還りでは、なかった? 前世を覚えていなかった?」
「ええ。ごく普通にアイリスとして生まれて、そして、やっぱり寿命を全うしなかった。若くして死んだの。……何度も、繰り返してみたんだけど」
何度も繰り返した?
あたし、また、死んじゃうの?
女神さまは、再び、ゆっくりと首を左右に振った。
「いいえ。今度こそ、あなたを不幸なまま死なせない。あなたが会いたがっていた、とても大事な人にも、出会えるようにしてあげたかった。それで、わたしは……あなたの前世の記憶を、よみがえらせてみることにしたの」
先祖還り……何人もいる?
前世の記憶……!?
もしかして、『先祖還り』つまり前世の記憶持ち、とは。
女神さまの加護を受ける者たち、とは。
「あたしは、エステリオ叔父さんは、それにエルナトさんも、何度、やり直しを試しても幸せになれなくて早死にしてしまう者たち、だったんですか!?」




